八幡 VS 無比刀 、ブラッシング争奪戦。(後半)
そうこうしている間に梳かし終わり、無比刀は嬉しげにゴロゴロ喉を鳴らした。ますます柔らかくなった青い毛並みを自慢げに確認する子獅子に言いつける。
「さ、終わったからには、八幡に謝りに行きなさい。」
『えー やっぱり、行かなきゃ駄目?』
「駄目だ。ほら、じいちゃんも一緒に行ってやるから。」
「ムー……」
納得いかない様子で低く唸るのを膝からおろし、大きな子獅子を探しに行く。他の子たちはまた、好き勝手に散らばっていったが、何を思ったかノソノソと天祥も後を付いてきた。
程なく、子獅子達お気に入りの楠に登り、寝っ転がっている八幡を見つける。
自分たちが近づいてくるのは気がついているだろうに、不貞腐れているのかそっぽを向いて、振りむこうとしない。
「ほら、ハチ。機嫌直して降りてこい。次はお前を梳かしてやるから。」
『ハチ兄、ムイもちょっと、悪かったよ。謝るから降りてきて。』
『フンッ、知らないよ!』
木の下から声を掛けても、ムチのように尻尾を振り回すばかりで、ちっとも降りてこようとしない。すっかり機嫌を損ねてしまったようだ。
一応、扱いはまだ子獅子だが、そろそろ成体になってもおかしくない、丁度中間の時期でもあるために余計に気難しい気がする。
所謂思春期だろうか。いや、ただ単に子供っぽいだけだな。
「ハチ、ムイが謝ってるだろ。降りてきなさい。」
『……仕方ないなあ。』
少し強めに言いつければ、滑るように木からは降りてきたが、近寄ろうとした無比刀に毛を逆立て、シャッと威嚇する。
大人気ない態度を取る兄に、無比刀は耳を頭にくっつけ、みゃあと鳴いた。
『ハチ兄、ムイも悪かったから。』
『ムイも、じゃなくて、お前が悪いんだよ!
元々、オレが先に梳かしてもらおうとしてたんだぞ! それを横入りして!
小さいからって順番守らないとか、悪いに決まってる!』
『そうだっけ?』
『そうだよ!』
言われてみれば、八幡がブラシを咥えて来たのが僅かに先だったような気もするが、そんな言い切るほどの差はなかったと思うが。
無比刀が下手に出てるのを良いことに、シャッシャッと威嚇を続ける八幡を叱る。
「そうだとしても無比刀は謝ってるだろ。それにお前、お兄ちゃんだろうが。」
『そんなの関係ないよ!
年上だろうが、下だろうが、譲れないもんがあるんだよ!』
ブラッシングはそんな大層なものであったであろうか。
仮にそうであったとしても、兄として、年上として、何より子獅子最年長として最年少の弟に取る態度であろうか。
怒るより呆れが先に立つが、当人には大事なことなのだろう。
また、ブラッシングのことだけでなく、無比刀が末っ子のくせに年長者の自分を押しのけて前に出ようとしたのも、気に入らないのかもしれない。ならば、年上だからこそ怒っているとも言え、どうしたものかと考える。
謝っているのにちっとも受け入れて貰えない無比刀も、我慢できなくなったのか、ミャーと不満げに鳴いた。
『そんな事言ったら、ムイだって、譲れなかったよ。』
頭を低くしながら文句を言うのに、八幡はますます毛を逆立てた。
『ほら、そうやって言い返す!
ちっとも悪いと思ってないじゃん!
