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郵便屋。

 その魔物は黒い髪に黄色い肌、小柄な体格、冬の空のように蒼い瞳をした二十歳前後の人の男の姿を模す。

 只人にしか見えず、覇気すら碌に感じさせないが、一度技を振るえば千里を瞬く間に飛び、天眼持って数多の事象を見通し、真偽違わぬ幻術を持って神をも惑わす。

 傲慢にして気紛れで、果報を齎すこともあれば、災禍も呼び込む。

 感情のまま悪鬼羅刹も慄くほど残忍に老若男女問わず引き裂き、己で利を得ようとするものは、情け容赦無く生きたまま地獄に落とし、万人の生死を狂わせると言う。

 山と積まれた金銀財宝にも、傾国の美女にも然程興味を持たない反面、屑石に気を取られ、獣となりて人に仕えもするとされる。

 幼き者に興味を示し、国一つ滅ぼすことも厭わず守ろうとするが、寄せれば牙を向き、煩がって立ち去る。

 この魔物に関わってはならず、頼んではならず、怒らせてはならない。

 何処より現れたとも知れぬ、青い目をした混沌の黒い犬。

 其の名の一つを加賀見と言い、うちの神社を保育所代わりに使う郵便屋のことである。



 人ほどに賢い霊獣は子守に最適と時折幼い娘を連れてきて、うちの獅子達に押し付け、己は茶飲み話に耽けるいい加減でマイペースな伝令屋であるが、その仕事の腕は随一であり、割と博学多才で話し相手としても悪くない。

 最近は遊びに来る回数も増え、うっかり安易に触れてはならない魔物であることすら忘れてまうほど、慣れ親しんでしまっていた。

 しかし、この辺りで最も大きな都、水都を中心に関東近域を治める龍族が、その動向を終始気にかけるような化物であることを久しぶりに思い出した。

 なんてことはない。水都の長、前御台所こと竜堂家のご隠居様直々に手紙が来たのだ。

 あれが当社をそんなに気に入っているのならと、依頼の手紙が来たのだ。


 依頼内容は3段階に分かれており、不備なく可能な範囲で段階をあげ、対応してほしいとあった。

 尤も、神社に対する依頼らしいのは3つ目だけで、他の2つは業務にあまり関係なく、彼奴は気まぐれで何時来るのかわからない。

 従って、丁度フラフラやってきたのをこれ幸いとひっ捕まえ、前半をすっ飛ばし、最終項目をまず片付けようとしたのは自然な流れであったが、非常に悔いの残る結果となり、今に至る。



