間違える。
ボク達霊獣には色んな種類がいて、姿も生活も、食べるものも違うけど、大地を流れる力、霊気が必要なのは変わらない。
木霊や小人なんかの精霊や妖精と同じで、身体を維持するのに少なからず霊気がいるんだ。
霊気の流れ、地脈が良い流れ方をしていればいいけど、淀んで溜まると魔境って呼ばれる場所になる。
魔境の霊気は周囲に病を撒き散らしたり、怖い怨霊や意地悪な邪鬼を生む。難しい言葉だと瘴気って言う。
瘴気にあたると具合が悪くなったり、心がおかしくなるんだって。怖いよね。
良い流れ方をしている場所は神域。霊気が必要な霊獣にとって神域は凄く大切。
だから、地脈の流れを調整したり、神域を壊そうとする邪鬼をやっつけたり、一生懸命守る。
神域は訪れる人が元気になったり、植物が沢山実ったりもするし、魔境から流れてくる瘴気を抑える壁にもなるから、ちゃんと管理するために人が神社を作る。
神社に関わる人たちは神職って呼ばれて、住んでる霊獣のお世話もしてくれる。
そうやって、皆で協力して暮らすのは良いことだよね。
神社に住む霊獣は特別に神使とか眷属って呼ばれる。
ボクは咲零神社の眷属、獅子の霊獣。白や青毛の兄弟達と宮司のじいちゃんと一緒に、ここ一帯を守ってるんだ。
ボクたちに名前をくれるのもじいちゃん。
ボクの名前、逸信はどういう意味って聞いたら、逸した信、ひいては誰よりも嘘がなく誠実だって。誠実ってよく分からないけど、ボク、この名前が好きだ。
じいちゃんは何時も優しくて、ボク達をかわいがってくれる。
皆、じいちゃんが大好き。
神域も大事だけど、じいちゃんのために立派な獅子になりたい。
神域や皆を守るため、兄ちゃんたちは暖かくなると毎日のように出掛けて、時には怪我をして帰ってくる。
そんなときは空気が重く、ざわざわして怖い。
ボクはまだ子獅子だから、何も出来ないのが悲しい。早く兄ちゃんを助けられるように、歳の近い兄弟たちと毎日身体を鍛え、準備してる。
追いかけっこにプロレス、木登り、ボール遊び。殆ど遊びみたいなものだけど、戦う動きや、バランスの取り方を覚える大事な訓練でもあるんだ。
でも、ボクはあまりプロレスが好きじゃない。
さっき、拝殿前でミミ兄とリクちゃんの勝負が始まった。
リクちゃんはボクと同じでかけっことかのが好きだけど、始まったら絶対引かない。
弟のテンちゃんは勿論、もっと小さい子たちも一緒になって騒いでた。
ボクだって絶対、プロレスが嫌なわけじゃないよ。だけど、今日はちょっとそういう気分じゃないんだ。
だからボクは、社務所のじいちゃんのところに行った。
じいちゃん、ボール投げてくれないかなあ。
じいちゃんは社務所の机に座って、何かお仕事をしていた。
獅子の喉では人の言葉を発音できないから、代わりに思念波、一方通行のテレパシーを飛ばす。
『じいちゃん、何してるの?』
邪魔しちゃいけないかなあ。
でも、良い匂いがするのに惹かれて、ボクは縁側に飛び乗り、社務所の中に入った。
机の上にはりんごが切ってあった。良い匂い。
ボク達は霊獣の中でも、人形や物に魂が宿って動く付喪神に近い種類。ご飯の代わりに霊気が十分あれば良くて、肉や野菜は必要ないし、食べられない。
りんごも食べたいとは思わないんだけど、ボク、この匂いが好きなんだ。
鼻をスピスピさせて匂いを嗅いでたら、じいちゃんが笑って頭を撫でてくれた。
「匂いを嗅ぎつけてきたのか。イツは本当にりんごが好きだな。」
そういうわけじゃないんだけど、それでもいいよ。
頭を撫でてもらうのは気持ちがいい。喉が勝手にゴロゴロ言う。
頭を撫でてもらってから、ボクは部屋の中を眺めた。
机の上には紙と鉛筆、りんごの乗ったお皿。何をしてるのかな。ボクもお仕事を手伝えたらいいんだけどな。
でも、ボクの手じゃ鉛筆は持てない。爪が鉛筆の代わりにならないかな。
そう思って前足の裏を眺めていたら、じいちゃんが聞いてくれた。
「それでどうした、ボールか?」
『ううん、違うよ。投げてくれるなら遊ぶけど。』
本当は言われたとおり、ボール遊びがしたかったんだけど、うちの神社に神職はじいちゃん一人しかいない。
忙しいのにお仕事、邪魔しちゃいけないもん。我慢、我慢。
全然、平気って見えるように、ボクは部屋をのっそり歩いて回った。
奥の台所は入っちゃいけないんだ。野菜や水の匂いがするだけで、面白いものもないしね。
隣の子供部屋には誰もいない。
普段はミイちゃんやとムイちゃん達、小さい弟がいるけど、今は皆と一緒に拝殿前でプロレス中。
やっぱり、ボクも向こうに行こうかな。
戻る前にもう一度台所を眺めたら、大きな箱が目に入った。
りんごの香りがする。
これはちょっと気になるけど、台所の中には入れない。
後ろでじいちゃんが立ち上がる気配がした。
「イツ、これが気になるか?」
じいちゃんは箱を持ってきてくれた。
中身が空っぽのダンボール。
でも、いい香りがする。りんごの絵が描いてある。
ふと、思いついたようにじいちゃんが言う。
「捨てるつもりだったんだが、これ、お前にやろうか。
これは大きいから、お前ならまだ入れるだろ。」
ダンボールの中で寝るのは社務所で暮らす小さい子の特権。
ボクはもう、兄ちゃん達と一緒に本殿の寝床で寝てる。
本殿で寝るような大きい子が入れる箱はないから、皆、自分のベッドとタオルを持ってる。
そこにダンボールを持っていったら邪魔になるかな?
