二つ目の願い
怜は周りの人には見えていないようだった。
まだ追悼ムードの使用人たちに、怜が戻って来た、今後ろにいると言ったら、
「遂にお嬢様がおかしくなってしまわれた」とか、「余程悲しいのだろう、幻覚を見てらっしゃる」とか、とても失礼なことを口にしている。
…明日もまた、ここに勤めていられるとは思わないことね。
そんな人たちに怜は、「お嬢様に対して失礼な、明日もここに勤めていられると思うな」と、おんなじような事を使用人に言っているが、声も聞こえないみたいだ。華麗にスルーされている。
怜は人体には触れられないが、物体には触れられるようだ。いつものように、紅茶を淹れてくれている。
怜が私の前に紅茶を置き、私の目の前に座った所で、二つ目の願いを言った。
「お嬢様。わたくし、お嬢様の淹れた紅茶が飲みとうございます。」
「……え゛」
怜は相変わらずのキラキラした目でこちらにお願いしていたが、私の嫌そうな声でちょっとしゅんとしてしまった。
「…だめ………ですか………?」
そんなしゅんとされちゃ困るわ。あなた子犬?
「…だって怜、あの調理実習の悲劇、おぼえているでしょう?」
調理実習の悲劇とは。
学校に行く前、怜に授業で作るクッキーの焼き方を教わったにも関わらず、大失敗した事件である。
「あ、あれですか?!悲劇などではございませんよ。
お嬢様が調理実習で作られたあのクッキーを頂いた時、本当に感動致しました。この世に、こんな美味しいものがあるのかと、奥様、お嬢様を産んでくれてありがとうございましたと、心の底から思いました。」
嘘つけ。だいぶ無理してたじゃない。
その当時、悲しそうな顔をしてうつむき、遂には泣く私に『いえ、生焼けよりはようございます、あっほら、お焦げも美味しゅうございますし、焦げてない部分もまた絶品にございます!』って必死にフォローしてくれていたじゃない。
なによ『奥様、お嬢様を産んでくれてありがとうございました』って。どこの宗教よ。
だけど、今回は紅茶。ギリギリイケるかしら…?
茶葉をポットに入れてお湯を注ぐぐらいだし…。
「お嬢様、貴女が料理に苦手意識があることは、もちろん存じ上げています。その上でわたくしは、本格的な紅茶を淹れて欲しいとお願い致します。
紅茶にもまた、美味しく淹れる方法などがございます。わたくしがそれらをお教え致しますから、どうか淹れてくださいませ。」
…本格的な紅茶…。絶対難しいじゃない。
卵を焦がすのが得意な私に出来る難易度なのかしら…。
「…分かったわ、怜。今から淹れてあげる。」
「本当ですか、お嬢様!嬉しゅうございます!!」
怜が目を輝かせる。そして、私の部屋の中にあるキッチンへ足を早める。
「では、今から、淹れ方をご説明します。どうぞ、こちらにおいでくださいませ。」
私は怜の元に行き、説明を受けた。
「今から、説明を開始致します。
まず、お湯を沸かしましょう。お湯は必ず、沸騰仕立てのお湯を使います。100℃位でございますね。沸騰し過ぎてもいけません。
…ああお嬢様、心中お察し致します。お嬢様、料理のこういう感じが苦手って仰ってましたものね。ですが、今こそその壁を越える時でございます。頑張りましょう。
次に、紅茶の茶葉にございます。何に致しますか、お嬢様?…アールグレイ?分かりました。では、それをご用意致します。
茶葉は一人当たり2~3g、ティースプーン一杯分にございます。
…そ、そんなこだわらなくても宜しいですよ?目分量で構いません…。
お湯が沸きましたね。茶葉をポットに入れる前に、まずお湯だけをポットに淹れましょう。ポットを温めておくのです。
そう。そうですよお嬢様。お上手でございます。
そして、そのお湯をポットから出したら、茶葉を入れ、一気に注ぎます!勢いよくお湯を注ぐのがコツですよ。
注ぎ終わったら、すぐ蓋をして、3分ほど蒸らします。ティーコジーを被せておきましょう。これで保温度合いが上がります。温度を保つことが大事です。
…3分経ちましたね。ここにカップをご用意致しました。これに淹れてくださいませ。
淹れるときには、この茶漉し器をお使いになってください。
…お上手ですね、さすがお嬢様。そうです。そうです…。
これで完成にございます!お疲れ様でございました!!」
…ふう。こんなにキッチンに立ったのは、初めてかも知れない。結構疲れるのね。
初めて紅茶を淹れたけれど、結構気を付けるのね。でも、途中で香るアールグレイの香りは、とても良かったわ…。
「ではお嬢様、頂きますね。」
怜が紅茶に口を付ける。
途端に、顔がほわっとほころぶ。
「美味しゅうございます!!とっても!」
怜が満面の笑みで、こちらに感想を伝える。キラキラした目が、その言葉により一層説得力を持たせている。
正直あのクッキーは、他の班の子の手も加わっていたから、そんなに感想に一喜一憂することはなかった。
でも、生まれて初めて、自分の手だけで作り上げたもの。それの感想を待つまでの間のドキドキは、今まで感じたことはなかった。
「良かったわ…!」
ドキドキが一気に安堵に変わる。嬉しい。なんて嬉しいの。疲れとか、嫌な事とか、全部吹っ飛んだわ。
怜はごくごく飲んでくれてる。時々ちょっと止めて、ちゃんと味わいながら。
「…美味しゅうございました。お嬢様、ありがとうございました。わたくしの願いは、叶えられました。」
怜が飲み終わったカップを置き、私に頭を下げる。私も、今まで言うつもりがなかった言葉を口にした。
「お粗末さまでした。」