Smoking to conceal scars
由貴斗、花總、忍足…この三人の優しさ故に絡まる思い。
赤提灯が、冬の空っ風に揺られる。ネオン街というほどの物でもないが、この小さな町にも飲み屋が立ち並ぶ通りがあった。昔を知る高齢者は『ゴールデン街』と呼ぶが、正式な名前ではなく、歓楽街の組合が勝手にそう名付け『ゴールデン街』と煌びやかに輝くネオン看板まで作ったそうだ。、かつては炭坑によって栄えた町にあわせ数え切れないほどあった居酒屋やクラブ、キャバレーはもはや片手で数えられるほどしかゴールデン街には残っていなかった。
「いやはや、遅れてしまいましたか
ね…」
ネクタイを風になびかせながら、花總がゴールデン街の入り口に颯爽と現れたのは花總だった。カジュアルファッションではあるが、見る人が見れば一流のハイブランドで身を固めているのが瞬時に分かる。海沿いの片田舎、ましてや寂れた歓楽街には似つかわないが、それでも絵になるのは花總だからだろうか。
「まぁ…よしとしますか。」
意味は花總本人にしか分からない独り言だった。同窓会途中で急に仕事で呼び出された花總は、既に始まってあるであろう写真部の二次会で、どのように謝るかを考えてはみたが、遅れた事実は消せないし、何よりも人の命に関わる仕事をしているという自負から、素直に謝る事が最前だと判断した。
「写真部の人間は、そんなちっぽけな人じゃあ、ないですからね。」
誰かに向けた言葉ではない。それは花總が友人二人を誇りに思うかのような呟きだ。
ジャケットの内ポケットから銀色のシガーケースとオイルライターを取り出して、煙草を一本ひょいっと咥える。カチンというライターの金属音が響いたが、すぐにどこかのスナックから漏れてくるカラオケの音にかき消されてしまった。オイルの匂いとライターの灯りが花總のその整った顔をぼんやりと照らしていたが、花總は、煙を一口吸うとすぐにライターとシガーケースをしまい、目的地に向かって歩き出すのだった。
「やあ、花總君。」
ハスキーだが艶やかな女性の声に、花總は煙草を咥えたまま振り返る。
「おや、お疲れ様です。忍足さん。」
花總はすぐに口から煙草を離し挨拶を返した。
「途中で一次会を抜けたから、仕事だとは思っていたけど…遅れているんだからもう少しは急ぐ素振りを見せたらいいんじゃないかしら?」
既に酒が入っているであろう忍足はどこかハイテンション気味にそう言った。ショートヘアのその髪型から、花總は赤ら顔なのが暗がりでもよく見えていた。
「これは申し訳ありません。彼はもう来ているんか?」
「当たり前じゃない。行くわよ!ほら、ちゃっちゃと歩く!」
花總は半分ほど残ってる煙草を携帯灰皿に入れると、忍足の背中を追いかけた。
「いらっしゃい!お、理華ちゃん帰ってきたぞー」
ゴールデン街の裏路地を一本入った所にある小料理屋『道連れ』。そこが二次会の会場だった。どうやら忍足の行きつけらしく、マスターも気さくに忍足の事を名前で呼んでいる。
「あ、やっとこさ来たか。」
マスターの声で店の奥の座敷から顔を覗かせたのは由貴斗だった。
「すいません、仕事が色々とありまして…」
花總は、謝りながら座敷へ入るとジャケットを脱ぎ、ハンガーにかける。
それに続き、忍足もヒールを脱いで一番下座に座った。
「おつかれさん。忍足がお前が、こないと乾杯できないからって探しに行っちまったから寂しかったよ。」
由貴斗はケタケタとちゃかしながら花總の背中を叩いてそう言った。
「じゃあ彼女が酔っているように見えるのは…?」
「一次会でしこたま飲んだらしい」
又聞きだけどな、と由貴斗は付け加え、ビールを花總の前に置かれたグラスに注ぐ。金色に光る液体が注がれると共に、グラスには三人の顔が歪曲して映った。
「それじゃあ…」
忍足がグラスを持って立ち上がる。由貴斗と花總も、つられて腰をあげた。
