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食べづらい。

 龍脈、地脈など呼び名は様々だが、土地が持つ力には流れがあって、場の浄化や動植物の繁栄など、良い影響を与える場合は神域と呼ばれる。

 神域を管理するために神社は立てられ、住み着いた霊獣を補佐するために神職はいる。

 しかし、当社には自分しか神職はおらず、代わりが効かなないため、業務に支障を出さぬよう健康にはより気を配らねばならない。


 それにも関わらず体調を崩した。霊獣の獅子たちに体調を心配された結果、体調を崩した。

 具体的には毛並みの手入れの減少や仕事の失念は、子獅子に邪魔されて仕事が滞り、忙しくなって疲れたからだと強制的に昼寝をさせられ、夜に目が冴えて寝られなくなり、漸く眠れたときには朝が来て寝不足になった。

 大体、昼寝しても差し支えない程度の仕事量なのだ。

 ちょっと日々の日課を後回しにしただけで、忙しいはずもなければ疲れてなどいなかったのだが、自分の主張は聞き入れられなかった。

 昼寝自体が幾度も邪魔されながらの、寝たんだか寝てないんだか分からない代物であったのもいけなかった。

 質の悪い睡眠は無駄に時間を費やす上に、返って疲れが増す。

 ただ、獅子たちが心配し、良かれと思った上でのことであるから、余り文句は言えまい。



 出来れば今日こそ休みたいが、ここで寝てしまっては昨日の二の舞。重たい頭を振って眠気を追い払う。

 寝不足で頭が痛くなるのは血流が停滞するためらしい。脳の中に芯があるような鈍痛が消えない。

 身体を動かしている内に良くなるだろうと思ったのだが、返って酷くなったようだ。いい加減、薬を飲んだほうが良いかも知れない。

 なんとか掃除や洗濯などを済ませ、とぼとぼと社務所に戻る。


 多量のカフェインは神経が過敏になるので良くないが、温かいお茶を飲むのも寝不足由来の頭痛には良いらしい。

 取り急ぎ、薬缶を火に掛けお湯を沸かす。

 流れで何時も通り緑茶を入れてしまい、さて、薬を飲むのに良かったんだか、駄目だったんだかと考えている所に、ジャリジャリと砂利を踏む音がした。

 みゃーうと鳴き声がして白い子獅子が二匹、顔を出す。



 リュックを咥えている逸信(いつしん)を、守るように側についた陸晶りくしょうが此方を見上げる。


『じいちゃん、大丈夫? 昨日、お昼寝したから元気になった?』

「ああ、ありがとうな。心配してくれて。」


 正しくその所為で今、具合が悪いとは言えず、心配そうな子獅子に当たり障りのない返事をする。

 気を使っているのか、何時もの様に社務所に入ってこないばかりか縁側にも登ってこないので、代わりに此方が出向く。

 頭を撫でてやれば二匹とも嬉しそうに尻尾を揺らして、お互いの顔を見合った。


『じいちゃん、ボクね、旅行先でお薬貰ったの。

 持ってきたから、飲んで。』


 咥えてきたリュックを地面におろし、逸信が遠慮がちにミューと鳴く。

 ただでさえ子獅子特有の暗色斑の所為で困っている顔に見えるのに、耳まで横に垂らして不安そうだ。

 そんなに心配することは何もないのだが。


「薬って、こないだので全部じゃないのか?」


 先日、郵便屋の加賀見に誘われた子獅子達は旅行に出掛け、現地で冒険者と呼ばれる人々が使うという薬を、土産にいくつか貰ってきた。

 効能は体力回復から傷の治癒まで様々であったが、全て戸棚にしまったはず。

 首を傾げれば、逸信は足元に置いたリュックを咥え上げてみせた。


『ううん、それとは違うやつ。』


 まだあったのかと聞けば子獅子は頷いて、リュックごと渡してきた。

 郵便屋に貰ったこの背負カバンは大層よく出来ているが、どの道、獅子の手では開けられないし、背負えない。

 縁側に座り、受け取ったリュックの中身を取り出せば、ガラス瓶に詰まった琥珀色のビー玉が出てきた。

 太陽の光を受けてキラキラと輝き、宝石のように美しく、瓶越しからも強い霊気を感じる。



