可愛い。
大地から生まれ、流れる霊気には強弱があり、強い力は良くも悪くも周囲に影響を与える。
清浄な霊気として場を清め、恩恵を与える場合は神域として大切に管理されるが、歪み淀んだ瘴気として、疫病や邪物を発生される場合は魔境として恐れられ、結界にて封じられる。
魔境はどういう訳か温かい時期に活性化する。無限と思えるほどに湧く瘴気や、自我なく他を害する魔物を放置すれば、結界を破壊し、周囲に害を及ぼすことは自明の理であり、大量に溜まった瘴気や魔物は神域をも蝕む。
ひいては神域を守る為に邪鬼を討伐し、瘴気を払うことも自分達、神社に属する者の仕事だ。
幸いにして当社、咲零神社で生まれる純白、若しくは青毛の獅子達は怨霊怪異の討伐に長けており、毎年、西に位置する大きな魔境の制圧に成功している。
魔物は春から秋に掛けて発生するが、特に夏の最中は忙しい。連日、獅子たちと日が暮れる前には車に乗って、邪鬼を閉じ込めた狩場に向かい、夜遅くまで戦う。神社に居る間も起きてから出発まで、実技訓練を含めた打ち合わせが行われ、大人たちは休む暇もない。
その間、構ってやれないことは勿論、魑魅魍魎が荒れ狂う戦場に連れていけるはずもなく、子獅子達は揃って留守番させることになる。
当然、子獅子達にとって面白いことではないが、討伐の重要性や自分達では足を引っ張るばかりであることは、彼等も重々承知しており、村の役所から来てくれる係の人と大人しく留守番に務める。
どうしても憂さ晴らしによるいたずらの頻度は増えるが、その位は如何仕方ないだろう。
また、各自留守を任される責任や、討伐に参加できない自分の力量などを自覚し、今まで以上に身体向上のトレーニングに務めるため、成長著しい時期でもある。留守をお願いする役員の元町さんと星宮さんが書いてくれる報告書代わりの日記にも、各自努力している旨が記載されている。
瑞宮が熱心に走り込みをしていただの、陸晶がボールを一つも取りこぼさなかっただの、逸信が荷物を運ぶのを手伝ってくれただの、一つ一つ丁寧に記載された日記を読むのは、忙しい一日の終わりのちょっとした息抜きになっている。
燦馳や無比刀など、幼い子達も頑張っているようだ。豊一などは座学や術の訓練にも努めているようで、先日、小さな火種を作ることに成功したらしい。
霊気を発火させて炎球とし、敵に叩き込むのは獅子達の得意技であり、豊一のように蒼い毛並の獅子は霊気の扱いに長けることが多いが、あの年で成功させるとは大したものだ。
気がつけば言葉の代わりの思念波も大分落ち着き、子供っぽい辿々しさが抜けてきた。天祥は年上の兄獅子に引っ付いているせいか、元々しっかり喋っていたが、今や巳壱など他の子も遜色なく、思念波を扱うようになっている。
忙しさにかまけ、細かく見てやれない間にも子供はどんどん成長しているのだ。
そして、それは他所の子も同じことだった。
多数の邪鬼を討伐して得た久方ぶりの休日に、蒼い目の郵便屋、加賀見が幼い娘を連れてきた。
未だ身長1m足らず。動物耳の付いたピンクのベビーハットがよく似合う小さな人は、歩けるようになったのがご自慢らしくご機嫌で、ニコニコと満面の笑みを浮かべ、紅葉のような手を振る。
「じいじー むっちゃー きいたんが、きたよー」
何あれ。超可愛いんですけど。
郵便屋の小さな愛娘、きいちゃんは、いつの間にやら大分言葉が喋れるようになったようだ。
如何にも幼い子供らしい甲高い声に、赤ん坊から脱しきれていない真ん丸のほっぺ。ふっくらした腕やお腹。
典型的な可愛いおちびちゃんは、小脇に大事なぬいぐるみをしっかり抱え、反対の手で父親と手を繋ぎ、辿々しい足取りで一生懸命やってくる。
あまりの可愛らしさに年甲斐もなく、若者言葉になってしまった。
夏の暑さと連日の疲れでぼんやりしていた獅子達も、一気に色めき立つ。只、わっと群がれば驚かせてしまうに違いないので、距離とタイミングを見計らろうと腰を据え、首を伸ばして様子を伺い始めた。
「じいじー」
父親の手を放して、小さい人がちょみちょみと駆けてくる。
何の疑問もなく両手を伸ばして抱っこして貰おうするのに、幼児特有の人見知りは何処へと言う疑念と、以前、同じようなことがあった様なデジャブを同時に感じたが、即座に消え失せる。
そんな事、どうでも良い。兎に角、可愛いくて抱っこしたいから、どうでも良い。
「おう、きいちゃん、よくきたな。」
「フシシシシ! フシシシシ!」
抱き上げれば変わった笑い声を立てて、頭にしがみついてくる。
耐えきれず、子獅子が数匹駆け寄ってきた。好奇心を押さえきれずに自分の足に前足を掛けたり、後ろ足で立ち上がって、きいちゃんの顔を覗き込もうとする。
『きいちゃん、いらっしゃい!』
『きいたん、よく来たねえ!』
『あれ? ルー兄や、ティー兄は?』
