五話 それぞれの理由
「――それで、結局聞きそびれましたけどカティーナさんとはどちらで?」
沈黙の後、エレナはユリエルを室内に備え付けられているソファに座るように促すと、自身もまた対面に腰掛け、先ほどの問いを再度突きつけた。
ユリエルは思い出したように息を漏らしてから、口を開いた。
「寝起きを叩き起こされたってのはあながち間違いじゃない。俺が目を覚まして塔を出て、そこに飾られていたバルムンクを手に取ろうとしたんだ。そうしたら、カティーナだったか? あいつにすげえ怒られて、決闘を申し込まれた」
「け、決闘!? 待ってください、カティーナさんと決闘をしたんですか!?」
「仕方ないだろ、俺だって断ったよ。でもしつこく突っかかってきたから仕方なく……」
「人類の宝を持ち去ろうとしたら怒られるのは当たり前ですっ! 全く、なんてことを……いえ、あなたを責めるのは筋違いですね。バルムンクはあなたのものですから」
悲し気に顔を伏せながらエレナはため息を吐き、「ただ……」と話を続ける。
「ここはあなたからすれば三百年後の世界なんです、当然、色々なものが変わっています。そのことをよく考えた上で行動してください」
勝手な行動を慎むよう、厳しく言い放つ。
「わかってるよ、俺も少し混乱していたんだ。何せ、俺にはあの戦いの後の記憶がないからな。一体あの後何がどうなって、俺は地下室で眠っていたんだ?」
三百年前の戦い。邪竜に最後の一刀を振り下ろした瞬間に、ユリエルは己の死を覚悟していた。
邪竜の強大な魂を滅ぼすのは、聖剣の力をもってしても厳しいものだ。
必殺の一撃を邪竜の肉体に振るったとき、ユリエルは聖剣と共に邪竜の魂を縛る人柱と化した。
人柱となったユリエルは邪竜の魂が滅びるまで眠り続けることになる。
しかしその間も肉体の時間は移ろいで行く。
三百年もの間眠っていたのなら、何より自分は死んでいるはずだ。
だが生きている。それもまた、ユリエルにとっては不可解だった。
俯きがちに向き合っていたエレナは顔を上げると、ユリエルの顔を真っ直ぐに向けて答える。
「あの後、巨大なクレーターの中心であなたと邪竜は発見されました。聖剣に貫かれた邪竜は死に、ユリエルも眠りについていた。あなたと邪竜を引き離すこともできず、何より時間が経ってもあなたは目覚めることがなかった」
エレナはそこで言葉を区切ると、不意に視線を窓の外へと移す。
ユリエルも釣られてそちらを見やる。
「気付いていますか? この場所は、かつて邪竜と戦った場所なんですよ?」
「嘘だろ!?」
ユリエルが先ほどの決闘の最中、上空から見下ろした辺りの光景は立派な建物が立ち並び、緑が植えられ、人が行き交う活気があふれるものだった。
だが、邪竜と戦い、そして倒したあの地は――確か荒野で、焦土と化したはずだ。
「動かすことのできないあなたを守るために当時の陛下にお願いし、この地にあなたと邪竜の亡骸を隠すことにしたのです。そして、その際に陛下や貴族諸侯から賜った援助金などを元に、魔法学園を創立しました。その施設の一部としてこの塔を建設し、その地下室にあなたを封じた。――あの部屋には、肉体の老化が進まないように時間の流れを止める結界を張っていました」」
「――――――――」
ユリエルは思わず言葉を失う。
改めて、三百年という月日の長さに気付かされた。
だが当時に彼女の説明を聞いて、なぜ自分が生きていられたのかを理解する。
「ん、俺と邪竜の亡骸を隠すことにしたってのは、つまり」
「ええ、あなたが地下で眠っていたことを知る者は私を除けばごく一部の者しかいません。この国の現国王やその側近たち、上級貴族の中でも一部の者、他国の責任者。人類の災厄の中の災厄、邪竜を倒した英雄ユリエル=ランバートは、自らの命を犠牲に人類を救ったと、そう歴史書には綴られています」
「――そうか、やっぱり俺って死んだことになっているのか」
ユリエルの確認に、エレナは気まずそうに小さく頷いた。
「そうして私は魔法学園の学園長を務める傍ら、毎日地下室に足を運び、あなたが目覚めるのを待っていました。けれど、いつまで経っても目覚めなかった」
だけど、と。エレナは笑顔を浮かべる。
「一年ほど前、あなたが三百年もの間握りしめ続けていた聖剣バルムンクがあなたの手から離れたのをキッカケに、目覚めの日は近いのだと悟りました」
