不二、三峰来訪。【番外編.電車の中】
少し、夕闇が掛かった景色は、平凡な町並みであっても美しい。
薄暗いだけに余計なものが分かりづらいからだと思うのは意地が悪いだろうか。
智知の宮司から、折角乗るのであれば是非にと勧められた新型の電車は、速いだけでなく、座席の座り心地もよい。何より、特徴的な大きな窓は確かに一度乗る価値があると思わせるものであった。振動も身を切るような風もない中で、通り過ぎていく景色を何にも遮られずに楽しめる環境とは、そうあるものではないだろう。
昔もこんな車両は見たことがないと思い、それが何時であったか思い出せないのに苦笑する。
偶に感じるこの奇妙な感覚は、弟にも、他所より迎え入れた相方にも多少はあるようだが、自分が最も強く感じているようだ。親の腹を通さず産まれるものに、稀にあることだと聞いている。
何処より持ち込んだものだかしれないが、面倒なことだと思う。
懐に仕舞った小さな妹にも、同じ感覚があるのだろうか。
向かい合わせに座った弟は、遊び疲れたのか船を漕いでいた。
久しぶりに友達と暴れまわれて、楽しかったのだろう。自分が属する三峰には自分たち兄弟と他所から呼んだ相方の他には霊獣がおらず、漸く生まれた妹も一緒に駆け回れるような状況ではない。
兄弟神社の齋登、御武まで行けば、遊び相手もいなくはないが、数が少ないのは向こうも同じで、割り振られた仕事を考えれば、早々遊んでばかりもいられない。
故に咲零へこれをやると決めた時も、相当に揉めた。揉めたが、何方が上かははっきりしている。
自分が一声唸れば同族たちは黙り、霊獣が了承した以上、向こうの神職が重ねて否を唱えることもなかった。
何より、必要性は奴らも分かっていることだ。霊気の流れからして、恐らく近いうちに過負盆地は荒れる。
まだ、わざわざ口に出して話し合うほどではなく、それが来年か、再来年なのかは分からないが、自分たち狼の中では暗黙の了解として、着々と準備が始まっている。智知も薄々は勘付いているだろう。
神域の性質や複数の結界に守られているため、影響の受けづらい咲零はまだ気がついていないようで、問題ないとのことだったが、無意識に不安を感じているようでもあった。
徒に知らせて無駄に焦らせる必要もないが、黙って落ち着かないままにしておくのも良いとは言えない。年明けには正式に行動を起こすとしよう。
地脈の流れには一定のリズムが有って、何年か毎に荒れるものだ。だが、今回はそれだけでは済まない予感がする。
咲零の獅子は勇猛で、勤勉であるが、数が限られる。それを支える自分たちも、やはり数が少なすぎる。
早めに準備はしておくに越したことはなく、明確な目的がある以上、多少強引でも戦力強化して悪いことはない。
全く、もう少し手が多ければ、無理をせずに済むのだが。
つい、溜息を付けば、懐の妹が身じろぎした。
肌を通して伝わってくる霊力が沈んでおり、落ち込んでいるのがわかる。自分でも過保護と思うが放っても置けず、胸元を広げれば、妹が疲れたように顔を上げた。
「どうした、具合でも悪いか?」
『ううん、大丈夫。』
どことなく怒ったような物言いに、珍しいなと思う。妹は生まれたときから何処か大人びて、あまり負の感情を顕にすることがない。自分の状況に嘆きも喚きもせず、世を儚んで弄れ、甘えてだらけることもなく、駄目なことは駄目と受け入れ、出来る範囲で出来ることをしようと達観した様は、見ている此方が不安になる。
ただ、姉代わりの相方は、何となく通じるものがあるようだ。
『全部が全部、思い通りにはならないから。』
具合の悪いとき、女同士でくっつきあって、心配する此方に揃って呆れ顔を向けてくる様は、本当の姉妹のようで微笑ましい半分、腹立たしい。
その代わりにでもないが、ぼんやりと何処か遠くの方を見ているときには、自分のほうが分かってやれる気がして、出来るだけ側にいてやることにしている。
あくまで感覚で、何がと言ったものではないのだが、腹の中に抱えた寂しさを少しでも減らしてやれればと思う。
そして、今日はその寂しさに苛立たしさが加わっているようだ。
何が気に入らないのか知れないうちに、緑の多かった風景にコンクリートの建物が増えていき、電車が止まる。
『終点?』
