二十二話 闇で蠢く計画
「さて、こいつらはどうしたもんか……」
地に落ちた邪竜教徒たちに視線をやりながら、ユリエルは銀髪を掻く。
そして、台座の上で青い宝玉を明滅させる相棒の姿を見て苦笑した。
「なんだ、お前も戦いたくてうずうずしているのか」
言葉にしてから、口にした言葉の不謹慎さにユリエルは思わず口元を押さえた。
戦いを、争いを望むことなどあってはならないことだ。
「これはまた、派手にやりましたね……」
「――! ……エレナか」
上空から呆れ交じりの声がかけられて視線を上げると、そこには塔の先端からゆっくりと降りてくるエレナの姿があった。
重力に従うにしてはいやにゆっくりと宙を降下してくるその姿には、魔法という超常の力が関与していることは誰の目から見ても明らかだ。
頭に乗せた黒いつば広の帽子が落ちないよう手で押さえながら、エレナは地に降り立つ。
地面を陥没させるほどの勢いで空から落とされて意識を失った邪竜教徒たちと破壊された周囲。そして、先ほどユリエルが疾走したために傷ついた塔の外壁を見て、エレナはため息を一つ。
「全く、私が人払いの結界を張っておかなければ今頃大騒ぎでしたよ」
「それは悪かった。……いや、俺は悪くないな。文句ならここで暴れたこいつらに言ってくれ。というか、結界を張ってたってことは塔の上から見ていたのか?」
「ええ。異常はすぐに感知しましたから。それはユリエルも同じだったのでは?」
「まあ、な」
イライザとの鍛錬を終えて帰路についていたユリエルが感じ取った気配。
それと同じものを、エレナも感じ取ったのだろう。
「というか、見ていたのなら手伝ってくれたらよかっただろ」
その事実に気付き、ユリエルは半眼でエレナを睨んだ。
彼女が手伝ってくれたなら、それこそもう少し被害を小さくして邪竜教徒たちを倒すことができたはずだ。
彼のその抗議の声に、エレナは薄く笑う。
薄緑の瞳を細めながら、くるりと彼に背中を向けて呟いた。
「――でも、楽しかったですよね?」
「……エレナ、不謹慎だぞ。戦いを楽しむなんて、誰であろうが思ってはいけないことだ。特に俺たちは、戦いをなくすために戦い続けたんだから」
ユリエルの低い声に、エレナは肩を竦める。
そして、再度体を反転さえて邪竜教徒たちとそしてユリエルに向き直った。
「彼らの身柄は私が預かります。何人かには早期の治療が必要そうですし」
「殺さなくていいのか?」
「ええ。彼らが持つ情報や肉体は大切ですから」
そう言って、エレナは邪竜教徒の背から生えた黒い両翼を見つめる。
その視線の意図するところを察したユリエルは、「そうか」と応えて夜空を見上げた。
「この時代にもまだ邪竜教が暗躍していることは知っていたが、実際にこうして再び遭遇すると色々と思うところがあるよな」
「色々と?」
「ああ。――一体、俺の三百年前の戦いになんの意味があったんだろうってな」
「戦いなんて、意味のないものですよ。真に意味があるのであれば、戦いなんてそもそもからして起きないんですから」
「いや、違うな。戦いは意味があるから起きる。でも戦いの中でその意味を失ってしまうだけだ。……俺の戦いにも、意味はあったはずだ。だからこそ俺は剣を手に取った。――だが」
空から視線を落とし、地面を見る。
先ほどの戦いで地面を舗装していたレンガが砕け、その下から土が姿を覗かせている。
それを見つめて、ユリエルは自嘲の笑みを浮かべた。
「俺はいつの間にか、戦いの中でその意味を失ってしまったのかもしれない。きっと、そうする方が楽だったのかもな」
「――――」
ユリエルの独白に、エレナは黙って耳を傾ける。
その独白を聞いて、彼女が何を思ったのか。
それはユリエルにはあずかり知らぬことだ。
少しの間をおいて、エレナは躊躇いがちに口を開く。
「例え本人が意味を失ってしまった戦いであったとしても、その戦いはきっと正しいものだったはずですよ。事実、多くの人があなたに救われたんですから」