「これは霊獣用のおやつじゃなかったのか?」

『ううん、じいちゃんも食べられるよ。蜂蜜で作った飴だから。』


 いつも獅子達がおやつ代わりに貰う、霊気を含んだ鉱石かと思えば飴玉だったらしい。

 余りに綺麗なので、食べ物だとは思わなかった。

 口下手な逸信の代わりに陸晶が耳を動かしながら説明する。


『イッちゃんがね、沢山お手伝いしたからって、加賀見の兄ちゃんから特別に貰ったんだよ。

 凄く栄養があって、食べるとあっという間に具合が悪いのが治るんだ。

 ボクたちみたいな霊獣も食べられるけど、人間にも効くお薬で苦くないし、凄く美味しいからじいちゃんも貰いなよ。』


 ボクも向こうで一個だけ貰ったけど、吃驚するぐらい美味しかったよ。

 そんなことを言いながら、陸晶は何処か羨ましそうに瓶を見上げ、ぺろりと舌なめずりをした。

 この子はあまりおやつに執着する方ではないのに、こんな態度を見せるとは余程美味しかったのだろう。


「じゃあ一つ、呼ばれてみるかな。」


 そそられた好奇心のまま、瓶の蓋を開ければふんわりと甘い香りが漂った。

 甘いものは然程得意ではないが、それでも自然と顔がほころぶ。


「確かに美味しそうだな。」


 古くなった蜂蜜などから感じる、絡みつくような独特なクセの有るものとは全く異なる、僅かな酸味を含んだ花のような香りがする。

 逸信が珍しく自慢げに胸を張り、尻尾を揺らした。



『加賀見の兄ちゃんが社員の蜂さんに頼んで、特別に集めてもらった蜂蜜で出来てるんだって。

 とっても、特別なんだよ。』

「社員?」

『兄ちゃんの本業は養蜂家なんだって。他の仕事は暇つぶしのボランティアか趣味だって言ってたよ。』


 何度も特別だと繰り返すのはまだしも、妙なことを言うのに戸惑ったが、郵便屋が使った言い回しを聞いたままに繰り返したのだろう。

 各地方の有力者に頼まれる書類の郵送や、不幸に見舞われた幼子の保護など、多数背負った業務の重要性にしては、軽い扱いに思わず苦笑してしまう。


「蜂が社員とは、人事管理が大変そうだな。」


 呆れ混じりの感想に、子獅子達もみゃうみゃうと笑った。



 気がつけば、少し頭痛が和らいだような気がする。

 まさか香りを嗅いだだけで効果は出ないだろうが、特別性と言われるだけのことはありそうだ。有難くいただくことにしよう。

 一粒だけ手のひらに取り出そうと何度か瓶を揺すれば、カランカランと硬質な澄んだ音がした。

 それすらも鈴の音のようで耳に好ましい。

 併せるように秋の涼しい風がひゅっと拭いて梢を揺らし、サワサワと音を立てた。


 何となく、平和だなと思う。

 この時期、魔物を生み出す魔境は活動の殆どを停止する。

 神域を流れる霊気は定期的に管理せねばならず、何らかの要因で魍魎が出没することもあるので、パトロールは行わなければならないし、急な出動要請を受けることも有るが、魔境が活性化する夏と異なり、境内はとても静かで落ち着いている。

 これから寒い冬が来て、温かい春になるまで、獅子たちの仕事は休息や訓練による身体の調整が主になる。

 今年の夏も随分無理をさせたから、ゆっくり休ませてやりたい。できれば温泉に連れて行ってやりたい。

 7km程先に公営の温泉施設があって、偶に獅子達も使わせてもらうのだが、今年も頼めるだろうか。

 使うとなると短くない間、独占することになってしまい、寒い時期は施設の稼ぎ時でも有るのであまり無理は言えないが、獅子たちは温泉にゆっくり浸かるのがとても好きなのだ。


 勿論、冬場は本殿にある専用の風呂も沸かすが、経費を考えるとあまり長い時間は沸かしておけない。

 全員が一度に入るのは無理なので交代制となり、どうしても忙しなくなってしまう。

 ゆっくり好きな時に好きなだけ入らせてやれれば良いのだが。

 そんなことをぼんやり考えていたら、平和とは程遠い咆哮が聞こえた。併せてジャッジャッジャと敷かれた砂利を蹴り飛ばす、乱暴な音もする。



『じいちゃん、じいちゃん、何してるの!?

