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流れる。(後半)

「そういう、山口さんはどうなんだ?」

「そりゃあ勿論、と言いたいところですが、私も歳ですから、躊躇してしまいますね。」


 空を飛んでみたくはないかと問われて、苦笑する。そんな機会があれば是非とは思うが、万一、背から落ちた場合の懸念や、純粋に高い所へ上る恐怖に足がすくんでしまう。乗るか止めるか、実に悩ましい二択になることは間違いない。


「飛ぶ高さにもよりますかね。」

「人を乗せる場合は風避けの結界が欲しいよな。

 乗る方もそれなりの防御服とか、眼鏡とかがいるだろうし。」


 前向きに検討しているうちに、勇殿が不思議そうに首を傾げた。


「人を乗せて飛ぶなんて珍しい発想じゃねえし、考えればどっかでやっている奴らがいそうだが、聞いたことがねえなぁ。」

「必要性がないからじゃないでしょうか。

 飛行が必要なら、もっと優れた種族がいくらでもいますし、ただ移動するだけなら電車があります。

 空を飛ばねばならないほど緊急性のある事例も、人物もいないでしょう。」


 敷かれた線路は少ないが、路線は主要都市を抑えている。

 重要な人物であれば有るだけ綿密なスケジュールが組まれ、安全性が高く確実なルートで移動するはずだ。


 人を背に乗せるのであれば、ある程度の大きさと力が必要と思われ、可能な種族も限られてくる。それこそ、龍や鳳凰など高位の存在でなければ難しかろうが、付き合う者がどれだけいるだろう。

 人前で力をひけらかすような真似は各種族が慎む傾向もある。遊戯として、今のような身内同士の世間話の延長で、試してみることがあるかもしれないが、事業などの公の移動方法に発展すると思えない。

 腕を組み、ふむと唸った勇殿は、引き続き単なる話のネタとして、別案を出した。



「背に乗せて飛ぶとか大掛かりでなくとも、数mなら、それこそどうにでもなるんだけどな。」

「ほう。どうとでも、なりますか。」

「おう。

 要は飛ぶためには乗る風や雲を維持しなきゃいけないわけだが、そのくらいの距離なら隣で制御できるからな。

 おい、ミミ太。ちょっと起きろ。」


 話しながら龍族の御三男殿は膝の上の子獅子を揺すった。

 いい気持ちで寝ていた瑞宮(みずみや)は寝ぼけた様子でにゃごなご藻掻き、顔をこすって仲良しのおじさんを見上げる。


『あれ、勇のおじちゃん、もう帰るの?』

「ん、確かにそろそろ時間だけど、そうじゃなくてな。

 ミミ太、お前、空を飛んでみたくないか?」

『えっ!』


 一気に眠気が覚めたのだろう。子獅子は目を丸くして飛び起きた。


『おじちゃん、飛ばしてくれんの!?』

「おう、やる気は十分みたいだな。

 よし、ちょっと其処で待ってろ。」


 ピンと尻尾を立てて瑞宮が興味を示したのに、勇殿は頷いて胸元のボタンを外す。首から下げた1cm程度の金色の宝玉を引っ張り出すのに、瑞宮が舌なめずりする。


『おじちゃん、その丸いの、美味しそうだね!』

「食べたら駄目だぞ、これは!

 これがないと魔法制御できなくて、お兄ちゃん、かなり色々困るんだからな!」


 獲物を狙う目付きになる子獅子に、龍族の王子は宝玉を掴んで半歩以上身を引いた。

 瑞宮は見るからに意気消沈する。


『おじちゃん、ボク、人のもの、食べにゃいよ。』


 否定はしたが、本人も若干自信がなかったものと見える。後半が弱々しい。

 胸元で光る金色の宝玉は、龍族が一人一つずつ持つという宝珠であろう。龍は己の力を宝珠に移すことによって、術の行使を簡易化していると聞く。

 高位の龍の力を大量に流し込まれた宝珠は、霊気を糧とする霊獣の瑞宮から見れば、とてつもないご馳走だろうが、術の基点をなくした勇様が受けるダメージは計り知れない。


「そうか。疑って御免な。

 でも、これは本当に駄目だからな。」


 ガシガシと子獅子の頭を撫でつつも、勇殿は座り直して少し、瑞宮から距離を置いた。

 そのまま、早く子獅子の興味を逸らすべく、急いで術の行使に入る。パンと打ち鳴らすように両手を併せ、龍族の王子は静かな声で詠唱を始めた。術式の発動に合わせ、周囲の空気が替わっていく。


