なりたい。
大地から溢れる霊気には流れがあって、良い影響を与えれば神域、邪鬼や怨霊を産むようなところは魔境と呼ばれる。
神域には霊力を糧とする霊獣が住み着く。
彼らと協力して神域を護る神職として、自分が所属するのは咲零神社。純白若しくは空色の獅子達と、ここ一帯を守っている。
神社によって置かれる施設や配置は様々だが、うちの神社には拝殿の奥に御神体がある本殿が有る。拝殿はとても小さく、参拝客向けに形ばかり作ってあるだけだが、本殿は結構大きい。祀られた御神体のためだけでなく、獅子たちの生活の場になっているからだ。
御神体の置いてある洞窟を隠す様に作られた本殿の中は、いくつかの用途に分けられて作られている。なるべく霊気の強い場所で管理したほうが良いもの、邪霊討伐の遠征に行く時に使う備品をしまう倉庫に、獅子たちの風呂場や休憩所、玉垣に囲われているので外からは見えないが、小さいけれど庭も有る。
だが、その殆どが獅子たちのための小さな個室になっていて、其々割り当てられた自分の部屋で寝起きしている。
まだ鬣の生えていない子獅子が集団で使う部屋も有る。もっと幼い子は体力や抵抗力の弱さなどから社務所に連れて行くが、ある程度大きくなった子獅子は大人の獅子と暮らし、本殿での生活を覚える。獅子たちが行う訓練の中には座学もあって、時折、空いている個室で子獅子が兄獅子を囲んで勉強している姿も見受けられる。
今日も何時も通り、拝殿前を掃除していたら大音量で争う声が聞こえた。慌てて見に行けば、兄獅子が怒って吠える声と、子獅子が泣きわめく声で偉い騒ぎになっており、他の獅子達が困惑した顔で部屋の入り口に集まっていた。
みれば泣いているのは子獅子の天祥、怒っている兄獅子は湊であった。
当社一番の甘えん坊で、我が儘聞かん坊の天祥は、すぐ上の兄、瑞宮の次に湊が好きだ。外出した際、溺れたのを助けて貰ってから、瑞宮と遊んでいない時は大概、湊にくっついている。時折、邪魔だと追いやられることも有るが、別段気にしていないようで、懲りずに遊んでくれと甘え、尻尾にじゃれ付いては煩がられている。
反面、湊には天祥の存在が結構なプレッシャーになっていた。一緒にいる弟に何かあってはいけないし、弟の面倒を見られるほどの余裕はまだないしで、大分ストレスが溜まっているようだった。
所詮遊びの域を出ない子獅子と訓練と違い、大人の獅子が行うのはほぼ実戦。パトロールという名のランニング一つとっても山道を走り続ける過酷なものであり、ボールを使った模擬戦で気を抜けば怪我をする。
まだ鬣が生えたばかりで歳の若い湊には、体力的には耐えられても精神的に堪えるようで、何時も疲れ切った様子で戻ってくる。神社に戻るとすぐに飛びかかってくる天祥の相手をする余力は、傍から見てもないように思えた。
ただ、余裕がないのと、やらなくて良いことは違う。此処を乗り越えれば湊にとっても大きな経験となり、後々、辛いときでも余裕を持って周囲を見られるようになるだろうと様子を見ていたのだが、引き離すタイミングを間違ってしまったようだ。
『もう、お前、いい加減にしろよ!』
『嫌だ! テンちゃんは、ミナト兄ちゃんと一緒がいい!』
『そういうことじゃないだろ!』
手は出さないものの、牙をむき出して吠える湊の前で、天祥がみゃあみゃあ泣いている。
天祥はまだ社務所で寝ている歳だが、本殿には自由に出入りできる。寝床のダンボールを抜け出して、湊の部屋へ遊びに行ったのだろう。
普段であれば、長兄の二前が仲裁に入るところだが、今日は自分の到着のほうが早かった。他の獅子達と同じ様に困惑した様子の二前が、後ろからそっと頭を押し付けてくる。
どうしたものかを問いてくるのを、鬣を撫で、任せろと頷く。
「どうした、湊、天祥。」
『じいちゃん!』
声をかければ天祥が泣きながら駆けてきて、自分の足に飛びついた。
『兄ちゃんが、兄ちゃんが、テンちゃんと一緒は、ヤダっていうんだよ!』
『また、そうやってじいちゃんに泣きつく!』
泣いてすがる子獅子を抱き上げれば、不快も顕に湊が牙を剥いて唸る。苛立ちを隠そうとしない若獅子と対峙するのは、正直恐ろしいが、其処で竦んでは宮司は務まらない。
静かに、怯まず、名前を呼ぶ。
「湊。」
牙を剥き、吠え立てて、小さな弟を脅かすことは正しいか。
口には出さず、視線で問う。
真っ直ぐに見つめれば、湊はぐっと息を呑み込み、たたらを踏むように数歩後ろへ下がった。
『でも、じいちゃん……』
悔しさをにじませ、視線を床に這わせる湊に頷いてやる。この若獅子は真面目で努力家だ。ただ、纏わりつく弟が鬱陶しいからといって、暴力で追い払おうとするはずがない。
それだけ、追い詰められ、苦しんでいるのだろう。
『だってさあ、だけどさあ、』
歯を食いしばり、うつむきながら何度も首を左右に動かす、湊を撫でてやりたいと思う。
