The end of our tales.
朝、日差しが山の斜面に突き刺さる。由貴斗の眼下には朝日に照らされた海と、朝露で濡れた草がきらきらと光っいる幻想的な光景が広がっている。
午前9時、澄んだ空気は冷たく彼の頬を刺激する。そこまで早い時間でもないが、日が短くなる季節柄か朝日はその寒さとは裏腹にまぶしい光を針のように突き立てていた。
一段一段、作られたとき以来手入れをされていないであろう階段を、由貴斗はカメラを首から下げて登る。昨晩花總と別れた後、押し入れをひっくり返し探し出したデジタル一眼レフは今や型遅れもいいところだったが、レンズにカビも生えておらずバッテリーも充電さえすればまだまだ使える代物だった。彼にとって、久しぶりのカメラの重みが程よい疲労感を与えるのだった。
「…」
階段を登り終えると、由貴斗は無言で周囲を見回す。綾乃との『待ち合わせ』はいつもこの場所だった。
由貴斗は周囲に誰もいないことを確認すると、ゆっくりと歩き出す。足下に敷かれた砂利を踏みしめる音と、どこかで鳴いている鳥の声が山の中腹に拓かれた、この静かな空間に響いていた。
「よっこらせっと。」
由貴斗はとある場所まで歩くと、ゆっくりとしゃがみ、鞄からいくつかの物を取り出した。
「今年も来たぜ。まぁ、一昨日も会ったけどよ。」
誰も彼の周りにはいない。しかし、由貴斗の目の前にあるその手入れのされた墓石の下でで、綾乃は確かに眠っているのだった。
無言のまま、由貴斗は線香に火をつけ手を合わせる。
「今年もちゃんと来てくれたんだね」
「綾乃…」
後ろを振り向くと、一昨日と変わらぬ姿、いや、10年前から変わらぬ姿で綾乃が立っていた。
「全く、遅刻してんじゃねえよ。」
由貴斗は立ち上がり頭を抱えてしまった。
「どうしたの?」
綾乃は優しく由貴斗に寄り添い問いかける。しかし、彼女のその白く美しい手は、由貴斗に触れる事はない。
「オレは、前に進むべきなのかな…?」
頭を抱えたまま、由貴斗は綾野の方も見ずに答えた。
「昨日、色々と花總や忍足と話をしたんだよ。」
昨晩の事をポツリ、ポツリと由貴斗は語った。綾乃は何も言わずに優しく微笑んでいる。
「忍足の気持ちも分かっちまった。花總も…何より、オレは綾乃を忘れられないし、変なところで記憶も飛んじまってる…」
涙。様々な感情が入り混じった涙が由貴斗の頬を伝って、地面に零れた。
「どうすれば…オレは…綾乃、お前は幻覚とか妄想じゃ…花總や忍足とは…オレは…」
その時だった。何も感じなかった由貴斗の肩に、暖かい感触がつたわる
「えっ」
顔を上げる由貴斗、そこには紛れもなく綾乃が『存在した』。
「ごめんね。私、結局由貴斗君をずっと苦しめてただけなのかも。」
綾乃はそう言うと、温もりのある一筋の涙を流した。
「私、理華ちゃんの気持ちも花總君の気持ちも知っていたんだ。そして、由貴斗君が何で色々思い出せないのかも…」
「綾乃…」
由貴斗に出来ることは、愛しい彼女の名前を呟くことだけだった。様々な、今まで心のどこかにせき止められていた想いと記憶が洪水のように溢れ出す。
「そうだ。あの日、オレは待ってたんだよ…あの、海沿いのベンチで。」
全てが繋がった。パズルのピースをはめ込むように、なぜ記憶を無くしたか、なぜ花總があんな話し方になったのか、そして、何故あれほどまでのめり込んでいたカメラをやめてしまったのか。
「そう。私、由貴斗君に高校生最後のポートレート、撮ってもらうって約束してたんだよ。」
泣きながら、綾乃は優しく言った。
「精一杯お洒落して、親にねだってこのコートも買って貰って…」
「だけど、事故で…花總の親父の車に…」
由貴斗は次の記憶をたぐい寄せる。綾乃の葬式で、花總の胸倉を掴みあげた。後ろで悲しそうに由貴斗を止める忍足と、綾乃の母親の姿。そして、ひたすらに謝る花總の顔…
花總の父親は、偶然にも道で倒れている老人を発見し、車に乗せ自分の経営する病院へ運ぶ途中だった。そして、信号のないあの海岸通りへ続く横断歩道で…
「だからね、由貴斗君。これからも花總君を責めずにずっと友人でいて。」
優しい綾乃の声に由貴斗はそっと頷いた。
「ああ、そりゃあアイツもヘビースモーカーになっちまうわけだ。」
全てを思い出した今も、由貴斗は花總を責める気持ちにはなれなかった。むしろ、辛いのは花總も同じだったのではないかと由貴斗は思う。
2人は由貴斗が思い出した記憶も含め、思い出を静かに順を追って語った。
すっかり涙も消え去って、瞼の腫れも引いた頃だった。
「あ、カメラ持ってきてたんだ。」
綾乃が由貴斗の首元にあるカメラを見て言った。
「ああ、なんとなく持ってくる気になったんだよ」
