冬の女王様の隠し事
パチパチと弾けるような音をたてて、木の枝が燃えている。手のひらを近づけてみると思ったよりも熱を感じすぎた、慌てて両手を擦り合わせ誤魔化す。
もう何日、ここで暖をとっているのだろうか。あと何日、暖炉を前に、この子に話しかけ続けるのだろうか。
立ち上がり、部屋の中を歩く。私に許されたごまかし程度の運動。
窓越しに、外を見る。ここから見る景色はいつもそう、一面の銀世界。この窓を通すとき、世界は雪化粧をしないと私に会ってくれない。それはデートの時だけ気合を入れて化粧をしていた母を思い出す。
「そうね、きっと大地は恥ずかしがり屋さんなのね」
母がそうだったから。
腕の中で踞り、撫でられるがままになっているのは、白いウサギさんだ。まるで雪が動き出したかのような白くもふもふしたウサギさんは、この塔に迷い混んでしまった。
そうして、魔女──ではなく女王に捕まった。
捕まえた理由は、ただ……ちょうどいい話し相手だったってだけ。一人ぼっちで3ヶ月を過ごす、そんな生活にも飽きていたから。
この冬を乗りきるために、と多めに買った食糧を分け与え、餌付けした。その甲斐あってなついてくれたのはいいのだけれど、この子はどうにも動こうとしない。
気づけばいつも抱き抱えている。一緒にいる。……そんな友達は初めて。
「うぅ……さむい……」
『冬の女王様』と呼ばれる私だけれど、寒いものは寒い。窓際から離れ、暖炉の傍の定位置へと戻る。
パチパチ、パキンパキンと弾ける音を聞きながら、薪の在庫を確認する。……持って、あと一週間だろう。
「潮時かしら……」
この塔に籠って早いこと7ヶ月。
今年の冬は長いねぇ、なんてお気楽思考の人々も、いい加減に季節を変えろとせがんできてる頃だろう。塔に入れないようにとドア前にバリケードを作ったものの、そろそろ兵士が蹴り破ってもおかしくはない。
「食糧も残り少ないものね?」
「プゥ、プゥ」
子豚みたいな鳴き方をするウサギさん。名前は豚汁。指先でくすぐるように、耳の根本辺りから尻尾までなぞられるのが好きみたいで、甘えた声を出すのが愛らしい。
かわいいしもふもふだし自分の足で動かないことを除けば非の打ち所がないパーフェクトウサギだ。でも、悩みの相談役としては不十分だった。
「はぁ……やめたいわ、こんな生活……」
私は、代々続く季節の女王様が、嫌で嫌で仕方ないのだ。
この国はたった一人の王様と、とある四家に支えられて動いている。
代々『季節の女王様』を勤めている春家、夏家、秋家、そして私の生まれた冬家だ。
この国の真ん中には『季節の塔』と呼ばれる摩訶不思議な塔がそびえ立ち、そこに季節の女王を軟禁することで季節を変えることができる。
原理はわからないが、この国ができた瞬間から決まっていることらしい。きっと神様と呼ばれる存在がこの世界を作ったのはその瞬間で、それより前の歴史は神様の捏造だ。
春の女王様が入れば桜が咲き乱れ、虫や花が喜ぶ春を迎える。
夏の女王様が入れば日差しが暑く、楽しげに遊ぶ夏を迎える。日焼けするのが嫌いな私こそ夏の女王として塔にこもっていたかった。
……秋の女王様が入れば、木々が色づき人々も落ち着く秋を迎える。
そして私が、冬の女王様が入れば雪が降る。つまりは冬が来る。
私は、こんな世界が嫌いだった。なにより、この『冬の女王様』が嫌いだった。
生まれたのもこの塔だ。母が冬の女王様の勤めを果たしているときに、誰の援助もなく一人で私を産み落とした。
育つ時だってそう、私は基本的に祖母に育てられた。父の顔はそもそも知らない。母も祖母も、悲しい顔をするだけで、何も教えてくれない。
冬になれば母は塔にこもり、他の季節の時はふと国王に呼ばれ何日もいなくなった。
でも、私は雪が好きだ。
はらりはらりと儚く降り注ぎ、それでいて誰の目にも留まらず消える雪の粒も。積もり積もっては子供に握り締められ投げつけられてる雪も。
この寒さだって愛おしい。
あいにく私に恋人はいないが、人々が寄り添い暖めあう姿は見てるこっちが暑くなってしまうようで、いつか私も好きな人ができたら……なんて、そう考えていられる瞬間が好きだ。
