二十七話 襲撃③
爆音を聞き、ユリエルは実技施設までの道を引き返していた。
跳ぶように走るその速さは一瞬にして周囲の景色を置き去りにする。
やがて実技施設に辿り着いたユリエルの視界に、漆黒の外套が目に映る。
頭に血が上るのが自分でもわかった。
一瞬で拳は強く握られ、一番近くに立つ男の背に全力で殴りつける。
「でやぁ――ッ」
無警戒な背中に拳を叩きこまれた男は体をくの字に曲げ、口から息を吐き出しながら宙を飛ぶ。
そのまま男は今まさにカティーナに魔法で生成したナイフを振り下ろそうとしていた男にぶち当たった。
「げぶほッ!」
カティーナの近くにいた男が声を上げて倒れこむ。
そしてそこに、ユリエルに殴られた男が覆いかぶさった。
「……ど、どうしてあなたがここに」
地面にへたり込んでいたカティーナが目を開け、ユリエルの姿を捉えて震える声で呟く。
周りを見れば、魔法を放った痕が残っている。
きっと、彼女のことだ。抵抗していたのだろう。
ユリエルは一瞬カッとなってしまった自分の思考を努めて冷静に保ちながらその問いに答えた。
「爆発音が聞こえたからな、間に合ってよかった。それより立て」
「――ッ、は、はい!」
弾かれたように立ち上がり、残るもう一人の脇をすり抜けてユリエルの下へ走る。
なぜかその時、カティーナを攻撃してはこなかった。
「て、てめぇ……ッ」
カティーナに詰め寄っていた男がよろりと起き上がり、頭を押さえながら突然の乱入者を睨みつける。
彼に殴り飛ばされたもう一人も言葉こそ発しないものの、その眼差しは鋭い。
よろめく二人と違い、その場に直立するリーダー格の男が口を開いた。
「小僧、もしやユリエルという名か」
「ん? あんたらの中に知り合いはいなかったはずだが」
名を呼ばれ、ユリエルは応じる。
なぜ自分の名前を知っているのか。心当たりと言えば先日の邪竜教徒共との戦闘ぐらいなものだが、あの時に現れた教徒たちは全員捕獲したはずだ。
ユリエルの呟きには応じず、男が告げる。
「怪我をしたくなければその娘を置いてここを去りな」
「なんだ? もう俺に勝った気でいるのか。――邪竜教徒風情が」
「――ッ」
自分の後ろで、カティーナが身を固くしたのがわかる。
彼女と邪竜教の因縁はつい先ほど聞いたばかりだ。
その邪竜教徒を実際に目の当たりにして怖くないわけがない。
(しっかし、なんで俺のことを知ってるんだ。いや、それ以前にどうしてカティーナを狙っている)
男の口振りからするに、邪竜教の狙いはカティーナらしい。
自分の下にあの怪物が現れたのは偶然ではなく、狙って送られたものでもあったのだろう。
邪竜教徒たちは何らかの手段で前回の襲撃がユリエルに防がれたと知り、カティーナを攫うまでの足止めにあの怪物を仕向けたのならば、二人が別れたタイミングで奴らが現れたのにも納得できる。
だが、やはりカティーナを狙う理由がわからない。
ちらりと、僅かに後ろを見る。
先ほどまで一人で戦っていた反動か、ユリエルが現れたことで安堵したせいか隠しているつもりだろうが膝が笑っている。
何より、先ほどまで鍛錬を続けていた彼女にこれ以上戦う力がないこともわかっている。
彼らの狙いがカティーナである以上、ユリエルがとるべき行動はただ一つだ。
「こいつらの相手は俺がやる。お前は誰か助けを呼んで来い」
「ッ、そういうわけにはいかないわ! わたくしは、ミルフォード家次期当主として――」
「――死んだら元も子もねえだろが!」
「……ッ」
ユリエルが一括すると、カティーナはびくりと肩を震わせ、唇を引き結ぶ。
彼が指示したことが、暗に自分を逃がすための口実であることはわかっている。
しかしそれをすることは、彼女の公爵家としての誇りが許さない。
だが、ユリエルはそれを些末事と一蹴する。
カティーナは悔し気に顔を伏せる。
彼女自身、自分に戦う力が残されていないことも、この場にいてもユリエルの足手纏いになるだけであることもわかっているのだ。
由緒ある家の跡取りとしての誇りと、ただの少女としての恐怖。葛藤が彼女の胸中で吹き荒れ、そして逡巡の後、彼女はユリエルに背を向けた。
「――すぐ、助けを呼んできますわ」
「ああ、頼んだ」
入口へ向かってカティーナが駆けだす。
「逃がすかよ!」
先ほどから血の気が多く、よく舌が回る邪竜教徒の一人が氷槍をカティーナの背に向けて放つ。
