二十六話 襲撃②
時は少し遡り、ユリエルが去った後の実技施設内。
ユリエルを見送ったカティーナは一人、入り口を見つめて立ち尽くしていた。
『俺なんかでよければ、いつでも呼んでくれ――』
去り際、ユリエルが口にした言葉が妙に耳に残り、何度も脳内で繰り返される。
今までそんなことを言ってくれる人なんて、いなかったからだろうか。
「ッ、ダメよ! あの男は、ユリエル様を――」
少しぐらい優しくされたぐらいでほだされてはやらない
ミルフォード家の次期当主としても、彼を認めるわけにはいかない。
……魔法の腕が立つのだけは、やはり認めるけれど。
事実、さっきまでの鍛錬でも彼には微塵も魔法を当てられる気がしなかったし、事実その通りだった。
いくら身体強化を施したとしても、あれほどまでに超人的な動きが果たして可能なのだろうか。
自分だってただ無策で魔法を放ち続けていたわけではない。
魔法による拘束を交えたり、それこそ死角から攻撃したりした。
だが、それすらもまるで背中に目がついているかのように的確に躱して見せた。
あるいは、彼の強さが自分の求めている強さのような気がして――
「あーもう! 集中、集中よ!」
脳裏に過るユリエルの姿を振り切るように、カティーナは頭を左右に激しく振る。
そのせいで少しくらりとしたが、お陰で余計な妄想を断ち切れた。
ふぅ、と小さく息を吐き、体内を巡る魔力に意識を向ける。
先ほどまでの鍛錬の影響で魔力はほぼ底を尽きかけてはいるが、裏を返せばまだ少しは残っている。
魔法使いにとって魔力を使い切るというのは武器を捨て、素手の状態になることを指すが、結界で守られているこの魔法学園で襲われる心配は殆ど皆無だ。
安心して力を使い切ることができる。そういう意味においても、この魔法学園は絶好の鍛錬の場なのだ。
おちおち帰省などしてこんな素晴らしい場所を手放すこともないだろう。
――本当に、エレナ様は凄い。
彼女と、そして教職員たちが作り上げた魔法学園の結界を改めて認識すべく、カティーナは視線を上にあげた。
青々とした空が広がり、その空と地上の間に淡く球状に学園内を覆う巨大な結界が――
「――嘘ッ、結界が……!」
展開されている、はずだ。
事実、昨日まではあった。
しかし、そこには結界は展開されておらず、代わりに結界がない分いつもよりもハッキリとした青空が広がっている。
一体、いつから。
明らかな非常事態を前に、カティーナは呆然とする。
だが、すぐに彼女の意識は現実に引き戻された。
入り口から数人の気配がして、カティーナはそちらを見る。
一瞬、同じように休校期間中も学園に留まり、鍛錬をしに来たのかとも思ったがどうにも様子がおかしい。
明らかに学園のものとは違う服を纏い、その顔はフードに隠れて見えない。
現れたのは黒色の外套に身を包んだ怪しげな三人組。
結界が解除されているという事実に踏まえて、このタイミングで部外者の闖入。
カティーナは一歩後ずさった。
「あ、あなたたち何者です! ここは魔法学園、それも学園区。この学園に籍を置いていない者が立ち入ることは――」
「あー、嬢ちゃん、そう怒鳴りなさんな。用が済んだら帰るからよ」
カティーナの警告に、三人組の先頭に立つ男が左手を上げて制す。
カティーナが「用?」と眉を顰めると、男は今度は右手を差し出してきた。
「そう、用だ。嬢ちゃんに会いたいって人がいてね、少し一緒に来てくれ」
ますます、混乱する。
会いたい人が誰なのか、そして目の前の男たちは一体何者なのか。
だがどうであれ、答えは決まっている。
「お断りしますわ。あなた方のような怪しげな方についていくわけにはいきません!」
毅然と言い放つ。内心震えるぐらいに怖いけれど、公爵家の次期当主としての誇りが彼女にそうさせる。
