不二、三峰来訪。(その7.真剣)
『ん、シズ兄ちゃん、もう帰るの?』
「ああ、世話になったな。」
人の気配に天祥が眠そうに頭を上げる。
のんびりお喋りしながら温かい日差しをたっぷり受けて、半分寝ていたらしい。ミオちゃんもぼんやりした顔で耳を動かしたが、ゆっくりと立ち上がった。
『テンちゃん、今日はありがとう。』
『うん、また何時でも来てよ。テンちゃんも遊びに行くよ。』
鼻先でチョンチョンと突きあうように挨拶してから、ミオちゃんは兄狼の足元に戻った。
慣れた様子でシズは妹を抱き上げ、来たときと同じように懐にしまう。少しモソモソと体制を整えてから、ミオちゃんは襟首から顔だけひょいと出した。
意味もなく可愛いなあと思う。それに暖かそうだ。
それに、よく大人しくしているものだ。うちの子獅子で同じことをやったら、暴れてさぞかし煩かろう。
「どうする、天祥? このまま寝てるか?
一緒に見送りに来るか?」
『うーん、テンちゃん、一緒に行くよ……』
眠そうな子獅子に声をかければ、欠伸まじりながらも天祥も立ち上がろうとした。しかし、足取りが怪しく、直ぐに座り込んでしまう。
「でも、待ってやれないぞ。電車の時間があるからな。」
『だいじょぶだよ……』
前脚で一生懸命顔を擦り、立ち上がろうとするのを見かね、抱き上げる。
うちの獅子たちは見た目よりずっと重く、天祥もその例に漏れないが、まだ、抱きあげることが出来た。同じ子供を抱えるのでも、肩に顎を乗せて、当然と言わんばかりに偉そうな顔をしている此方はちっとも可愛くない。
大きな赤ちゃん子獅子を抱えて参道の階段を降りるのは大変で、移動するうちに目が覚めてきたのか、途中で大あくびをしながらも降りて歩くと言い出したので、助かった。
ぽっくりぽっくり階段を降りていくうちに咆哮と火球が飛ぶ轟音が聞こえ始める。
獅子達が相当激しく暴れているようだ。天祥が耳をピクピク動かす。
『まだ、やってるよ。テンちゃんも、ちょっと混ざってくるよ!』
まるで大物でもあるかのように尻尾を大きくひと降りし、一気に駆け出す。
『あ、』
瞬く間に見えなくなる子獅子にミオちゃんが目を見張り、追い掛けるように首を伸ばしたが、それを撥ね除けるように爆音が耳を貫いた。
煩い。これはちょっと、いや、物凄く煩い。
本気で試合をしているとは聞いたが、どれだけ騒いでいるのか。いい加減、不安になってきた。
シズと頷き合い、足を早める。
いつも獅子たちが練習に使っている広場には、沢山の見物客が集まっていた。
子供たちは勿論、大人までフェンスにかぶりついて熱狂している。何故、そんな多くの人がと思えば、広場では獅子たちが飛ばす青炎が唸りをあげて飛び交い、結界にぶち当たって激しく火花を撒き散らしていた。
何あれ。ちょっと、何あれ。
村から借り受けている広場は広く、12,000㎡はあり、普段から、獅子達が飛ばすボールが弾丸のように行き交っているが、術の使用までは滅多に行わない。まして神職不在であれば尚更だ。
自分の監督無しで何をやっているのかと青くなっている所に、天祥が体当たりせんばかりに戻ってきて、怒り心頭と吠える。
『じいちゃん、早くして! 人集まってて、テンちゃんだけじゃ近寄れない!
