消え行くもの、消せ得ぬもの。(前編)
土地から溢れる霊気には流れがあるが、強い力は良くも悪くも周囲に影響を与える。恩恵を与える場所は神域とよばれ、霊気の流れや核となる御神体の管理の為に神社が建てられる。
獣と精霊の中間とされる生き物、霊獣は多くの霊気を必要とするため、人の手が及ばないような奥地に住むものが多いが、気に入った神域があれば町中にも降りてきて、設置された神社に住み着き、配置された神職と共に暮らす。
その生態や種類は複雑で、好む住処も口にする糧もまた其々に異なる。
他の生き物と同じように番を作ることもあれば、神域より生み出されることもあり、自分が管理する咲零神社でも獅子が生まれる。
当社の霊獣、純白、若しくは空色の毛並を持つ獅子等は邪物の討伐に長けており、人と同じほどに賢い。理由なく他者を襲うこともなければ、理不尽であっても己を抑え、無闇矢鱈と力を振るうことはない。
故に子守に最適と、郵便屋の加賀見が幼い娘を押し付けることがある。
パヤパヤの薄い髪の毛しか生えていないきいちゃんは、いかにも幼い子供であるのに、ありがちな人見知りをしないばかりか、動物との付き合い方もよく心得ていて、うちの子獅子達と仲が良い。
頼りなかった歩みもしっかりとしてきて転ぶこともなくなり、子獅子たちを引き連れ、境内を散歩するようにもなった。
特に巳壱が小さいながらも、兄として面倒をみるのだと鼻息荒く引っ付いており、まだ幼いので何かあっては大変と、兄獅子の陸奥がその後について見守っている。
一列に連なって境内を練り歩いているのを見ていたら、遊び飽きたのか末っ子の無比刀が列から外れた。
社務所まで戻ってきて縁側に丸くなったのに、気がついたきいちゃんも寄ってきて、青毛のフワフワ子獅子を撫でて、呟いた。
「おお、ムイムイよ。お昼寝してちまうとは、なちゃけない。」
そして、他の子を連れて去っていった。
残った無比刀が子獅子にしては低い声でムーと鳴き、言葉代わりの思念波を送ってくる。
『じいちゃん、加賀見の兄ちゃん、どういう意味?』
「……すまん。じいちゃんにはわからん。」
不可思議な呪文の意味を問われ、首を横に振る。掘りごたつに足を突っ込んだ、小さい人の父親へ目をやれば、憮然と返された。
「それ、説明しなきゃ駄目なやつか?」
加賀見は禁呪とされる移動魔法に唯一長けた郵便屋として各地を周り、諸外国の事情にまで通じている。法螺は吹いても意外と嘘はつかず、聞けば不要な国家機密まで話してくれるが、こういう言い方をするからには話したくないのだろう。
隣に寝っ転がっていた少し大きな子獅子、逸信と陸晶がくすくす笑った。
『きっと、エッチいやつだよ。』
『きっと、無比刀にはまだ早いやつだよ。』
「いや、そういうのとはまた違うんだが。」
大人が説明したがらない理由は大概それだとニヤニヤするのに、加賀見の顔がますます無表情になる。
「それを言うなら、昨夜はお楽しみでしたの方がまだ、いや、やったことないから知らんけど。」
そのまま片方を捕まえて引き摺り寄せ、子獅子のくせに生意気なと混ぜるように撫で回す。かき回すように揉まれた逸信は、ミャアミャア悲鳴を上げて逃げた。
逃げ戻った兄弟が自分の座布団に戻るのを眺め、陸晶が労るようにナァと鳴く。
『大変だったね。』
『うん。ナデナデはいいけど、わちゃわちゃはくすぐったいよ。』
そのままの感想を逸信は口にし、耳をヒコヒコと動かした。子獅子特有の暗色斑ばかりが困ってみえる。
「ったく、どいつもこいつも変なことばかり覚えて。
きいこのはあれか、オリ太か。また、オリバーの所か。」
何もなかったかのように尻尾を揺らす子獅子たちや、油断のならない小さな娘に文句を言いながら、加賀見は頭をバリバリ掻きながら虚空を眺めた。またと言うからには、不可思議な呪文の出どころはいつも同じなのだろう。
「なんだ、知り合いか誰かか?」
軽い好奇心から問えば、どうでも良さそうに頷かれた。
「知り合いというか、ガキの頃から面倒見てる奴で、身内っていうか、弟みたいなもんっていうか。」
