早起き。
大地から溢れる霊気には流れがあって、強い力は良くも悪くも周囲に影響を与える。
場の浄化や動植物の繁栄など、良い影響を与えれば神域、霊気の滞りにより穢れや病を招き寄せ、邪鬼や怨霊を産むようなところは魔境と呼ばれる。
神域の中心には御神体があり、大概、霊力を糧とする霊獣が住み着いている。彼らと協力して神域を護るために、人は神社を建て、神職を派遣する。御神体の管理や霊獣の補佐として、自分が所属するのは咲零神社。純白若しくは空色の獅子達と、ここ一帯を守っている。
神域として獅子達が守護する地域は広めだが、神社自体は大きくなく、近接した村の少し外れた丘に有る参道を、5分も登れば直ぐに手水舎が見えてくる。
そのまま進んだ先に拝殿、奥は玉垣に囲まれた本殿。離れたところに社務所と施設は少ない。昔は舞殿もあったそうだが随分前に撤去され、再建の予定はない。その分、境内を広くし、子獅子の遊び場としている。
鳥居が青いのが特徴といえば特徴だが、こじんまりとして、如何にも片田舎の神社らしい神社だと思う。
本殿には御神体の眠る洞窟への道が隠されているが、殆どは霊獣の居住スペースとして使われる。幼い子獅子は体力もなく抵抗力も弱いため、社務所に連れて行くが、ある程度大きくなってからは本殿で大人と一緒に寝起きする。
そんな彼らの朝は、遅い。
冬場は怨霊も冬眠するのか殆ど現れないが、夏場はそれこそ毎日のように討伐に行く。怨霊が活発に動きだす日暮れから休みなしに夜遅くまで働いて、朝早く起きろと言うのは酷だ。
黙っていても10時頃までには全員起きて、体を動かし始めるのだから、休めるうちはゆっくり休んでくれればいい。
では、討伐に出ない子獅子は早起きかと言えば、そうでもない。
子獅子は体力が少ない分、よく眠る。目が覚めても布団の中で寝たり起きたりを繰り返し、寝床から出るまで時間がかかる。
そんな中で瑞宮は朝が早いほうだ。寝ている兄弟たちを起こさないよう、気を配りながらベッドを抜け出し、一番最初に境内に出てくる。そして、何をしているのかと思えば、苦手な木登りに挑戦したり、一人でボールを叩いたり、走り回っている。体を鍛えているつもりらしい。
もともと子獅子は遊びが狩りの訓練で、訓練が遊びのようなもの。早起きしてまでやるものだろうかと、つい思ってしまうのだが、当人は至って真面目だ。
今日もてってけやってきて、境内を掃除中の自分を見つけてガアと吠えた。
『おはよう、じいちゃん!』
「おはよう、瑞宮。今日も早いな。」
『うん!』
早起きを褒めれば嬉しそうに尻尾を揺らし、早速木登りを始めた。子獅子たちお気に入りの楠を登ったり降りたり、繰り返しているが、頑張っている割に登れる枝が低く、到達までが遅い。
瑞宮は体が太くて丈夫な分、力は強いが小回りが効かず素早さに欠ける。手足を使って体を持ち上げるまではいいのだが、体重で枝がきしみ、大きく揺れた弾みに後ろ足を踏み外して慌てるなど、見ていてハラハラさせられる。
それでも飽きることなく、何度も繰り返し繰り返し登っている。
木登りが終わったら、今度はランニングと境内を走り始めた。掃いたばかりの砂利を早速蹴飛ばしながら走り回る。
「頑張るな、瑞宮。」
声をかければ、大きな声でガオゥと一人前に吠えた。
『だってね、ボク、早くムツ兄ちゃんみたいになりたいんだよ。』
古参の兄獅子の名前を上げて、瑞宮は尻尾を揺らす。
陸奥は当社の最大火力。鋭い爪は大きな邪鬼を一撃で倒し、仲間の獅子達が敵の防壁を切り開いたところへ強力な火弾を叩き込み、怨霊の群れを壊滅させる。完全なパワー型だが動きは柔軟で、体に似合わぬ俊敏さで敵を追い、確実に仕留める。
確かに瑞宮はタイプとしては陸奥に近いが、兄獅子のようになるには相当な努力が必要だろう。楽な道ではないのは当人も分かっているらしく、真剣な顔で一生懸命に言う。
『ボクはリクやイッちゃんみたいに、早く走れないでしょ?
