サン=オブ=ヒーロー
老人と幼子が木剣で打ち合っている
傍で見ると祖父と孫の戯れに見えるが幼子の目は真剣そのもの。
祖父の方は孫のその目を微笑ましく眺める
その感情の機微を感じ取り
少年はそれを油断と捉え逆手に取ろうとしているが、年季が違うのか切りかかった少年の木剣は祖父が軽く手首を返すと同時少年の手から離れ遠くへ落ちた
「まだまだお爺様にはかないませんね。」
少年は自分の木剣に悲しげな視線を向けると拾いに歩き出す。
「いやいや、お前は覚えがいい、私などすぐに超えるだろう。」
祖父のいうとおり、少年の剣技は同年代の者たちより抜きん出ており、彼の父と同じく天才と目されていた。
少なくともいま少年を打ち負かした老人が同い年の頃に同じ技を受けていたら、後ろに倒れて無様を晒したろう。
少年は老人からどんな技を受けても、木剣を手放すことはあっても、決して体幹をぶらさず、倒れることはなかった。
試合なら負けだが実戦ならまだ勝負はついていない。
「お世辞はいいです。」
孫は祖父がどれだけ褒めても身贔屓としか受け取らない、彼の父親がそうであったように...彼の父、息子の幼い頃に稽古をつけてやった時も同じだった。
ー血は争えんなー
稽古を終え、2人は屋敷へ帰路につく。
2人が歩く街並みは賑やかで暮らす人々は活気が溢れていた
今は亡き英雄、老人の息子少年の父が切り開き、発展させた領地、とその首都である街は世界のどこよりも発展が進んでおり、まるで未来からこの街だけ切り取られてきたかのように錯覚しまいそうになるほど
「よく見ておくんだ、この街だけではない
お前の父が世界に残したものは数多い。いずれお前のものになる。」
父親の遺産を息子はまだ幼いが故受け取れていなかった、今は彼の叔父が当主代理として預かっている。
兄がなくなったのをいいことに財産を乗っ取る気ではと少年の母は警戒しているが。
そんな一族の泥沼など純粋無垢な幼子にはまだ関係のない話、今は楽しい少年時代を送らせてあげようと祖父は思う、彼の父親もそれを望んでいるだろう、そのために命をかけたのだから。
「お前の父は自慢の息子だった、教えることなど何もなかった、むしろわしの方が多くのことを彼奴より教わった、誇りじゃよ。」
かつて世界を闇が覆った、地獄より悪魔たちが溢れて人々を食い荒らし、悪魔たちの長
魔王はその凶悪な力で世界を滅ぼそうとした人々が絶望にくれる中、勇者が現れ、悪魔の軍勢を斬り伏せ、魔王と死闘を繰り広げ、その果てに魔王を討伐し世界を救った。
しかし、惜しむべきかな勇者は魔王との戦いの傷が元で死んだ、幼い忘れ形見を1人残して
「わしより先に逝ったことは親不孝だが相手が魔王では仕方のないことかもしれんの、息子と並んで戦う力のなかったわしが後から文句を言っていいことではない。」
「息子の私は文句を言っていいですか?父が死んで、母が悲しみました、多くの人が悲しみました。」
「それもまた、いかにお前の父が偉大だったかの証だ。」
壮大な葬儀の様子が思い浮かべられる。
棺の中の遺体は魔王から受けた攻撃でボロボロであり、遺族の悲しみを少しでも和らげるために仮面や装飾で傷は隠されていた。
遺体にすがり泣き続ける母の姿は少年の胸を痛くさせた。
勇者の背を守り強くたくましくあった母の背が子供のように小さく見えたのは後にも先にもあの日だけ。
「お前を見ればわかる、息子はよき父でもあったと...。」
「?」
今さっき父に対して不満を漏らしたばかりだ。
だが何から何まで父親とそっくりだから、
「不出来な父親を持ったに関わらずな。」
幼き頃から学問も武術も優れ天才、神童と言われた者、父は誇りに思うと同時に劣等感も感じていた。
ー我が子の自慢の父になりたいー
そう願う父親は肩に力がはいりすぎていた。
我が子の初陣、かつて戦乱の世、勇者の活躍により和平の時代になるより前。
少年たちは年端もいかないうちから戦場に出され、人死に慣れるようにと徴兵されていた
他の親たちが子と別れを済ます中
「必ず生きて戻ります、決して父上と母上を悲しませるようなことはなさいません。」
顔を青くしている両親を彼は気遣った。
「そんな弱気でどうする、我が家の男児たる者死んでも手柄を立てんか!」
父は彼を怒鳴りつけた。
父親の顔は次の瞬間しまったと表情が変わるが。
彼はそれを見ていなかった、すぐに跪くと家来が王するように礼を取った。
「は!申し訳ありません父上!家名に恥じぬよう、必ずや戦果を持ち帰ります。その暁にはお褒め言葉を賜りたく思います。」
「...う...うむ」
ーまて、いくな違うんだ、お前の言葉嬉しく思った、でもそのまま受け取ってはいけないと思って、お前に発破をかけようと...ー
「お爺様!お爺様!」
祖父は孫を抱きしめていた、本人も気づいていない。
「あの時なぜお前を抱きしめてやらなかったのか...あれが最後だと知っていれば。」
その日のやりとりが親子の今生の別れになった。
知っていれば愛していると伝えたろう。
ただ、無事に帰ってきてくれたなら
天才でも神童でも、勇者でも英雄でもない
お前を愛している。...と。
「私は優しいお前を傷つけただけだった、お前に私など必要なかったのに...、余計なことをして...」
「お爺様は不器用な方なのですね。」
「...!?はっすまん。」
祖父は相手を間違えていたことに気づくと慌てて離そうとするが今度は孫の方が離さない
困惑する、祖父に孫は親が小さな子供に言い聞かせるように優しく語りかける。
「父に昔、言ったことがあります、父のような英雄になりたいと...」
口調はどこか神聖さを感じさせるとの人を安心させるものだ。
「父は私にこう返しました...。」
在りし日の英雄とその子の姿は。
「かつて天啓を受けた、お前は勇者だ来たる未来、闇より悪魔たちが押し寄せる、立ち上がり剣をとり、世界を救え...と。」
「私は逃げ出そうとした、私が立ち上がり戦えたのは、君のお爺様とお祖母様が私を愛してくれたからだ。」
「私はね、歪んでいたんだ、他の子と違った、弟が生まれた時気付いたよ」
「それでも二人は私を愛してくれた、あの二人の子で幸せだった、それだけで生きていけるくらい、だから二人を守るためならと私は剣を取り戦地に赴くことができた」
だから、英雄になりたいなら私よりもお爺様を手本になさい、私よりもずっと偉大な人だよ
幼い寝顔微笑ましく眺めながら老人は幼子の姿を通して無くしてしまった宝物の面影を見る
「お前を愛している」
届かなかった言葉、永遠に届かなくなった今だからこそ狂おしいほど伝えたい気持ちそれは空気に溶けていく
老人は死ぬまで在りし日の己を呪い続けるだろう
見栄を張らずとも良かったのだ、息子はありのままの父を敬愛していたのだから
失っただけではない、息子の残した忘れ形見を守るため残り少ない命を捧げる
我が子の葬儀の日に誓った老人の信念、老人は自分の気持ちを確かめると部屋を出ていく、安らかに眠る幼子だけが部屋に残る
無垢なる寝息が部屋に響くのみ
この日から数年後新たな勇者による英雄譚が始まるが、それは別の話