「そんなに長い、付き合いなのか?」
「ああ。“壁”が完全に壊れる前からだからな。」
きいちゃんの呪文は、一千年以上前の時代に絡んでいるのだと言う。
当時は人とそれ以外、妖怪や魔物、精霊、霊獣は壁と呼ばれる結界で隔たれ、別々に暮らしていたとされている。人の世界は霊気が薄く、神術や魔法がない分、今とは比べ物にならないほど科学が発達し、複雑な社会を形成していたと言うが、壁の崩壊後に起こった大戦でその殆どが失われてしまった。
我が国、陽伴も、今でこそ平和な種族問わぬ共存生活が実現しているが、当時は相当荒れたらしく、海を超えた先の大陸では未だ紛争問題が続いている。
争いの続いた歴史をその目で見ている加賀見も、相当な苦渋を舐めてきたようで、軽い口調で凄惨な体験を口走ることがあり、止めてほしいと時々思う。
それはさておき、実際にその時代を生きた者として古代の文明に詳しいだけでなく、顔が広いだけに古い時代からの知り合いもいて、小さいきいちゃんにも少なからず影響を与えているらしい。
「起きてる間はよく遊びに来るんだが、能力値の割に受け身な性格でなー 放っておくと家に引きこもって本読んでるか、ゲームばかりしてる。古い記憶に縛られるのは誰にでもあることだが、彼奴は永い時を生きる者の中でも特に寝てばっかりなせいで、余計に頼りない。
そもそも妖精系に多い性質とは言え、あそこの一族は揃って寝てるか、遊んでるかのどちらかなお気楽な連中ばかりだけどな。ヴァンプは。これだからヴァンパイアは。」
名前はよく知られているが、我が国では余り見かけない妖怪に対してボヤかれる。
人を襲って血を吸う鬼とされている割には、残念な評価だ。ただ、種族柄食性が恐ろしかったり、考えが独特だったりするのは珍しくない。その辺りは上手に折り合いをつけて、我が国は成り立っている。友好関係を築くのは難しそうな生態をしているからといって偏見は禁物で、思い切って付き合ってみれば、親しみやすい種族である可能性もある。大体、同じ人間でも、魔物より恐ろしい思考をしている輩だっているではないか。
そして、思い返せば目の前の郵便屋こそ、龍や鳳凰など高位の存在が注視する触れてはいけない魔物であった。興味本位であれこれ尋ねないほうが良かったかもしれない。しかし、やれやれと肩を落とす加賀見は、相変わらず只人の青年にしか見えず、いつも通り何の警戒もなく、逸信がおかしそうに耳を動かした。
『加賀見の兄ちゃんのお友達、寝てばっかりなの? お布団から出てこないの?』
「ああ。長命な種族は冬眠するもんだけど、あれは限度を越してる。」
『冬眠? 春まで起きてこないの?』
「いや、冬眠とは通称で、本当に冬を越えるために寝るわけじゃないって、なんだ、まだ教わってないのか。」
温かい布団から出たくないだけと思っている逸信と、長命な種族の習性を語っている加賀見との会話は微妙に繋がっていない。不思議そうな子獅子に、郵便屋の魔物は呆れた様子で眉を動かしたが、そのまま説明することにしたようだ。
身動ぎする程度に姿勢をただし、困り眉毛の子獅子に向き直った。
「逸信。お前、生き物が寝るのはどうしてだと思う?」
『眠くなるからだよ。』
子獅子らしい素直な回答に、加賀見は吹き出しつつも問を繰り返した。
「そりゃそうだ。じゃあ、なんで眠くなるんだ?」
『疲れるからだよ。昼間、たくさん動いて疲れたからだよ。』
「じゃあ、一日部屋に閉じこもって動かずにいれば、眠くならないか?」
『んー 何処だろう? やったことないから、わかんないや。』
「はは、そうか。」
所詮、ただの世間話と深く考えていないのか、素直にわからないと逸信は首を傾げ、敢えてなのか、答えられないのか、陸晶も黙ったまま尻尾を揺らして加賀見の説明を待っている。遊びから抜け出ただけあって、それこそ疲れていたのか無比刀はさっさと寝てしまった。
暗色斑ばかり困っているような顔をして無邪気な回答を繰り返す逸信に、加賀見はもう一度手を伸ばして、その頭を撫でた。