その後エレナによって剣聖の象徴ともいえる聖剣が発見されたことが世間に公表され、この塔の袂に飾られることになった。
「あなたが目覚めたことを私は陛下や貴族諸侯に報告しなければなりません。そして、死んだことになっているあなたをどう扱うかは私の独断では決めることができません。現状あなたは世間的にもう死んだことになっている以上、聖剣をあなたに返すわけには……」
「別にかまわないさ」
人類を救った英雄の象徴となった聖剣を返せないことを申し訳なさそうに話すエレナに、ユリエルは軽い調子でそう返した。
呆気にとられたのはエレナだ。
「いいの、ですか?」
「ああ。俺が目覚めてすぐにバルムンクを欲した理由はお前に会えた時点で消えたしな。そういう事情なら仕方がない。何より、邪竜がいない今の時代に聖剣なんて持っていてもしかたがないだろ」
あの時決闘をしてまで聖剣を欲したのは、自分が知っている何かを一つでも手元に置いておきたかったからだ。
それが例え剣であっても、自分の知るものならば。
だが――三百年前、同じ時を過ごしたエレナと再会してその理由は消えた。
邪竜は滅び、英雄が剣をとる時代は終わった。
《剣聖》ユリエル=ランバートの存在意義はすでに消えたのだ。
だが、もし今の自分が他に欲しいものがあるとすれば――
「なあ、頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」
「……聞くだけなら」
「――俺を、魔法学園に入学させてくれないか?」
ユリエルはエレナを真っ直ぐに見つめて、そんなとんでもないことを口にした。
エレナは無言でソファから立ち上がると、静かに窓際へ寄り、眼下に広がる魔法学園の光景を視界におさめる。
突然の彼女の不可解な行動に、ユリエルは眉を寄せた。
一瞬の間の後、エレナは肩を震わせながら振り返り、ユリエルを睨みつけて、
「何を、何をふざけたことを言っているんですかぁっ!!」
彼女の叫び声が決して狭くない室内をけたたましく木霊する。
「いや、別にふざけては……」
「ふざけてますっ! ふざけているんです!」
心外だとユリエルは抗議の声を上げるが、それを勝る声量のエレナの叫び声にかき消される。
彼女が顔を真っ赤にして声を荒げる姿を見てユリエルは三百年前の彼女の姿を想起したが、エレナ当人からすればたまったものではない。
憤慨しながら、ひとまずエレナはソファに座りなおす。
そして、声量を落として諭すように言葉を紡ぎ始める。
「いいですか。先ほどから言っているように、あなたはすでにあの邪竜との戦いで亡くなったとされているんですよ? そんなあなたが学園に通うなんて、どう考えてもおかしいでしょう?」
「どこがだ? 死んだことになっているのなら、俺が通ったところで誰も俺が剣聖だとは思わないだろう? 現に、カティーナに俺が『ユリエル=ランバート』だと名乗っても、信じてくれなかったぞ」
「カティーナさんに、名乗ったんですか……!」
「ああ、決闘の作法として必要だとかなんとか言われたからな」
「…………」
エレナは大きなため息を吐くと、頭を抱える。
そうしながら、ふと何かに気付いたように顔を上げた。
「ちょっと待ってください。決闘において肉弾戦は禁止しているはず。ユリエル、あなたはどうやってカティーナさんに勝ったんですか?」
「あー、それな。俺も最初肉弾戦はダメだって言われたときは負けたと思ったんだけどな。なんか向こうが勝手に俺が対抗魔法を使っただとか、身体強化魔法を使っただとか、勘違いしてくれてな。それでまあ、体技でこう……吹っ飛ばした」
「な、なんてことを……」
うな垂れながらエレナは全てを理解した。
剣聖たるユリエルにはカティーナの放つ魔法が一切通じず、彼の常人を遥かに逸脱した身体能力は、まるで身体強化魔法を施した者の動きに見えたであろうことを。
何せエルフとして最強クラスの魔法使いであるエレナですら、三百年前ユリエルの後ろをついていくだけで精一杯だったのだから。
彼と永い時間を過ごしてきたエレナは、このまま自分の意見や常識論を突きつけたところで無意味であることを理解している。
何より、魔法学園に通いたいというユリエルの申し出は、ある意味ではエレナにとって有難いもので――
「それで、どうして魔法学園に入学したいんですか?」
思わずジト目になりながら、エレナはソファに体を預けて天井を見上げるユリエルに問う。