「ささやかだけど、写真部の貴重な同期のみんなに乾杯!」
『乾杯!』
かちゃんとグラスをぶつけ、小さな宴が始まった。
「由貴斗ー、私はいつになったら結婚できるのよー」
小一時間が過ぎて、魚と野菜でいっぱいだった鍋はもはや〆の雑炊を待つばかりとなった頃、忍足は完全に出来上がっていた。
「知るかよ、お前も医者なんだからいくらでも男なら寄ってくるだろ」
日本酒の入ったお猪口を片手に由貴斗はぶっきらぼうに返す。
「医者なんてねー、忙しくて男探してる暇もないし寄ってきたとしてバンドマンとか小説家都下そんなのばっかりなのよー!」
「全部『自称』が頭につきますけど、ね。」
管を巻く忍足に、小説家である由貴斗に気を使ったのか花總が冷静に付け足した。
「あー、もうやだー」
忍足はそう叫ぶと、席を立つ。
「どこ行くんだよ?」
「おしっこー」
全く…と言わんばかりの顔で呆れた花總だったが、忍足が座敷の扉を閉めた事を確認すると、赤ら顔のまま真面目な顔になった。
「さて、貴方はどうなんですか?」
足を組み直し、花總は由貴斗に問いかける。
「どうって…なにが?」
由貴斗は突然の質問を見越していたかのように冷静に答えた。
「まぁ、忍足さんの気持ちですよ。気づいていないわけは…」
花總がそこまで言うと、由貴斗は右手を挙げ、待ったの動作で彼の口を制止した。
「まぁ、待て。取りあえず、何も言わずオレの質問に先に答えてくれないか?」
いいでしょう、と花總が言うと、由貴斗はお猪口に残った日本酒を一気に飲み干す。
「まず初めに、オレには綾乃がいる。」
「だと思いました。今日ここにいないのは残念ですが…」
「明日の朝会えるからいいんだよ。昼からはお前等も来るんだろ?」
花總は相変わらず何時もの笑顔を貼り付けたまま、無言で肯定した。
「そして、お前がオレにした質問は、そのままお返しするよ。」
由貴斗の言葉に花總はピクリとも表情を変えなかったが、その目の奥が瞬間的に色を変えたのを彼は見逃さなかった。
「お前忍足の事、好きなんだろ?昔からさ。」
花總は、二秒ほど考える素振りを見せたが、手を伸ばしわずかにビールの残ったグラスを口に付ける。
ゴクリ、と音を立てて栓の抜けたビールを飲み干すと、ゆっくりと口を開いた。
「ああ、そうですよ。僕は…いや、オレは忍足さんが、理華の事が好きなんだよ!」
ばん!と乱暴に空いたグラスを置くと、花總は叫んだ。
「そうだよ、思い出した。お前元々こんな喋り方だったんだよ。いつからだ?あんな笑顔を張り付けたような…」
「うるさいっ!」
花總は由貴斗の言葉を完全にシャットアウトし、叫び続ける。
「わかんないだろうよ、由貴斗にオレの気持ちが。理華は高校の頃からお前のことずっと想ってんだよ。」
「お前…」
「由貴斗、オレは高校卒業と同時に理華に告白した。まぁ、結果はフられちまったんだが、なんて言われたか分かるか?」
普段は見せない、花總のその迫力に、由貴斗は押し黙ったまま首を横に振る。
「理華の奴『ごめん、由貴斗の事を好きだった私に嘘をつきたくない』って言ったんだよ!」
「まぁ待て。オレは知らねえぞ。忍足がオレの事をそういう風にみてたって…」
「だろうな。知る分けねえよ。由貴斗が月宮と付き合ってからだよ。理華が自分に素直になったのは…」
ここで、座敷のドアが開く。慌てて由貴斗と花總がドアに視線を送ると、理華が立っていた。
「おまたせー。ついでに酒、追加しといたからー!」
聞かれたか…?と2人は一瞬目を配らせたがそのような様子を見せない理華に安堵した。
「まぁ、この話はここまでにしましょう。まだまだ夜は長いですよ。ただ、一度外で煙草を吸ってきますね。」
花總は瞬時に普段の冷静なジェントルマンに戻っていた。
「行ってこいー、高額納税者ー!」
相変わらずベロベロになっている忍足は、手を千切れんばかりにブンブン振りながら花總を送り出した。