だが今、自分の腕の中には泣きじゃくる天祥がおり、何より若獅子が自ら納得しなければ、問題は解決しないであろう。
勿論、子獅子にも言って聞かせねばならないが、なんにしろ、天祥は当社きっての甘えん坊。そして、粘り強く、自分の目的に忠実だ。
大好きな兄ちゃんと遊ぶのを諦めさせるのは大層難しかろうし、本人の認識と湊の認識にどれだけ差があるかも疑問である。
仮に少し距離を置くことを理解させても、天祥の「一寸だからいいよね。」は湊にとって全然一寸じゃない可能性が非常に高く、「遊んでくれるまで待ってる。」の待ってるが長すぎて重圧となり、返って辛い状況に追い込まれるのが安易に予想できる。
全く、この子獅子には手を焼かされる。
腕の中で、頭をこすりつけて、みゃぐみゃぐと必死になって鳴く天祥に、眉尻が下がる。
困ったことに天祥が湊につきまとうのは、ただ、純粋に兄獅子が好きだからなのだ。一生懸命、大好きを態度で示しているだけなのに、疎まれるのは可哀想だ。
構ってほしいにしても、もう少しやり方が有るだろうとは大人の言い分であって、まだ天祥には、そこまでの知恵や配慮は働かない。同い年の中では、いくら成長が早いと言っても、幼い子獅子に変わりはない。
何度も頭を撫でてやるうちに、天祥もだんだん落ち着いてしがみついては来なくなったが、兄獅子に拒否され、傷ついたことは変わりないのだろう。何度も鼻を啜り上げ、小さな声でみゃうみゃうと泣き続けている。
弟が弱々しく鳴くのに、流石にやりすぎたと思っているのか、まだ許せないものが有るのか、湊は腰を降ろし、俯いたまま、此方を見ようとしない。
「それで、結局、何があったんだ?」
詳細を聞いてどうにかなるものではないかも知れないが、話せばわかることも有るかも知れない。
問えば子獅子はみゃうっと高い声で鳴いた。
『テンちゃん、ミナト兄ちゃんと一緒がいいって言ったんだよ。
そしたら、兄ちゃんが、嫌だって言ったんだよ。』
「そうなのか。」
『でも、テンちゃん、ミナト兄ちゃんが、いいんだよ。
ミナト兄ちゃんみたいに、なりたいんだよ。
兄ちゃんみたいな、立派な獅子に、なりたいんだよ。』
大きくなったら、湊のようになりたい。
先日も天祥はそんなことを言っていた。
子獅子に目標とされるのはむしろ、誇っても良いはずだが、クッと湊が歯を食いしばり、グルウと唸る。
『だから、それが嫌なんだよ!』
『嫌だ! テンちゃん、ミナト兄ちゃんみたいになる!』
兄獅子からの再度の拒否に、子獅子は再び泣き出した。
慕われ、同じ様になりたいと望まれることが不快とは、どれだけ湊は天祥を嫌っているというのか。
そこまでとは思っていなかった。そんな深い溝が彼等の間に出来ていたことに、気づかなかった完全な自分の判断ミスだ。
「湊、お前、そんな言い方はないだろう。」
言葉をなくしてしまいそうだが、此処で黙っていたら駄目だ。
やり直す道をなんとか見つけなければいけない。
『だって、だって、じいちゃん!
オレ、嫌だよ!』
顔を強張らせ、叫ぶ湊の声に反応して、天祥が泣き叫ぶ。
『やだ! だって、テンちゃん、ミナト兄ちゃんが好きだもん!
テンちゃん、ミナト兄ちゃんと一緒がいいんだもん!
そんで、毛皮は虹色の、尻尾は百本になるんだもん!』
なんかオプションが変化してる。
天祥の夢に余計なオプションが付いてるのは知ってたけど、更に悪化してる。
『それだよ! それが嫌なんだよ!』
ギャオと最早悲鳴じみた吠え声を湊は上げた。
『まるでオレが虹色で、尻尾が百本有るみたいじゃん!
ごく稀に途中で毛の色が変わることが有るのは知ってるよ?
でも、それだって青から白とか、二色の範囲でしょ?
虹色なんて、絶対嫌だよ! それに尻尾が百本とか怖いよ!
オレ、そんなのと一緒にされたくないよ!!』
全力で否定され、子獅子が必死になって言い返す。
『ただの虹色じゃないよ! 銀色に光る虹色だよ!
尻尾だって、沢山有る方が偉いんだよ!』
『そういう問題じゃないよ! 嫌なもんは、嫌なんだよ!』
「わかった、湊。もう、よくわかった。お前は悪くない。」
これ以上、若獅子を追い詰めてはならない。
天祥が泣き暴れるのはいつものことで、当人もすぐ忘れるが、湊こそ今にも泣きそうで、こっちは駄目なやつだ。
余計なことを言うなと、もがいて暴れる天祥の口を押さえ、足早に部屋を出る。二前と無言のアイコンタクトを交わし、後を任せて本殿を駆け抜ける。
天祥が尻尾を欲しがり始めたのは、以前、狐の霊獣が住む神社へ遊びに行ってから。
狐であれば、九尾は徳が高いと持て囃されるし、金毛や銀毛もいるだろう。他にも尻尾が多かったり毛色が変わっていて、それが良い種族もいると思う。
ただ、うちの獅子は違うし、まして己の価値観を兄弟に押し付けてはならんだろう。
改めて思う。
ただ、他所の神社に遊びに行っただけで、この子はどうしてこうなった。