それによく考えたら、テンちゃんじゃあ、ドア開けらんない!』
勝手に一人で突っ込んでいって、何を怒っているのかと思うが、今はそれどころではない。万一、火球がフェンスの外へ飛んでいって、見物客に当ったらどうするのか。
その不安を具体化したように、五十嵐が打ち返したらしい青炎が地面にぶつかって、ワンバウンドしてからフェンスに向かって飛んでいく。
だが、高く張った鉄の網へぶつかる前にガチンッと硬い音がして、花火のような火花が散る。
観客から大きな歓声が上がった。
攻撃系神術の危険性は獅子たちこそ熟知しており、流石に対策済みであるらしく、結界を張っているようだが、あんな広範囲で強力なの、仁護も翔士も使えないはずだ。
つまらなそうにふんとシズが鼻先で笑う。
「ヒサのやつが、術符を持ち込んだようだな。」
今日はあくまで様子見。そこまでやれとは言ってない。
口角を上げて牙を覗かせる隣の神狼から冷たいものが流れてくるが、敢えて無視する。
三峰の兄弟はなんだかんだ仲が良い。シズがヒサ君相手に殺気とか出すはずがない。
それより、まずは現状確認と目を凝らしてみれば、相当に強力な結界が広場をぐるりと巡っているようだ。
これならば外に影響が及ぶことはまず考えられず、見物客は安心安全、は良いとして。どうやって中に干渉するか。
『じいちゃん! 早く、早く!』
「そんな事言ったって、」
自分の足にしがみついて急かす天祥をシズが止めた。
「出入り口は何処だ。俺が開けてやる。」
『こっちだよ!』
すぐさま、天祥は案内すべく先に立って走り始め、その後を追い掛ける。
白い子獅子と装束を着たのが2名、横を通り過ぎていくのに、幾人かの見物客が目を見張ったようだが、質問は後で受け付ける。
広場の出入り口にたどり着けば、扉ごと結界になっているらしい。シズが黙って止め金に手をやり、術式を組む。
瞬きする間に解錠は終わった。
扉と一緒に開いた結界の隙間から、早速天祥が滑り込んで突っ込んでいく。
『テンちゃん、何処行ってたの!』
興奮状態の瑞宮が怒声に近い咆哮を上げた。
叫びながらも豊一が打ち込んでくる火球を一発一発叩き返している。
青い炎の球弾が自分のところへも向かってくるのを待ち構え、天祥が思い切り前足を振り下ろした。
教えた覚えはないが咲零の獅子としての直感なのか、それとも知らぬ間に兄獅子から習得していたのか。天祥は一人前の獅子のように前足に霊力を集め、炎のダメージを受けること無く火球を叩き返した。
火の玉が綺麗に飛んでいくのを眺め、ふんと鼻先で笑い、再び駆け出す。
『天祥、何処でサボってたのさ!』
『テンちゃんは、社務所でお客さんの相手だよ!』
走りざま八幡にも吠えつかれながら、天祥は嵐の中心に駆けていき、飛んでくる攻撃を叩き返し始める。
『え、テンちゃん、お客さんの相手してたの?』
『イッちゃん、油断しない!』
話を聞いた逸信が耳を頭につけて足を止め、陸晶に怒鳴られた。
『だって、それなら、ボクだって、』
納得行かない様子で文句を言いながらも、逸信は突っ込んできた璃宮の攻撃を華麗に交わし、前足を振るって殴り返す。
逸信と成長した璃宮では比べるまでもなく大きさが違うが、その差を上手く使って死角に入り込み、一撃を当てた。少しバランスを崩しながらも璃宮が横に飛び跳ね、距離をとって再び攻撃してきたのも、上手く躱す。
横から陸晶が援護に入り、2対1では不利と飛びかかってきた弟を身体を震わせて弾き返した璃宮は、そのまま距離を開け、代わりに巳壱と燦馳が突っ込んでくる。
『テンちゃんばっかり、ずるい!』
『いつも、テンちゃんばっかり!』
ガアガア吠えながら前足を振るってくる弟たちを簡単に避けながら、陸晶がふんと呆れたように鼻を鳴らし、其々の横っ腹に一撃当てて追い払う。
『文句言ったって、仕方がないよ。』
嫌なら、行動で変えるしかない。この戦況も変えてみせるとぐるりと唸り、肩で息をしながらも、油断無く周囲を見渡す陸晶に向かって、火球が幾つも飛んでくる。
1つだけならまだしも、2つ3つと続けざまに攻撃を受けて、陸晶は大きく後に逃げた。
仁護の咆哮が鳴り響く。
『落ち着け、豊一! また、肩が上がってるぞ! 冷静になってよく狙え!
狙いさえ確実なら、お前のスピードについて行けるやつなんか、そうそういない!』
『うん!』
兄獅子に応えて豊一が元気よく吠えた所に、別方向から大きな火球が飛んでくる。
『慌てるな、無比刀。一投ごとはお前のほうが速いし重い。
でかいのを叩き込んでやれ。』
『分かった。』
少し離れたところで、同じく青毛の翔士と無比刀がぐるぐると不敵に笑い、攻撃を繰り出している。
『なんとかしろ、璃宮!』
『任せといて!』
仁護に援護を頼まれた璃宮がすかさず前に出て、無比刀の攻撃を弾き返せば、護矢が周囲を飛び回って邪魔をした。
『ちょ、どいてよ!』
『邪魔しに来てんのに、退くわけないだろ!』
目まぐるしく動き回られ、攻撃できずに戸惑う璃宮をガッガッと護矢が嘲笑う。
その間にも豊一が飛ばした火球が飛んでいくが、ずいと陸奥が前に出た。
『甘い。』
鼻先で笑うように呟いて、大柄な獅子はその逞しい腕を振るう。
カーンと鐘を叩いたような快音が響き、流れ星のように火球が飛んでいく。
結界に当って、青白い火の花が空に咲いた。
純白の鬣を震わせ、当社の筆頭獅子が高らかに吠える。
『今だ! 一気に畳み掛けるぞ!』
一歩も下がるなと、長兄の鼓舞が弟たちを奮い立たせる。
『怯むな! 臆さず、迎え撃て!』
「ニノ! オレが結界を張るから一緒に突っ込むぞ!