街並みも、普段見せないような顔を見せる。イルミネーションが光輝き、雪で着飾る。そんな家を両脇に、まだ足跡で穢されていない白い絨毯を歩くのが好き。
冬が好きだ。私は冬という季節が一番好きだ。そして、私の一番嫌いな季節も冬だ。
冬は私から色々な物を奪う。
小さいときは母を、成人してからは冬の楽しみを全て奪われた。
だから私は決めたのだ、この世界への反逆を。
私は──この国から冬を奪ってみせる。
私が密かな、それでいて凶悪な野望を秘めてこの塔にこもってから、10ヶ月経った頃。
彼は現れた。幼馴染みで、季節の女王全員と仲が良くて、いつも私を遊びに誘ってくれた男の子。
最近は会って話すことも無くなっていたというのに、私がバカなことをしたから心配で駆けつけてくれたんだろう。
名前はー……なんだっけ?
「やあ、冬の女王様。女王から引きこもりに転職かい?」
「そういう貴方は窓とドアの区別がつかないみたいね。そのまま手を離せばバカも直るかもしれないわよ」
「おあいにく様。まだ死ぬつもりは──っと、無いものでね」
窓から颯爽と現れた彼が、室内へと侵入する。
季節の塔に、女王様以外が入ることは許されない。季節が乱れてしまうから。
……なんて、言い伝えがあるけれど、そんなことはない。女王様が2人同時に入っていても季節は乱れることなく進む。だから一般人の一人や一匹程度、別になんてことはない。
流石に、女王様が4人同時に入っていたら、どうなるのかわからない。怖いから実証もできないのだし、ね?
「助けに来たよ、お姫様」
「あら残念、ここには女王様はいてもお姫様はいないの。出口はそちらでしてよ?」
「女の子はみんなお姫様みたいなものさ。……何かあったの?」
無意識か、はたして意識的か。彼に口説かれるけれど、まったく心に響かない。顔がそこそこイケメンなせいでコロッと落ちる女も少なくないのだと聞いていたけれど、あからさますぎて私は遠慮したい。
に、しても……風の噂で聞いていたとは言え、ここまで酷いものだとは思わなかった。
「何か、外に出られない理由でもあるのかい?」
「…………ええ、そうなの。困ってしまっているの」
みんなが冬を必要としていて困っています、なんて言えるはずもない。だから私は用意していた言い訳を口にした。
「春の女王様は無類の動物嫌いで有名よ。虫はダメ、小動物もダメ、究極人間以外全部ダメなんじゃないかって話、聞いたことある?」
「有名な話だからね」
私も虫は苦手。それでも犬は可愛いし猫はあざとい。ハムスターはもふもふしててカエルは……その、デフォルメされたやつなら。
私は餌付けしたウサギさんを抱き抱える。彼が来ても、暖炉の前から動くことなくもふもふしていた豚汁。
そっと抱き上げながら、小声で「頼むわよ」と願う。
「外の寒さから逃げてきてしまったようなの、ここは暖かいものね。きっと寒かったのね。……ああ、でも困ったわ。春の女王様は動物嫌いだというのにこの部屋はウサギさんが住み着いてしまっているわ」
「その子が原因だったか……」
彼が豚汁を睨み付けるので、私の体で隠す。彼は、困ったように頬を掻いた。
「……あー、ほら。ウサギを外に逃がせば」
「寒さに震える子を外に追い出せっていうの?」
「毛布にでもくるめば」
「外は雪が降り積もっているわ。外に出ても、すぐ戻ってくるはずよ」
「そもそも春になれば──」
「春にするためにはこの部屋をどうにかしないと。でもウサギさんが……」
彼は芝居じみた様子で頭を抱えた。なんてこったい、なんて今日日聞かない台詞ね。
「無限ループじゃないか」
「ええ、だから困っているのよ」
頭を抱える彼と、口元に隠しきれない笑みを浮かべる私。
彼がウサギさんを外に出そうと抱いても、暴れ、すぐに暖炉のそばへと戻っていく。暖炉のそばでのみ餌を与えていたのが効いていた。
諦めきれないのか、ただのバカなのか。彼は餌を均等に並べ、出口まで誘導する方法をとったみたいだけれど、3、4個の餌を食べたところでお腹が一杯になってしまったらしい。ぶぅぶぅと可愛らしい寝息をたてて寝てしまったウサギさんを、そっと撫でる。
あなたはほんとうに怠け者ね、私の王子様みたい。