 一先ず、気にしないことにして、夕飯を用意することにした。

 台所には入ってくるなと言いつけているので、子獅子たちは客間兼事務所部分でコロコロ転がっている。


『そう言えば加賀見の兄ちゃんは、何が好きかねえ?』

『カリカリはボクらにくれるばっかりで、好きじゃないんだよね。美味しいのに。』


 プロレスごっこをしながら幼い子獅子の豊一(とよいち)燦馳(さんじ)がみゃうみゃう鳴き、巳壱(みいち)がそっと台所を覗いてくる。


『……じいちゃん、お魚は?』

「さて、何にするかなー」


 子獅子が小さな声で鳴いていたようだが、聞こえなかったことにした。

 今晩はカレーにすることにして仕込みを済ませ、布団を叩きに行く。



 バシバシ布団を叩く横で、干したタオルが風に揺れる。

 駄目だと言いつけてはいるが、眼の前でパタパタやられるとどうしても気になるらしい。


『えいっ! えいっ! 届かないなあ!』

『テンちゃんのほうがミミ兄より、高く飛べるよ!』

「こら、いたずらするな。」


 瑞宮(みずみや)天祥(てんしょう)がタオルを捕まえようと飛び跳ねるのを叱る。

 二匹を見ながら、陸晶(りくしょう)がのんびりと尻尾を揺らす。


『そんなやり方じゃあ、タオルは捕まえられないよ。』

『じゃあ、リク兄、やって見せてよ!』


 小馬鹿にするように言われ、天祥が怒って吠えた。

 だが、陸晶はそんな挑発に乗るような子ではない。のんびりと体を伸ばし、くああと欠伸した。


『まあ、みてな。』


 返した台詞がおかしいと振り返った瞬間、猛然と陸晶がタオルに向かって走り出した。ザザッと音を立てて砂利を蹴り上げ、軽やかにジャンプする。

 見事、陸晶は干したタオルに前足を叩きつけ、そのまま爪を引っ掛けてぶら下がった。

 バチンと洗濯ばさみが外れ、子獅子ごとタオルが落ちる。物干し竿代わりの紐が引っ張られ、他のタオルもバサバサと大きく揺れる。


「こら、いたずらするなってば。」

『逃げろーっ!』


 怒鳴ったわけではないのだが、瑞宮の号令に合わせて大袈裟に子獅子達が走り去っていく。

 全く、仕方のない奴らだ。



 洗濯が終わったら境内を掃除する。風で木陰がサワサワと揺れ、気持ちが良い。

 乱した地脈を獅子達総出で直したせいか、何時もより調子が良いようだ。気持ちの良い霊気が元気よく境内を巡っているのを感じる。

 いつの間にか逸信(いつしん)が側に来てみゃうっと鳴いた。


『じいちゃん、お手伝いすること有る?』

「ないよ、ありがとうな。」


 頭を撫でてやれば口の周りをぺろりと舐めて、心配そうに俯く。


『……ねえ、じいちゃん。加賀見の兄ちゃん、また来るよね?』


 もう一度、頭を撫でてやり、深く首肯する。


「当たり前だろ。」

『……約束、したもんね。また、来るよね。』


 不安げに何度も尻尾を左右に振る子獅子にかけてやる言葉を探すも、思いつく前に八幡(はちまん)璃宮(りきゅう)が駆けてきた。

 勢いのまま体当たりを食らわそうとしてくる兄獅子を、逸信は大慌てで跳ね避ける。


『危ないなあ、やめてよ!』

『ぼーっとしてるのが悪いんだろ!』


 大人しい逸信が珍しく怒るのに、八幡は悪びれもせずブンと尻尾を振り、前足で地面を掻いた。


『それより、走り込みしようぜ! 一番速いのはオレだけどな!』

『行こうよ、イッちゃん。広場まで競争しようよ。』


 璃宮も一緒になって弟を誘う。


『加賀見の兄ちゃんはすばしっこいから、走り回る練習しておかないと、次に来た時も逃げられちゃうよ。』


 捕まえて、叩いてやるのだと意気込む兄獅子に誘われて、子獅子はその気になったらしい。

 垂らした尻尾をピンと立てて、がうと吠えて頷いた。


『うん、ボク、兄ちゃん捕まえる! そんで、叩く!』

『そうだよ。兄ちゃんは、本当に仕方がないんだから!』

『全くだよ。ボクらのことを弱っちいと思ってるんだから!』


 必要とあれば、ガジガジ齧ってやろう。三匹揃って乱暴なことを口にしながらガウガウ吠え立てる。


『じゃあ、じいちゃん、ボク、行ってくる!

 お手伝いが必要なときは呼んでね!』

「ああ、頑張ってこい。」


 逸信はふんと鼻息荒く胸を張ってから、兄獅子たちと一緒に参道の方に向かって駆けていった。


 子獅子達がどことなく落ち着きないのは、やはり先の騒ぎのせいだろう。

 要因となった郵便屋を思い出し、ため息をつく。

 水都からの手紙にあった依頼、「加賀見の内に溜まった瘴気を祓って欲しい。」に従い、触れた魔物の内側は魔境も斯くやと思えるほどに淀み、歪んで、凝り固まっていた。



 大地に地脈という霊気の流れが有るように、生き物の体にも流れが有り、滞れば害を及ぼすことも変わらない。

 心因的なものにしろ、外因的なものにしろ、異常を発する原因を正さねば根本的な解決にはならないが、神術で歪みを修正することも可能ではある。

 加賀見は永く生き、各地を渡り歩く存在だけに、それなりの苦労をしているであろうことは想像に難くなく、流れの滞りがあってもおかしくはない。

 故に軽い整形術を施す程度の気持ちで対応したのが、そもそもの間違いであった。

 考えてみれば、その程度の仕事をわざわざ水都のご隠居様直々に頼んでくるはずがなかった。また、触れてはならぬ魔物が抱えているものを甘く見ていたとも言える。

 反面、加賀見は心得たもので、思わず手を離し、固まった自分に眇めをやって、冷静に「なんだよ。余計なことしなくていいって。」等と平然と返してきさえした。


「どうせ、竜堂の婆さんに頼み事でもされたんだろう。

 婆さんがお節介なのは承知してるが、じいさんまで巻き込むたあ、いただけねえな。」


 珍しく本気で不快に感じたようで、鼻に皺を寄せ、舌打ちした奴の眼は座っていたが、直ぐに何時もの飄々とした口調に戻った。


「まあ、バレちまったもんは仕方ないな。」


 そして片手をひらひらと振って笑う。


「けど、どうってこともねえから、気にするな。」

「そんな筈、無いだろう!」


 どうでも良いことであるかのように言うので、つい、此方も怒鳴ってしまった。

 瘴気は病を呼び、物を腐敗させる。それが自らの内から湧き出しているとくれば、即死にこそ繋がらずとも、相応の苦痛を齎すであろう。

 そもそも、体を流れる霊気が瘴気に変わるような要因を抱えた時点で気が触れたり、種族に寄っては化物に変貌してもおかしくない。あれで何故、奴は正気を保っていられるのか。



 いや、そう言えば彼奴、既に魔物か。

 つまり、昔からああなのか?

