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四話 三百年ぶりの再会

「っ、こちら……ですわっ」


 カティーナはユリエルに対し、優雅に行き先を示す。

 だがその洗練された所作とは正反対に、彼女の表情は苦々し気なものだった。


 あの後、意識を取り戻したカティーナは即座に現状を理解した。

 つまり、自分が意識を失い、ユリエルに決闘で敗北したということを。


 決闘のルールに則ると正確には『降参』と宣言するまで勝敗は決しないとはいえ、意識を失った彼女に「まだ負けていないっ!」などという資格はない。

 何より、誇り高き公爵家の一人としてそこまでの恥を晒すわけにもいかない。


 目覚めたカティーナは大人しく「降参ですわ」と悔し気に、敗北した自分に対する確かな怒りを宿した語気で告げ、改めて決闘はユリエルの勝利に終わった。

 そして今、決闘を始める際に両者の間で交わされた契約、『学園長に聖剣バルムンクを俺に渡すように交渉する』というのを遂げるべく、カティーナはユリエルを学園長の下へと案内していた。


 カティーナの案内に従い、ユリエルは今しがた出てきたばかりの塔に再度踏み入り、螺旋階段を今度は地下ではなく上へと昇り始める。

 目の前を揺れるさらさらとした金色の髪を見つめていると、振り返ることなく彼女が声をかけてきた。


「一応忠告しておきますが、学園長と事を構えようなどとは決して考えないことですわ。例えこの交渉がどのような結果に終わろうとも」

「それは、どういう意味だ」

「言葉通りの意味です。確かにあなたは強い。ええ、それは――それだけは認めましょう。ですが、学園長には到底敵いませんわ。あの方は現代の世に魔法という技術を体系化さえ、この魔法学園を創立された偉大なお方ですのよ。それこそ、彼の英雄、ユリエル=ランバート様に並ぶほどに」