「いや、まだだ。」
問に答えて窓の外を眺める。灰色の多いホームに人の姿は少ない。
「行きしも折り返したところがあっただろう。」
『じゃあ、後、半分だね。』
場所を伝えれば、どうでも良さそうに耳を動かす。
くの字になった線路の曲がった所にあるこの駅では、先頭車両が入れ替わる。行きは進行方向が逆になったことに、『電車が戻っちゃう、戻っちゃうよ!』と、大燥ぎしていたのだが。
身動ぎして首を外に出そうとするので、窓の外が見えるように身体の向きを変えてやる。
『お外、暗くなっちゃたね。ナナお姉ちゃんが心配するよ。』
「予め、この時間になることは伝えているから大丈夫だ。」
自分の感情を横に置いて、留守番の相方を心配するのは、いつも通りなのだが、その口調は何処かよそよそしい。
さて、どうしたものか。
やはり具合が悪いのだろうか。薬を飲ませたほうが良いだろうか。
そう考えて、袂から貰い物を取り出す。琥珀色の飴が瓶の中でカラリと鳴った。
普段使用しているものと、子獅子から受け取ったこの飴の出どころは恐らく同じ。効き目に違いはなかろうが、気分が変わるかもしれない。
「それより、腹も減っているだろう。貰った飴を食べるか?」
『いらない。』
瓶の口を開けながら何の気もなく発した問いに、思いもよらぬ強い否定が返ってきた。
『そんなもの、いらない。食べない。』
了承すら返せないまま、今まで聞いたこともないような冷たい声色で再度、拒絶され、当然、受け取るものと思っていたのを裏切られた以上に、困惑する。
「だが、折角、」
『あの子、嫌。嫌い。』
理由のしれぬまま、取りなそうとすれば、飴ばかりか子獅子にまで嫌悪を示した。伝わってくる霊力から敵意すら感じる。
今まで見たことのない態度に混乱するも、それを腹の中に押し込める。
気まぐれにこんな事を言うような子ではない。社務所では新しく出来た友達に喜んでもいた。あんなに嬉しそうな妹を見たことは殆どない。
「何が、あった?」
何方にしろ、理由もなく他人の好意を無下にするようなことを、許すつもりはないと暗に含めて問えば、懐の妹は煩そうに顔を背けた。
『……だって、それ、シン兄がくれるのと、同じでしょ。
だったら、食べたって変わらない。良くならない。元気になんか、なれない。』
聡い妹は貰った飴が何かも気がついたらしい。
いつもと同じ、郵便屋から貰ったものであれば、今まで以上に改善することはないと鼻先で笑う。だが、それは拒絶の理由にはならないはずだ。まして、何も知らぬ相手の純粋な好意を、馬鹿馬鹿しい、無意味だと断じ、嘲るような子ではない。
だから、心配なのだ。
渦巻く霊力の流れに合わせ、座席の周囲に結界を張る。
グルルと響く低い唸り声すら痛々しく、俯いたまま妹は吠えた。
『あの子達と、私は違う! そんなもの、食べたって、私には出来ない!
一緒に走ることも、遊ぶことも出来ない! 同じじゃない!』
一言一言、発する思念波に合わせて、妹の霊力が乱暴に跳ねる。憤怒と憎悪が荒れ狂い、小さな体の内側でグルグルと霊力が嵐のように渦巻いているのを感じる。
このまま自分に向かって叩きつけられれば、腹が抉れるだろうかと他人事のように思う。
周囲に迷惑を掛けぬよう結界は張ったが、車両は壊れずとも座席程度は巻き添えを食らうかもしれない。そうでなくとも、自分が死ねば結構な騒ぎになるだろう。
だが、それでこの子の気が済めば、良いような気もする。
結局、更なる面倒を呼んでも、何の解決にもならないことは分かっているが、それで気が済むのなら。少しでも楽になるのなら、それで良いような気もする。
けれども、どれだけ暴れても、叫んでも、何も変わらないことを妹は知っている。
感情の渦は誰にも叩きつけられることもなく、ゆっくりと弱まっていく。
怒りと同じだけ伝わってくる、如何しようもない哀の色だけが、ただ残る。
『……一緒に。一緒になんか、出来ないよ。』
キューンと弱々しい鳴き声を最後に、妹は頭を引っ込めて動かなくなった。
装束の上から撫でてやることぐらいしか自分には出来ず、手に持ったままであった飴の瓶の口を閉める。
カラカラとなる琥珀色の飴は子獅子たちの目の色にも似て、きっと元気になるのだと、次は遊べると何の疑問もなく、嬉しそうに此方を見上げる彼らのことを考える。
