第二十八回 常に兵法の道を離れず
“気で押せ”
七郎の心に届いたのは、父の声であった。
同時に意識は過去に戻った。己が命懸けで稽古に臨んだ、道場の中であった。
“常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とする事が肝要なり……”
懐かしい父の指導。その言葉は、宮本武蔵の言葉だという。
また宮本武蔵の「五輪の書」には、次の言葉が遺されている。
ーー常に兵法の道を離れず。
それは荒ぶる青春を駆け抜けた武蔵が、自分自身を現した言葉なのかもしれない……
ーー七郎の意識が自らの夢想の中から立ち返り、眼前の怪物を見据えた時、彼の気配は変わっていた。
「むーー」
刮目したのは戦いを見守る四郎であった。
三池典太を手にした七郎に、恐怖も迷いもなかったからだ。
理性も感情も消えている。恐怖に怯える理性も、逃げ出す感情もない。
明鏡止水、あるいは無の境地。
右手に三池典太を提げて佇む七郎に、四郎はなぜか気圧されて声も出ない。
七郎の隻眼の光に刺され、化物もまた声もない。
「ーー魔性、死すべし」
七郎は一言、言った。
今の彼は魔を降伏する不動明王のごとしだ。
その七郎は化物へと、ゆっくり歩を進めた。
一歩、また一歩と……
この間、九朗兵衛だった化物は動かない。
いや、動けない。七郎の剣気に化物は気圧されていたのだ。
七郎は化物の眼前まで歩み寄った。七郎が剣を振るえば、刃は化物に届く。
化物の鋭い爪も七郎の身に届く。
それほどに迫りながらも、両者はまだ動かない……
突如、化物は叫んで両手を振り上げ、掴みかかろうとした。
その動きを察知していた七郎の右手はすでに動いていた。
横に薙いだ三池典太の刃は、化物の振り上げた両手を切断した。
「ーー御免」
七郎は薙いだ勢いを制して、己が頭上に三池典太を振り上げた。
そして一刀を打ちこんだ。
三池典太の刃は、化物の額から股まで一直線に斬り裂いていた。




