『英雄の休息』
何軒もの焼け落ちた家屋が両脇に連なる土煙立つ通りを、ユリエルは顔を顰めながら歩いていた。
暫くの間、辺りを行き交う人々と対照的にフラフラとさまよっていると、突然後ろから「やっと見つけましたっ!」という少女の声が耳朶を打ち、ユリエルは足を止めて振り返る。
「エレナか」
肩を上下させて息を荒げているのは、ユリエルの既知の少女、エレナだ。
尖った耳がピクピクと揺れている。
「エレナか、じゃないですよ! もう、探したんですからっ」
「そりゃあ悪かったな。なんだ、そろそろ出立か?」
「出立って、この村に着いたのはついさっきじゃないですか、違いますよ。邪竜教徒との戦闘が終わってからユリエルの姿が見えなかったので探していただけです」
「そうか……」
邪竜教徒との戦闘。――そう、つい先ほどまでこの村は邪竜教徒たちの襲来に遭っていた。
その際の爪痕が周囲にある焼け落ちた家屋というわけだ。
家屋と家屋の間には、所々死体が散見される。
それを視界におさめて、ユリエルはまた顔を顰めた。
「まあなんにせよ、この村で俺たちがやることは終わったんだ。そろそろ移動しないとな」
「もうですか?今日ぐらいはこの村に留まっても――」
「のんびりしている暇なんかないだろ」
エレナの言葉に、ユリエルは食い気味に答える。
声のトーンは低くともその語気は強く、有無を言わさぬ物言いにエレナは思わず気圧されて僅かに顔を伏せた。
「……変わりましたね」
「?」
「以前のあなたなら、焦らずにのんびり、着実に前に進もうとしていました。例えば今日この場にかつてのあなたがいたなら、今日一日ぐらいはこの村で休もうと言ったはずです。でも、今のユリエルは凄く焦っています」
「焦ってないさ。ただ、昔と今では置かれている立場が違うだろ。こうしている時間がもったいないだけだ。こうしている間にも、俺たちの目の届かないところでこの村のような目に遭っているところがあるかもしれない。いや、魔族との血みどろの戦闘がいたるところで起きているこんな時代だ。かもしれないじゃなくて、絶対にそれは起きている。そしてそれを救うには、一人でも犠牲を減らすには、立ち止まっている暇なんてないだろ」
「…………」
ユリエルの言葉に、エレナは返す言葉を失う。
彼の胸中を察し、悲痛に表情を歪めて俯いた。
彼は自分よりも年上だ。
けれど、自分はエルフ。彼はただの人間。
その寿命には絶対的な差がある。
一年という時間の重みが種族レベルで決定的に違う。
そんな彼が、まだ二十三歳にしてこのような重荷を背負っていることに世の理不尽を感じてしまう。
それはきっと、彼もまた自分に対して抱いている感傷なのかもしれないが。
しかしそれはともかくとして、彼は、ユリエルは少し休むべきだ。
一瞬でもいい、戦いのことを忘れてかつての彼に戻るべきだ。
エレナは胸の前に両手を手繰り寄せると、顔を上げてユリエルに向かって言い放った。
「ユリエル、少し村の外に出ないですか?」
「村の外? それなら他の奴らも呼ばねえと」
「出立するわけじゃないです。少し近くを散歩しようと言っているんです」
「散歩…‥? おい、エレナ。俺の話を聞いていたか?」
「もちろん、聞いていましたよ?」
「なら――」
「いいから、行きましょう」
「お、おい……!」
抵抗しようとするユリエルの意思を無視して、エレナは彼の右腕を掴んで強引に村の外へと連れ出す。
タンパク質の焼ける臭いなどが充満していた村を出て草原に足を運ぶと、草花の香りがユリエルたちを優しく出迎えた。
エレナはユリエルの手を引いたまま、真っ直ぐに草原の先にある小高い丘まで突き進む。
彼女の有無を言わさぬ奇行にユリエルは思わず声を荒げた。
「ッ、おい、どこまで行く気だ! 時間が時間だ、目的がないのなら俺は戻るぞ」
オレンジ色に染まっていく辺りの空を見ながらユリエルがそう言うと、エレナは「大丈夫です」と返す。
程なくして、小高い丘を登り切ったところでエレナは足を止めた。
「着きました」
「着いたって、何が? こんなところに来ることに何の意味が――」
「まあまあ、とにかく座りましょう」
異を唱えるユリエルを宥めるようにして、エレナは腰を下ろす。
渋々、ユリエルもそれに倣った。
「ほら、見てください」
「……?」
ユリエルが地面に座り込むと、エレナは真っ直ぐ正面を指差した。
その行動を訝しみながらユリエルは差された方を見る。
すると――
「……綺麗だ」
オレンジ色に輝く夕日。
それは空を、草原の草花を、視界に映る全てを同様に染め上げている。
そんな光景を目にして、ユリエルは思わずポツリと呟いていた。
「これを、俺に見せたかったのか?」
「はい。最近のユリエルは辛いものしか見てこなかったので、たまにはこういうのもいいかなと」
「辛いもの、か」
剣をとり、英雄たらんと戦場に立ってから。
ユリエルの前に広がる光景は死体の山ばかりだった。
自分に宿った力の限りを尽くして、できうる限りの最善の結果をたたき出しても救えない命を見てきた。
そうしていくうちに摩耗していった心。
思えば、こうして夕日を見たのはいつぶりだろうか。
空を支配する夕日を、ユリエルはしばし無言で見つめる。
そして――
「まさか、お前に慰められるなんてな」
年下の異性に慰められたという事実への気恥ずかしさを紛らわすように呟く。
英雄は、機械のようなものだと諦めていた。
ただ機械的に、最速で敵を滅ぼし尽くす装置。
しかし自分たちは、機械である前に一人の人間であったはずだ。
「あぁ……本当に綺麗だ」
ユリエルは戦いの中で失いかけていたものへの感想も、小さく零した。
大変申し訳ございませんが、本作はここまでで完結といたします。
まだまだ書きたいものはありましたが、諸々の都合により打ち切らせていただきます。