じいちゃんに言われて、口先で謝ってるだけだろ!』
『でも、ムイだって、フワフワが良いんだもん。』
「もう、いい加減にしなさい。」
ガアガア、ミャアミャア、尻尾を振り回して、再び言い争いが始まろうとするのを叩き切る。
「八幡、お前、少し大人気なさすぎるぞ。
順番や拘りもわかるが、そこを弟のためにぐっと我慢出来なくてどうするんだ。
いくら身体が大きくなっても、毛並みが綺麗でも、自分のことばかりで弟を顧みないなんて、みっともないと思わないか。」
『……思うけど。それは、思うけど。』
特段難しいことを言っているわけではないので、問えば渋々ながらも八幡は自らの非を認めた。
頭を低くして、尻尾を左右に振り回す兄獅子に無比刀がムーと唸る。
『ハチ兄は大きい癖に、ちっともお兄ちゃんらしくないよ。
ミミ兄のがまだ、ちゃんとムイたちの面倒みてくれるよ。』
瑞宮は性格がおおらかなので、きっちり弟の面倒を見ているわけでもないが、気がつけば下の子に声をかけるし、おもちゃの取り合いや遊びの選択ではちゃんと譲る。あっちのほうが良いと青毛の子獅子は鼻をピクピクさせた。
事実かもしれないが、余計な一言でもある。
「無比刀、お前もそうやって口答えばかりしていないで、きちんと譲ってほしいと頼めば、八幡だって引いたんじゃないのか。
それにじいちゃんが、どうして謝らなきゃ駄目だって言ったのか、本当に理解してないだろう。
だから口先だけだって、八幡に見抜かれたんじゃないのか。」
『……。』
自分が全くの無罪だと勘違いしていないか。指摘すれば、無比刀は黙って俯いた。
叱られて頂垂れる二匹の兄弟を眺め、天祥が呆れた調子でニャーと鳴く。
『うちの神社は霊獣が少ないんだよ。仲良くしなくっちゃ。
ブラッシングは気持ちが良いけど、それで喧嘩しちゃ駄目じゃん。
ハチ兄もムイムイも、我儘なんだよ。』
『……天祥だけには言われたくない!』
『ムイも。』
普段、我儘を言う側の天祥が偉そうに尻尾を大きく振るのに、八幡と無比刀は揃ってフシャッと文句を言った。
しかし、今回ばかりは天祥が正論である。
「二匹とも、天祥の言うとおりだ。
ちゃんと仲直りしなさい。」
お互いの非を認め、謝るように促すも、まだ、感情が収まらないのか、八幡も無比刀も無言で俯くばかり。天祥が『何で、仲直りしないんだい?』と交互に前足で突っついても、返事をしない。
うちの獅子たちに頑固なところがあるのは知っているが、これ以上は付き合えない。無比刀も八幡も大事な物に拘るのはわかるが、それで騒ぎを起こすようでは困る。
動かない子獅子たちには、こちらの本気も伝えるべきだろう。
「八幡、無比刀。
毛並みの手入れもいいが、これ以上、喧嘩をするようなら、じいちゃんにも考えがあるぞ。」
返事をせずに、顔だけ上げた二匹に宣言する。
「大人の証も、フワフワも関係ない。
喧嘩の原因になるなら、刈り上げる。」
「フギャッ!?」
「ミギャッ!?」
毛刈りをするのが偶にくる郵便屋だけだと思うな。
『嘘だよ。加賀見の兄ちゃんがあるまいし、じいちゃんがそんな事するわけない。』
二匹とも悲鳴を上げるも、すぐに八幡は平気な顔をして、フッと鼻先で笑ってみせた。
それでも、本当に大丈夫だとは思っていないのか、ソワソワと落ち着き無く足踏みを始め、視線を合わせようとはしない。
只の脅しだと言う兄獅子と自分の顔を交互に見上げ、無比刀は不安げにニャアと鳴いた。
『ねえ、じいちゃん。ハチ兄が言うとおり、嘘だよね?
本当にそんな事しないよね?』
「いや、じいちゃんだってやるときはやるぞ。
脅すようなことはしたくないが、一番大事なチームワークを乱すようなら、そのままにしておけん。
フワフワも鬣も、自分たちには早かったと反省して、ちゃんと仲良く自己管理出来るようになるまで、我慢しなさい。
それが嫌なら、喧嘩しないで譲り合いなさい。」
髙が毛並みのことであっても、喧嘩の要因を放置する謂れはない。ろくに反省もしないで、何を甘いことを考えているのか。
軽く突放せば、青毛の末っ子はミャアミャア泣き出した。
『ムイ、嫌だ! フワフワなくなるの、絶対絶対、嫌だ!』
『オレだって、嫌だよ! また、刈り上げられるのなんか!』
以前、いたずら好きの郵便屋に生えたばかりの鬣を刈り上げられたことのある八幡は、その時のことを思い出したのか、悲鳴を上げて飛び上がり、大事なフワフワがなくなることを想像した無比刀は、泣きべそを描いて兄獅子を前足で引っ掻きはじめた。
『ハチ兄が悪いんだ!
