三十一話 剣聖の決意
「――ん、っ……」
朧げな意識の中、目を開けるとそこは彼女のよく知らない天井だった。
すぐ横の窓から外を見ると、すっかり暗くなっていた。
同時に自分がベッドに横になっていることにも気付き、すぐさま起き上がる。
「わたくし、眠って――」
意識を失う直前の出来事思い出す。
確か、邪竜教徒に襲われ、すんでのところをユリエルに――
「――お、起きたか」
「! ……ぁ」
すぐ脇から声がかけられ、カティーナは反射的に警戒しながらそちらを向く。
そこにはユリエルが穏やかな笑みを浮かべていた。
「安心しろ、ここは学園内の保健室だ。あいつらは俺が追い払った、もう心配ない。ここは安全だ」
「追い払ったって、そんな簡単に」
ユリエルは端的に事の顛末を口にする。
起きてすぐの回らない頭でなんとかそれを理解すると同時に、すぐにユリエルの体に視線を向ける。
「あなたは怪我はありませんの?」
「ああ、何も問題ない。それよりお前こそ大丈夫か?」
「え、ええ……、その、ありがとうございます」
邪竜教徒をたった一人で撃退したことに驚きながら、カティーナはユリエルに頭を下げる。
「気にするな、借りを返しただけだ。それに、友達が困っていたら普通助けるだろ?」
友達ではないと、反論はしなかった。
代わりにカティーナは罰が悪そうに視線を逸らす。
「――ッ、聖剣バルムンク」
その最中、カティーナが部屋の壁に立てかけている聖剣バルムンクを見つけて声を上げる。
「あ、ああ。あの場に転がっていてな。そのままにしておくのもまずいだろ? ひとまず回収しておいた。……悪いな、聖剣に触ってしまって」
あくまで自分が聖剣を使って戦ったことは隠しておく。
剣聖が生きていると、そしてその剣聖が自分であることは今の段階で知られるべきではない。
ユリエルがそう言うと、カティーナは涙ぐんだ声で「いいえ」と俯く。
「謝るのは、わたくしの方です。わたくしがあの時、聖剣に触れてしまったのですわ。……邪竜教徒と戦うために。だから、聖剣は怒り、わたくしを拒んだのですわ。ユリエル様の武器に、わたくしは我が身可愛さに触れてしまったのです……ッ」
シーツをギュッと握り、自らの無礼を詫びる。
部屋の片隅でバルムンクの宝玉が光る。
それを見て、ユリエルは肩を竦めた。
「気にするな、というのは無理な話かもしれないが、少なくともバルムンクはお前を拒んでなんかないと思うぜ。聖剣が本気で拒めば、触れた瞬間に全身に猛烈な痛みが走るはずだ。お前が拒まれたと思っているそれは、多分守ろうとしただけだ」
ユリエルの言葉にカティーナは顔を上げる。
どうやら思い当たる節があるのだろう。
「それにな、その剣聖だって自分の武器が誰かの命を守るために使われてよかったって思っているはずだ、絶対に」
それは、ユリエルの心からの想いだ。
もしあの時カティーナが聖剣を頼らずに邪竜教徒たちによって殺されていたら、ユリエルはやりきれなかった。
「……本当に、そう思いますの?」
涙声でカティーナは問うてくる。
ユリエルはニカッと笑うと、自身に満ちた声で返した。
「ああ、絶対だ。第一あの英雄が人一人の命を守れるならその程度の些末事気にするはずがないだろ?」
ユリエルがそう言うと、カティーナはクスリと笑う。
「不思議ですわね。あなたにそう言われると、なんだか本当にそんな気がしてきましたわ」
「そりゃあよかった」
喜んでいいのかどうか微妙だが、ひとまず彼女の涙は止まったらしい。
「なあ、カティーナ」
「……カティ」
早速本題に移ろうと彼女の名を呼ぶと、カティーナは突然何事か小さく呟いた。
「親しい人間は、わたくしのことをカティと呼びますわ」
「…………」
それはつまり、今後はそう呼べという意味なのだろうか。
そっぽを向く彼女の横顔を見ながら、ユリエルは本当に素直じゃないと苦笑し、同時に彼女がそう言ってくれたことに喜びを覚える。
そして、今から口にしようとしていた本題を話していいのか葛藤が生じた。
彼女が邪竜を復活させるために必要な材料の一つであるということ。
伝えておいた方が、彼女は今後不測の事態に対応できるかもしれない。
だが、これまで重荷を背負い続けてきた彼女に更なる重荷を背負わせていいのか。
(……いや、いいわけないよな。それにこの問題は、俺一人でなんとかするべきものだ)
邪竜と、そして邪竜教たちの暗躍を防ぐのは剣聖である己の役目であり使命だ。
ただの優しい女の子にそんなものを背負わせるわけにはいかない。
「それじゃあ、……カティ」
「なんですの?」
言い出しっぺだというのに愛称で呼ばれて恥ずかしいのか、カティーナは僅かに頬を染めながら応じる。
「これからもよろしくな」