墓石撮るわけにはいかないけどなと由貴斗は笑う。
「ねぇ、由貴斗君。」
「ん?」
綾乃は、思い詰めた声色に由貴斗も身構える。
「『最後』に、あの時の約束…私の写真撮って欲しいな。」
由貴斗は、綾乃の言いたいことを理解した。
「ああ。」
涙ぐんだ声で、由貴斗は肯定する。
「綺麗に撮ってよね」
精一杯の強がり。由貴斗はファインダーを覗き綾乃にピントを合わせ絞りを調整する。既に高く上った太陽の光に輝く綾乃は、間違いなく世界で一番美しかった。
「綾乃、撮るぞ。」
カシャリと、シャッターの下りる音が響く。
液晶には、あの日の綾乃がとびきりの笑顔で映っていた。
「綺麗に撮ってくれたね。」
綾乃が由貴斗の横から液晶を覗き込む。
「当たり前だ。綾乃の写真なんだからな。」
由貴斗はそう言って、カメラの電源を落とした。暗転した液晶に2人の顔が反射して映る。
腕時計は既に午後一時前を指している。綾乃は由貴斗の正面に立ち、ぺこりと小さな体で一礼して言った。
「じゃあね。由貴斗君。」
綾乃が消える、恐らく二度と会うことはないと由貴斗は直感的に理解した。
「ああ、さようなら、だな…」
こらえていた涙が、再び頬を伝っているのがわかる。
「前を見て、進んでね。私のことなんか気にしないで結婚してもいいんだから。」
綾乃も同じく泣いている。
「ありがとう。だけど、絶対に綾乃のことは忘れないよ。」
ゆっくりと、ゆっくりと由貴斗は綾乃を抱きしめる。綾乃も由貴斗の背中に腕を回し、2人とも目を閉じた。
気がつくと、綾乃を抱きしめている感覚は由貴斗の両腕から消えていた。目を開けると、底には誰もいない。由貴斗は盛大に、人生で一番大きな溜め息をついた。
その時、花總と忍足が階段を登り、やってくるのが由貴斗の視界に入った。
「お待たせしました。」
肩で息をしながら、花總が挨拶を述べる。
「おう、気を使わせてしまったな。」
由貴斗は涙を拭い、花總に言う。
「で?デートは…できたの?」
忍足もゼエゼエと息を切らしながら、由貴斗に問いかけた。
「おかげさまで…な。」
そう言って由貴斗は踵を返し、少し離れた綾乃の墓へと再び歩き始める。他の2人もそれに続いた。
「なぁ、2人とも。」
由貴斗は墓石の前に立ち、二人に言った。
「オレ、少し前に進んでみるよ。」
「ああ」花總は驚きの表情をしたが、何かを理解したようにそう言って頷く。
「遅いわよ。」
忍足はなぜか少し涙目になりながら由貴斗の頭を軽く叩いた。
三人は、それぞれの思いを胸に抱き、手を合わせ、綾乃との四人での同窓会を始めたのだった。
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「前を見て、進んでね。私のことなんか気にしないで結婚してもいいんだから。」
「ありがとう。だけど、絶対に綾乃のことは忘れないよ。」
階段を上がりきろうとした2人は一番最後の段の向こうに、
信じられない物を見た。
「綾乃…!」
忍足は、何が目の前で起こっているのかを理解する前に、本能的に走り出そうとする。しかし、それは花總によって引き止められた。
「待ってください!」
小声で忍足を静止する。
「ここは、彼の邪魔をしないであげてください!お願いです!」
「でも…!」
「お願いします!」
忍足は花總に右手を握られたまま、再び階段上に目をやる。由貴斗と綾乃が抱き合っているその姿を見るのは忍足にとっても辛い物があった。でも見届けなければならないという使命感が、彼女の心のどこかに芽生えていた。
「いいですか。僕たちは何も見ていません。」
「え?」
花總の言葉に、忍足は思わず聞き返す。
「これはきっと現実です。貴女の反応を見るに、きっと今僕と同じ物が見えているはずでしょう。」
忍足はそっと頷いた。
「しかし、これは彼と彼女の思い出にしてあげましょう…」
「花總君…」
花總は、由貴斗に対して今でも罪悪感を感じている事を、忍足は知っていた。ここは彼の気持ちを、悔しいけれど汲むことに渋々と同意する。
階段で息を潜める2人に、由貴斗の大きなため息が聞こえてきた。ちらりと覗くと、由貴斗は既に一人になっている。
「行きましょうか。」
「ええ」
二人は、階段を駆け上がるように登りきり、由貴斗の元へと向かった。
くぅ~疲れ(ry
完結です。
気合いいれて自分の力を出し切りました。
ここまで泣ける素晴らしい話を書けるなんて(自画自賛)
冗談はさておき、ここまで読んでくださっている方がいらっしゃいましたら厚く御礼申し上げます。これからも精進して参りますので、また次の作品をよろしくお願いします。
匿名希望のS