「勿論、理由は一つじゃないが、寝るのは頭を休めるためだ。」
『頭?』
「そう、それと心な。」
撫でてもらって嬉しそうに目を細め、尻尾を揺らしながら逸信は隣の兄弟を前足でつついた。
『リクちゃん、頭と心だって。』
『確かに、体は横になればいいけど、起きてると考えごとしちゃうもんね。』
眠そうな顔でぼんやりしているように見えても、きちんと話を聞いていたようだ。陸晶は逸信以上の理解度を示し、ぺろりと口の周りを舐めた。
『あと、嫌なことがあっても、一晩寝ると元気になったりするよ。
兄ちゃん、それもそう?』
「そうだな。
あと、天祥がいたずらしたり失敗しても、次の日にはすっかり忘れてるだろ。」
我が身に置き換えて考えようとするのに郵便屋が適当な例を上げれば、やんちゃ坊主の弟の名前を聞いた子獅子たちは尻尾を揺らして笑った。
「リクが言うように、使い続ければ頭も心も疲労する。だから休まなきゃいけないし、眠るわけだが、龍とか鳳凰とか、それこそ何百年も生きていれば身体も痛むし、囚われる記憶や感情も多くなる。疲労や情報が多すぎると動けなくなるから長期の休眠を行い、体力や精神を回復し、不要な記憶を眠りながら整理し、消去するんだ。
要はクリーンアップとデフラグ……って、この喩えはお前らには通じないか。ま、脳みその整理整頓だな。」
休眠が必要となる理由、生きていれば必ず経験するであろう永久の別離や世の不条理などを思えば、そう簡単な話ではなかろうが、軽い調子で郵便屋は言い、気楽な口調に大したことではないと思ったのか、逸信ものんびりと尻尾を揺らす。
『ふーん。それで兄ちゃんのお友達はお疲れたって、寝てばっかりなんだね?』
「ああ、黙っていると何年でも何十年でも寝てるな。」
『何十年も!?』
そんなに長いとは思っていなかったのだろう。逸信は大きく目を見張り、陸晶も不安げに頭を低くしてみゃうと尋ねる。
『ねえ、冬眠ってそんなに長く寝なくちゃいけないの?』
「状況によりけりだな。数カ月のときもあれば年単位、場合に寄っては数百年に渡ることも有る。
種族にもよるけど、起きてる時間が長いほど、冬眠も長くなる傾向が有るかな。」
ケースバイケースと笑う加賀見と対象的に、耳を動かして、陸晶は少し焦ったように前足で床を引っ掻いた。
『じゃあ、兄ちゃんは? 兄ちゃんもそのうち冬眠するの?』
ピタリと郵便屋の動きが一瞬止まり、鼻先で笑って返される。
「するかもしれないし、しないかもしれん。どっちでも良いだろ。」
何故か乱暴にはね除けられ、陸晶が不満げにグルルと唸る。
聞かなければ何も教えてくれない反面、聞いたことには必要以上に教えてくれる加賀見には珍しい。乱暴に振り払われる形になった陸晶は、座ったままガリガリ前足で床を引っかき、不服を示した。
『よくないよ。もし、兄ちゃんも冬眠したら、長い間、それこそ何年も遊びに来なくなっちゃうかもしれないってことでしょ。』
お前だって、長く生きる種族じゃないかと尻尾でも床を叩いて睨む。
『えっ、兄ちゃん会えなくなっちゃうの?』
漫然と聞いていただけで、自分の身の回りに関わるとまでは思い至っていなかったのであろう。郵便屋が来なくなる可能性を提示された逸信は、ミャッと短く悲鳴を上げた。
慌てた様子で立ち上がり、加賀見の膝を前脚で撫でるようにしながら不安げに鳴く。
『兄ちゃん、どうなの? まだ、起きていられるの?
でも、冬眠はしないと体に悪いんだよね?』
仲良しのお兄ちゃんが遊びに来ないのは嫌だが、具合を悪くするのも困る。耳を横に垂らしてオロオロと戸惑う子獅子の頭を、青い目の魔物は無表情に撫でた。
「本当はしなくちゃいけないんだが、俺はその辺を全力でサボっているからお前らの兄ちゃんに叩かれているとも言える。」
『……ちゃんとお休みしなよ、兄ちゃん。』
『瘴気を抱えてるのは自分にも周りにも良くないよ、兄ちゃん。』
郵便屋が言いたいことを子獅子たちは其々正確に汲み取り、グルウと唸った。




