不二、三峰来訪。(その3.美女ではない姫と猛獣)
微妙な空気が流れる中、湊がハッと我に返った。
膨れっ面の無比刀を放り出し、弟たちを散らす。
『お前たち、勝手なこと言ってるんじゃないよ!』
『そうだよ。ご迷惑なのは変わらないよ。』
護矢や璃宮たちも加勢に加わり、子獅子達を纏めて引き下がらせようとするのを知流姫が止める。
「待って。良いのよ、迷惑じゃないから!
貴方たちが良ければ、ブラシぐらい、幾らでも掛けてあげるわよ。」
少し慌てているのか上ずった声での申し出に、湊が弱り顔で鬣を振るう。
『でも、うちの弟たちは数が多いですし。』
大きな獅子が申し訳なさそうにミャウミャウ言うのに、返って腹が座ったのか知流姫は腰に腕をやり、ふんと鼻息荒く宣言した。
「良いわよ。うちは必要以上に地脈も安定してるんで、どうせ暇だから。
あんたたちが良いんだったら、何匹だって梳かしてあげるわよ。」
おしとやかな姫から気風の良い姉御に戻った知流姫の言葉に、弟を追い払っていた璃宮が前足を止める。
『え、本当?』
嬉しそうに尻尾を揺らすのに、翔士と仁護が唸った。
『馬鹿! お前まで、何その気になってるんだよ!
仮に梳かしてもらうとしても、小さいのだけだよ!』
『そうだよ、いつまで子獅子のつもりなんだよ。』
大人の自覚が足りないと青毛の二匹に叱られて、最近、成獣になったばかりの璃宮は情なさそうに耳を頭にくっつけた。
しょんぼりと肩を落とした璃宮にいたたまれなくなったのか、知流姫はおずおずと白い若獅子に近寄り、恐る恐る鬣を撫でた。嫌がるどころか身じろぎ一つせず、大人しく撫でられながら悲しそうに耳を伏せる獅子を見つめ、意を決したように宣言される。
「良いわよ、大人だって。全員梳かしてあげるわよ。」
『えっ、本当!?』
ぱっと璃宮の顔が明るくなるより早く、五十嵐がガウッと吠えた。
やったあと素直に喜ぶ兄獅子に、翔士と仁護が慌てた様子でガアガア抗議する。
『ちょっとイガ兄、礼儀作法は!』
『イガ兄、筆頭でしょ!』
『良いじゃないか。姫さんが良いって言うなら。』
神社代表のくせに真っ先に不敬だと弟たちに責められて、五十嵐はブフーと鼻を鳴らす。
うちの筆頭獅子は豪快である。
それでも一応許可を求めて此方に視線を送ってくるが、また、難しい判断を仰がれたものだ。
正直、霊獣の世話など、格上の神社の姫君に任せることではない。図々しいにも程があるが、向こうからの申し出を断るのはかえって失礼な気がする。
いや、そればかりか、やはり嫌がられたのだと傷つけるかもしれない。知流姫を傷つけるぐらいなら、無神経、無礼だとうちが汚名を被る方がまだマシだ。
つまらなそうに耳を動かして返事を待っている筆頭獅子に頷き返し、神姫に向き直る。
「知流姫様、本当によろしいんですか?」
「え、ええ。」
「それでは、ご無礼且つご面倒をお掛け致しますが、どうぞ、宜しくお願いいたします。
何分、自分が不甲斐ないせいで獅子たちには不便を掛けております。
ご尽力、大変ありがたいです。」
「いえ、いつも危険な邪鬼討伐をお願いしているわけだし、少しでもお力になれるなら此方としても嬉しいことだわ。」
深く頭を下げれば、礼を言われると思っていなかった様子の知流姫は顔を真っ赤にして両手で頬を抑えた。
確かに彼女は醜女かもしれないが、二目と見られないわけではなく、下膨れや痘痕でも、そうしていると女性らしい仕草が可愛らしいと言えないこともない。
獅子達の望みをどんと引き受けたり、三峰の狼に負けない気の強いところと、何方が本当ということもないだろうが、この方の本質は恐らくこっちなのだろうなとぼんやり思う。
……この感想はセクハラだろうか。
不敬以前の問題かもなと己の思考を省みる中、場の雰囲気がざわつき始める。
『良いんだって。』
『俺らも、梳かしてもらえるって。』
『小さいのだけじゃないって!』
鬣の生えた連中の顔つきが変わっている。グルグル鳴きながら落ち着き無く前足で地面を引っ掻いたり、尻尾を振り回したりと、明らかに興奮している。
眉間にシワを寄せ、真剣な顔で二前が耳を動かす。
『おじいさん、本当に良いんですか?』
「ああ、姫様直々の申し出を断るほうが失礼だろう。」