 無駄に器用なくせに何故、改善しない。阿呆なのか?

 その気になって触れるまで、悟らせなかったのは流石だけども。



 少なくとも、良い状況ではないから改善の依頼があったわけであり、ここ数ヶ月ずっと睡眠不足で、具合が悪そうだった理由もわかった気がした。

 純粋に自分が見ていられなかったので、「ここまで迷惑掛けるとか、流石に格好悪い。」と文句を言うのに術を施した。

 割合大人しく施術を受けたのは、やはり弱っていたからか、それとも、このままにしておけぬと騒ぐ此方に気を使ったのか。

 ただ、身体に流し込んだ破魔の神術を横から調整されたのは屈辱であった。加減されなければ、払い損ねた可能性があったのが余計に悔しい。油断せず前もって準備していれば、もう少し行けたであろうか。

 そんな有様で全てを祓うことなど勿論出来ず、術の行使を早々に終了させられたのは他人行儀と憤るべきか、僅かなりとも弱さを見せてくれたとするべきか、悩むところだ。

 何より、親しいと感じていたはずの彼について、自分は何も知らないと痛感した。

 何故、こんな瘴気を抱え込むことになっているのか。聞けば教えてくれるのだろうか。それとも、誤魔化されるのだろうか。


 手紙で「出来るだけ内密に」とも言われていたので、同席させたのは口の硬い二前(にのまえ)だけであったのだが、神術の発動により、境内の雰囲気が変わったことに気がついたらしく、いつの間にか獅子達全員が集まっていた。

 無言で毛を逆立てる彼らの前で、ダラダラと加賀見の右目から流れ落ちた瘴気は溶岩のように黒く重かった。濁った瘴気は魍魎となって蛇のように境内を這い、嘲るように漣立つ様は醜悪で、勇猛な獅子が吠えることを忘れるほどであった。

 大人でさえ慄く様な化物を前にして、子獅子はどれだけ恐ろしかったであろうか。

 それでも一匹たりとも逃げ出すこと無く果敢に立ち向かったのは、邪鬼怨霊と戦う咲零の獅子であるという自負だけでなく、気まぐれに遊びに来る飄々とした郵便屋に向ける思い故であり、加賀見はもう少し、その辺りを踏まえてくれてもいい。


 仲良しのお兄ちゃんを助けようと幼い子獅子まで必死になって、魍魎と化した瘴気と戦い、祓った効果は如何ほどのものか。

 けして見せない内側に抱えた憎悪と憤怒が、消えることはないのかもしれないが、僅かなりとも減らすことはできたのであろうか。

 術を施した感覚では大きな変化はなかったようであったけれども、多少は楽になっていれば良いのだが。

 終わっても特段態度を変えなかったので、余計に程度がわからない。

 好き勝手している様でいて、意外と一線は越えないのが却って煩わしい。眼を離した隙に素知らぬ顔で無理を溜め込むなら、辛いと愚図られた方が余程、分かりやすくて気が楽だ。不要な気遣いが心配を増やしている。

 自分に情を移すなと彼奴は言うのであろうが、無理な話だ。人はそんなに冷淡では居られない。

 加賀見こそ、それを身を持って知っているはずだと思うのだが。

 思えば水都のご隠居がこんな依頼をしてきたのも同じ理由であろう。手紙の内容を思い出す。


 一つ、「出来れば飯を食わせて欲しい。」

 二つ、「少しでも寝かせてやって欲しい。」

 三つ、「可能であれば抱えた瘴気を減らして欲しい。」


 何故に破魔の依頼と同レベルで食事と睡眠改善要請が来るのか。田舎の祖母に心配される出来の悪い孫か、彼奴は。



 風に吹かれて見上げた空は、加賀見の眼のように青かった。

 次は何時、来るのだろうか。何時も通り、ふらふらと気楽に来てくれればいいと思う。


 何も変えられないであろうからこそ、次に来たときには徹底的に瘴気を祓ってやると獅子達は意気込んでいる。

 多少手荒い対応になると思うが、そもそも大人として自分の体ぐらい、自分でちゃんと管理するべきなので、それなりに叩かれることは覚悟して欲しい。


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