「へぇ、それはすごい……」


 今から会う学園長なる人物の功績を聞き、ユリエルは素直に感嘆の声を漏らす。


 魔法を体系化させる。そのことがもたらした結果を、ユリエルは今まさに目の当たりにしたばかりだ。

 すなわち、限られた種族――エルフたちでもないただの人族が魔法を使った光景。


 三百年前の世界において、ユリエル自身も魔法を使えないものかと模索した時期があった。

 しかしそれは叶わず、己の体術のみで戦い続けてきた。

 だが、その学園長という人物はついにそれを成し遂げたらしい。


 ユリエルが漏らした感嘆の声を聞いて、カティーナは気をよくしたのか陶然とした様子でどこか誇らしげに語る。


「当然ですわっ。学園長はあのユリエル様と共に戦場を駆けられたお方――生きる伝説なのですから!」

「――――」


 ぴたりと、ユリエルは歩みを止める。

 突然の彼の奇行に、前を進んでいたカティーナも足を止めて訝しみながら振り返った。


「生きる、伝説って言ったよな……」

「ええ。三百年の歳月を生き続け、我々人類に繁栄をもたらしてくださった――」

「――名前は! そいつの名前はなんだっ」


 カティーナの言葉を遮り、ユリエルは彼女に掴みかからんとする勢いで詰め寄る。

 戸惑いながら、カティーナはユリエルの鬼気迫る気迫に気圧されて思わず後ずさり、


「エレナ……エレナ様ですわ」


 ――躊躇いがちに、その伝説の名を口にした。


 彼女のみずみずしい唇から零れ落ちた音が耳朶を打つと同時に、ユリエルの全身を強い衝撃が襲う。

 胸を掻きむしりたくなる衝動に駆られながら、ユリエルは焦りに満ちた声で問いを重ねる。


「どこだ、エレナはどこにいる!」

「い、今から連れて行こうと……」

「だから、どこにいる!」


 こちらに全く取り合わないユリエルの態度に、カティーナは更に困惑する。


「……この塔の最上階の一室ですわ」

「――っ」


 カティーナがそう答えると同時に、彼女の近くを風が吹き荒れた。

 その風の正体は、走り出したユリエルが巻き起こしたものである。

 余りの速さにカティーナは置き去りにされる。


 ――エレナ。かつて同じ戦場を駆け巡った戦友。

 彼女が生きていると、そう聞いてゆっくりとしていられるはずがない。


 最上階へと通じる何百段もの階段を一息に駆け上がる。

 この塔の上、そこにいるという旧友と三百年ぶりの再会を果たすために。


 ◆ ◆


 一瞬のうちに最上階へ到達したユリエルの息は、しかしあがっていない。

 全力で駆け上がったにも関わらず。

 この程度の運動で息を荒げていようものならば、三百年前のあの世界を生き延びることはできなかっただろう。


 螺旋階段を上り切った先には、ただ一つ、重厚な造りの扉が彼を出迎える。

 他に扉は見当たらない。


 ここが塔の最先端。

 魔法学園全域を見下ろせる唯一の場所だ。


 その扉に、ユリエルは手を触れようとして一瞬の躊躇いを見せる。

 過ぎ去った年月は果たして何をもたらすのか。

 人類の災厄ともいえる邪竜を屠った彼ですら、過ぎた時間は恐ろしい。


 ――が、それも一瞬。


 意を決し、覚悟を胸に宿してユリエルは半ば乱暴に扉を押し開けた。


「エレナッ!」


 中にいるであろう旧友の名を叫ぶ。

 彼の声は広い室内を瞬時に駆け抜け――中にいた一人の人影にぶつかる。


「――ッ、ユリ、エ、ル……?」


 戸惑いと驚きが入り混じったか細い声が、次いで室内に優しく響いた。

 人影の後ろにある大きな窓ガラスから差し込む陽光の眩しさにユリエルは目を細めながら、しかし決して目は瞑らない。


 扉を開けたときの荒々しさはどこへやら、踏みしめるようにしてゆっくりとユリエルは室内に立ち入る。


 背はカティーナと同じぐらい。ただ、頭に乗せた黒いつば広の帽子、そのとんがり部分のせいか実際よりも少しだけ高く見える。

 腰ほどまでの白みがかった銀色の髪と宝石のような薄緑の瞳。ほっそりとした体躯。

 そして何より特徴的なのが――尖った耳。


 三百年もの歳月の間に、ユリエルの知る〝彼女〟とは少し変わっている。だが一目見て〝彼女〟であると確信できた。


「変わったな、エレナ。小じわができている。……いや、三百年も経ったんだ。当たり前か」

「っぁ……、あなたは、何も変わっていないですね。―って、開口一番なんてことをっ」


 突然現れたユリエルに呆然と、そして変わらぬその姿にエレナは微笑を浮かべる。

 しかし、すぐに彼の失礼な物言いに憤慨して見せた。


 エレナとユリエル。今の世では最早伝説と化した時代に生きた両雄の三百年ぶりの会話はこうして始まった。


 少しの間、二人は黙って互いを見つめあう。

 ユリエルは、かつてとはすっかり変わってしまったエレナの姿を。

 エレナは、かつてとは全く変わらないユリエルの姿を。

 そうして互いが生きた時間の差を理解して、どこからともなく苦笑を浮かべた。


 お互いに色々と言いたいことはある。聞きたいこともある。

 だが、迫りくる一つの気配を感じ取って両者はそれをぐっと呑み込んだ。


「エレナ様ッ、ご無事ですかッ!!」


 扉の方から声が響く。

 そこには額に汗を滲ませ、息を荒げてエレナの心配をするカティーナの姿があった。


 エレナはカティーナに悟られぬよう目尻に溜まった涙を密かに拭いながら、平静を装って落ち着いた声で応じる。