不穏な気配を感じながら首肯すれば、誰からとも無くガオウと咆哮が上がった。
『やった! 俺らもいいんだって!』
『騒ぐなよ! 失礼だし、驚かせるだろ!』
ぴょんと飛び跳ねた護矢をバシリと仁護が前足で叩いて叱る。兄弟の指摘に納得して一旦おとなしくなるも、そのままグルグルと唸りながら獅子たちはジツと期待を込めた目で不二の姫君を見つめた。
ヒクリと知流姫の口端が引きつり、二、三歩後に下がられる。
「……梳かしてあげるけど、今日は、そんな準備してこなかったし、次回からでいいかしら?」
如何仕方ないなと思う。うちの神社は慣れた村の人でもなかなか寄り付かない。ライオンの集団に獲物でも狙うような真剣な視線を送られて、平然としているほうが異常だ。
無理しなくていいですよと一応断れば、神霊に二言はないと怒られた。
はしゃぐ獅子たちに、己の至らなさを実感する。やっぱり、もっと梳かしてやらないと駄目であったか。
手入れ不足を反省する自分の隣で、黙っていたシズがふんと鼻先で笑う。
「良いんじゃないか。無意味に引きこもっているより、人の役に立ったほうが余程良い。
外に出る理由にもなるだろう。」
小馬鹿にするような言い方からは分かり辛いが、姫様が外出する理由が出来たことに、多分喜んでいると思う。
この狼は口は悪いが、結局、心配性で世話焼きなくせに、それを表に出すのが苦手なだけなのだ。怒らせると怖いので気をつけないといけないが、逐一、その物言いに不貞腐れても意味がない。
また、余計な騒ぎに繋がるのでツンデレなどと言ってもいけない。
尻尾があれば、大きく揺らしているであろう。
表情からは今ひとつ読み取れないが、どことなく満足そうに短く息を吐いたシズは、何かを思い出したように眉をひそめた。
「それで、うちの愚弟が勝手なことをしたので紹介しそこねたのだが。」
本来の目的を忘れては困ると言いたげに胡乱な視線を弟に向け、ヒサ君が首をすくめる。
そう言えば、彼らが来訪した理由は、新しく生まれた霊獣の顔合わせであった。神狼の美貌で霞んでいたが、少し不自然に膨らんだその腹が、もそりと動く。
装束の上から膨らみを撫で、シズが見たこともないような優しい顔つきになる。
懐に差し入れた手の隙間から、尖った口吻がちょんと見えた。
「ミオ、ご挨拶しなさい。」
兄狼に促され、その懐から真っ黒い子狼が恥ずかしげに顔を覗かせる。
『はじめまして。ミオです。こんな格好でごめんなさい。』
キュンと可愛らしい鳴き声と言葉代わりの思念波で、その場の空気がざわりと動く。
子獅子たちばかりか大人の兄獅子たちまで数匹、ぽかんと口を開ける。
三角に尖った耳、すっと通った鼻筋、柔らかくあたたかそうな黒い毛並み。そして何より、青と緑色が綺麗に混ざった神秘的な瞳。
舐めてた。これは甘く見ていた。流石、容姿が優れていることで有名な三峰の狼。勇殿が何度も通い、繰り返し褒めるだけのことはある。
知流姫が震える声で呟いた。
「やだ、何それ、可愛い……」
全くだ。それ以上の感想はない。年甲斐も外聞もなくぎゅっと抱きしめたくなる愛らしさ。
可愛い。これはただ只管に可愛い。
何だ、あの生き物。ちっちゃくって、フワフワで、真っ黒だぞ。
黒い猫じゃらしのような前足を動かして、兄の懐から出てこようとするのを、シズが優しく押し留める。
「外は寒い。もう少し、待っていなさい。」
そう言えば、ミオと名乗ったこの子狼は身体が大層弱いのだった。生まれて暫く経つのに、未だ駆け回ることも難しいと聞いており、今日も温かい兄狼の懐に隠されて、そっと運ばれてきたのだろう。
箱入りな妹狼は困った様子でに耳を動かした。
『でも、お兄ちゃん。』
折角ご挨拶に来たのに、抱っこされたままでは失礼ではないか。
そう言って、申し訳なさそうにキューンと鳴くのが、また可愛い。
『ちっちゃい! 凄いちっちゃいな!』
『あの子、ミイチより、ちっちゃいよ!』
『見て、リクちゃん! あんなに毛が真っ黒で、目が凄く綺麗な青緑だよ!』
『そうだね。』
獅子たちも我慢できなくなったのか、ザワザワと騒ぎ出す。他に褒め方を知らないのか、小さい小さいと繰り返す兄弟たちを押し退けるようにして、五十嵐がゆうゆうと近寄っていく。