ボクのベッドの上に置けば、大丈夫だよね。
こんなに良い匂いがするんだもん。中に入って寝たら、きっと楽しい夢が見られるよ。
ボクは嬉しくなって、尻尾が勝手にゆらゆら揺れた。
『じいちゃん、本当? これ、ボクがもらっていいの?』
「ああ、いいよ。後で持っていってやるよ。」
仕事を片付けてからなと、じいちゃんが笑った。
いけない、邪魔しちゃった。
『大丈夫だよ、じいちゃん。ボク、自分で運べるよ。』
「そうか? でも、持てないだろ。」
確かにダンボールを咥えて運ぶのは無理そう。大きすぎて引きずっちゃう。
頭で押して行くのも、同じ様に底がボロボロになっちゃうよね。
だからって、じいちゃんのお仕事、増やしちゃいけないもの。
ボクはちょっと考えて、背負っていくことにした。
背中の上にダンボールを括り付けるのはそれこそ大変だけど、箱をひっくり返して被って運べばいいんだ。
前が見えなくなっちゃうけど、ゆっくり進んで方向さえ間違わなければ大丈夫。
そうと決まれば、はやく持っていこう。
ボクは縁側を飛び降りると、ダンボールを引っ張って被った。後はゆっくり進むだけ。
だけど、じいちゃんにダンボールを取られた。
「イツ、危ないぞ。後でじいちゃんが持っていってやるから。」
『大丈夫。ちゃんと運べるよ。』
ボクは後ろ足で立ち上がって、出来るって主張した。
じいちゃんの邪魔、したくないんだもん。
神社の中に危ないものはないし、ゆっくり進めば、もし何かにぶつかってもちょっとで済むよ。
『じいちゃん、ボク、出来る。出来るってば。』
「しょうがないなあ。」
じいちゃんは困った顔をしたけど、ダンボールを返してくれた。
「本当に気をつけるんだぞ。」
『うん、気をつける。』
尻尾を揺らして返事をしてから、ボクはそろそろと本殿へ向かった。
本殿まではおよそ30m。拝殿から階段を上がって、奥まで行かなきゃいけない。
ダンボールを被って運ぶのは、思ったより大変だった。
前が見えないだけじゃなくて、風も感じづらいし、音も聞こえ辛い。
拝殿前には皆がいるはずだから、鳴き声や砂利を蹴る音が聞こえると思っていたんだけど、よく分からない。
方向を間違えないように気をつけて、少しずつ進む。
じゃりじゃり、じゃりじゃり。
踏み締める砂利の音が、何時もより大きい。
でも、向こうの方から皆の声が聞こえてきた。
良かった、方向は間違ってないみたい。
ホッと一安心したところに、テンちゃんの叫び声が飛び込んできた。
『オバケだ! オバケがいる!』
えっ、オバケ?
ミイちゃんやムイちゃん達、小さい弟の悲鳴も聞こえた。
ミミ兄とリクちゃんの唸り声も飛んでくる。
『瑞宮、どうしよう!?』
『まずは逃げなきゃ! 陸晶はテンちゃんたちを連れて行って!
ボクが彼奴を抑えてみる!』
『テンちゃんも、戦うよ!』
テンちゃんがミミ兄に早く逃げるよう、叱られるのが聞こえた。
ボクも戦わなきゃ! テンちゃんより、ボクのがお兄ちゃんだもん!
でも、前が見えない。ダンボールを降ろさなくちゃ。
オバケはどんな奴なんだろう。怖いけど、ボクだってちょっとぐらいは役に立つよ。
早く、ダンボールを降ろさないと。
だけど、足で押しのけても揺れるだけで、全然取れない。
ジャンプしたら、取れるかな? えいっ! えいっ!
跳ねるとダンボールは少し浮くんだけど、元通り、落ちてくるからちっとも取れない。
その間に皆の悲鳴が大きくなった。
『何あれ? 怖い! 怖いよう!』
『怒ってるんだ! きっと、怒ってるんだよ!』
小さい弟達の泣き声がする。早く助けに行かなくちゃ。
どうやったら、この箱、降ろせるんだろう? 急がなくちゃいけないのに。
『瑞宮、あのオバケ、逸信の匂いがする!