 普段、見慣れた人懐っこさが消えた、引き締まった横顔に自然と背筋が伸びる。子獅子にも緊張は伝わったらしく、瑞宮もきちんと前足を揃えて座り直した。

 自分達が見守る中、ゆっくりと両手が離れていき、白い雲がふんわりと生まれる。

 知らなければ綿の塊と思うであろう。広がること無く1mほどの大きさで、地面スレスレに浮かぶ雲は実に柔らかく気持ち良さそうだ。

 よし出来たと、満足げに勇殿が頷く。



「ほら、ミミ太。乗ってみ、乗ってみ。」

『おじちゃん、いいの?!』


 促され、浮足立った足取りで子獅子は雲に近づくと、いたずらでもするように、そっと前足を伸ばした。

 ゆっくりと抑えこむように進み、上手に乗り込む、が。


『おじちゃん、浮かない。』

「重いよ、お前。」

『失礼だね! そんな事ないよ!』


 地面に着地したままであることに首を傾げれば、眉尻を下げられ、子獅子はふんすと鼻息を荒くし、そっぽを向いた。

 うちの獅子は見た目より重い。身体を鍛えている瑞宮はより重い。

 仕方がねえなと勇殿が両の手のひらを雲に向け、力を込めれば、雲は今度こそふんわりと瑞宮ごと浮かんだ。

 子獅子は大喜びでキャッキャと跳ねる。


『飛んだ、飛んだ!』

「飛ぶと言うより、浮くだな。すぐ消えるから気をつけろ。」


 はしゃぐ子獅子に注意して、勇殿は此方を振り返った。


「大体、こんな感じだな。」

「おお、凄いですね。」


 素直に感心して拍手すれば、困ったように勇殿は頭を掻いた。


「まあ、大した技じゃねえんだけどな。

 俺は力技が多いから、こういう細かいのは政司のほうがもっと上手いんだ。」


 言ったそばから雲はゆっくりと消えてしまい、地面におりてきた瑞宮ががっかりしてみゃうと鳴く。


『おじちゃん、もっと出来ないの?』

「じゃあ、政司に頼みに行こうか。」


 そしてその後、帰ろう。

 部下を回収がてらに丁度いいと勇殿は座っていた縁側から立ち上がった。



『小日向のお兄ちゃん、やってくれるかな?』

「むしろ、お前の兄弟相手に今やってるんじゃないか。

 あ、ほら、見てみろ。」


 また、重いって言われたら嫌だな。そんなことを呟きながら子獅子は不安げに尻尾を揺らし、それを軽く笑い飛ばした龍族の王子は何かを見つけて指差した。

 彼が示した先には青い子獅子がシャボン玉の中に入ってふわふわと浮いている。


『あ、ムイちゃんだ!』

「本当だ。無比刀(むひと)だ。」


 中に入っているのが末っ子の子獅子であることを認め、タタッと瑞宮は駆けて行く。


『ムイちゃん、何してるの?』

『みみにいー じいちゃんー』


みゃうみゃうと鳴いて自分たちを呼ぶ無比刀に、手を振って返す。


「凄いな、無比刀! 小日向殿にやってもらったのか?」

『うん。てんちゃんがね、やってって、おねがいしたの。

 むいも、やってもらった。』

「そうか、良かったな。」

『うん。そうなんだけど。』


どうしてか、あまり嬉しそうではなく、子獅子は困ったように説明する。



『こひなたの、にいちゃんね、あんまりとおくにいっちゃ、だめだよって、いったんだけど。

 てんちゃんとか、はちにいとか、がまんできなくて、あっちこっち、いっちゃって。

 にいちゃん、こまってたよ。』

「しょうがないな、彼奴らは。」


 子獅子たちのことだ。

 術を掛けてくれた小日向殿の制止を聞かず、喜びのまま、周囲を駆け回っているのだろう。容易に想像できるだけに、自分もいって止めねばと思う。


『いいな、いいな。

 テンちゃんもムイちゃんも、いいな。

 ボクもやって欲しい!』


 話しながらもふわふわ流れ、自分の頭上を飛んでいく弟を追いかけて、瑞宮がぴょんぴょん跳ね回る。

 自分の入ったシャボン玉を叩こうと手を伸ばして飛び跳ねる兄獅子を見上げ、無比刀はミャーと力なく鳴いた。


『でもね、みんな、ちがうところに、いったから、にいちゃんのてから、はなれちゃって。

 せいぎょできなく、なっちゃったんだよ。』


 みゅふーと子獅子は一人前に溜息をつく。


『だから、むいも、ながされちゃって、ここまできたの。』


