寝てられない。
縁側に座って庭を眺める。
大きいのも小さいのも仲良く入り混じり、獅子達が境内で遊んでいるのが見える。
隣の子獅子がミャウと鳴いた。
『楽しそうだね。ねえ、イッちゃん。』
条件反射で子獅子の一匹、逸信の姿を探す。
恐らく、境内で遊んでいるのだろうが、近くには居ない。
何故、その名を呼んだのかと首を傾げれば、子獅子は可笑しそうに耳を動かした。
『やだなあ。自分の名前も忘れちゃったの、軼彦。』
それは流石に忘れ過ぎなんじゃないのと笑われて、漸く自分へ話しかけられていたことに気がつく。
振り返った先の子獅子は穏やかに尻尾を揺らしていた。
見知らぬ顔だ。だが、知っている顔だ。
この神社の子獅子を宮司の自分が知らないはずがない。この子のことも、名前も、ちゃんと知っているのだ。
それなのに思い出せない。自然と不安で顔が歪んだ。
そんな自分を困ったように見つめ、子獅子はみゃうと静かに鳴いた。
『良いんだよ。イッちゃんは忘れて良い。忘れるべきなんだ。』
ガオウ、ガオウと獅子達が吠える声が聞こえる。
ゆらゆらと尻尾を揺らす子獅子の姿がみるみるうちに大きくなり、立派な若獅子となった。
そっと頭を押し付けられて、長く立派な鬣に顔が埋まる。
『大丈夫だよ。僕が覚えているから。大丈夫、また会える。』
ぐるるると喉を鳴らす優しい響きにも覚えが有る。自分はこの獅子を知っている。
知っているのに。
強烈な焦燥感にかられ、必死で思い出そうとするも名前は出て来ず、手足は動かない。
消えていく獅子の体を捕まえようと藻掻く。
「ナ……」
必死で声を出したところで気がついた。これは夢だ。
薄目を開ければ、見慣れた社務所の壁が見えた。どうやら、つい、居眠りしてしまったらしい。
起きようと思うも、目は自然と閉じてしまう。頭は働くのだが、体が動かない。
これでは、夢の中と大して変わらないなとぼんやり思う。
しかし、あの獅子は誰だったのだろうか。立派な鬣だったが古参の獅子、二前でも陸奥でもなかった気がする。
考えようとするもどんどん夢の記憶は薄れ、何の夢を見ていたのかも分からなくなってきた。
自分はあの時、なんと言おうとしたのだったか。
ナ? ……三峰のナナちゃんは関係ないな。あの子は柴犬だしな。
此処で一度意識がプツリと切れた。そんなに長い時間は経ってないと思う。精々、1分か2分だろう。
縁側の方から、変わらずガオガオと獅子達が吠えているのが聞こえる。応えなければならないと思うが、どうしても体が動かない。眠い。
ほんの僅かに身じろぎするのが手一杯。
先程からずっと自分を呼んでいるようなので、何とか起きようと思うのだが。
『駄目だよ。やっぱりじいちゃん、起きないよ。』
ガルルルと鳴くこの声は恐らく翔士だろう。
『疲れてるんだよ。だって、神職はじいちゃん一人だけなんだもん。』
グルウと答えたのは、湊だ。
『でも、困ったなあ。どうしよう?』
『そんなに待たせられないよなぁ。』
護矢と仁護もいるらしい。如何にも困った調子でミュウミュウ言うのが子供っぽくて可笑しい。
恐らく近くに子獅子達が居ないのだろう。大体同い年ばかりで兄として振る舞う必要もなく、気を抜いているに違いない。
『やっぱり、今日は帰って貰うしかないんじゃないの?』
『そうだよ。元々、約束もないのに押しかけてきたんだから。』
少し面倒そうに仁護が言い、不機嫌に湊も唸る。
それに翔士がガルゥと反論した。
『でも、俺らが勝手に断って良いのかね?
