食べたい。(前編)
龍脈、地脈と呼び名は様々だが、大地に流れる力が強ければ、良くも悪くも周囲に影響を与える。
怪我の治療や動植物の繁栄など、良い影響を与える霊気が満ちた場所は神域、汚れや病を呼び寄せる、瘴気が溢れる悪い場所は魔境と呼ばれ、長い間、強い力を保った場には核が出来る。大いなる力の中心となる核は、時に奉られ、地脈の力を引き出す源となり、時に封じられ、地脈の乱れを抑える術となる。
故に大いなる力の拠り所として核は御神体と呼ばれ、良いものであろうと悪いものであろうと畏怖の対象として、慎重に扱うべきものとされる。
この御神体の分身として生まれるものや、他所より訪れるものと様々であるが、神域には大概、霊獣が住み着く。地脈から溢れる霊力を糧とし、人と同じ程の知能を持つ彼らは、誰に教えられずとも神域の重要性を悟り、ただ餌を得るだけでなく、調和のために地脈が乱れぬよう務める。
相反するように魔境からは怨霊が生まれ、邪鬼が徘徊する。霊獣と異なり知能は疎か自我すら持たず、理由もなく地を荒らし、他者を傷つけるそれらは土地を蝕み神域をも削るため、魔境の淀んだ気を払い、邪物を討伐するのも霊獣の仕事となる。
しかし、如何に賢くとも、体の構造や性質などにより、霊獣だけでは出来ないことも多い。また、神域や御神体が周囲にもたらす影響を踏まえれば、彼らだけに保全を任せるわけにも行かない。
故に管理施設として神社が置かれ、周囲の村などから派遣された神職が通常、一人以上つく。
神職は宮司と呼ばれる長を中心に、地脈の動きを把握し、祭祀や魍魎討伐を執り行い、神域を管理する。当然、所属する霊獣の世話や補佐も神職の仕事となり、お互いに協力して神域を守っていく。
幸い、霊獣は賢いだけでなく、多くの技を身につけるため、通常、他種族との意思疎通に問題はない。
ただ、如何に利口と言えど、子供はやはり子供であって、小さいときは結構、手がかかる。
自分が神職として管理する咲零神社にも、当然霊獣が住んでいる。
霊獣にも様々な種類がいるが、うちのは御神体の分身型。稀に青い毛並みもでるけれど、基本はどれも純白の雄獅子。それも無機物に魂が宿る付喪神の系列で、生身の獣に見えても体は砂で出来ている。
西洋ではゴーレム、ガーゴイル型と呼ばれるように、必要に応じて石像と化す事もできる彼らは、如何にも霊獣らしく、体の維持に必要なのは霊気のみ。嗜好品としても口にするのは水や鉱石。魚や肉などは必要としない。
反面、宮司と言えど、自分は生身の只人である。
霊獣は地脈から霊気を得られれば良いかもしれないが、此方はバランスの取れた食事を取らなければ身が持たない。社の整備や庭の管理、邪鬼の討伐、他の社との連携とそれなりに忙しい中、食事は数少ない楽しみの一つでもある。男寡婦の質素な食卓と言えど、落ち着いてゆっくり食べたい。
少なくとも、恨めしそうな眼で見ないでいただきたい。
体長30cm程度。大人の猫とほぼ同じ大きさでありながら、
顔は幼い子猫とアンバランスな白い子ライオンが、机の上に手を伸ばすのを押しのける。
「こら、天祥。向こうに行ってなさい。」
『嫌だ!』
社務所の縁側は開け放たれており、いつでも彼らが上がれるようになってはいるが、人の食事に張り付いて邪魔をし、膨れ顔をするのであれば、別のところに行って欲しい。
しかし、甘えん坊の子獅子は追いやっても、足を突っ張って、即座に拒否の思念波を送ってきた。
賢い霊獣と言えども、天祥はまだ幼い。言って聞くような歳でも性格でもなく、いくら叱っても、隙あらば皿の魚を横取りしようとする。
あまりにしつこいので箸を置く。ここまで騒ぐからには、何かしら理由があるのだろう。いい加減、ただ追いやるだけでなく、真面目に相手をしてやらねばなるまい。
「なあ、テン坊。なんでじいちゃんのご飯を欲しがるんだ?
