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食べたい。(後編)

『テンちゃん、もうじいちゃんと同じものは食べないし、欲しがらないよ!』


 満足げにぐるぐると喉を鳴らす天祥をみて、加賀見は偉そうに笑った。


「ほら、ちゃんと納得した。

 言葉だけじゃなくて、実際に食ってみたからこそだ。」

「そうかもなあ。」 


 確かに、駄目だと言っても聞かないこの子のことだ。説明だけでは、食べてみなければ分からないと考えたかもしれない。実際に受け付けなかったからこそ、素直に納得できたのだろう。

 やはり実体験は大事と頷き合っていたら、瑞宮が不安そうに聞いてきた。


『ねえ、じいちゃんのご飯が食べられないのはわかったけど、ボクらには食べられないだけで、本当の毒じゃないんだよね?

 なのに、何で食べたら毒になっちゃうの?

 お腹がゴロゴロにならないよう、毒って言ってるだけってこと?』


 問われて思い出す。そもそも陸晶の質問が「なぜ、人は毒を食べるのか」だった。説明不足に気がついた加賀見は頭をボリボリと掻き、瑞宮の頭を撫でた。



「そうだった。よく覚えていたな。

 確かに消化できないだけで、その時点では毒じゃないんだ。」


 褒められて、瑞宮は少し嬉しそうな顔をしたが、それでもやはり元気がない。何時もと違う子獅子の様子に加賀見も気がついたのか、眉をひそめて首を傾げたが、そのまま説明を続けた。


「食べただけでは毒ではないんだが、先程言ったように消化もしない。したがって何時までも腹の中にとどまる。

 体内に異物があるわけだから、そのままでも腹の調子が悪くなるが、時間が経てば経つほど、それだけでは済まなくなる。

 何故だと思う?」


 ただ、答えを言うのではなく、自分で考えさせるやり方は、まるで教師のようだ。

 子獅子たちは顔を見合わせ、一生懸命考える。



『何で? お腹がゴロゴロするだけじゃないの?』

『ちがうよ。だっておやつ食べすぎたときもゴロゴロになるもん。それは毒だからじゃないよ。

 毒って言うからには、もっと悪いことが起こるんだよ。』

『テンちゃん、ゴロゴロだけで十分、嫌だよ!』


 悩む兄弟たちを後目に、陸晶がポツリと呟く。


『あ、ボク、わかった。』


 この子は逸信ほどではないが、子獅子の中では大人しい方で、一見、ぼんやりしているように見える。しかし、その実、周囲をよく見ていて歳の割に賢い。

 一人で納得し、尻尾で床をペシペシ叩く陸晶に、瑞宮と天祥は目を丸くし、鼻でつついて答えを急かした。


『何で? ねえ、なんで?』

『テンちゃんも知りたいよ!』


 早く答えるよう促されるも、陸晶は応じず、惚けるように口の周りをぺろりと舐めただけ。


「こら、答え聞いちゃったらつまんないだろ。

 まずは自分で考えないと。」


 横から宥めるが、瑞宮はまだしも天祥が聞かず、にゃごにゃご揉め始めた三匹の横で、逸信が頭をふりふり一生懸命考えている。



『なんでだろう? 何で、毒じゃないのに、毒になっちゃうんだろう?

 ボク、わかんないよ。』


 額の暗色斑がそう見せるだけでなく、耳を伏せ、本当に困った様子の逸信に、加賀見が助け舟を出す。


「イツ、見たことないか?