ふんふんと鼻を突き出した大きな獅子に、狼の子は気後れしたのか耳を頭にくっつけたが、それでもきちんと挨拶した。
『こんにちは。ミオです。どうぞ、宜しくお願いいたします。』
『いらっしゃい。今日はよく来たね。子供がそんな気を使わないでいいから、ゆっくりしていきな!』
『……はい、ありがとうございます。』
ガオウと元気よく吠える五十嵐のパワーに押され、兄狼の懐に隠れるかと思えば、意外としっかり受け答える。
弱いのは身体だけなのかもしれない。
けれども、挨拶が終わると強引にシズが懐に仕舞ってしまった。可愛いお客さんが見えなくなって、ガッカリした獅子たちがグルグル唸る。
「さて、挨拶が終わったところで、」
「兄ちゃん、もう行ってもいい?」
顔合わせが無事に済み、本題に入ろうとしたシズの言葉を、再びヒサ君が遮る。
「……お前は。」
他所の神社なので我慢しているが、色々言いたいことが溜まっていそうな兄に睨まれるも、ヒサ君は耳を頭にくっつけながら、主張する。
「だって、後はじいちゃんと話をするだけでしょ。オレ、いなくてもいいじゃん。
それより、子獅子がどれだけ動けるのか見ておきたいよ。」
「……まあ、良いだろう。」
うちの獅子たちと遊んでくると言うのに、意外とあっさり、許可が降りた。順番が随分遅くなったが、参拝だけは礼儀として済ませて行けと兄狼が言うのに、弟狼は素直に頷く。
話を聞いていた五十嵐がグルルと唸った。
『うちの子獅子の実力を見たいってことか?』
「うん。出来れば全員。あと、大人に混じってどれだけやれるかも。」
いつものとおり、大人と手合わせするのではなく、子獅子を含めた全体の実力診断がしたいと言われ、五十嵐は怖い顔で笑った。望むところと尻尾をぶんぶん振り回す。
『よし、じゃあ下の広場に行くぞ! お前ら、全員付いてこい!』
「五十嵐、お前は此方じゃないのか。筆頭だろう。」
やる気十分にガオウと吠えて、走りだそうとするのは良いが、他にするべきことが彼にはあるはずなのだ。
獅子たちのリーダーとして打ち合わせに参加しなさいと言いつければ、五十嵐はピッタリと耳を頭にくっつけ、後退りした。
『えー……そういうのはニノ兄にまかせているから。』
「お前なあ……」
五十嵐は別に頭が悪いわけではない。技の一つ一つについても、自分の中では精密な理論を組み立てているようで、弟からコツを聞かれれば、理路整然と答えたりもする。ただ結局、机作業よりも、身体を動かすのが好きなのだ。
遠慮しますと子獅子のようにイヤイヤするのに、今度は自分が肩を落とす羽目になる。
そうは言っても、やる気がないのを無理に参加させても仕方がない。
二前が諦めた様子でグルグル鳴いて了承を示し、兄獅子の気が変わる前にと五十嵐はヒサ君を急かすようにして拝殿に向かった。
その間、他の獅子たちは鼻を動かしたり、耳を動かして、何時でも移動できるように準備を始める。
『よし、じゃあ、皆、行くぞ!』
程なく戻ってきた五十嵐の咆哮に獅子たちは其々応え、大きいのも小さいのも参道に向かって走り出した。
けれども、逸信が戸惑うように足踏みして動かず、陸晶に叩かれる。
『イッちゃん、何してるの。』
早く行こうよと急かされるが、それでも動かない。
何を気にしているのか、逸信は耳を垂らして此方を眺めた。
『でも、ボク……』
『皆で行くんだよ。モタモタしない。』
『うん……』
最後にはフシャッと叱られて、漸く走り出した。大人しい逸信が団体行動を乱すとは珍しい。
なにか言いたそうな顔をしていたが、どうしたのだろうか。
不思議に思って首を傾げていると、知流姫が着物の裾を直しながら静かに溜息をついた。
「じゃあ、私も参拝してから帰るわ。」
改めて退出を告げられる。
「おや、もうお帰りですか?」
やはり、打ち合わせには参加していかないのかと聞けば、少し、疲れたと言う。今までずっと引きこもっていたのに、急に外に出て多くの者と関わったので気疲れしてしまったようだ。
それでも律儀に、ブラッシングについては改めて日時を連絡すると仰られ、よしなにと頭を下げる。
二前と一緒に残っていた陸奥がぐるりと喉を鳴らした。
『よろしかったら帰りがてら、少しだけこの辺りを見ていきませんか?