少しの間、沈黙が流れる。
そしてすぐに、舌打ちがこの広い空間に響いた。
「下手に出たらすぐこれだ。全くやだね、いいところのお嬢様は」
「……ッ」
「いいから来い。この状況、嬢ちゃんに拒否権がねえことぐらいわかってんだろ?」
態度を一変、強引で野蛮な物言いでカティーナに詰め寄ってくる。
男が言っていることが事実であることは、カティーナも理解していた。
相手は三人。その上自分は先ほどまでの鍛錬で魔力を殆ど使い切ってしまっている。
こんなことなら、と悔いても遅い。何より、こんな事態想定できるはずがない。
せめてユリエルがこの場にいれば。
それも、願っても遅いことだ。
ともかく、今は自分一人で現状を打破する方法を考えなければならない。
だがこれまで、決闘による対人戦闘はしたことがあるが、このようなイレギュラーな状況での戦闘は経験したことがない。
ゆえに、ひとまず威嚇することでこの場から退場を願おうと――
「《アン・クロ》――きゃぁっ!」
土塊を放つ魔法を発動しようとして、すぐ脇を巨大な氷槍が通り抜けた。
カティーナの後ろで着弾し、轟音を立てる。
もう少し左なら、自分の胸を貫いていた一撃だ。
「随分と可愛らしい声で鳴くじゃねえか。だがこれでわかったろ、いいから大人しくしてな」
「なっ、くぅ……ッ」
自分の情けない声への羞恥と、何より悔しさでカティーナは顔を真っ赤にする。
男の言う通り、自分では技量的にも敵わない。
所詮は魔法学園での上位。世界を知る相手には到底及ばない。
だが、それでも――こんな輩に屈する程度なら、自分は今日まで孤独に耐えてこられなかった。
委縮する自分の心を、しかしこれまでの日々が裏付ける強さへの自信で打ち消す。
次は威嚇などではない。
彼らが打ってきたのと同じ魔法、攻撃魔法では最もポピュラーな氷槍をお見舞いしてやる――!
「《トレース・クイドフレメア》!」
近づいてきた男たちに向けて、三本の氷槍を放つ。
だが、それに対する男たちの反応はやけに淡白なものだった。
「《フレマル》」
詠唱の後、轟という音を立てて男たちの前方に炎の壁が立ち上る。
カティーナの放った氷槍などその壁にぶち当たった瞬間に溶けて蒸発した。
「やれやれ、聞き分けの悪い」
「兄貴、どうしやす?」
男の呟きに、後ろに追従する他の男が問いかける。
どうやら先ほどから声を発して一番先頭に立つ男が、あの三人のリーダーらしい。
男は少し悩む素振りを見せてから、
「……ご所望は、あの小娘の心臓だ。それさえ持ち帰れば、四肢がなくても問題ねえだろ」
「ってことは、やっちゃっていいんすね!」
男たちの会話を聞いて、震え始めて膝にカティーナは活を入れる。
ここで無様を晒すわけにはいかない。
なぜか男たちの狙いは自分の心臓らしいが、隙を見て逃げさえすれば学園に残っている教師たちに助けてもらえるかもしれない。
「へへ、大人しく俺に斬られな!」
後方の一人が一瞬にして飛び出し、自分に襲い来る。
一見素手でと思ったが、その手には氷で作られた小さなナイフが握られている。
魔法で作ったのだろう。
だが、突っ込んでくるだけならば対処の使用はある。
「《エンハルビ》「させねえよ」――ッ」
魔法を発動しようとしたカティーナの地面が突如柔らかくなり、カティーナはバランスを失いその場に転んだ。
そして、起き上がるころにはナイフを手にした男が目の前にいて――
「げぶほッ!」
反射的に目を瞑ったカティーナの耳朶を、男の間抜けな声が打った。
自分に襲い掛かるはずの痛みは訪れず、代わりに、男たちが動揺しているのが感じられた。
「……ど、どうしてあなたがここに」
目を開けた先には、何かを殴り飛ばした後のような体勢のユリエルがいた。




