消え行くもの、消せ得ぬもの。(後編)
「全く、本当に変な知識を蓄えてるな。」
「恋の季節じゃなくとも、忘れられないことが多いもんで。」
「冬眠してないからか。」
「いや、記憶力が良いもんで。」
「なるほど。」
話している側から、また妙なことを言う。
確かに長く生きていれば様々な知識が得られるだろうが、冬眠はまではしなくとも、少し整理して忘れたほうが良い気がする。記憶というのは部屋の整理のように意思で取捨選択できるものではないが、通じないネタを引っ張り出すのは如何なものか。
特に加賀見は物事を正確に伝達するという意識が低いところがあるので尚更だ。
取り敢えず、紅茶を新しいコップに入れ直して渡す。ティーカップなんて品の良いものはないから、只のマグカップだが、それで文句を言うような相手ではない。
受け取った側から口にして、加賀見はアチチと悲鳴を上げた。
「記憶と言えば以前、記憶を維持したまま新しい体や人生を得たいのであれば、転生は不確定用途が多すぎておすすめしないと言ったことがあるが、あれは個を形成する情報の移行が不安定、不十分である他に、生前とは別の人格が新たに作成し直されるためでもある。」
「ああ、昔と今、どっちが本物かって話な。」
紅茶の香りに何を思い出したのか、また、難しい話を始める。
自分にも普通にわかる話であれば良いのだが。
「また、現在の生命学に置いて魂はあくまで動力源であり、記憶や感情などの人格を形成するのは魂から発せられた霊力の塊、霊体と考えられている。
魂はまだ、保管することも出来なくないが、霊体は脆く、すぐに消滅してしまう。
データだけならまだしも、霊体そのものを維持するには結構なコストを支払うことになり、相当な条件が揃わない限り難しい。
これらを踏まえると、転生がどのように起こるか判明していない以上、霊体が一部だけでも消滅せずに移行したことも考えられるが、何らかの理由で残ったデータを全く関係のない個体が引き込んだだけの可能性も高く、生前と同一視出来るのか大きな疑問が残るんだ。」
「ふむ。現在の自分という一つの人格に、記憶という付属品、しかも自前か借り物かもわからないのをくっつけた状態が、生前と同一人物と言えるのかってことか?」
「そうそう。」
なんとなく理解して、自分の言葉に置き換えて繰り返す。
言わんとすることから遠くなかったらしく、郵便屋は満足げに頷いた。
そう言えば、以前も転生の真偽が怪しいと聞いた気もする。一口に生まれ変わると言ってもなかなか難しいようだが、問題はそれ以外にもあるらしい。
「他にも、何を持って同じとするかの問題もある。
例えば、霊体を維持する代わりに予め必要なデータをとっておいて、死後、新しく用意した身体に、情報を元に再生した霊体を宿らせ、その人格を復元した場合、これは同一人物と言えると思うか?」
問われて首を傾げる。
別の人格が発生せず、生前の記憶のみであれば、当人と言って良いのではないか。
だが、わざわざ聞くからには単純な話ではないのだろう。では、何が違うのか。
「同じ、じゃないのか?」
ここは学問を論ずる場はなく、一方的に展開された話題に理路整然とした回答は必要あるまい。
素直に疑問を感じたことだけ伝えれば、加賀見は再び頷いた。
「記憶はな。しかし、複写を同一と認めるならば、同時に複数再生された場合、どれが本物になるのか。
同じ魂を動力源とすることを条件にするのか? では、魂が異なれば、其れよりもっと正確、精密な複写でも偽物か?」
「うーん……難しいな。っていうか、そんな事出来るのか?」
淡々と語られる内容は、否定を前提としているように思える。そもそも、転生云々以前に自分が自分であることなど、どうやって証明するのか。
机上の空論にしても面倒な話題から逃げるように、実現の有無を聞いて後悔する。
「移行する記憶の量や精密さ、新しい身体の質など何処までやるかは兎に角、不可能ではない。
どちらにしろ生命の尊厳を蹂躙する邪法の類になるけど。」
「そういう閲覧禁止事項を世間話に盛り込むな。」
なんか普通に語られるから素直に聞いてしまったけれども、言われてみれば反魂や操魂術、死体操身術など、魂や死者に関わる知識や魔術はろくなものがなかった。
一気に気持ちがきな臭くなる。
「まあ、記憶の移行だけであれば複写は複写で、どれだけ精密に再現しようとオリジナルじゃないっていうのが俺の見解。
霊体を維持して、魂と一緒に新しい器にぶち込むまでしないと当人とは言わないと思う。
逆に言えば、それが出来れば生まれ変わりは十分ありうるけど、赤ん坊の体がどこまで受け止めきれるのかって別の問題が発生する。