 凄い、良い匂いがする!』

『テンちゃんも! テンちゃんも食べたい!!』


 一体、何処から匂いを嗅ぎつけたのやら。

 瑞宮(みずみや)天祥(てんしょう)が物凄い勢いで駆けてきた。

 食いしん坊の子獅子達は到着するなりぶんぶん尻尾を振り回し、淡く光る飴を見つけて眼を輝かせた。


『じいちゃん、それ何? すっごく美味しそう!』

『テンちゃんも! ねえ、それテンちゃんも食べたい!!』


 ミャウミャウと甘ったれた声を出して、興味津々に自分の足元をウロウロする。

 お強請りする気満々の兄弟たちに、逸信が泣きそうな声で抗議した。


『駄目だよ。それは薬だよ。

 特別だから、おやつ代わりに食べたら駄目って、加賀見の兄ちゃんから言われたよ。』

『そうだよ。じいちゃんにあげるんだから、ミミ太たちは食べられないよ。』


 陸晶も顔をしかめ、瑞宮たちをフシャッと叱った。

 弟に叱られたからか、食べられないと聞いたからか、瑞宮は大層情けなさそうに耳を頭にピタリと付けた。


『そうなんだ。それじゃ、仕方ないね。』


 しょんぼりと落ち込みつつも素直に諦める。

 瑞宮は子獅子の中では年長で、それだけの分別が有る。しかし、まだ幼い天祥はそう簡単には行かない。


『でも、テンちゃんも食べたいよ!』


 納得出来ずにじいちゃん、じいちゃんとミャウミャウ鳴いて、身体をこすりつけて強請ってくる。

 瑞宮がその首を咥え、引っ張って止めた。


『駄目だよ、テンちゃん。お薬なんだって。おやつじゃないよ。』

『でも、とっても美味しそうだよ! テンちゃん、食べてみたい!』


 体ごと引き離されても諦められず、強請り続ける天祥を陸晶が重ねて叱った。


『じいちゃんにお強請りしたって駄目だよ、天祥。これは逸信のだよ。

 イッちゃんが沢山お手伝いしたから貰えたものだよ。

 横から欲しがっちゃいけないよ。』

「みゃあ……」


 普段、厳しいことを言わない陸晶にも強く止められて、天祥は悲しげに尻尾を垂らした。

 それでも諦めきれないのか、瑞宮を振り払って逸信に駆け寄ると前足で撫でるようにして甘える。



『一個も駄目なの?