イガを黙らせれば、十分ひっくり返せる!」
半分獣化したヒサ君が牙をむき出して唸り、鬣を掴んで背に飛び乗れば、二前は全速力で五十嵐向かって走り出した。
ガツンガツンと爪牙と結界がぶつかる音が鳴り響く。
五十嵐は今更であるが、止めに行ったはずの二前までこれでは騒ぎにもなる。
ニノも負けず嫌いだからなあと遠くを眺めれば、横から冷たい視線を感じた。呆けている場合ではないと両手を叩く。
「ほら、もう、お終いだぞ!」
しかし、叫んだところで興奮状態の彼らに伝わるはずもなく、諦念したシズが静かに息を吐いた。
「俺が、止めてもいいか?」
「……すまん、頼んでもいいか?」
手段を問わなければ、自分にも止めることは出来るであろうが、今日は観客が多いので、余りみっともない姿は見せたくない。
此方の事情を言わずとも察した三峰の狼は、さもありなんと柳眉を動かし、懐からミオちゃんを取り出して渡してきた。
そのまま後に下がっていろと言われ、大人しく従う。
『皆、此処でも頑張っているんだね。』
見た目通り、フワフワの触り心地をした真っ黒い子狼がポツリと呟いた。抱いてみれば毛並みでかさ増しされているだけで、身体は細く、異常なほど軽い。
ちょっと力加減を間違えただけで、折れてしまいそうな手足や、頼りない重さに不安を覚えてしまい、顔に出ていなかったかと反省する。自分のような年寄りがこんな小さな子供を不安にさせるような態度をとるわけにはいかない。
神秘的な青緑色の瞳と目があった。
「大丈夫か、怖くないか?」
大人の獅子が牙を剥き出し争っている様は、味方と思えば勇猛で頼もしいが、慣れないものからすれば猛獣が怒り狂っているようにしかみえまい。
飛んでくる音や風も優しいとは決して言えず、声をかければ、ミオちゃんは『こんなの、なんでもないよ』とでも言わんばかりの顔をして、ぺろりと口の周りを舐めた。
平気だと主張されたのは獅子たちの猛攻か、それとも痩せ細った身体のことか。
澄んだ蒼緑の瞳に一瞬、意図を読みそこね、戸惑う。
ただ、病気慣れしている幼い子供ほど不憫なものは少ない。
二人一緒に無言で見守る中、すうとシズが大きく息を吸う。
呼吸の流れに合わせて、霊気がグルグルと渦巻いていくのを感じる。
あれをやるつもりか。
……ウォンッ!!
咆哮が周囲一帯を薙ぎ払う。
犬が最たる使い手として知られるが、近縁種の狼も同じように扱う破邪の咆哮は、瘴気にまみれた魑魅魍魎だけでなく、同じ霊獣の霊気も吹き飛ばす。
そして、シズは広大な山脈の神域を護る三峰の筆頭霊獣。
その効果の程は語るまでもない。
広場で荒れ狂っていた気の流れが全て吹き飛び、一瞬、纏った霊力を吹き飛ばされて、獅子たちの動きが止まる。
『なに? 何が起こったの?』
『何で、消えちゃった!? もっかい! もっかい!』
『豊一、止めなさい。じいちゃんたちが来たんだよ。』
組んでいた術式が消えてしまい、殆どが大人しく終了を悟ったようだが、何が起こったか分からず戸惑い、慌てふためいている者も、戦馴れしているだけに、すぐに体制を整え、攻撃を続けようとしたところもあるようだ。
護矢が攻撃を止められず、爪を収めた璃宮に突っ込んでいってしまい、そのままコロンコロンと転がった。
一番止まれなかったのは五十嵐と二前で、敵からの妨害と理解した彼らは、瞬時に霊気を纏い直して、お互いの爪を叩きつけあった。
がちんと結界にぶつかった音がして、五十嵐が一方的に転がる。
そこへ牙を剥いたのは二前を補助していた三峰の弟狼で、流石に状況がおかしいと気付き、動きを止めた二前を置いて、自ら五十嵐に突っ込んでいこうとする。
『ヒサ。』
声では止まらないと判断したのか、シズの低い思念派が飛ぶ。
「なんだよ、邪魔をするなッ!」
静止にガアと怒声で返し、さっとヒサ君の顔色が変わった。半獣の耳がへちょりと下を向き、尻尾が力なく垂れ下がる。
言われる前に出ていた尻尾や耳を仕舞い直してから、五十嵐と二前を引き連れ、大人しく兄狼のところまで出頭したヒサ君を、シズが淡々と叱る。