きっと、逸信を食べちゃったんだ!』
『何だって?! 早く、助けなきゃ!』
リクちゃんの悲鳴がして、ミミ兄の唸り声がますます大きくなった。
えっ、ボク、食べられちゃったの?
でもボク、ここにいるし、食べられてない。大丈夫だけどな?
「ガウッ!」
ミミ兄の吠える声が聞こえたのと一緒に、どんと突き飛ばされるような衝撃が有って、ボクはゴロゴロ地面に転がった。
オバケに攻撃されたんだ!
痛い。ダンボールも壊れちゃう。折角、じいちゃんがくれたのに。
ボク、このままやられちゃうのかな?
ちっとも役に立たなかった。そんなの嫌だよ。
一発ぐらい、やり返さなきゃ! 役に立たなくっちゃ!
「ビャウ!」
ボクは必死で前足を動かした。
※※※
神社間での連携のため、手紙を書くのは大切な仕事だが、どうしても落ち着かない。
筆を止めて逸信の姿を探す。
大丈夫だと言い張ったので任せたが、ダンボールを頭から被って歩くのはどう考えても危ない。
やはり、本殿まで運んでやろう。
立ち上がったところで、子獅子たちの悲鳴と怒声が聞こえた。
慌ててサンダルを引っ掛け、拝殿に向かって走る。
天祥を始めとした幼い子獅子たちが駆け寄ってくる。
『じいちゃん、オバケが出たよ!』
「オバケ?!」
言っている意味が一瞬分からず、聞き返す。
『怖いよう!』
『ミミ兄とリク兄が残ってるの! 早く助けて!』
子獅子たちは口々に悲鳴を上げて、ぐるぐると走り回る。
だが、そんな気配は感じない。
この神域の中心に突如、怨霊や邪鬼が現れるとも考えがたく、外からの侵入を門番の獅子達が見逃すとも思えない。
一体何が起こったのか。
「クッ、参道に行って、下の兄ちゃんを呼んでこい!」
なんだかわからないが本当に化物がいるのなら、自分が時間を稼ぎ、その間に大人の獅子を集め、撃退しなければ。
子獅子に指示を出して、声がした方向を確認する。
「ガウッ!」
指示を出す側から残ったという瑞宮の咆哮が聞こえ、バシッと鈍い音がした。
走り寄って、絶望する。
立ち竦んだ二匹の子獅子、瑞宮と陸晶の先に転がったダンボールと逸信の姿が見えた。
呆然とする瑞宮に向かって逸信が前足をブンと降り、兄獅子は慌ててそれを避ける。
「瑞宮、陸晶、何があった?」
大体の予想は付いたが、あえて聞く。
困惑を隠せないまま、陸晶が此方を振り返った。
『じいちゃん、オバケが、イッちゃんになっちゃった。』
瑞宮も泣きそうな顔でみゃあと鳴いた。
『歩くダンボールオバケが、逸信を食べちゃったって……
ボク、皆を守らなくちゃって思って……』
「そうか。」
色々思うところは有るが、やってしまったものは仕方がない。
頷くにとどめ、転んだままの逸信の怪我を調べる。
「逸信、大丈夫か? 痛かったろう。」
『うん……』
ショックでぼんやりしているようだが、ダンボールが壁になって怪我自体は大したことがなかった。
子獅子と言えど瑞宮の一撃は重く、直接当たったわけではないのは幸いだ。
「瑞宮も陸晶も、ちゃんと見なきゃ駄目だぞ。
邪鬼や怨霊は気配が全然違うだろう。」
『はい……』
『ごめんなさい……』
邪物と戦う霊獣として、その気配を正しく察知できなければ困るのは明白。
叱れば、二匹はしょんぼり肩を落とす。
「逸信も。だから、危ないって言っただろう。」
『じいちゃん、言うこと聞かなくて、ごめんなさい。』
悪いことをしたと怒るほどではないが、要因になったのは否めず、逸信も小さい声で謝った。
それを皮切りに、瑞宮と陸晶が逸信に駆け寄り、交互に頭をこすり付け、舐めて謝る。
『イッちゃん、ごめんね。』
『痛かったよね。間違えて、ごめんね。』
それまで殆ど反応がなかった逸信だが、兄獅子たちに謝られ、漸く落ち着いてきたらしい。
『ボクも、勘違いさせて、ごめんね。』
自分の非を認め、頭を押し付け、謝り返す。
喧嘩してはいないが、仲直りする兄獅子たちに、隠れていた弟獅子たちも寄ってきて、一緒になって頭を押し付け合う。
仲がいいのはいいことだ。
みゃうみゃう鳴く子獅子達は塊のままにしておき、壊れたダンボールを拾う。
瑞宮の爪で穴が開いているが、まだ箱の形を保っている。これは直して、本殿に運んでやろう。
しかし、だがしかし。
霊獣は獣と言えど賢いが、やはり子供は子供。時々、思いも寄らぬことをやらかしてくれる。
ダンボールが動いているのを、オバケと思うなんて純粋だなあ。