 ねえ、イツ兄ちゃん、一個だけ! 一個だけでいいから、テンちゃんも食べたい!』

『でも、この飴はお薬だから駄目なんだよ、テンちゃん。』

『イツ兄ちゃん、お願い! もっと食べたいって絶対言わないから!』


 ミュウミュウと懸命に頼んでくる弟をみやり、逸信も弱り果てた顔で耳を頭に付けた。

 天祥の甘えん坊は今に始まったことではなく、やれやれと言わんばかりに陸晶がそのお尻を前足で叩く。


『駄目だよ、天祥。加賀見の兄ちゃんも言ってたよ。

 イッちゃんは優しいから、そうやって甘えられたら良いって言っちゃうって。

 でも、人数分はないから凄く困るって。

 食べたいって言うなら、ボクだって瑞宮だって食べたいし、他の皆だって食べたいに決まってる。

 けど、イッちゃんが頑張ったから貰ったものを、横取りしたら駄目だよ。』

『テンちゃん、横取りなんかしないよ! ちゃんとお願いしてるよ!』


 言い訳するように地面を引っかく天祥を陸晶はフンと鼻先で笑い、ヒゲを動かして先を続けた。


『だから、兄ちゃん言ってたよ。

 どんな理由であれ、怪我や病気以外で飴を食べた奴には、もう二度と、おやつを分けてやらんって。』


 郵便屋はよく、子獅子たちに美味しいおやつくれる。それが今後一切貰えなくなる。

 これはとんでもない衝撃であったようで、フギャッと悲鳴をあげて、天祥と瑞宮は揃って後ろに飛び跳ねた。


『二度とって、二度と?!』

『Never againだよ、瑞宮。』


 叫ぶように確認する瑞宮に、陸晶は何故か外国語で繰り返し、にゃっと笑った。



 異国の言葉による効果なのか、瑞宮と天祥は真摯に受け止めたようだ。

 口を開けたまま首をすくめ、ブルブルと身を震わせる。


『どうしよう、ミミ兄。

 テンちゃん、加賀見の兄ちゃんからおやつ貰えなくなるの、嫌だよ!』

『ボクだって困るし、嫌だよ。絶対、絶対、嫌だよ。』


 なんて恐ろしいことを言うのだ、あの兄ちゃんは。

 二匹の子獅子は身体を小さく縮ませ、真剣な表情で顔を見合わせた。

 他に楽しみはないのだろうかとつい考えてしまうほどに、効果は絶大である。

 それでも往生際悪く、天祥は言う。


『でも今、兄ちゃん、居ないもん。黙ってたら、食べたって分かんないんじゃ……?』

『言いつけるよ、ボクがね。絶対に言う。兄ちゃんと約束したんだ。

 ボクの眼を盗めると思うんなら、好きにしたらいいよ。』


 こういう時ばかり知恵の働く弟を、陸晶がフシャッと顔をしかめて牽制した。トントン尻尾で地面を叩き、交渉の余地がないことを態度で伝えてくる。

 子獅子の中で最も目端の効く兄の目は欺けないと悟り、天祥はようやく諦めたようだ。

 しょぼしょぼと前足を隠すように丸く蹲る。

 その隣で瑞宮が『でも、怪我とか病気なら食べてもいいんだよね……?』と呟き、何を企んでいるんだと陸晶に叩かれた。



 自分の飴のことなのに、何処か脇に追いやられた逸信が肩を落とし、小さな声でミャウと鳴く。


『本当はボクが自分で食べたいし、テンちゃんにも分けてあげたいけど、ちょっとしか無いんだ。

 食べちゃったらなくなっちゃう。そしたら本当に困った時、使えない。

 折角貰ったお薬だもん。ボク、じいちゃんや兄ちゃんが具合が悪い時に使いたい。』

「ミュー……」


 家族を思う兄獅子の言葉を聞いて、流石に天祥も我が儘だったと反省したのか、悲しげに鳴いて俯いた。

 その頭を優しく瑞宮が舐めてやる。


『諦めよう、テンちゃん。おやつより、じいちゃんや兄ちゃんが元気な方がいいよ。

 テンちゃんだってじいちゃんが具合悪かったら嫌だろ。』

『テンちゃん、じいちゃんは元気がいい。元気じゃなきゃ、嫌だ!』


 言われた天祥は焦ったように短く鳴いて、跳ねるように立ち上がった。自分の足元に駆け戻ってきて、前足でしがみつくように抱きついてくる。


『テンちゃん、じいちゃんは元気でなくちゃ困る! じいちゃん、元気で居て!』

「ああ、わかったよ。」


 泣きじゃくるように押し付けてくる頭から背中を何度も撫でてやる。

 ミュウミュウと鳴く弟獅子の首を、今度は陸晶が咥えて引っ張った。


『テンちゃん、それじゃあ、じいちゃんが飴、食べられないよ。』

『じいちゃん、早くお薬食べて! それで元気になって!』