「……またくるよ、冬の女王様」
「二度と来ないでほしいわ」
彼はその言葉を照れ隠しと受け取ったらしい。満面に近い笑みを浮かべ、窓から飛び出していった。
10メートルほどの高さの窓から、ロープ一本で降りていくなんて、男の子ってバカなのね。そもそもロープ一本でここまできたのがバカといか言いようがないわ。
……今このロープを切ったら私は平和になれるのかしら?
「ぶぅ」
「やらないわよ、さすがに。あんなのでも友達なのだし」
ウサギさんはその答えを理解したのかしてないのか……再び眠りの世界へと旅立っていった。
私も今日は寝てしまおうかしら。お昼寝は飽きなくていい、素敵だ。
次の日、彼は再び窓から入ってきた。
「今日こそ君を外に連れ出してみせる!」
いい迷惑。いえ、本当の本当に迷惑だからやめてほしいのだけれど。
私の思いを知らない彼は部屋を出て、塔の下へと向かっていった。玄関前のバリケードを開けられてはたまったものじゃない。私も慌てて彼を追う。
「うん、このくらいならなんとかなるかな」
彼が向かったのは玄関などではなく、塔の中程にある食料庫として使っていた部屋だった。暖炉の熱も届かなく、少し肌寒い。
彼は窓から身を乗りだし、高さを確認するとロープを垂らした。
「……何をしているの?」
「入り口には衛兵さんたちがいるからね、侵入するなら裏口だろう?」
「貴方が入ってくるのは窓、今出ようとしてるのも窓」
彼はロープを伝って降りるのではなく、ロープを引き上げ始めた。
ピンと張ったロープから、何かを引き上げていることがわかった。食料でも補充してくれるのかしら?
「──えっ?」
「久しぶりー! わー、本物の冬の女王だー!」
窓から現れたのは、春の女王様だった。動物嫌いで有名な彼女は、出会い頭に抱きついてきた。
私の首にぶら下がるようにしている彼女に、ブンブン尻尾が振っている子犬の姿が重なる。
「え、えっと……どうしたの……?」
「冬の女王こそどうしたのだよー!? なんでこんなに出てきてくれないのっ」
あたふたと彼を見ると、微笑ましいものを見ているように、顔を蕩けさせていた。そういえば、春の女王様と彼はとても仲がよく、恋仲を疑われていたんだったっけ。
その噂の真偽は確認してないけれど、もしかしたらありえるのかもしれないと。そう思わせるほどに、春の女王様を見つめる彼の顔はだらしなかった。
「冬の女王?」
「え、あ、ごめんなさい。少し、驚いてしまって」
「久々に会えて嬉しいもんねー!?」
ぎゅむぎゅむと抱きしめられて、ますます困惑する。正直、春の女王様は怒るものだと思っていたから。
……いや、私が怒られたかっただけなのかもしれない。
ひとまず彼女を引き剥がして、私は言い訳を展開する。
ウサギさんが寒さから逃げてここに迷い混み、住み着いてしまったこと。
春の女王様と入れ替わろうにもウサギさんはこの塔を気に入ってしまって、出ていってくれないこと。
ウサギさんと聞いた彼女の目が輝いたのは、少し、嫌な予感がするけれど……。
「春の女王は、動物嫌いなのよね……?」
そっと、自分の頬に触れた春の女王様。
上手く化粧で隠しているものの、ファンデーションの下の頬には、犬に噛みつかれた痕が残っているのだろう。他にも左腕を捲ると猫に引っ掻かれた傷があるのを私は知っている。ハムスターを手に乗せると溜め込んだ餌をばらまきながら逃げられることを知っている、よく見ていた。
虫は……元々触れないんだったかしら。
「……うん。まだワンちゃんは怖い。にゃんちゃんも触れないし、他の子たちも、痛いことするんじゃないかって……」
彼女は無類の動物嫌い、それは確認できた。きっと私の思い通りにいく。
口元だけに笑みを浮かべ、それでも悲しそうな表情を作り、春の女王様を抱きしめる。
「嫌なこと思い出させてごめんね……っ」
なんて、バカバカしい。
けど、謝りたいのは本当。ごめんね、春の女王様。私の計画に利用して。
冬の女王たった一人が塔に引きこもるだけでは無理矢理に追い出されるかもしれないけれど、春の女王様も塔に行きたくないと言えば、このくそみたいな仕組みも廃れるはず……!