「ええ、よろしくお願いしますわ」
カティーナは満面の笑みでそう応えた。
◆ ◆
「そういえば、学園の結界が解除されていたことについて何か知っています?」
「結界? いや、そもそも結界が解除されていたことにも気付かなか……あ、もしかして今日の空がやけに綺麗に見えたのはそれか」
互いに今更過ぎる挨拶を交わしてから、不意にカティーナが聞いてきた内容にユリエルは眉を寄せる。
と同時に、バルムンクに視線を向けた。
「……もしかして、今朝お前が俺にすげえ絡んできたのはそれを伝えたかったからなのか」
ユリエルが呟くと、バルムンクは明るく輝き「そうだ」と主張する。
さすがにそれは口で言ってくれないとわからないだろと苦笑いしながら、カティーナに向き直る。
彼女は神妙な面持ちで考え込んでいた。
「結界は学園創設以来一度も解除されたことがありませんの。そもそも今回のような敵から学園を守るための結界を解除する必要などありませんから」
それはそうだと、ユリエルは頷く。
その一度目の例外が今日起きて、しかもそのタイミングで邪竜教徒が現れた。
偶然と考えるにはどうにもうまく出来すぎている。
考えられるとすれば、
「――内通者か」
「ええ、わたくしもそれを考えていましたの」
確かにと、顎に手を添えて考える。
それならば全て合点がいく。
学園の結界が解除されたのも、そのタイミングで邪竜教徒たちが現れたのも、自分の名前を邪竜教側が知り、マークされていたことも。
「しかし、一体誰が」
「なんだ、ここにいたのか。探したぞ」
「……ッ!!」
突然部屋の入口が開き、そこから声がかけられる。
瞬時に振り向くと、そこにはイライザがいた。
「イライザか……」
「心配して探し回っていたというのにその反応はいただけないな。それよりも無事かね。何やら面倒なことが起こっていたみたいだが」
「ああ、俺もカティも無事だ。校内に残っている他の奴らはどうなっているんだ?」
「それも大丈夫だ。私を含め教職員で確認は取れている」
「そうか……」
それはよかったと、ユリエルは胸を撫でおろす。
イライザはカティーナとユリエルの双方を見て、ニヤリと笑みを浮かべた。
「この短期間で随分と仲が深まったみたいだな、結構結構」
「――なっ、べ、別に仲良くは」
「はは、照れるな照れるな。別に校内は自由恋愛だ、好きにやりたまえ」
「――ッ」
カティーナが顔を真っ赤にしてイライザに噛みかかる。
それを軽くいなすイライザに、今度はユリエルが声をかける。
「そういえば、侵入者たちはどうなっている? 実技施設にいたはずだが」
塔の袂で倒した邪竜教徒たちは全員拘束し、ユリエルが三百年間眠っていた地下室へ放り込んでいる。
だが、その後カティーナの容態を確認し保健室に運んでいたりしたせいでそちらの方には手が回らなかった。
ユリエルが聞くと、イライザは顔を伏せた。
「……私が見たときには、すでに死んでいたよ。恐らく、魔法による自殺だろう」
「そう、か……」
情報の流出を避けたのか。
残念ではあるが、仕方がない。
何よりカティーナの命を守るので精いっぱいだったのだ。
敵の命を守ることはさすがのユリエルでもできない。
「私は仕事に戻るが、大丈夫かね?」
「ああ。……っと、そうだ。こいつを持っていてくれないか。俺が持っているのもまずいだろう?」
そう言って、ユリエルは聖剣を指差す。
一生徒であるユリエルが一時であれバルムンクを所持したとあれば色々と都合が悪い。
そういう意図をもっての提案であったが、当のイライザは顔を顰めた。
「……いや、それは君が持っていたまえ。なに、心配には及ばない。この非常事態だ、誰も君を責めたりはしないだろうよ」
「……そう、か」
部屋を出ていくイライザの背中を見届けてから、ユリエルはカティーナに向き直った。
「ということだ。俺は自室にバルムンクを隠しに行くが、大丈夫か? あ、心配するな。エレナ様が戻ってきたら事情を説明してきちんと返す」
ユリエルがそう言うと、カティーナは小さく笑った。
「わたくしに許可を求める必要はありませんわ。あの時聖剣を守ったのはあなたなのだから」
「そ、そうか……。それじゃあな」
聖剣を握り、部屋の扉に手をかける。
その背に、声がかけられる。
「……助けてくれて本当にありがとう。ユリエル」
「――ッ」
思わず、振り向いた。
ベッドの上で彼女は自分に向けて感謝の笑みを向けている。
「あ、ああ……」
気のせいか、とユリエルは頭を掻く。
今、初めて自分の名を呼ばれたような気がした。
部屋を出たユリエルは廊下でグッと力強く聖剣の柄を握ると、一つの決意を胸に宿す。
例え邪竜教が彼女を狙うのだとしても、自分が絶対に守ってやると――。