答えは、すぐに帰ってきた。
「ん、まあ理由は色々とあるけど……一番の理由は、そうだな。――俺にはこの時代に居場所がないから、だな」
「――ッ」
「だから、仮初の場所でもいい、偽物でもいい。俺はこの時代に生きたいんだよ。ただの我儘だけどな」
そう言って、ユリエルは苦笑して見せる。
その表情と反して、エレナは目を伏せた。
ユリエルが本当に、決してふざけることなく魔法学園に入学したいと言ったことを理解したのだ。
すでに死者とされている英雄、ユリエル=ランバートがこの時代に生きる場所は現状ない。
このままその存在を秘匿することになれば日陰の生活を強いられ、世界に姿を現さずに余生を過ごすことになるだろう。
そんな人生、普通ならば耐えられるはずがない。
何より、世界を救った英雄の末路がそんなものだなんてのは悲しすぎるだろう。
そんな中で、彼はこの魔法学園という場所に自分の居場所を求めているのかもしれない。
エレナは俯きながら、こみ上げてくる何かを必死にこらえる。
剣聖が実は生きていました――なんてことを公表すれば、果たしてどうなるか、
一方では歓喜が生まれ、その一方では混乱が生まれるだろう。その混乱はこの時代になってようやく形となってきた平穏に少なからず波紋を生み出す。
そしてそのことをユリエルは望んでいない。
過去の英雄は、過去の英雄であるが故に崇められる。羨望される。感謝される。
英雄は戦いの中でこそその存在意義が生まれるのだ。平穏な世において、強大な力を持った個はただの厄介者でしかない。
ギュッと目を瞑って、エレナは考え込む。
ユリエルが目覚めたことを各国の重鎮に報告するのは確定している。
その上で彼らの決断に即した行動を起こす。
剣聖の存在を秘匿しろと言われれば秘匿し、公表しろと言われれば公表する。
だがその指示が下りるまでの僅かな時間だけでも――
「……最後に一つだけ、お聞きしても?」
「ああ、もちろん」
「どうしてあなたは、これからの人生の居場所をこの魔法学園に作ろうと思うのですか?」
エレナの問いに、ユリエルは目を丸くする。
彼にとっては意外な質問だった。
答えは、決まり切っている。
「お前が三百年かけて築き上げたものをこの目で見て見たかったから、かな」
「――――」
何気なく呟かれた返答に、エレナの心は大きく揺さぶられる。
今まで己の功績を讃えてくれる者はそれこそいくらでもいた。
けれど、彼女が心の底から讃えてほしかった者――かつての仲間たちはすでにこの世を去ってしまった。
そんな中、ユリエルは自分が今までに作り上げてきたものを見たいと言ってくれた。
これが嬉しくないわけがない。
「……それに、お前たちにとっても俺が魔法学園にいた方が都合がいいんだろ?」
「……!」
まったく、敵わない。
ユリエルの言葉にエレナは苦笑を零す。この人は三百年の眠りにありながら、もうすでにこちら側の考えを見通しているらしい。
そう――ユリエルにはこの魔法学園に留まってほしい。
《剣聖》とまで呼ばれ、邪竜を葬るほどの力を秘めた人間が野に解き放たれるなど、権力という別の力を持つ者たちからすれば脅威でしかない。
つまるところ、この魔法学園という施設はユリエルが目覚めたときの鳥籠の役割も担っていた。
事実、エレナはこのことを切り札に世の権力者たちに交渉、その財を提供してもらい、魔法学園の運営を行えている。
すべては利害の一致から。
ユリエルが魔法学園に入学したいと言ったのは予想外のことであったが、今思えばその方が都合がよかったのかもしれない。
少なくとも暫くの間は彼をこの地に縛り付けることができる。
そして彼はそのすべてを理解した上で魔法学園に入学すると言ってくれた。
その優しさに、エレナは胸がちくりと痛むのを覚える。
「――ま、ただ単に俺も魔法を使ってみたいってだけなんだけどな」
「そうだろうと思いましたよっ!!」
飄々としたユリエルのカミングアウトにエレナは堪らず突っ込む。
彼は単純に三百年前自身がついに修めることができなかった魔法という力を学ぶために魔法学園に入学したいと言った。
無論、エレナは理解している。
自分のこの胸に芽生えた罪悪感を消し飛ばすために、ユリエルはあえてこれが自分の我儘であると主張したことを。
そしてその優しさに、エレナは甘える。
ともあれ、《剣聖》ユリエル=ランバートはこうして魔法学園に入学することとなった。