ただ、その辺はまた別の話かなあ。」
「そんなことが出来るのかって、やっぱりそれも禁術だろ、やめろ。」
「近いところではうちのルーとティーがそうです。」
「あー あれな、ってだからやめろって。」
時折連れてくる、付喪神っぽい動くぬいぐるみに関係する話であったようだ。
そう言えば今日は来ていない。どうしたのか尋ねれば、自宅でお留守番だそうだ。器となるぬいぐるみの耐久度や縄張りの警護上、無制限に外出できるわけではないそうだ。
弟のルーはまだしも、兄のティーが色々やらかすので器の痛みが酷く、直すのも大変らしい。素材は高価で入手に苦労するのを、彼奴はちっとも理解しないとかなんとか。
どちらにしても、加賀見の周囲では日常茶飯事であっても、一介の神職である自分が相手をするには倫理問題が有りすぎる話だ。
何故、こんな話題を振ったのかと思えば、ちゃんと理由があった。
「そんなこんなで逸信の“大事”はどっちなんだろうな。」
「ああ……」
一応、うちの神社も関係する話であったか。
子獅子の逸信は時折不思議なことを口にする。何かはよくわからないのだが、大事なものを無意識に探しているらしいのだ。
それが前世の記憶ではないか、当社の獅子のように無機物の器で生まれるものに多い現象だと教えてくれたのも、目の前の魔物であった。
結局、前世や転生など大袈裟なものではなく、何処かで拾った記憶の付属品なのか。それとも大切な記憶が消える前に、子獅子として生まれ変わったのか。
一体、何が本当なのか。聞けば、俺だってわからんと払いのけられた。
「まあ、霊体を消滅させずに移行するのは難しい以上、どっかからデータだけ引っ張ってきた方がわかりやすいし、手段として確立してる。
が、情報を引っ張ってくるにしても何処からだって言うのが、どうしてもよくわからんのよな。
それにあいつは俺と違って……本当に魂と霊体については、不明瞭なことが多いし複雑で嫌だ。
誰だ、こんな面倒な話、始めたの。」
独り言のように自ら選んだ話題に文句を言いながら、加賀見はコップの中身を飲み干した。
取り敢えず、あたらしいお茶をコップに注いでやる。
「ま、どう足掻いても変えられない過去、しかも、自分のでもないものに拘っても、其れこそ意味がないとは思うが、だからといって簡単に切り捨てられないのが、俺の弱いところかね。」
「ん、どういうことだ?」
「理由はどうあれ、事実、目の前に有るもんを無しことには出来ないってこと。
逸信のも、このまま彼奴が忘れるようなら良いが、困るだろ。
大事とやらを探すため、『俺より強い奴に会いに行く』とか言いながら、突然出て行っちゃったりしたら。」
前半は兎に角、後半の意図が分からず聞き返せば、簡単に言い直されたが、また、はぐらかされたような気もする。
ただ、確かに逸信の大事も、理由はどうあれあの子が探している以上は無視出来ず、今すぐではなくとも、何かしら問題を起こす要因にならないよう、見てやらなければいけないが、その台詞は違うと思う。
どちらかといえば、そういうことを言いそうなのは、兄の二前か五十嵐だと思う。そして胃が痛くなる。
ニノは大丈夫だろうけど、どうしよう、イガが出て行っちゃったら。
只でさえ、ウチの神社は霊獣少ないし、実力が付いた側から他所の神社に引き抜かれたりしてるのに。その上、神職だって自分しか居ない。そうだ、人事問題があるのを忘れていた。村絡みだったら比較的気軽に役場に人を頼めるが、逆に神社単独の理由だと申し訳ないんだよな。単なるアルバイトじゃ意味が薄いけど、まずはそこからでもよしとして、全く該当者がいないのを何とかすべきか。
考えるだに頭も痛くなるが、ぐっと腹を据える。
まあ、五十嵐が出ていくとしたら、その時はその時だ。獅子達がより高みを目指そうとしているのを、自分の都合で足を引っ張るわけにはいかぬ。
もし、そんなことを考えているのであれば、実行に移す前にきちんと相談するだろう。よし、取り敢えず、今は忘れよう。
「などとあれこれ話してみたが、逸信のあれには俺も思うところがあるだけに、関わるのはちょっと今、遠慮したい。以上です。」
「はいよ。じゃあ、そういうことにしておくわ。」
既にこの話題に飽きたのか、加賀見は乱暴に話を終わりにしたが、なにか引っかかったような顔をして首を傾げた。
「何だ、まだ何かあるのか?」
逸信や五十嵐への懸念は目をつぶれば消え失せるようなものではないとは言え、緊急性もない。
多数の面で胃が痛いだけに、この話題を終わりにしたいのは此方も同じなのだが、目は口ほどに物を言う。非常に複雑そうな視線を受けて、黙っていられなかった。