あの人、多分、相当偉いひとだよ。なんか、あったんじゃないかな。』
『それに失礼かもね。じいちゃん、居ないわけじゃないんだもん。
寝てるから後にしろって、ちょっと言えないよ。』
護矢がみゃぐみゃぐ無礼を心配するが、湊は更に唸った。
『でも、じいちゃん、疲れてるんだよ。』
前足で地面を引っ掻いているのか、敷かれた砂利がジャリジャリ言う音も聞こえる。
『こんなに呼んでも起きないことなんか、ないだろ。
無理させたらいけないよ。』
『でも、どうしたのかな? 夏の間ならともかく、最近はそんなに忙しくないのに。』
『逆じゃないか? 忙しい時期が終わったから気が抜けて、無理した反動がどっと来たんじゃないの。』
不安げに護矢が高い声で鳴き、翔士が低くグルルルと唸っているようだ。
彼等を心配させてはいけない。起きようとはするのだが、どうしても体が動かない。
思いと裏腹に意識も途切れがちで、聞こえる音も大きくなったり小さくなったりする。
何故、こうも起きられないのか。獅子達の言う通り、疲れが溜まっていたのだろうか。
もう歳かなと、年齢のせいにして寂しく思う。まだまだ、現役のつもりなのだが。
そんな想いへ同意するかのように、誰かが吠えた。
『俺らとじいちゃんは違うんだ。じいちゃんは人間で、歳なんだよ。労らなくっちゃ。』
同じ原因に行き着いたのに、他から言われるとなんかムカつく。
意地でも起きようと身じろぎするが、体が言うことを聞かない。何故だ。
そうこうしている間にも悲鳴のような鳴き声がする。
『最近、物忘れも酷いよ。きっと、無理してるんだ。
このままにしておけば、もっと酷くなるに違いないよ。』
子獅子の様に不安げに鳴きあう声に眉をひそめる。
流石にそれは言い過ぎではなかろうか。まだ、ボケるような歳ではない。
しかし、声はますます心配そうに高く、悲しげになった。
『きっと、今まで以上に色々なことが分からなくなる。
俺らのことも、忘れちゃうよ。』
年寄り扱いされた腹立たしさより呆れが先に立った。大袈裟に騒いでいるのは誰だ。心配するにも程が有るだろう。
それなのに聞こえていた鳴き声がピタリと途切れる。
おい、なんで誰も否定しない。
『……イガ兄か、ニノ兄がいればなあ。』
不安から目をそらすように、誰かが唸る。
『筆頭獅子のイガ兄か、長兄のニノ兄の判断でお断りするなら、仕方がないって思ってくれるだろうに。』
『っていうか、兄ちゃんたちがいれば、代わりに話を聞いてくれるよ。』
『俺らじゃ、ちょっと力不足だもんな。』
なんで、兄ちゃんいないときに来るかねと、ぐるぐる溢すのは湊と護矢だろうか。
確かに成体の中でも若い二匹だが、それでも若獅子の癖に頼りない。その鬣は飾りかと、不満を感じたのは自分だけではないようだ。
『だらしないなあ。ニノ兄がいないと何も出来ないなんて!』
吠えたのは恐らく、仁護だろう。
『きっぱり、断ればいいだけじゃん。日が悪いから改めてくださいって。』
『じゃあ、ジンが行って断ってこいよ。』
吠えたのは良いが、即座に言葉だけでなく行動を求められて一旦、間が開いた。
少し、言い訳する様に仁護が反論する。
『……この場合、行くのはトシだろ。一応、この中で一番歳上なんだから。
年長者としてトシがちゃんと対応できれば済む話じゃん。』
尤もな指摘であるが、歳をとっていれば立派というわけでもなく、性格の差も有る。
指名を受けた翔士がニギャーと嫌そうに鳴く。
『えー 嫌だよ、俺。
そんな責任負いたくないし、代理で対応するにも聞き忘れとかしそうだもん。』
『いい加減だなぁ。』
『だから、天祥に舐められるんだよ。』
対応するしない以前に、その態度がどうなのか。
討伐中は触れるだけで切れそうな気迫を放つのに、境内では緩みっぱなしな翔士にガアーと護矢が呆れたように吠え、湊がガリガリ砂利を引っ掻く音が聞こえる。
頼りない兄弟にしびれを切らしたのか、仁護がガウと大きく吠えた。
『もう、いいよ! 俺が行って、断ってくる!』
『俺も行く。じいちゃんに無理させるくらいなら、後でニノ兄に怒られる方がマシだ。』
意を決したのか、湊まで同意するのを慌てた様子で翔士が止める。
『わかったから、ちょっと待てって。断るにしても、それなりの体裁整えないと。』
『じゃあ、どうするんだよ!』
何時までも客人を待たせられないとガアガア、ガウガウ揉め始めた。
これだけ騒がしいのに、どうして自分の体は動かないのか。意識ははっきりしているのだが、まぶたが開かない。
『よし、分かった! ワシが行く!』
どうするのかと頭だけで心配していれば、きりりと若獅子に相応しい咆哮を上げたのは護矢だった。
気合が入っている時の癖で、一人称も変わっている。
『ワシがイガ兄として、対応してくる!
筆頭として断れば、それなりの格好がつく!』
『そんなこと、出来るわけないだろー』
何だか、訳のわからないことを言い出すのに、翔士がギャウーと呆れた調子で鳴くが、護矢は重ねて吠えた。
『大丈夫! どうせ、向こうはイガ兄の顔なんかロクに知らないだろうから、一寸、変装すれば気が付かれない!』
『変装、ってどうやって?』
困惑した様に湊がぐるぐる唸って聞き、護矢がどんと地面を叩いた音がした。
『マジックを持て! マジックでぶっとい眉毛を顔に描くんだ!
さすれば、イガ兄そっくりになる! それで使者の人を誤魔化せる!』
誤魔化せるものか。
そんな雑な対応で何とかなるはずがなく、自分に任せろとの宣言に他の獅子達は不安も顕にギュルギュル鳴き出す。
『えー 大丈夫かなあ?』
『でも、それなら誤魔化せるかね?』
『イガ兄が断ったんなら、仕方ないってなるしね。』
何故、前向きに検討しているのか。
「そんなことしなくていいから、ちゃんと起こしなさい。」
あまりの粗さに目が覚めた。
ガバリと体を起こし、無茶をやらかそうとしている獅子達を止める。
『なんだよー じいちゃん、起きてるじゃんー』
安心したのか翔士が早速文句を言うが、そういう問題ではない。
今、行くことを客人に伝えろと言いつければ、獅子達は頷いて駆けていった。急いで顔を洗い、身だしなみを整えながら思う。
幾ら面識がない相手だからと言って、マジック一つで誤魔化そうとは浅はかにも程がある。
子獅子ならまだしも若獅子までこんな調子では、のんびりボケている暇はなさそうだ。