「はいはい、分かった、分かった。」


 散々邪魔したのを棚上げで、首を引っ張られたまま天祥がガオガオ吠える。

 そこまで必死にならなくても良いと思うのだが。

 先の兄獅子たちといい、何時からこんな心配性になったのだろうか。



 仕切り直しで瓶を振り、手のひらに一粒転がせば、ふんわりと甘い香りが広がった。

 子獅子たちの視線が淡い光を放つ飴玉に集まる。じゅるりと唾を飲み込んだのは誰だろうか。


『じいちゃん、早く食べて!』

『お薬だけど苦くないから、大丈夫だよ。』


 少し興奮気味に逸信と陸晶が口々に言う。

 これだけ良い香りがするのだ。苦いとは思っていないのだが、早く早くと急かされる。


『綺麗だねえ。金色だよ。』

『それに真ん丸だよ。ボールみたい。テンちゃん、真ん丸なものが好きだよ。』


 もう欲しがる気はないのだろう。瑞宮と天祥は並んで行儀よく座り、近寄ってこようとしないが興味は隠しきれず、その視線は飴玉に釘付けである。


「じゃあ、逸信、もらうな。」


 一言断って飴をつまみ上げれば、子獅子たちの視線が一斉に動いた。


「……。」


 飴を持った右手を左に動かせば、子獅子たちも左を向く。

 右に動かせば、右を向く。

 口元に持っていけば、一緒になって口を開ける。

 うん、食べづらい。



「……逸信、じいちゃんは元気だから、やっぱり、お前たちが、」

『駄目だよ、じいちゃん。お薬はちゃんと飲まないと。』

『じいちゃん、大人でしょ。苦くないから、大丈夫だよ。』


 辞退を口にすれば、逸信と陸晶に揃って叱られた。

 別に好き嫌いをしているわけではないのだが。


「でも、割れば少しずつでも食べられるだろ?」

『駄目だよ! じいちゃんが貰ったんだから、じいちゃんが食べなよ!』

『テンちゃん、じいちゃんが元気で居てくれなくっちゃ困る! だからじいちゃんが食べて!』


 頭数分に砕いてやろうと提案しても、瑞宮も天祥もきっぱりと固辞した。

 ふんすふんすと鼻息荒く胸を張り、尻尾で地面を叩いていらないと言う。

 そこまで言うなら、食べるけれども。


「じゃあ、じいちゃんが食べるぞ。いいんだな?」

『早く食べて!』

『じいちゃん、早く食べて。』


 苛立ったのか、陸晶と逸信が立ち上がり吠えだした。

 ガウガウと急かす子獅子の様子に意を決し、口内へ飴を放り込む。

 途端に子獅子たちが同じタイミングで口を開け、『ああ……』と悲鳴のような溜息を漏らす。

 泣きそうな視線が指すように痛い。

 しかし、気まずさで顔をしかめるより早く、広がった蜂蜜の香りが思考すらも吹き飛ばした。



 甘い。とても甘い。

 今まで感じたことのない上品な甘さと香りに目を見張る。

 一体どういう仕組みか、手に持っている時は硬質な飴玉であったのに、舌の上に載せればトロトロと溶け出して、惜しむ間もなく消えてしまった。

 蜂蜜飴と言うより、和三盆の菓子でも食べたようだ。

 驚きのまま、すうと全身にまとわりついた倦怠感が消えていき、頭痛は疎か、頭がスッキリとして力が漲ってくる。


『じいちゃん、具合、よくなった?』

「ああ、凄く良くなった。」


 不安げに首を傾げる逸信に何処か上の空のまま答える。 

 良くなったどころではない。こんな感覚は初めてだ。

 身体の中から霊気が溢れて、悪いものを中から押し流してくれているようだ。

 まるで若返ったかのように、体全体が軽い。



 しかし。だが、しかし。



 顔を見合わせ、逸信と陸晶がお互いに言い聞かせ合うように鳴く。


『良かった。じいちゃん元気になったって。本当はボクも食べたかったけど……でも、お薬だもん。

 具合の悪い人が使わなくっちゃ。』

『良かったね、逸信。これで、良かったんだよ。』


 自分たちは口に出来なかったことは残念だが仕方がないと俯く彼らの隣では、瑞宮と天祥が悲しげに頭をこすりつけ合う。


『美味しそうだったねえ。でも、じいちゃんのためだもん、我慢しなくっちゃ。』

『ミミ兄、テンちゃん、早く立派な獅子になって、あれ沢山食べられるようになりたい!』

『立派になったら、食べられるのかなあ? ボク、分かんないよ。』