「……此処まで、やれと言ったか?」
「言ってません。言ってませんけど、どうせ何時かやるなら今やっても同じかと思って。」
目に見えない圧力を全身で感じているのか、弟君は兄狼から全力で顔を背け、けして目を合わそうとしない。
シズはそのまま、うち長兄と筆頭獅子にも冷たい視線を向け、五十嵐は不貞腐れたような顔で耳を頭に付け、二前も気拙そうにぐるぐると鳴いて、頭を低くした。
『やるんだったら、全力でやらないと。』
『そのためにわざわざ結界も張ったのなら、活用しないと勿体ないかと。』
「まあ、術符も用意するのに手間が掛かるしな。」
白眼は向けたが、非難するつもりはないとシズは二匹に同調するようなことを言った。
「だから、まあ良い。言いたいことは山ほどあるが、良い。電車の時間もあるしな。」
そのまま大きく息を吐いて、肩を落とすに留めはしたが、恐らく「今は」が抜けているだけであろう。
ヒサ君がしょんぼりと蹲り、五十嵐の鬣を引っ張る。
「帰りたくない。イガ、オレ、帰りたくない。」
『だろうね。でも、諦めな。』
助けてやれないとフスフス鼻を鳴らし、慰めるように筆頭獅子は前脚で友達を撫でた。
叱られるのが嫌なら、最初からするな。
そうシズは弟を一瞥し、憮然とした顔で警告してきた。
「大体、こんなことをやらかすわけだ。それなりに覚悟しておいてくれ。」
「はいよ。」
此方としては頷くしかないのだが、危機感がないと取られたのか、再び溜息をつかれる。
確かに驚いたし、次からは必ず自分の目の届くところでやって欲しいとは思うが、きちんと結界で対策をしていたようだし、厳重注意で十分だろう。
色々と諦めた様子のシズにミオちゃんを返し、兄狼の懐に戻った小さい子狼はキュンと鼻を鳴らした。
『今日は、色々お世話になりました。』
「こちらこそ。また、何時でも遊びにおいで。」
『テンちゃんも、待ってるよ!』
自分の足元に来ていた天祥がブンと尻尾を振り、他の獅子たちが残念そうに顔を見合わせ、さよならとミャアミャア言い出す。
『ねえ、もう帰っちゃうの? もうちょっとだけでも、居られないの?』
逸信が泣きそうな顔で自分の足元にまとわりつく。
「イツ、電車の時間があるんだよ。」
それだけ言えば、分かったらしい。
暗色斑が特徴的な子獅子は見るからに消沈して耳をピタリと頭にくっつけた。
『逸信、また今度遊べるよ。』
『そうだよ。』
陸晶と瑞宮が前脚で撫でたり、鼻で突いて慰めるが、必死で動き回っていた疲れもあってか、逸信はその場で蹲ってしまった。
可哀想だがこれ以上構ってもやれないので兄弟たちに任せ、駅までシズたちを見送ることにする。
「構わん。道ならわかるからな。」
「まあ、良いじゃないか。」
大丈夫だと断られるが、まだ見物客も多く残っている。せめて電車に乗るまで、一緒にいた方が何かの時に安心だろう。
『テンちゃんが、案内するよ!』
『駄目だよ! お出かけするなら次はボクらだよ!』
『いっつもテンちゃんは抜け駆けするんだから!』
偉そうに尻尾を振り回した天祥に向かって、燦馳と巳壱がガアガア吠える。
「ほら、喧嘩しない。来るんだったら来てもいいけど、途中で疲れても抱っこしないぞ。
ちゃんと歩けるんだろうな?」
下手に止めると騒ぎになって、ますます時間を食う。いつもの通り、三匹までなと伝えれば、幼い子獅子たちはミャアミャア鳴いて了承した。
見送りに行くと聞いて逸信が顔を上げ、責めるような視線を送ってきたが何も言わず、行くのは自分達でもう決まったと他の兄弟を牽制する天祥たちを眺めて、酷く悔しげに鼻にシワを寄せた。
大人しい逸信にしては珍しい態度が気にかかるが、それで客人の予定を狂わせてはならない。二前に軽く合図だけして、広場を出る。
見物客の殆どは話しているうちに帰ったようだ。まるで潮が引いたように居なくなっている。
獅子たちのために一定の距離を保とうと早々に退散するのは、いつものこととも言えなくないが、ここまで来ると見事だ。
うちの村の人は妙なことに長けている。