 じいさんが食べ終わったあとの野菜くずや魚の皮とか、収穫しないで木に生ったままになった果物とか。」

『えっと……あ、ボクもわかった!』


 ヒントから正解に行き着いた逸信はみゃあと鳴き、瑞宮と天祥が驚いて振り返る。


『イツ兄ちゃんも、わかったの?』

『うん、ボクもわかった。』


 天祥に問われた逸信は嬉しそうに尻尾を揺らし、負けてたまるかと瑞宮が眉間にシワを寄せて唸る。


『ええと、ええと、じいちゃんが食べ終わったゴミは、燃やして、土に埋めるんだよ。そうすると肥料になるんだよ。』

「それをしないと、どうなる?」

『あ、わかった!』


 答えに気がついた瑞宮が尻尾をピンと立て、加賀見は時間切れと言う代わりに、戸惑う天祥を抱き上げた。



「テン坊、お前、台所のゴミ箱見たことないか?」

『あるよ! 臭いやつ!』

「そうだな、何で臭いのかは知ってるか?」

『魚の内蔵とか葉っぱの切れ端とか、ゴミが入ってるからだよ!』

「そうだな。

 この時分は寒いからまだいいが、夏場だとどうなる?」

『もっと臭くなるよ! だって、腐っちゃうから!』


 質問に答えるうちに、天祥は正解を述べているのだが、まだ、それに気がついていない。


「その、腐ったのがお腹にあったらどうかな?」

『嫌だよ!

 だって臭いし、なんか、どろどろしてんだもん!』


 さて、あとは時間の問題だ。

 皆が黙って天祥の答えを待つ。


 注目を浴びた小さな子獅子は不思議そうに首を傾げたが、漸く気がついたらしい。抱っこされたまま、嬉しそうにジタバタ手足を動かして、はしゃぎ始めた。



『わかった! 腐っちゃうからだ!

 お腹の中で食べたものが腐って、悪くなっちゃうからだ!』

「そういうことだ。」


 はしゃぐ天祥を降ろし、改めて加賀見が纏めに入る。


「元はきちんとした食べ物でも、消化されず、そのまま放置されれば、当然腐る。腐敗し、変質したものは毒性を持ち、病原微生物に汚染される。

 それが腹の中にあるんだ。身体に良いわけがない。」

『だから、毒じゃないけど、毒になっちゃうんだね。』


 陸晶が満足げに尾を揺らし、逸信が天祥を鼻先でつつく。


『テンちゃん、もう、じいちゃんのご飯、ほしがっちゃ駄目だよ。』

『テンちゃん、もう、ほしがんないよ!

 お腹の中、腐ったら嫌だよ!』


 兄獅子に言い返して、はたと天祥は固まり、毛を逆立てて唸った。


『むしろ、何でそんなもの、テンちゃんに食わせた! 何でそんな危ないもの、テンちゃんに食わせた!