 小日向殿に迷惑を駆けるとは全く困った連中だ。

 しかし、なんだか話がおかしくないか。思えば無比刀のシャボン玉は、今や高過ぎる位置にないか。


「無比刀。

 もしかしてお前、そのシャボン玉を自分で動かせないのか?」

『そうなんだよ。

 このままだと、ながれてどっか、いっちゃうよ。

 じいちゃん、にいちゃん、たすけて。』


 ざわっと周囲の空気が一気に変わる。



『ムイちゃん! ムイちゃん、大丈夫!?』


 ギャオギャオ吠え、瑞宮は今まで以上に必死になって無比刀に向かって飛び上がるが、既に弟は全く手の届かない所を飛んでいる。およそ地上3m、もうすぐ4mに達するかも知れない。


『にいちゃんー じいちゃんー おじちゃんー

 はやく、たすけてー』


 みゃおーみゃおーと無比刀の鳴く声が周囲に響き、自分たちは慌てふためきながら出来ることを探す。


「山口さん! 網!

 虫取り網みたいなのはないか!?」

「流石にそれはないです!

 使うものがいませんから! バットか箒なら!」

「バット……いや、箒だ!

 それなら箒で突付いてシャボン玉を割って、落ちてくるムイを受け止めるんだ!」

「それ、受け損なったらどうしましょう!?

 あっ、無比刀! 待ってろ、今助けに行くから!」


 対策を練る間にも、青毛の子獅子はどんどん飛んでいく。

 参道の方からガオガオ騒ぐ子獅子の声と、小日向殿の叫ぶ声がした。


「勇様! 山口殿!

 そちらに無比刀が行ってませんか!?」

「来てる! こっち、来てる!」


 殆ど反射で上司が返せば、部下の青年はわずかに顔を緩めて叫んだ。


「良かった! シャボン玉は私が割りますから、勇様は受け止めてください!」

「わかった!」


 龍も人も子獅子も懸命に浮かぶシャボン玉を追いかける。

 なんとか追いついて小日向殿が棒手裏剣を打ってシャボン玉を割り、その真下に控えていた勇殿が上手くキャッチしてくれた。

 助け出せた末の子獅子に兄獅子達がわっと駆け寄る。



『ムイちゃん!』

『大丈夫だった、ムイちゃん!?』


 ギャウギャウ喚く兄獅子たちに無比刀は首を傾げてみゃうと鳴いた。


『むいは、だいじょうぶだよ。』


 その声を聞いて大きく息を吐き、小日向殿が片膝を折る。


「申し訳ございません。

 私の管理が甘かったばかりに、とんだご迷惑を……!」

「とんでもないです!

 うちの子獅子が言うことを聞かずに、勝手なことをしたんでしょう!」


 一生の不覚と頭を下げる龍族の青年に、此方が焦り、子獅子たちも大慌てで駆け寄る。


『そうだよ、兄ちゃん、悪くないよ!』

『ボクらが悪かったんです。勝手に動いてごめんなさい。』


 あっちでもこっちでもみゃうみゃう鳴く大騒ぎを勇殿が片手で押さえた。


「まあ、吃驚したが、何もなくてよかったじゃないか。

 しかし、こいつは俺らも加賀見を笑えねえな。」


 不測の事態は何処でも、どの様にでも起きる。失敗しない者などおらず、取り返しのつかない自体になったのならばまだしも、起こったことを幾ら責めても何も変わらない。反省して次に繋げるしかないのだ。

 いい勉強になったじゃないかと豪快に笑う、その声を聞いて皆、改めて一安心し、顔を見合わせる。



「ほら、ムイ。じいちゃんところに行け。」


 助けた子獅子を勇殿が手渡してくるのを受け取れば、何時もと同じ、落ち着いた様子で無比刀はにゃあと鳴いた。


『たいへんだったね、じいちゃん。』


 他人事のような物言いに、返ってどっと疲れる。


「無比刀、助けを呼ぶ時はもう一寸、一生懸命呼んでくれよ。」


 そうのんびりしては緊急事態だとわからない。

 もう少し焦ってくれと言えば、子獅子は不本意げにみゃうと鳴いた。


『むい、じゅうぶん、あわててたよ。』


 しかし、幾ら腕の中の子獅子を眺めても、とてもそうとは思えない。

 クアアと欠伸までしているではないか。

 この落ち着きは、本当にどこから来るのか。いくら考えても、やっぱりわからない。


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