その分、体力を付けて、何時までも疲れないで、どんな時でも、確実に狙ったところを叩けるようにならないと駄目って、兄ちゃん、言ってたよ。
だから、沢山走って鍛えるの。
それにね、ボク、絶対テンちゃんには負けたくないんだよ。』
「そうか。」
のんびり屋で食いしん坊の瑞宮だが、しっかり目標を定めているようだ。
確かに足の速さでは弟の陸晶や逸信に分が有る。兄貴分として、負けられないものが有るのだろう。
何より、瑞宮の側にはいつも、当社一番の甘えん坊で頑固で負けず嫌いの弟、天祥が居る。天祥は何時でも真っ直ぐに自分がやりたいことへ突っ走り、けして諦めない。
そして他の兄弟同様、立派な獅子になりたいと思っている。うかうかしていれば年齢差の有利など簡単に追い抜かれてしまうだろう。
事実、危機感を示すように、子獅子はとんとこ前足で地面を叩き、尻尾をぴんと立てて吠えた。
『だけど、テンちゃん、最近すばしっこくて、捕まえるのが大変なんだよ。』
天祥も特別足が早い方ではないが、小柄な分、小回りが効く。プロレスや鬼ごっこでも逃げられ、うっかりすれば手痛いカウンターを食らうようになってきたらしい。
『ボクはお兄ちゃんだからね。弟に負けるようじゃ駄目なんだよ。
テンちゃんに負けてたら、邪鬼になんか勝てない。
ボク、ムツ兄ちゃんみたいに、ちゃんと皆を守れるようになりたいんだよ。
だから、頑張って走るの。』
ふんすと鼻息荒く決意表明し、瑞宮は再び走り始めた。
大人の獅子は勿論、直ぐ上の兄獅子、璃宮や八幡と比べても、まだまだ小さな体が駆けていく。
それでも、しっかり兄としての自覚が芽生え、弟を守ろうとしている。
霊獣は幼くても賢い。最も大切なものは何か、教えずともきちんと理解している。
瑞宮が走り去った反対側、社務所の方からじゃりじゃりと足音がした。
「天祥、おはよう。」
『じいちゃん、おはおう。』
寝ぼけ眼で現れたのは、子獅子の天祥。
みゃむみゃむと口をだらしなく動かしながら、顔を前足で拭う。
「天祥、歩きながら顔を洗うのは止めなさい。」
『ミミ兄はー?』
行儀の悪さを注意されても、何処まで聞いているのやら。目を覚まそうと体をブルブルと震わせ、兄獅子を探す。
まだ幼い天祥は睡眠時間も多く必要だ。それでも、2番目に早起きで、眠い目をこすりながら寝床のダンボールから抜け出てくる。瑞宮のように特別な志が有るわけではなく、ただ単純に少しでも早く、兄獅子と遊びたいのだ。
『テンちゃん、おはよう!』
天祥に気がついた瑞宮が向こうで吠えた。
声は聞こえても、半開きの目では見えないのか、天祥は頭を振って声の出処を探している。
「天祥、あっちだ。瑞宮はあっちで走ってるぞ。」
方向を教えてやれば、子獅子は大儀そうに顔を向け、兄獅子の姿を認めてガァと鳴く。
『ミミ兄、いたねえ。』
「ああ、走ってこっちに来るな。」
とっとこ近づいてくる白い兄獅子を眺め、目を細めた自分に、天祥は不審そうな顔を向けた。
『確かにミミ兄いたけどさ。』
「ん、どうした?」
むひゅーと偉そうに鳴く子獅子に首を傾げる。
その間にも天祥はどんどん近づいてくる兄獅子を眺め、言い放った。
『あれ、走ってるの? 全然、進んでないよ。』
「天祥、お前、」
なにか言う前に瑞宮の咆哮が響く。
『聞こえたよ、テンちゃん!』
そのまま、白い塊になった瑞宮が突っ込んできて、天祥に飛び掛かる。
『待てっ! 天祥!』
ブンブンと振るわれる前足を巧みに避け、寝ぼけた様子は何処へやら弟獅子は生意気に逃げ回った。
『そんなんじゃあ、テンちゃん、捕まらないよ!』
笑いながら逃げる天祥を、瑞宮が必死で追いかける。
今日も朝から騒がしいことだ。他の獅子たちも、そろそろ順に起きてくるだろう。