お前は食べられないのに。」
全ての霊獣がそうとは限らないが、少なくともうちの獅子は人と同じ食事を必要としないだけではなく、食べること自体ができない。仮に口にしても、糧として吸収することは出来ないし、美味しいとも感じない。それどころか場合によっては毒になる。
加えて、神域は地脈の流れが強いからこそ神域となりうるのあって、特に御神体を囲む境内の中は、取り分け上質な霊気が豊富に流れている。ここにいれば必要なだけの霊気を体が勝手に吸収するので、腹は減らないはずなのだ。
だから、ほとんどの獅子が人の食事に関心を持たず、まして食べたがったりなぞしない。事実、すぐ近くに兄貴分の陸晶と逸信が取っ組み合って遊んでいるが、食卓には眼もくれない。
この小さい天祥も、つい先日まで同じく無関心だったのに、急に自分も食べたいと騒ぎ出したのだ。
幾ら駄目なのだと説明しても、子獅子はちっとも聞く耳を持たない。天祥は尻尾を振り回し、前足で床を叩いて不満を示した。
『嫌だ! なんでテンちゃんは食べられないの!?』
「それはお前が霊獣だからだって、何度も言ってるだろ?」
『でも、テンちゃんも食べたい!
なんでじいちゃんは食べられるのに、テンちゃんは駄目なの?
何でテンちゃんにはできないの?』
ビャアビャアと鳴き立てたかと思えば、天祥は耳をへちょっと垂らし、蹲った。人間の子供であれば泣きべそをかいたと言うところだろう。
子獅子が本当に言いたいことが大体分かる。仕方のない奴だ。
蹲った天祥を抱き上げ、膝に乗せる。
「仕方がないだろ。
お前は霊獣で、じいちゃんは人、同じじゃないんだ。」
正確には宮司として御神体と契約を結んだ時点で、普通の人間ではなくなってしまったが、今、そこに触れる必要はないだろう。頭から背中を撫でてやれば、子獅子はぐるぐると喉を鳴らしたが、それでもしょんぼりと不満を述べた。
『でも、テンちゃん、じいちゃんと同じがいいよ。』
天祥は人一倍甘えん坊だ。常に誰かが構ってやらないと気が済まず、仲間外れを酷く嫌がる。物が食べられないと言う人間との差異に、何かの弾みで気が付き、置いていかれたような気分になったのだろう。
だからと言って、何もかも子獅子の思い通りになるはずがない。
「けどな、何度も繰り返したことだけど、これはお前には食べられない。
美味しくないし、毒なんだ。」
優しく言い聞かせても、天祥はぷうと毛を膨らませるばかりで返事もしない。
逸信と陸晶が遊びを止め、聞かん坊主の弟分を笑うように尻尾を揺らす。
『テンちゃん、ミミ兄みたい。』
『本当だ。瑞宮みたい。』
そうだった。
基本的にうちの獅子は人間の食事に興味を持たないが、偶に例外が出る。兄獅子の瑞宮がそれで、奴こそ食事の度に覗きにやってきては、口を開けて羨ましそうに見ていたのに、今日も来ない。ようやく飽きたのだろうか。
それはそれとしても、瑞宮はここ二、三日、元気がない。別段、変わった様子もないが、今ひとつ勢いがないのだ。少し、診てやらなければいけないかもしれない。
霊獣だって体調を崩すし、病にかかる。まして子供であれば尚更だ。
そうと決まれば、何時までも昼飯に時間を掛けている暇はない。さっさと食べてしまうに限る。
改めて、箸と膳を取ったところに、また邪魔が入った。
『じいちゃんー お客さんだよー』
