第二十九回
正中線をまっすぐに斬り裂かれた化物の巨体は、僅かに震えた後、背後に倒れた。
その体は瞬く間に塵となって夜風に吹かれていく。
その光景を七郎は半眼で見つめていた。己が悪意に支配され、魔性に転じた報いなれど、それはあまりにも儚い光景だった。
「ーー四郎よ」
右手に三池典太を提げたまま、七郎は四郎に振り返った。四郎の側には、いつの間にか女が侍っていた。
この美しい女は三郎の元にやってきたらしゃであるが、無論、七郎は気づかない。
「お前が求めるのは…… なんだ?」
七郎の隻眼が鋭い光を放ち四郎を刺した。その殺気に四郎は再び右手に蒼い炎を浮かべ、身構えた。
七郎と四郎、二人の対決なるかと思われた時ーー
唐突に七郎は右手の三池典太を手離した。
「むーー」
僅かに眉をしかめた四郎、その一瞬に七郎は踏みこんだ。
二間あまりの距離を一瞬で詰め、七郎は四郎と組み合った。
次の刹那、四郎の体が宙にはねあげられ、頭からまっ逆さまに河原へと落ちるーー
「四郎!」
女の悲鳴が夜空に響いた。
四郎の頭は河原へと落ちてはいなかった。
組討の技ーー後世の柔道における背負投ーーをしかけた七郎は、四郎を背中から河原に優しく下ろしていた。
驚きの眼で四郎は七郎を見上げていた。
七郎が三池典太を手離したのは、四郎の心に隙を産み出すためであった。
その一瞬の隙に、七郎は四郎に近づき、組みつき、投げている。
その気になれば、七郎は四郎の頭を河原の石へ投げ落とし、絶命させる事もできたろう。
が、七郎はそれをしなかった。
「お前は…… 何をするのだ?」
七郎は四郎に問いかけた。もしも江戸を地獄に変えるのが目的ならば、七郎もためらいなく絶命させたろう。
が、四郎から感じるのは清廉なる魂だ。なにゆえ、このような男が魔性に転じたのか。
七郎は四郎に背を見せた。落とした三池典太も拾い、鞘に納めた。
気づけば、四郎も女も姿はなかった。
七郎は夜の闇の中で河面を見つめていた。
ただ独り静かに。
やがて朝陽が登ってきた。
河面が陽光に反射して輝く。
その光景を七郎は静かに見つめていた。