ご案内します。』
乗ってきた神輿は何処からでも飛べる。折角来たのだからと大柄の獅子が散歩に誘うのに、知流姫があらと口元を抑え、嬉しそうに頷く。
何故か残った青い子獅子がミャアと鳴いた。
『ムイが、案内してあげるよ。』
どうやら、皆と一緒に広場にいかなかったらしい。
無比刀はマイペースなだけに、周囲に迷惑を掛けない範囲で単独行動を取る節がある。今回は一匹位いなくても大丈夫とふんだようだ。
一人前の顔をして尻尾を揺らすのに、陸奥がお尻をポスッと叩く。
『無比刀は広場に行きなさい。』
今日は少し勝手が過ぎると兄獅子に叱られて、無比刀は不満そうに尻尾を振り回した。
『えー…… 行かなきゃ駄目?』
『行きなさい。』
前足で地面を引っ掻いて粘るも、重ねて言いつけられる。
観念したのか無比刀は低い声でムーと鳴いて、渋々参道に向かって走り出した。
フワフワの青い綿毛が見えなくなるのを眺め、知流姫がくすくす笑う。
「可愛い子ね。あの子だけフワフワで。息子さん?」
『……いえ、弟です。』
「あら、ごめんなさい。あんまりそっくりだったから。」
無比刀と陸奥は毛並みの色も歳もだいぶ違うのだが、顔つきと雰囲気が似ているので良く、親子と間違えられる。それが嫌ではないのだが、子供がいるような歳と思われるのもしっくりこないらしく、陸奥は複雑らしい。
耳を垂らして俯くのに、知流姫が慌てて謝った。
『いえ。お気になさらないで下さい。おじいさん、じゃあ、そういうことで。』
「ああ、姫様を宜しくな。」
気を取り直してグルグル鳴いて了承を求めるのに許可を出す。
何処へ連れて行くのかと思えば、公民館のビオトープ辺りまで案内するつもりらしい。あそこには夏の間、巳壱が集めた魚が沢山いるので、散歩がてら弟の頑張りをみせたいのだろう。
獅子たちが使う道路は人通りも殆どないし、他のなら兎に角、陸奥ならば単独で歩かせても滅多なことはあるまい。そのまま参拝が終わるのを待ち、別れの挨拶をしてから参道の階段までお見送りする。
お付きの精霊たちにも、身振りで何度もお礼を言われた。
丁寧に頭を下げて、籠を操りながら姫様の後をついていく彼らの姿が見えなくなるまで待って、シズと二前と頷きあう。
「本来なら本殿へ案内するべきだが、社務所でもいいか?
あっちのほうが温かいから、ミオちゃんに良いだろう。」
「そうしてもらえると、助かる。
だが、その前に俺も参拝を済ませないとな。」
他所の神社に来たときの礼儀だと言うのに、二前が喉を鳴らして同意する。
この時代の神社は神の御わすところという意味合いはないが、訪れた際には拝殿に詣でることになっている。回数的にかなり簡略化しているようだが、加賀見もあれで拝殿に頭を下げていく。それだけ神域は大切なものなのだ。
新人の宅配便屋さんが仕事に夢中なあまり、うっかり手水場で身を清めるなどの基本を忘れ、機嫌の悪かった獅子たちに囲まれると酷い目に合わせてしまったこともあった。
長らく一緒にいるのでその驚異を忘れがちだが、うちの霊獣は獅子で、獅子は猛獣だ。猫ではない。
知流姫も引かせてしまった。後で問題にならなければいいが。