だが、ユリエルはそれを掴み取ると、叩き割った。
「悪いがここから先は通さねえ」
「はっ、ナイト気取りか。学生風情が!」
一番遠くにいながら、いつの間にか発動した魔法にて強化した膂力で一気にユリエルの下へ突っ込んでくる。
突き出されたナイフを身を捻り、躱す。と同時に背中が無防備な男へ拳を叩きこもうとして――ユリエルは即座に後方へ跳んだ。
直後、先ほどまでユリエルが立っていた場所に幾本もの氷の槍が降り注ぐ。
残る二人が発動した魔法だろう。
舌打ちをしながら一旦距離を取り、体勢を整える。
「いい動きだ、とても学生とは思えねえ。どうだ、我々の仲間にならねえか」
リーダー格の男が手を差し伸べてくる。
それを見て、ユリエルはハッと笑う。
「悪いが俺は邪竜も、邪竜教も大ッ嫌いでね。生憎その勧誘はお断りだ」
「そうか、残念だ。どうやら状況が見えていないらしいな」
「――ッ」
三人がユリエルを取り囲む。
全方位からの同時攻撃であれば、流石に対処しきれないと踏んだのか。
「助けなど来る前に、小僧、貴様はここで骸になるんだな」
その言葉に、ユリエルは更に口角を上げる。
「ああ、悪いな。助けを呼んで来いってあれ、嘘なんだわ」
言いながら、ユリエルはローブを脱ぎ、地面に投げ捨てる。
身軽になったのを感じながら、挑発的な笑みを浮かべて言った。
「てめえら、この間五人がかりで返り討ちにあったの知らないのか?」
三人程度ならば、助けなど必要ない。
ユリエルの笑みに冷たい何かが背筋を這う感覚を覚えて、邪竜教徒たちは反射的に魔法を発動した。
◆ ◆
「はっ、はっ、はっ、はっ――」
カティーナは額に汗を滲ませながら学園内を走っていた。
ユリエルに返してもらった剣聖の伝記も、魔法使いの象徴であるローブも実技施設に置いてきてしまった。
だがそんなことを気にしている暇はない。
急がなければ、ユリエルの命が危ないのだから。
(邪竜、教徒……!)
ユリエルがその名を口にして、しかし彼女の中にそれほど大きな驚きはなかった。
彼らが纏う嫌な雰囲気や言動から、なんとなくそんな気はしていた。
いずれ魔法使いとして大成した暁には、各地に蔓延る邪竜教徒たちを一掃し、ミルフォード家の汚点を清算する。
そう決意していた彼女にとって、彼らとの出会いはある意味必然であったのかもしれない。
走りながら、カティーナはそっと胸に手を当てた。
バクバクと激しく鼓動している心臓の存在を感じて、彼女は表情を引き締める。
彼らは自分の心臓が目的だとも言っていた。
一体なぜ、とも思わなかった。
一族の一人が邪竜教に離反したミルフォード家の血筋を継ぐものとして、彼らに命を狙われるのもまた避けられないことだと思っていたのだ。
(ッ、今はそんなことより――)
余計な思考を捨て、自分を守るために戦ってくれているユリエルのためにも助けを呼ばなければ。
段々と重たくなってくる両足に活を入れ、激しく呼吸をして酸素を取り入れる。
いつの間にか魔力が尽きたのか、身体強化魔法が解けている。
魔力切れの影響か、頭がくらくらとする。
それでも走る足を止めるわけにはいかない。
やがて、辺りを走り回っても誰にも出会えなかったカティーナはいつの間にか魔法学園の中心に聳え立つ塔の近くまで来ていた。
この辺りならば、誰かいるかもしれない。
見ると、聖剣が差された台座の近くに人影がある。
よかった、と安堵しながら、カティーナは近づき、そして絶望した。
「そん、な……」
そこには、黒い外套を纏った邪竜教徒たちがいた。
「おや、ひひっ、あなたは……なるほどなるほどぉ、彼らは取り逃してしまったのですかね、くふふっ、いけませんねぇ……」
一人だけ、白衣を纏い、狂気的な笑みを張り付けた男が歩み出る。
カティーナの姿を認めてそう声を発した。
「あなたッ、ここで何をしているんですの!」
荒げる息を必死に整えながら、カティーナはそれでも気丈に言い放つ。
彼らの目の前には聖剣。邪竜教徒が聖剣の傍にいるとあれば、彼らの目的は一つとなる。
そして、それだけはさせるわけにはいかない。
「くひひっ、さすがあの方の子孫。似るところは似るものですねぇ、くひっ。安心なさい、走り回って辛いでしょう。すぐに楽にして差し上げやすよ」
男がそういうや否や、背後に控えていた邪竜教徒たちが一斉にカティーナに襲い掛かった。




