116 ミシェル
ベッドから降り、ベッド脇の机に誰かが用意してくれた洗面器で顔を洗う。たぶん、エステルかな。水がぬるま湯になっていて、ひんやりしない。ただ井戸から汲んだだけの水ではないのだ。その心遣いに嬉しくなる。
テーブルに置かれていたタオルで顔を拭きながら振り返った。
「これ、誰が用意してくれたの?」
「私でございます。お気に召したでしょうか」
あ、シルヴァだった。
「うん。気持ちよかったよ。ありがとう」
「とんでもございません」
そう言って、綺麗にお辞儀するシルヴァ。
今は執事服なので、背筋をピンと伸ばした姿が本当に絵になる。
どうやらシルヴァは、家の中にいる間は執事服、外ではハンター服になることにしたらしい。一瞬で着替えられるので羨ましい。
「さて。そろそろ朝食ができている頃でしょう。参りましょうか、セシル様」
「うん」
コンコンコン
シルヴァの後について居間まで来たとき、玄関ドアをノックする音が響いた。
「わたしが出るよ」
「お供します」
玄関に急ぐと、そっとドアノブに手をかけた。
「どなたですか?」
「その声!セシルね!?」
聞き覚えのある少女の声だった。大きな商家のルグラン商会の娘ミシェルだ。とうさまを崇拝するひとりで、顔と声は可愛らしいのにわたしに対する扱いがひどい2つ年上の女の子。正直に言って、いじめられていた。
どこかでわたし達が帰ってきたことを聞きつけたに違いない。商家の娘だから、情報が早いんだね。
鍵を開けると、扉が勢いよく開いてひとりの少女が飛び込んできた。そしてなにを思ったのか、シルヴァに抱きついた。
「ニキ様、お久しぶりです!ミシェルはお会いしたかった………で………す?って、誰!?」
ようやく相手を間違ったと気づいたらしい。
後ろに飛びのいたところまではよかったものの、玄関の外は階段になっていて、足を踏み外してしまった。
「おっと。大丈夫か?」
そこを、外で雪かきをしていたらしいクロードが受け止めてくれた。
ミシェルは、顔を真っ赤にしている。
「あ、あり、ありがとう。あなた、お名前は?」
「え?俺はセシル様の下僕の………」
「ちょっと待ったあーーー!!」
そんな自己紹介ある!?
そもそも、クロードはわたしの下僕じゃないし!!
わたしは、いまもクロードの腕に抱かれているミシェルを助け起こした。
ミシェルはなにが不満だったのか、わたしを睨みつけて来た。
「ミシェル、彼はわたしの仲間のクロード。で、こっちは仲間のシルヴァだよ」
「ふ~ん。クロード様に、シルヴァ様、ね。ということは、外で雪かきしてるあの男達もあなたのお仲間なの?」
「そうだよ。レギーとロイっていうの」
自分達の名前が呼ばれたことに気づいた2人が、こちらに手を振って来た。
諜報員だっただけあって、2人とも耳がいいみたい。
ただし、残念だけどクロードやシルヴァほどの男前ではない。ミシェルのお眼鏡には叶わなかったらしく、「ふんっ」と鼻を鳴らされた。
そのとき、居間からこちらに近づいて来る足音が聞こえた。
「誰が来たんだ?」
そう言って、レイヴがひょいと顔を覗かせた。
「あ、レイヴ。ルグラン商会の娘さんが来たの。ミシェルって言うの」
「ちょっとあなた!こっち来て!!」
いきなりミシェルの腕を掴まれて、外へ連れ出された。
クロード達から少し離れたところで、ようやく立ち止まるミシェル。
「なんなんですの?あなた、ちょっと会わないうちに男を集めるのが趣味になったんですの!?それも、いい男ばかり!!」
「えっ?」
言ってる意味がわからない。
「皆、仲間だよ。それに、女の子もいるし、男ばっかりというわけじゃ………」
「お黙りなさい!わたくしに口答えするなんて、100年早くてよ!」
100年も経ったら死んでるよ。
「だいたい、帰って来るのが遅いのですわ!わたくしが、どんな想いでニキ様をお待ちしていたか、あなたにわかって!?」
………わからない。なにをそんなに怒っているのか。
「わたくしが嫁ぐのは、ニキ様だけと心に決めているのです。その夫となる方が、旅に出たまま音沙汰もないだなんてあんまりですわ。わたくしをなんだと思っていますの。貴族の間でも評判の高い、あのルグラン商会の娘ミシェルでしてよ!ぞんざいに扱われていいはずがないですわ」
「はぁ………」
貴族の娘でもない、たかが商会の娘なのに、ここまで自信満々で来られると、ため息しか出ない。
そのとき、肩にふわりと誰かの上着がかけられた。
見ると、シルヴァが自分の上着をわたしにかけてくれていた。
「セシル様、そのようなお姿では外は寒いでしょう。私の上着でよろしければ、お使いください」
「ありがとう」
そしてシルヴァは、ミシェルに向き直った。
「そちらのお嬢さんも、外は冷えます。中で話されてはいかがですか?」
「そ、そうおっしゃるなら、入ってあげてもよくってよ」
シルヴァは、ミシェルにも笑顔だった。
シルヴァの耳なら、わたしがなにを言われていたのかわかっているはずだけどな。どうして家に入れるんだろう?
不思議に思っていると。
「くふふっ。これであの娘とニキがくっつけば、セシル様は私のモノに………」
なにか、ひとり言をいっていた。
「??」