 じいちゃんも兄ちゃんも、ひどい!』

「それはお前が食べたがったからだろ。」

「再三止めたぞ、俺は。」


 加賀見が呆れて肩を落とし、自分は正直、穴があったら入りたい。

 馬鹿な子ほど可愛いとは言うけれども、己の言動を棚上げで怒る子獅子には困ったものだ。



 さて、天祥が納得し、邪魔が入らなくなったところで、昼食を片付けてしまおう。すっかり冷めてしまった椀を持ち上げるも、小さく蹲る瑞宮が目に止まる。

 もじもじと前足で交互に床をひっかくその姿は、どうにも落ち着きがなく、不安を覚えて、持ち上げた椀を再び下ろす。


「瑞宮、どうした。」

『じいちゃん。』


 声をかければ、顔を上げた瑞宮は力なく耳を垂らし、みゃあと鳴いた。


『あのね、それでね、もしもね。

 もしも、じいちゃんのご飯、ボクらが食べちゃったらどうなるの?』

「だから、消化されずにそのまま胃に残って腐るって、今、教えただろ。」


 説明が終わり、皆が納得したことを繰り返して聞くのは何故だろう。不思議に思いつつ、同じ答えを繰り返せば、うん、そうだよねと子獅子は小さく、丸くなって更に鳴いた。


『そうだよね、腐っちゃうんだよね。

 それで、その後どうなるの?』

「どうなるって、お前……」


 要領を得ず、加賀見を振り返れば、蒼い目の魔物も困ったように首を傾げ、取り敢えずと言わんばかりに子獅子の質問に答えた。



「まあ、腐ったものが腹の中にあるわけだから、当然、悪臭を放つようになるな。

 それに毒物が腹にあるわけだから、体調を崩す。」


 身体を腐敗で汚染されれば霊獣とて無事ではいられない。そう説明を受けた瑞宮は、ますます耳を頭にくっつけて鳴く。


『その後、どうなるの?』


 様子のおかしい子獅子に眉をひそめるも、加賀見は淡々と説明を続けた。


「時間が経てば経つほど腐敗が進み、汚染も広がるから、どんどん具合が悪くなる。

 腐敗した食べ物は原型をなくして液体化するが、これが特にまずい。液体は強制的に身体に染み込んでしまう。

 そうなると汚染が一気に全身に回る。後は個体差もあるが……」


 子供には刺激が強すぎるかと一旦区切り。加賀見は瑞宮を眇めで見つめた。

 子獅子は人の姿をした魔物を見上げ、ブルブルと震えていた。



「全身汚染されれば毒による身体の損傷、苦痛や痙攣、麻痺などで、まず、まともに動けなくなるな。

 うまく浄化できれば何とかなる場合もあるが、それまでのダメージも積み重なってるし、再起不能も覚悟しなけりゃなんねえ。」

『死んじゃうの?』


 いつもの元気な瑞宮からは、想像もできないか細い声で問うのに、加賀見はゆっくりと頷いた。


「そうだな。下手すりゃ、いや、ここまで行ったらまず死ぬな。」


 最終結論に子獅子は目を見開き、大きく口を開け、顔を引きつらせる。


『じゃあ、じゃあ、』


 助けを求めるようにこちらを見上げる瑞宮から、異臭を感じたのはこの時だった。耐えきれなかったのだろう。子獅子が震えながら、大きな声で鳴く。



『じいちゃん、ボク、死んじゃうの!?』

「瑞宮! お前、何時、何を食った!?」


 慌てて抱き寄せ、口を開けさせれば、確かに香ばしくも生臭い。加賀見も顔を青くして叫ぶ。


「じいさん! なんか、心当たりないのか!?」

「心当たり? 心当たり……あっ、そう言えば、一昨日の昼、眼を離した間にメザシが1匹足らなくなった!」


 縁側を開け放していたので、獅子を恐れない勇敢なカラスにでも取られたのかと思っていたのだが。


「それだ! ったく、マジかよ……」

「瑞宮、お前ってやつは! あれだけ駄目だって教えただろ!」


 怒ったところで現実は変わらない。加賀見が顔を大きくしかめて頭をかきむしり、舌打ちする。


「どうする? やっぱ、水か?」

「水だ。まず、水を飲ませて、吐き出させるんだ!」 


 今は冬。この寒い時期に一昨日のことであれば、そう腐敗もしていないだろうが、放ってはおけない。兎にも角にも、食べたものを全て吐き出させなければ。



 みゃあみゃあ泣き出した瑞宮に、慌てふためく自分たちを見つめて、ポツリと陸晶が呟く。


『瑞宮、死んじゃうの?』


 ビクリと痙攣するように逸信が震え、天祥が大声で泣き叫ぶ。


『嫌だ! ミミ兄、死んじゃったら嫌だーっ!』

「大丈夫だ、まだそこまでじゃない。大丈夫だから!」


 即座に訂正するが、パニックを起こした天祥の耳には入らない。天に向かって叫び始めた子獅子の鳴き声により、恐怖は伝染してしまう。


『ボクだって、嫌だーっ!』

『瑞宮、死んだら嫌だーっ!』


 逸信と陸晶も泣き出し、みゃあみゃあ、ふぎゃあふぎゃあ凄いことになる。騒ぎを聞きつけ、他の獅子たちも集まってきてしまった。



『おじいさん、どうしましたか!?』

『何故、子供たちが泣いてますか!?』


 駆けつけた古参の獅子、二前(にのまえ)陸奥(むつ)に、止める暇もなく瑞宮が泣きつく。


『兄ちゃん、ボク、死にたくない!!』


 これには落ち着いた大人の獅子である二匹も飛び上がった。


『死ぬ? 死にたくないってどういうこと!?』

『おじいさん、何がありましたか? 邪鬼がやったんですか!?』

「違う、違うから! 大丈夫だから!」


 確かにそのままにしてはおけないが、現状、そこまで大きな問題にはなっていない。数年に一度、好奇心の強い子獅子がやらかすいたずらの一種で、管理不行き届きなど反省すべきことは多いが、まだ十分、取り返しがつく。

 騒がず落ち着けと言い聞かせている間にも、獅子たちはどんどん集まってくる。



『何、騒いでるの! 何があったの?!』


 当神社、筆頭獅子の五十嵐(いがらし)が到着早々大声で吠え、瑞宮たちより一回り大きい子獅子、璃宮(りきゅう)八幡(はちまん)も駆け寄ってくる。


『あっ、瑞宮や天祥が泣いてる!』

『逸信と陸晶も! 誰っ!? 誰が陸晶を泣かせたの!』

「騒ぐな! 大丈夫だから、そう大騒ぎするな!」


 ガオガオみゃあみゃあ偉い騒ぎに耳を塞ぎ、加賀見も叫ぶ。


「ああ、もう、うるさいよ、お前ら!