呼ばれたように瑞宮がとっとこ現れて、縁側を飛び越え、部屋に上がり込んでくる。代わりに陸晶と逸信が、客を迎え入れるべく立ち上がった。
『兄ちゃんだ。』
『加賀見の兄ちゃんだ。』
瑞宮に続いて顔を出したのは、黒い髪に黄色い肌、小柄な体格と東洋系の特徴を持ちながら、眼だけが西洋風に蒼い人型の魔物。他の神社や都との伝令役を担っている、郵便屋の加賀見だ。
目の色を除けば何処にでもいそうな青年の姿をしているが、何に属するのかよく判らない、この風変わりな魔物は子供好きで、子獅子たちのことも可愛がってくれている。
「よう。悪いな、食事時に。」
頭を擦り付けて挨拶する陸晶と逸信を順番に撫でてやりながら、加賀見はちっとも悪いと思っていない口調で言い、懐から手紙を取り出した。
「竜堂のばあさんから。
あと、勇も近々顔を出すって言ってたぞ。」
「そうかい。
いつも、手間をかける。ありがとうな。」
関東一円を代表する、大御所からの定期連絡か。
座ったまま礼を言えば、笑って返された。
「なんだよ、改まって。
それこそ、いつものことだろ。」
縁側に腰を据え、子獅子たちの相手をする姿は、相変わらず気の良い青年にしか見えない。しかし、禁呪である移動魔法を得意とし、人よりも数段器用なせいで、面倒に巻き込まれることが多いこの魔物は、だからこそ気まぐれで、我儘だ。誰に従うこともなければ、感情に任せて手を汚すことも厭ておらず、気に入らないものを容赦なく切り捨てる、残虐さも持ち合わせている。
親しき仲にも礼儀あり。彼がこうして伝令を請け負ってくれるのは当たり前ではないと、手紙の主から口酸っぱく言われており、勘違いし、甘えてはならないと自ずから感じる。
何より、誰であろうと背負える荷には限りがある。
『兄ちゃん、おやつ。
今日もおやつくれる?』
挨拶が済んで早々、何時も加賀見がくれる菓子代わりの水晶を、逸信が強請った。
「何だ、イツ。お前がおねだりなんて、珍しいな。」
逸信は性格が大人しく、人見知りする方で、おやつが配られる時も最後になってから漸く寄ってくるくちだ。そのお前がどうしたんだと加賀見は笑い、子獅子特有の額についた暗色斑で、困っている顔に見える逸信の頬を引っ張った。
頬をムニムニ揉まれて固まる兄弟を庇い、陸晶が前足で加賀見の手を叩く。
『イッちゃんが欲しいんじゃないよ。天祥だよ。
テンちゃんがじいちゃんのご飯、欲しがるんだよ。
カリカリおやつを貰えば、きっと我儘言うのをやめるよ。』
陸晶は歳が近く、仲の良い逸信の性格をよく理解している。意思表示の得意ではない逸信が、何を思ってかを察し代弁しつつ、いじめるなと抗議する。
素直に逸信の頬から手を離し、今度は陸晶の頭をクシャクシャにしながら加賀見が目を見張る。
「天祥もか? それはミミ太の仕事だろう。」
なあと話を向けられて、瑞宮がそっぽを向く。
『……ボク、じいちゃんのご飯、取らにゃいよ。』
「そうかい。」
不貞腐れたような物言いに、加賀見は更に笑った。
ああは言うが、瑞宮は食いしん坊だ。陸晶達より少し年上なのを差し引いても活発で、よく動くだけに腹が減るのか、本来、必要がないはずのおやつもよく食べる。
何時もであれば、口に出して強請りはしなくても、まだかまだかと期待に満ちた眼差しを、郵便屋へ向けるのが瑞宮だ。それなのに縁側の隅に丸くなり、下を向いてじっとしている。
やはり、なにかおかしい。