ハチ兄がお兄ちゃんなのに、ムイに譲ってくれないから!
だから、じいちゃんが怒ったんだ!』
『なんだよ! 無比刀が生意気なのが悪いんだろ!』
爪こそ出していないようだが、とうとうバシバシはたき合い始めた二匹に大きなため息が零れる。
何故、やめろと言っていることを始めるのか。毛並みの事ばかり気にして、話をちゃんと聞いていないな。
「お前ら、本当に何も分かってないな。そこで待ってろ、バリカン持ってくるから!」
『嫌だ! じいちゃん、バリカンは嫌だ!』
『喧嘩しない! もう、喧嘩しないから!』
背を向け、社務所に戻ろうとすると、揃って足に抱きついてきて、みゃあみゃあ泣きつき始めた。どうして、ここまで来る前に止められないのか。それが喧嘩というものか。
柴犬サイズの無比刀はまだしも、秋田犬より大きい八幡にしがみつかれるのは流石に重いし、転びかねない。
足を止めて、双方を振り払い、頭から言いつける。
「じゃあ、もう喧嘩するな。今日だけじゃなくて、今後もだぞ。」
『しない! もう絶対しない!』
『ちゃんと譲る! 喧嘩しないで譲り合う!』
次は問答無用で刈り上げると伝えれば、子獅子たちは大きい方も小さい方も、二度としないと大声で吠えた。
「二匹とも、ここまで引っ張ることじゃなかっただろう。
それに八幡、どうせ拘るなら、毛並みの梳かし方を教えてやるぐらいしなさい。」
『分かった! 行くぞ、無比刀!』
『うん!』
漸う収まった喧嘩に肩を落とし、もっと前向きに動けと言いつければ、二つ返事で承知された。
行くぞと言うよりは、逃げるぞとの口調で八幡は駆け出し、急いで後を追おうとした無比刀が慌て過ぎて転んだ。
『痛い!』
『何やってるんだよ!』
末っ子の悲鳴を聞き逃さず、八幡は飛ぶように戻ってきて無比刀の首根っこを咥え、瞬く間に逃げていった。
その一部始終を見ていた天祥がミャアと感心した様子で鳴く。
『やっぱり、ハチ兄は凄いよ。もう、見えなくなった。』
確かに八幡は獅子たちの中で最も足が速いが、こんなところで素早さを発揮しなくていいと思う。それでも、しっかり無比刀を咥えていったのは褒めるべきだろうか。
「逃げるときばかり、仲が良くてもなあ。」
思わずボヤけば天祥が真面目な顔で尻尾を揺らす。
『違うよ、じいちゃん。逃げるときこそ仲良くなくっちゃ。
お互いの足引っ張ってたら、逃げ切れないもん。』
「そうかもな。」
いたずらばっかりのやんちゃ坊主らしく、変なことをよく知っている。
「さて、社務所に戻ろうか。」
これで終いと声をかければ、天祥はなんとも言えない様子で俯き、尻尾を揺らした。
『ねえ、じいちゃん。』
「どうした、天祥?」
何もしていないのに、どことなく不安そうなのは何故かと首を傾げれば、天祥はもじもじと前足で地面を引っ掻いた。
『もしもだよ。もしもさ、テンちゃんに尻尾が沢山生えても、悪かったら抜いちゃう?』
「……どちらかと言えば、纏めて縛るかな。」
『そっかあ。』
有りもしない尻尾の心配など、今からしないで欲しいと言うか、抜かれるようなことをする前提なのが如何なものか。
色々、思うところはあるが、ひとまず思い付いた対策を伝えれば、子獅子は神妙に頷き、吠えた。
『テンちゃん、もし尻尾が生えたら、縛られないようにちゃんとするよ!』
「そうか。生えなくてもそうしてくれると助かるんだが、じいちゃんは。」
子獅子にも大事にするものが其々あって、フワフワの毛並みでも尻尾で何でもいいが、兎に角、兄弟とは仲良くしてほしい。