 大丈夫だって言ってるだろ! 騒ぐな!」


 しかし、怒鳴り声はかえって喧騒を呼び、何ら解決には導かない。



 最終的に怒った加賀見が、偶々手近にいた五十嵐を一本背負で遠くに投げ捨て、獅子たちをドン引きさせることで喧騒を強制的に止めた。

 その後、数回の胃洗浄により、瑞宮もすっかり元気を取り戻した。自分一人であればもっと大変だったが、加賀見が器用にも飲ませた水を外側から魔法で操作し、少ない回数で綺麗に吐き出させてくれた。


「背負投げは兎に角、瑞宮のことは本当に助かったわー」


 両手を合わせ、拝むように礼を伝えれば、蒼い目の魔物はわざとらしく、さも不機嫌そうに怒った。


「ったく、霊獣と言えど子供は子供なんだから、ちゃんと管理しとけよな!

 これだから、猫は嫌なんだよ! 隙間に入るし、言うこと聞かないし!」


 うちの霊獣は獅子であって猫ではないのだが、そこは突っ込むべきであろうか。


『じゃあ、わんこだったら良いのかい?』


 元気になった瑞宮が不思議そうに耳を動かし、猫が駄目なら犬と単純な考えを加賀見はせせ笑う。


「馬鹿言え! 犬は犬で大変に決まってるだろ!

 わんわん吠えるし、穴は掘るし!」


 これもどうなのかなあとは思うが、一言、言いたい気分なのだろう。それに加賀見の自宅には幾匹か、使い魔の犬がいるはずだ。なにか思い出したのかも知れず、こういう時は好きに怒らせておくに限る。


「っていうか、俺、女狐の巣窟、稲荷神社にも行かなきゃいけないんだった。

 あそこはあそこで、服がイマイチだの、髪が跳ねてるだの、口煩くてどうしてくれよう!

 そのうち、お前らも連れてってやるから、覚悟しておけ! もふもふの、ふくふくだぞ!」


 そんなよく分からない捨て台詞を残し、郵便配達の仕事を終えた蒼い眼の魔物は、煙のように姿を消した。

 途端に神社は静寂を取り戻し、ざわざわと風の音だけが聞こえる。



「さて、俺も仕事に戻るか。」


 気が抜けるものを感じたが、何時までもそのままではいられない。うちの神社は境内も神域も結構広いのに、神職は自分一人だけでそれなりに忙しい。

 まずはちゃぶ台の上から片付けよう。結局、食べられなかった昼食に、今更、手を付ける気もせず、ラップをかけて冷蔵庫にしまう。

 やれやれと独り呟きながら、机の上を拭いていると、天祥が寄ってきて、心配そうにみゃうと鳴いた。


『じいちゃん。

 じいちゃんは、こんなまじいもの、毎日食べなきゃいけなくて大変だね。

 テンちゃんは霊獣でよかったよ。』


 仰々しい割に一方的で抜けている、子供らしい労りには苦笑しか出てこないが、それでも頭を撫でてやる。


「心配してくれてありがとうな。

 でも、味覚が違うから、大丈夫だよ。」

『そっか!

 でも、テンちゃんはやっぱり、加賀見の兄ちゃんがくれるカリカリのおやつが、一番だと思うよ。

 だから、じいちゃんのご飯はもういらない!』


 自分が食べているものが最も美味しいと、満足げに子獅子は鳴いて、兄獅子達の元へとっとこ走っていった。

 人は人、霊獣は霊獣に合ったものが良い。天祥は今回の件で、しっかり学んだようだ。

 ただ願わくば、口で説明された時点で理解してほしい。

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