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エッセイ

すれ違いにふと思うこと

作者: 久賀 広一

道を歩いていて、人とすれ違う。


あるとき気付いたんですが、挨拶するにしろ、普通にスルーするにしろ、その人にどんな態度を取るかっていうのは、だいぶ前にすでに決めてしまってることがある、と近頃は感じるようになりました。


若さの勢いがあった時代はまだ鈍くてよく分からなかったんですが、例えば一本道で、遠くからお互いを認識し合う状況だと、50メートルくらい前から「なんかイヤな人」というのは分かります(当然まったくの勘違いかもしれません)。


しかし、特に無神経だな、と思えるのは、お互い右側を歩いているにも関わらず、その人が犬を散歩させていて、直前でこちらの進路をふさぐように犬を優先させて動かれるような時です。


「おい。僕は、あんたの犬以下の存在なのか?」


とその人と犬を避けながら、思ってしまいます。

ペットを可愛がる気持ちは分かりますが、年配の方でも、よほどの不可抗力でもない限り尊敬する気が減りますね……


車なんかでも、ありがちなことがあります。

僕の地元だと、ウォーキングをするならだいたい車道メインの道路をさけて、わき道や農道を行くことになります。


さすがに歩道のない場所をよく歩いていると、車の運転者にもストレスをかけちゃいますから……

だからまあ、長年の流れに沿ってルートを選んでるんですが、狭い農道を車がカッ飛んでくることもあるんですよね。


犬の糞を飛び散らせながら走りたいのか? というような暴走車で、大抵そんなドライバーは人を踏みつけるようにアクセルを踏み抜いて行くケースが多いです。


稀にきちんとスピードを落とされることもあるんですが、まるで怒りでも置いていくようにエンジンを唸らせて去っていく。


ーーまあ、人のことばかり責めていても、気持ちの良いことはありません。

だいたい僕も、偉そうに書いていながらちっとも守れていないことがありますから。



……そんな中で、たまに爽快な人に出会うこともあります。


「おっ、兄ちゃん!」


という感じで、早朝の歩き仲間として声をかけて下さる先人です。


その方は建設業を引退されて、10年来ウォーキングされている方ですね。

二つ会社を経営されていたせいか、若者の面倒見が良さそうな。


「兄ちゃんは、姿勢がよくて歩くの早いなあ! 前に競争しようとしたけど、さっぱり追いつけんかったわ!」


そんな感じで、話がだいたい相手を思っての内容であることが多く、「すごいな」と素直に思えます。


それで、僕もそれが良いことなんだと、長い間思ってたんですよね……

「そうか、せっかちな歩き方をしていると思っていたけど、そんな風に楽しんでくれる人がいるなら、それもいいよな」と。


でも、それからずいぶん月日が過ぎて、運動とはいえ、足早に歩きすぎるのも考えものだな、と感じるようになったのです。


きっかけはまあ、やはり他人なんですけどね。


そもそも、せわしなくスタスタ歩いてる人って、このストレス社会じゃあ、それだけで感じ悪くなることもあるんですよね。


過敏な方だと「なんか余裕なさそうで、こっちまでイライラさせられる」みたいな反応があったり。


息苦しい世の中だなあ、と思うこともありますが、そういう経験をして、ある答えに出会うこともできたんです。


……それは、一人の救急医の方の、普段の行動でした。


テレビでやっていた特集をたまたま観たんですが、その方は、スピードとは真逆のことを心がけておられるようでした。

おそらく救急救命は、この世で最も速度を要求される仕事だと思います。


F1(エフワン)などもスピードに人生をつぎ込んでいる人々の大事業かもしれませんが、何しろ救急医は、命そのものを扱っている。


そんな中で、その高名な医師の方は、ものすごくゆっくりと動いておられました。


指示もゆったりしていて、もたついた部下を叱るようなこともなく(もちろん後で教示されたでしょうが)、ただ動きだけがまったくよどみない。


長い経験の果てに、それが最も多くの命を救う方法だと、たどり着かれたのでしょうか。


それを見て、せっかちだった僕は、この世に急ぐべきことなんて何一つないんだな、と感じるようになりました。


ほとんどは時間の使い方を間違えてたり、誰か(会社だったり)のしわ寄せで走らされることはある。

けど、子供の命をギリギリで支えておられるような方が「ゆっくり動く」ことを正解とされているのを知って、どこか救われたような、ホッとしたような気持ちになったことを憶えています。



……また話が逸れましたが、人はけっこう「第一印象」に入る前から把握されてしまっていることがある、普段の行いは、それぐらい大事な瞬間を左右する、ということをふと感じました。


人を丸ごと受け止めてくれる、面白い方へと考えを発展させていく、そんな歩く建設業の社長さんは、なかなかおられない、ということですね。


つまり、道を歩いていて僕の目の前に犬を立ちふさがらせる人は、僕のことなんて人間だとも思っていない、自分の世界だけで生きるという成長を成し遂げた、ある意味で小さな化け物のような気がします。(言い過ぎか…)


しかし、人生の晩年は、時間がたっぷりとある分、他者のことを優先させられる、ゆとりある生き方にたどり着きたいですね…今から、古拙の微笑アルカイック・スマイルの練習をしておきたいと、人とのすれ違いから無理くり学んだのでした…

















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