途中で陸晶が周りをキョロキョロと見渡す。お守りの動くぬいぐるみは今日、来ていないのだろうか。
のったりと歩み寄ってくる加賀見が連れていないのも確認し、子獅子はきいちゃんの抱えたぬいぐるみに目をやって、眉をひそめた。
『きいちゃん、それ、ルー兄?』
小さい人が抱えた犬のぬいぐるみは何時もと同じ、太古の魔狼たちの器であるようだったが、くったりとして、動く気配がない。
加賀見がどうでも良さそうに回答する。
「生憎ですが、本日中身は入っておりません。」
『なんでさー!』
『なんで、ルー兄、来てないの!』
途端に子獅子たちから苦情の声が上がるが、片手で振り払われる。
「あいつらにも、色々事情が有るんだよ。
長い間、器の中には居られないとか、忙しいとか、面倒いとか。」
言いながら加賀見は眠そうにあくびをした。最近、顔を出していなかったことを考えても、こっちはこっちで忙しかったようだ。
わらわら足元に群がる子獅子を見て、きいちゃんは言う。
「じいじ、きいたん、にゃんこナデナデするよ。
きいたん、じょうずに、ナデナデできるように、なったんだよ。」
「そうか。でも、猫じゃなくて獅子な。」
小さい人の要望を一部訂正して降ろしてやれば、早速、瑞宮達が一歩手前に集まった。ずらりと並ぶ子獅子達を、きいちゃんは一匹ずつ撫でて回る。
確かに上手になったようで、顔を避けて耳の後ろを中心に撫でている。目や鼻を触られるのが怖くて、近寄れなかった燦馳や豊一も、漸く仲良く出来て嬉しそうにミャウと鳴いた。
一通り、撫で終わるか終わらないか微妙な所で古参の獅子、二前がずいと前に出る。
『きいちゃん、いらっしゃい。大きくなったね。
それだけ大きくなったなら、背中に乗れるかな?
お馬さんやってあげるから、おいで。』
誘われて、きいちゃんはニコニコと頷いた。
「きいたん、おうまさん、のるよ。」
『よし、じゃあ鬣をしっかり掴むんだよ。』
小さい人が了承するや否や、二前は前足を折り、他の獅子達がお尻を鼻で押して登るのを手伝う。きいちゃんを上手に背に乗せて立ち上がった長兄の周りを囲うように、獅子達が落ちないように見張り、子獅子がみゃうみゃう言いながら、その周りを駆け回り始める。
ノシノシと去っていく、獅子達の集団に加賀見が首を傾げた。
「ニノにしては、随分強引に連れて行ったな。」
「多分、あれだろう。」
視線を横にずらせば、もう一匹の古参の獅子、陸奥が去っていく兄弟たちの群れを眺めている。取り残されたように佇む大柄な獅子を眺め、蒼い目の郵便屋は納得して頷いた。
「ああ、陸奥にとられないようにか。」
陸奥はきいちゃんが大好きで、遊びに来る度、独り占めするようにくっついていた。きいちゃんが幼く、昼寝ぐらいしか一緒に出来ることがないのもあって、他の獅子達はそれを黙認していたが、本当は自分達だって遊びたかったらしい。
小さい人が仲良しの獅子を思い出す前に、掻っ攫って行ってしまった。
独り占めは確かに良くないが、陸奥はさぞかしがっかりしているに違いない。恥ずかしがり屋なので強く主張することはなくとも、きいちゃんが来るのを何時も楽しみにしているのだ。
少し心配になり、声をかける。
「陸奥、」
なんと言おうか悩んでいたのだが、無言で振り返った大柄な獅子を見て、心配が不要であることがわかった。落ち込むどころか耳をピンと立て、堂々と胸を張っている。
『なんですか、おじいさん?』
「……いや、何でもない。」
『そうですか。』
首を横に振れば陸奥は頷き、再び小さい人と兄弟獅子の群れに視線を戻した。
霊獣は思念波を使わず、耳の動かし方や視線など仕草で会話することもあるが、それを読み取る技術がなくとも彼が言いたいことは察しがついた。
『どやぁ、うちの娘、可愛いやろ!』だ。
可愛い可愛い小さな人が、獅子達の関心を一身に集めているのが誇らしいらしい。嬉しげに尻尾をピシリ、ピシリと左右に大きく振り回している。
ふと、気がつけば陸奥の足元で小さな巳壱が同じように胸を張り、仁王立ちしていた。こっちはあれだ。
『どやぁ、うちの妹、かわいいやろ!』だ。
今までの傾向からすれば、他の兄弟に追いやられながらも、きいちゃんに必死で纏わりつこうとしたであろう所、落ち着いて見ていられるようになったのは成長であろうか。
フンス、フンスと鼻息荒く、ヒゲをピクピクさせている。
胸を大きく膨らまし、得意満面で小さい人達を眺める二匹を眺め、加賀見が死んだ魚のように虚ろな目を此方に向けてきた。
「なあ、あれはうちの娘であって、お前らの娘でもなければ妹でもないって、言ってもいいか?」
「いいじゃないか。気分ぐらい味合わせてくれても。」
それを言うなら、きいちゃんはうちの孫でもなんでもないが、そんな気分で待っていても許されると思う。