問えば、郵便屋は気がない様子でポツポツと語った。
「いや、うちのきいこがな。」
動いた視線につられて境内を眺めれば、子獅子を引き連れた小さい人がちみちみと歩いているのが見えた。
「あれは小さいから難しいことはわからないし、時間が経つとそれこそ全部、忘れてしまうんだ。
だから、久しぶりにあった知り合いに、『会いたかったよ。』『ずっと待ってたんだよ。』と言われても、わからない。
忘れたことすら分かっていないから、特段どうということもないし、どうにも出来ないんだが。」
何も知らないきいちゃんと子獅子たちは、実に楽しげに燥いでいる。
しかし、其れも長くは続かないとすれば、儚く思えた。僅かな時間しか続かない友情を眺め、青い目の魔物は憔悴したように呟く。
「何も分からないはずなのに、途方に暮れた顔をするんだ。」
そのまま生気を感じられない、ただ自分の顔を映すだけの鏡のような瞳を向けられる。
「生きるのに忘却は必須だし、忘れられないのは辛い。
でも、本当に大切だったものを覚えていられないのも辛い。
……じいさんは、大丈夫か?」
「大丈夫に、決まってるだろ。」
覚えていなければいけないことを忘れていないか。
心配そうな口調と異なり、ただ無表情に首を傾げるのに問題ないと返す。
だが、本当に大丈夫などと言えるのか。
忘れたことすら忘れているとすれば、気がついていないだけで、“それ”は確かに我が身の近くにあるのではないか。
傍らで子獅子が尻尾を揺らした気がして、思わず隣を振り返る。
しかし、逸信も陸晶も先程出ていってしまった。無比刀は縁側で眠りこけている。他には誰もいない。いるはずがない。
あるはずのない気配を感じて戸惑う自分を見詰め、郵便屋は眉間にシワを寄せ、息を吹き返したかのように大きく溜息をついた。
「本当か? 俺の名前は言えるか?
今朝は何を食ったか覚えているか?」
「お前、いい加減にしないとグーで叩くぞ。」
「それを世間一般では殴ると言う。
そして、ニノに言いつけられる方が余程痛いな。」
人を気遣っていると見せかけて、おちょくってくるのはまだしも、打たれるより、古参の獅子に叱られる方が辛いとは情けない。
「さて、じいさんに世界的禁忌とされる死者の復活や、不老不死に関わる情報を吹き込んだところで帰るか。」
「反省しろ。お前は本当に己の言動を反省しろ。」
「他所に言いふらされたり、実現させようとすれば困るけど、どっちもないだろうから良いかと思って。」
今まで聞いた話を持っていくべき所に持っていけば、良くも悪くも大事になるのだろう。
かと言って何が出来るわけではなく、あくまで世間話として扱うしかない状況に肩を落とし、何処までも規格外な友人を言葉だけで叱る。
反省した結果の改善までは求めない。どうせしないに決まっているからだ。
子獅子たちを呼んできいちゃんを回収し、只人にしか見えない郵便屋が煙のように消えるのを追い払うように見送る。
しかし、加賀見は本当に色々なことを知っている。
不可能なことの代名詞とも言える死者の復活に、万人が求める不老不死とは。一介の神社の宮司などに教えることではなかろうに、無駄に厚い信頼が重い。
実際、どちらにも興味はない、とは言えなくとも、それを求める業の深さは理解できた。
今日の事こそ綺麗さっぱり忘れさろうと決めて、また、不可思議な感覚に囚われる。まだ、何か他にも忘れているような。大切なことが抜けているような気がする。
青い目の魔物の言葉がリフレインする。
忘れてしまうのは辛い。どれだけ苦しくても、抱えていたい記憶もある。
だが、忘れなければ人は生きていけない。
自分も何か、忘れているのだろうか。
思い出せない不安のまま、周囲を見渡す。
忘れる以前に何も変わらない、いつもと同じ社務所の中。畳に襖、掘りごたつの上には茶請けに出したみかん。縁側には丸くなって眠る無比刀。棚には逸信が拾ってきた毬栗と、巳壱の白い砂の入った小瓶。
……砂の入った小瓶?
「アッ! 忘れてた!!」
当社最小の子獅子の寝床から採取された白い砂について、博学な郵便屋に相談しようと思っていたのだった。
しかし、既に加賀見は帰宅した後。追いかけようにも移動魔法で飛び去ってしまった。
最も重視するべき獅子たちに関する重要事項を忘れさっていたとは、宮司にあるまじき失態であり、しかも発見してから結構な日数が経ってしまっている。本当に、知るべきでない知識を得ている場合ではない。
「くそっ……しくじった……」
消さなければいけない記憶など、人間の自分にはないはずだ。
それよりまず、やるべき仕事を覚えていたいと心底思った。