「どうだい、春」
「ん、ケー君。ついてきて、くれる……?」
こいつの名前ケー君っていうのか、けー……けいた? けーすけ?
ダメだ。ヒントをもらったというのに、このちんちくりんの名前がわからない。
春と呼ばれた春の女王様は、ケー君(他称)と手を繋ぎ、ウサギさんの元までの案内を頼み込んできた。
動物嫌いを克服するつもり、かな……まずい、恋人がいればなんとかなるとか脳みそお花畑の考えは予想してなかった。
「無理してはダメよ、春の──」
「冬の女王様」
強い声で遮られる。ケー君(仮称)と手を繋ぎ、勇気を分け与えてもらってるとでもいうのか、彼女は凛々しい表情で私を見据える。
「いつまでも怖がっていてはダメなの。だって私は、今代の春の女王様なんだから!」
「……。……そう、ね。……ウサギさんはこっちよ」
その言葉は自分に言い聞かせるような強がりだった。
けれど……なんでだろう……。
「──胸が痛いわ」
結論から言えば、私は失敗した。
ここ半年ほど一緒にいた豚汁は人に慣れ、初対面の春の女王だろうと暖炉のそばから動くことはなかった。撫でられても「なんだかいつものことか」みたいな老成した顔でぶぅぶぅと豚みたいに鳴いていた。
春の女王も春の女王だ。
「噛まないよね!? 引っ掻いたりもしないよね!? ほんとだよ!? 信じるよ!?!?」
なーんて、大騒ぎ。そこまで怖いならやめればいいのに、なんて言えるはずもなく。
噛まない。爪を立てない。暴れない。
惜しくも春の女王のトラウマ要素を一つたりと持ち合わせていないこのウサギならば、春の女王とて触れるらしい。
何より春になれば塔から出ていくかもしれないので、少しの共同生活ならやってみる! と受け入れられてしまった。
どうやって帰ってきたのかはわからない。
あのまま春の女王と豚汁を季節の塔に置き去りにして、私は王様の元へと向かった。ケー君もついてきた。
しんしんと降っていた雪は止み、隠れていた太陽が顔を出した。
ぽかぽか陽気で雪が溶け始め、花が咲き、虫が動き始め、満開の桜が咲き乱れた。
そこかしこから春の訪れを祝う声が、私にとって最悪な声が聞こえた。
「啓介、よくぞ春を連れてきてくれた」
王様に事情を説明したところ、ケー君……啓介と呼ばれたこの男が功労者ということになったらしい。
私は厳重注意くらいで罰なんかはなかった。今後は無いように、とキツく言われてしまった。つまり私は冬の女王様を辞められないのだ。
「ありがたきお言葉」
「して、啓介よ。そなたに褒美を授けよう。──何を望む?」
絶望のドン底で、私は彼の声を聞いた。
「冬の女王様との結婚を望みます。苦悩多き彼女を支え、これからもこの国に冬を届けるために」