六話 信頼という名の確信
「おー、ピッタリだな」
三百年の眠りから目覚め、エレナと再会してから二日後。
ユリエルは塔の最上階――学園長室にて魔法学園の制服一式を受け取り、身に着けていた。
白いシャツを身に纏い、濃いグレー色のズボンを履く。そしてシャツの上にズボンと同色の上着を羽織る。
一見して軍服のような装いだ。
制服のサイズ感を確かめながらユリエルは上着の襟元の下を通すように、金色のネックレスのようなものをつける。
この上からさらに、魔法学園の象徴ともいえるマント型の黒いローブを羽織れば魔法学園の制服の正しい着こなしと言える。
ローブにはフードがついているが、エレナの話によれば戦闘状態にないときは基本的に被らないらしい。
それらを身に纏ったユリエルは満足げに頷きながら、ソファに腰掛ける。
少しして、学園長室のドアが開けられてエレナが入ってきた。
「制服のサイズはどうですか?」
「ちょうどいい。着心地もいいしな」
ユリエルの感想に「それはよかったです」と微笑みながらエレナもまた彼の対面に腰を下ろした。
「昨日も言ったように、今日からユリエルには第二階級第一等級のクラスに編入していただきます。それに伴って、今日まではこの塔の一室で過ごしていただいていましたが、他の生徒同様に学生寮に移っていただきます。それと――」
「――俺に、魔力がほとんどないってことだろ?」
「ええ、まあ」
言いにくそうにしたエレナに代わってユリエルがその事実を口にする。
この時代、人族ならば誰でも魔法を扱えるのかと思っていたがどうやらそこまで甘くないらしい。
魔法が広く世に体系化された今でも、魔法を扱う才能というのは必要なようだ。
「正確には魔力がないというよりも、抵抗が大きすぎるといいますか……でも、大まかな認識としてはそれで正しいです。魔力回路測定の結果、この学園に通う生徒たちのように魔法を連続使用できるほどの魔力は、残念ですが……」
申し訳なさそうにエレナは頭を下げる。エルフ族の特徴である尖った耳がしゅんと垂れている。
「それでも、全く使えないってわけじゃないんだろ? その辺りは試行錯誤してみるさ」
快活な笑みと共に前向きなことを言うユリエル。その姿にエレナは思わず苦笑してみせた。
しかしすぐにまた、表情を暗くする。
「後、もう一つ確認することが。昨日のうちにユリエルが目覚めたことに関する書状を陛下にお送りしました。どれだけ時間がかかるかわかりませんが、そう遠くないうちにユリエルの処遇が決まると思います。その結果いかんによっては学園生活を送れなくなる、ということになります」
「ああ、その時は素直に従うさ。俺は別に悪人になりたくはないし、何よりエレナにこれ以上迷惑をかけられないからな」
その答えにエレナはホッと表情を柔らかくする。そして、壁に掛けられている時計に視線を移した。
「もうすぐユリエルのクラスを担当する先生が来るはずです。以後、彼女の指示に従ってください」
「わかった。それにしてもよく通ったよな、俺の入学審査。この学園の教師たちには俺の正体を明かしていないんだろ?」
「私の推薦があったからできたことです。後は、先日のカティーナさんとの一件も今回に関しては助かったと言いますか……」
「助かった……?」
カティーナとの一件、決闘のことをエレナはよく思っていなかったはずだ。
にもかかわらず助かったとは。
疑問を抱きながらユリエルは大きく息を吐き出した。
「そもそも魔法学園は来るもの拒まず。きちんとした身分と魔法使いとしての適性があれば誰でも入学することができます」
「それって物凄い生徒数になるんじゃないのか?」
「ええ、ユリエルも上から見たのでしょう? 魔法学園はその性質上一つの街に匹敵する人口になっています。年齢制限もありませんからね。完全な実力主義です。その結果として退学者も多く、学園として運営が可能な生徒数に留まっています」
「来る者拒まず、去る者追わずってか。昔みたいな戦乱の時代ならまだしも、どうしてこの時代にそんなシステムをつくるのか理解できないな。争いは終わったんだろ? なら無理に競い合う必要もないはずだ」
「そ、それは……」