あの特徴的な暗色斑の子獅子が、飴なぞ無用と言われたことを知れば、どれだけ落ち込むであろう。余計なことを言うつもりもないが。
刺すような視線を感じて顔を上げれば、寝ていたはずの弟が無言で此方を睨んでいた。あれだけ妹が攻撃的に霊力を練っていたのだ。当然、気がつくか。
牙こそ剥き出していないものの、噛みつかんばかりの威圧を放つ弟を鼻先で笑い、周囲に張った結界を解除する。
「……ミオは、確かに大事だけどさ、兄ちゃんが傷つくのも、困るんだよ。」
「そんな下手はしない。」
妹からの攻撃を受けるつもりであっただろうと言外に責めるのを払い退ければ、弟はそれ以上何も言わず、不機嫌そうに視線をそらした。
がたりと車内が揺れるに合わせ、巻き戻されるように窓の景色が動き出す。
さて、此処からまた1時間は掛かる。
何もすることがないのは少々退屈だが、偶にはのんびり電車に揺られるのも悪くはない。
ぼんやりしている内にいつしか森の中となり、目に入る景色も暗闇と僅かな星の光のみになる。
もぞりと懐が動いた。
「どうした?」
『……シズお兄ちゃん、さっきの飴、やっぱりちょうだい。』
「分かった。」
どういう心変わりか分からないが、深くは触れずに瓶の蓋を開ける。カラカラと音を立てて転がり出た飴玉を一粒、懐に差し入れてやれば、そっと咥えとられた。
少し考えて、瓶も差し入れれば、この歳にしては細すぎる黒い前足が抱え込むように持っていく。
懐の中の妹が小さく縮こまり、ふるふると震えているのを感じる。
窓の外に目をやり、考える。
泣いても何も変わらないのに、人はどうして涙を流すのだろう。
狼の瞳に涙は流せないけれど、泣ければ、何か変わるのだろうか。
いや、何も変わらない。如何仕様もない程に、何も変わらなかった。
今世でそんな絶望に遭遇したことはないはずなのに、自分の内側より確信を持って返ってきた答えに苦笑する。
本当に、面倒な感覚だ。
視線を動かして、無言で此方を見つめている弟と目があう。
「なんだよ。」
「別に。」
景色ではなく、自分を見ていた様子の弟はつまらなそうに鼻先で笑った。
「ただ、加賀見の兄ちゃんが言ったとおり、荒れたなと思って。」
「……ああ。」
如何に知識を蓄え、魔術に長けていたとしても、全てを救うことなど出来はしない。幾ら憐憫の情を抱いても、助けられる者には限りがある。
此方は救ってあちらは見捨てた、依怙贔屓と言われるのも不本意であろう。
故にあの蒼い目の郵便屋が可不可に関わらず、妹に近寄ろうとしないのは構わない。それでも薬を持ってくるだけ、無理をさせているとも思う。
しかし、至極情けなさそうな顔をして、あれは言ったのだ。
『咲零に行くのか。
まあ、何時かは顔を合わすことになるんだろうし、それが良いのか悪いのかは俺にも分からん。ただ、』
何方にしろ、荒れるぞと。
何時にない妹の癇癪が、荒れたと言えば確かにそうだろう。同い年の霊獣と自分を比べて、抑えていたものが爆発したと思えば、さも、ありそうなことだ。
だから、只の予想なのかも知れない。深い意図はないのかも知れない。
だが、あの魔物は何か知っている。
ポツポツ妙なことを言う割に、聞いても語らないのは話したくないのか、話せないのか。何方でも良いが、そもそも彼奴は何故、名乗る前から妹の名前を知っていた?
「兄ちゃん。」
弟の声が思考を止める。
「何考えてるのか、分からなくもないけど。
考えても多分無駄だし、意味がないよ。」
「そうだろうな。」
弟が言うとおり、底が深いくせに浅い郵便屋の事をとやかく考えても仕方がない。それに種が知れれば、きっとどうにもならなくて、どうでも良いことなのだ。
ちっと舌打ちして、考えるのをやめる。
ただ一言、声に出して言いたいのは。
「確実なのは、彼奴が本当にムカつく奴だってことだ。」
「そうだね。それが加賀見の兄ちゃんだからね。」
便利なだけの相手ではないと弟は肩をすくめた。
そう、本来関係のない不条理をお前の所為だと擦りつけ、八つ当たりしても怒らない程度には親切で、内容の正否より、まず知りたいことを、確証がないのでと話さない程度に不親切だから、あの魔物は腹立たしく面倒だ。