「私は大丈夫です。少々風変わりな方が来ましたが……この者とあなたにどのような関係が?」


 三百年の眠りについていたユリエルのことを知っているかのような言動のカティーナを、エレナは疑問に思い問う。

 すると、カティーナは唇を噛んで口ごもる。


 決闘を行い、あまつさえ敗れ、そして今自らが尊敬し敬愛するエレナに向かってこの不逞の輩に聖剣を渡すように説得――などと、これまでの経緯を言えるはずがない。


 彼女から話を聞くのには時間がかかると察したのか、エレナは再会したばかりの旧友、ユリエルに視線を向ける。


「ん? ……あーっと、あれだ。寝起きを乱暴に叩き起こされたんだ。あんな起こされ方はエレナにもされたことがないな、うん」

「……?」


 ユリエルの答えに、エレナは理解できないといった感じに首を傾げる。


「っ、あなたはっ、ユリエル様を貶めるだけでは飽き足らず、エレナ様まで…‥!」


 二人のそのやり取りを聞いて、カティーナが怒りに肩を震わせて叫び声を上げる。


 それも仕方のないことだ。彼女に非はない。


 エレナは魔法学園に通う生徒たちはもちろんのこと、人類が敬い尊敬するべき人物だ。

 その英雄に対して軽々しい口調と呼び捨てで話すユリエルはカティーナにとって、敵だ。


 何も知らない彼女の眼には、ユリエルがエレナまでもをバカにしているように映る。


「か、かまいません! それよりも、カティーナさん。下がっていていただけますか? 彼と二人で話がしたいので」


 ユリエルが何かを言い返そうと口を開いた瞬間、エレナが慌てて割って入る。


「し、しかし…‥ッ」


 エレナに言われ、カティーナは立ち止まりながらユリエルをチラリと見やる。


 現状、カティーナがユリエルに関して得ている情報といえば英雄を冒涜する不埒者であることと、にもかかわらず自分を凌駕する魔法使いであるということだ。

 この二つの要素は、彼女の中でユリエルを危険人物であると認識させる。


 そんな危険人物とエレナを二人きりにしておくわけには――


「……カティーナさん、あなたが私を心配してくれるのは嬉しいです。――ですが、下がっていただけませんか?」

「…………わかりました」


 学園の創始者であるエレナに強く言われ、一生徒でしかないカティーナは悔し気に引き下がる。

 扉を閉めながら立ち去る際、カティーナは最後にユリエルをキッと睨みつけて部屋を後にした。


 カティーナの気配が消え、エレナは疲れたように脱力しながら手近に備え付けられているソファに腰を下ろし、大きなため息を吐く。


「どうしたんだ、疲れているみたいだが」

「あなたのせいですよっ! まったく、突然目覚めたと思ったら何も変わっていないんですからっ。三百年越しの感動とか、そういうのが一瞬で吹き飛んじゃいましたよっ」

「そう言われてもなぁ、眠っていた俺は変わりようがないからな。……俺と違って、お前は随分と変わったみたいだが」


 肩を竦めてユリエルはどこか寂し気に呟く。


「どれだけの時間が過ぎたと思っているんですか。三百年も経てばいやでも変わりますよ。人も、周囲の環境も、国も、世界も……」

「…………」


 そう語るエレナの表情には陰りが見える。


 ユリエルは自分がどれほど多くのものを彼女に背負わせたまま眠っていたのかを改めて認識する。

 そしてその罰の悪さを誤魔化すために口を開いた。


「なぁ、他の皆は……」

「――エルフである私は寿命が人族とは桁違いなので今もこうして元気に生きています。ですが、皆は……」

「そう、か。あぁ、そうだよな」


 ――エルフ。三百年前の世において、魔法を使い、邪竜討伐に尽力した種族。

 その寿命は六百年とも、七百年とも言われている。

 ユリエルの知る三百年前のエレナの容姿は十代の人族のそれであったが、今目の前にいる彼女の見た目は三十代そこらだ。


 それでも、エルフの美貌は衰えない。

 だが、長命なエルフの勢力は大陸の種族の中でも最弱に類する。

 その理由は、種族内において子が生まれるのが百年に一人いるかいないかであり、圧倒的に母体数が少ない。


 今ではエルフの数は百人に満たない。

 だからこそ、子孫を残すために多くのエルフは人里離れた自然の中に籠っている。


「悪かったな、永い間お前を一人にして」


 目覚めてすぐにユリエルを襲ったのは、世界から孤立した感覚。

 時間を置き去りにした彼が抱いたのは、この世界に居場所がないようなどうしようもない不安だった。


 目の前にいるエレナもまた、そんな感覚を今日まで抱き続けてきたのかもしれない。

 同じ時間を語ることができる当時の仲間が皆死んだその日から、何百年も。

 魔法を体系化し、魔法学園なんてものを設立したのだって、その孤独感を紛らわすためだったのかもしれない。


 それらの想いをくみ取り、ユリエルは心からの謝罪を口にする。

 邪竜に立ち向かい、自己満足で勝手に眠りについてしまった自分の身勝手さをただただ謝る。


「――――」


 だが、エレナはユリエルの謝罪など必要としていない。

 人類を救うために眠りについた彼を、一体誰が責められるというのか。


 互いの想いが複雑に絡み合い、混沌となって胸中を渦巻き、沈黙が室内に訪れた――。

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