ユリエルの指摘にエレナは口ごもる。
そして、話題をそらすように、
「あ、今後魔法学園では――」
「ああ、お前には生徒として接するよ。しっかし、偽名を使わなくてもいいってのは意外だったな」
てっきり偽名を使って学園に入ると思っていたユリエルは驚いた。
なんでも、ユリエルという名は今の時代それほど珍しくないらしい。
親が子に対して『剣聖ユリエル=ランバートのように立派な人物に育ってくれますように』という願いを込めてその名をつけることが多いのだとか。
だがこれも賛否両論で、英雄の名を汚すなど……という声がないわけでもない。
いずれにせよ偽名を使わなくていいのはユリエルにとってありがたい。とはいえ、当然のことながら家名までは名乗ってはダメだが。
ままならないものだとため息を吐きながら、ユリエルは目線を下げる。
視線は床に敷かれている紅い絨毯に移り――
「――ッ!」
突如、殺気を感じてユリエルは瞬時にソファから飛び跳ねた。
反射的に自分が今の今まで座っていた場所へと強烈な右拳を突き出す。
大気さえも貫く拳は何かにぶち当たり、それを吹き飛ばした。
刹那の時間も満たない間に、ソファを挟んで反対側の壁に何かが激突する音が静かな学園長室に轟いた。
右手を閉じ開きを繰り返して今の感触を確かめながら、ユリエルはちらりと自分が座っていたソファを見やる。
座面は大きくへこみ、ソファ全体がひしゃげている。
最早使い物にならないだろう。
何より重要なのはソファの現状などではなく、この威力の破壊をその身に浴びていたらいかにユリエルだとはいえただでは済まなかったということだ。
「あ~、っぅ~……」
視線を壁の方へ移すと、全身を強く打ち付けた何かが腰をさすりながらのそりと起き上がっていた。
まだ動けるのか。
些かの驚きを抱きながら、拳を構えて戦闘態勢をとるユリエルを――エレナが手で制した。
「まったく、ソファを壊すのはこれで何度目ですか……イライザ先生」
呆れ交じりの声にジト目を合わせて、エレナはイライザなる人物を窘める。
「そう言うなよ、学園長。元を辿れば君が私と勝負してくれないのがいけないのだろう?」
「強引な責任転嫁はやめてください。後、再三言っていますがそういった言葉遣いは人目があるところでは控えてくださいね」
「はいはい、心得ましたよ」
立ち上がった人影は、一人の女性だった。
背中で纏められた長い黒髪を揺らしながら、イライザはその豊満な胸をポンッと叩き、不敵な笑みを浮かべてユリエルを見つめる。
髪と同色の黒い瞳は好奇の色が宿っている。
「ユリエル、この方が我が魔法学園に勤めるイライザ=キャラトル先生です。あなたが今後籍を置くことになる第二階級第一等級の担任の先生ですので、わからないことがあれば彼女に聞いてください」
「――っと、そういうわけだ。よろしく頼むよ編入生くん。いやぁ、あの学園長が編入させたいだなんて言い出すからどれほどの逸材なのかと思っていたが、この私の拳をなんなく躱すとはね。なかなかどうして、これは楽しめそうだよ」
「ユリエルで遊ばないでください」
獣のような獰猛な笑みを浮かべるイライザを注意するエレナ。
だが、彼女はそれを受け流してどこか見透かしたような瞳で――
「学園長、君はこの編入生の心配をしないんだな」
「それは、どういう意味で?」
「いやなに、いつもであればいの一番に『生徒にもしものことがあったらどうするんですか!』って怒ってくるだろう? それが今回に限っては彼よりもソファなんかの心配だ。――確信していたんだろ、私ではこの編入生を傷つけることはできないと」
「――! それは、あなたの気のせいでしょう」
「…‥まあいい。とりあえず私は編入生くんを自分のクラスに連れていくことにするよ。そろそろホームルームの時間だからな」
「……よろしくお願いします、イライザ先生」
「――ちょっ!」
イライザは困惑するユリエルの首に腕を回し、そのまま強引に学園長室から連れ出す。
エレナはそれを見届けると、大きなため息を吐いてからソファに手をかざし、何やら言葉を紡ぎだす。
直後、そこにはユリエルが部屋に入るときと同じ状態のソファが存在していた。