 立派な大人になりさえすれば全てが解決するような、子供らしい思考で天祥が兄獅子にしがみつき、瑞宮は力なく耳を垂らして弟の頭を舐める。


『ボクもお手伝いしたら貰えるかなあ? イッちゃん、お手伝いって何をしたの?』

『わかんない。お姉ちゃんのお荷物運んだり、お兄ちゃん呼びに行ったりとか色々したけど、それはリクちゃんもしてたって言うし、どれが良かったのか……』

『ねえ、リク兄ちゃん。テンちゃんもお利口なのに、なんでイツ兄だけ貰えたの?』

『タイミングかなあ。そういうのも含めて、特別だったんじゃない。』


 どうやったら再びあの飴を手に入れ、食べることができるだろうか。恐らく、どうやっても無理なのだろう。

 そんな面持ちで半ば諦めたように鳴きあう、この子獅子たちはどうしたものか。

 甘さが消えると同時に我に返ってみれば、具合はよくとも罪悪感が酷い。



 現在進行形で霊気がみなぎるのを感じるが、心を締め付けるような居た堪れなさは消えない。


「ごめんな、じいちゃんばっかり食べて。」


 肩を落として謝れば、瑞宮がようやく気がついたように顔をあげた。

 そのまま、諦めきれない気持ちを振り払うようにブルブルと身体を振るい、無理に明るい声で応える。


『そんなことないよ。ボクらだって何時も、加賀見の兄ちゃんからおやつ貰ってるもん。

 それよりじいちゃん、元気になってよかったね!』


 これを皮切りにして子獅子たちは口々に吠え始めた。


『本当だよ。テンちゃんもよかったよ。』

『じいちゃんは元気で居てくれなくっちゃ困るもんね。』

『これで兄ちゃんたちも、安心するよ。』


 安心したと尻尾を揺らし、ガオウガオウと元気よく吠える彼らの頭を、せめて一匹ずつ撫でてやる。



「おやつと言えば、この機会に逸信が貰ってきた水薬、飲むか?

 あれも長くはとっておけないからな。」


 元々が大した不調ではなかったとはいえ、体調は大変良くなった。

 よく効く薬だと考えて、貰って戸棚に仕舞ったままの土産を思い出す。

 あれも人間用の薬と聞いたが、霊獣にも使用できるだけでなく、とても美味しいと子獅子たちは皆、喜んで飲んでいた。

 経口摂取用だけに賞味期限は意外と短い。悪くしても勿体無いし、適当な折に飲んでしまうが良いだろう。

 今日がその適当な折と決めて提案すれば、子獅子たちはますます嬉しげにガアと吠えた。


『ボク、燦馳たちを呼んでくるよ!』

『テンちゃんも!』


 瑞宮が天祥と一緒に弟たちを探すと跳ね回り、陸晶と逸信もゆらゆら尻尾を揺らす。


『じゃあ、ボクらは兄ちゃん達を呼んでくる。本殿に集まればいい?』

『じいちゃんが元気になったって聞いたら、兄ちゃん喜ぶよ。』

「ああ、よろしくな。」


 そのまま連れ立って駆けていく白い背中を見送って、縁側に置きっぱなしになったリュックと残りの飴を見やる。

 これは油断するともう一騒ぎ起きる可能性になるかも知れない。

 子獅子たちも今日は我慢できたが、またぞろ思い出して、食べたいと騒ぎ出しかねず、逸信は兄弟の願いを簡単に切り捨てられるほど、冷淡ではない。

 陸晶を監視役に定め、特定の理由以外で口にしたものに制裁を食らわすと定めた加賀見の判断は実に適切だ。



 取り上げたガラス瓶の中で琥珀色の飴がカラカラと音を立てた。

 もう一つ食べたい誘惑を振り切ってリュックに仕舞い、しっかりと口を締める。

 特別と言われるだけあって、味も効き目も最高だった。

 特にあの上品な口溶けはどう表現すればいいのか。単なる甘味としても、並ぶものを思いつかないほど素晴らしかった。

 また、あっという間に不調を吹き飛ばした効き目を考えても、本来寝不足程度で口にするようなものではないのだろう。

 知らなかったとはいえ、勿体無いことをしてしまったかもしれない。

 再び、このような事態を起こさないよう、気を引き締める。

 そもそも、うちの神社には神職は自分しかおらず、替えがきかないのだ。子獅子たちに言われずとも、体調管理はしっかりとしなければならない。


 何より、あれ程悲しげな視線を一身に受けながら、薬を飲むのは二度と御免だ。

 Never again。もう、二度と。

 全く頭痛以上に酷いプレッシャーであった。

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