「そう、かもな。……いや、そうだな。悪いエレナ、忘れてくれ。こいつらと戦いながらかつてのことを思い出しておかしくなってたみたいだ」
調子よく、重くなった場を誤魔化すためにユリエルは笑う。
その笑顔をエレナは悲痛な面持ちで見つめた。
「……では、私は彼らの翼について調べます」
「ああ、任せた。俺はそういうの、苦手だからな」
「彼らが言っていたように、この翼が邪竜復活の兆しであるのなら――あるいは、あなたの力が必要になるかもしれません」
「……わかってる」
夜の会話はそれで終わりを迎える。
ユリエルはエレナに手を振り、「じゃ、俺は戻るわ」と言い残してこの場を去る。
エレナはそれに頷きをもって返すと、同時に彼が去ることを名残惜しそうに青い宝玉から光を放つバルムンクを見て、ユリエルと同じように苦笑を漏らした。
◆ ◆
魔法学園から少し離れた場所にある森の奥深く。
人が誰も寄り付かないその場所には、石造りの古びた建造物があった。
三百年前のまだ世界が荒れていた時代の産物であるその建物は、その長き時間を物語るかのように周囲に生い茂る木々に馴染んでいた。
そしてこの建物こそ、邪竜教徒たちの本拠地であった。
辺りには侵入したものを文字通り抹殺する罠が張り巡らされており、時々この森に迷いこんだ者が罠の手によって殺められ、度々失踪者を出している。
そのせいか、地元の人間には『迷いの森』と恐れられ、それが一層人をこの森から遠ざけた。
外界と隔絶された僻地。
外から見ればせいぜいが二階建て程度の建造物だが、しかし地下に深く延びている。
その最下層、地下八階に彼らは集まっていた。
「マクドール、成果はどうだ」
祭壇に立つ男が、周囲に集う数人の人影を見下ろしながら小さく呟いた。
その呟きは、祭壇以外に何もないこの地下空間によく響く。
それから間もなく、君の悪い笑い声が重なるように木霊した。
「ひひっ、いひひっ、くひひひひ……っ」
薄暗い地下室の闇に溶け込むような黒い外套を羽織る人影の中、マクドールと呼ばれた男は唯一それとは対照的な白衣を身に纏っている。
マクドールは地下に灯る僅かな光を丸メガネのレンズに妖し気に反射させながら、狂気に満ちたその相貌に尚も薄気味悪い笑みを張り付ける。
彼のその奇行はいつものことなのか。祭壇に立つ男は苛立ちを見せることなくマクドールに返答を急かした。
「成果はどうだと聞いているのだ」
「ひひひっ、なんの進捗もありやせん、くひっ」
マクドールは悪びれることなくそう返答する。
しかし、男にとってその返事はある程度予想していたものだったのか。「ふむ……」と小さく呟くと、目を閉じた。
「邪竜復活には、やはり聖剣バルムンクに封じられているであろうその魂と、何よりその魂を収める肉体を維持できるだけの強力な核が必要でございやすね、ひひひっ」
「そうか。しかし彼の剣は忌まわしき魔女の袂にある。我々が奪還するにはそれなりの時間を要するだろう。ならばまずは、その強力な核とやらから手に入れよう。あてはあるのか?」
「もちろんでございやす。くひひ、例の失敗作に魔法使いの心臓と魔力回路を埋め込んだところ、肉体の強度が増しやした。魔法使いとして強力な者の心臓ほど、肉体を維持することが可能になるかと」
「研究室で飼っているあれのことか。俺も少しだけ見た。一見したところ、あれでも何の問題もないように思うが?」
「いえいえ、とんでもありませんよ、ひひっ。問題大有り、有り有りでございやす。あの肉体には肝心の邪竜の魂を注いでいない。にもかかわらず! あの軟弱さ! とてもとても、邪竜の魂には耐えられないでございやす。ああッ、全く嘆かわしい、くひひっ。ですんで、より強力な魔法使いの心臓が必要でございやす」
「その口ぶりからすると、強力な魔法使いとやらが見つかったのだな」
男の問いに、マクドールは「さすが察しがいいようで」と称賛してから続ける。
「魔法学園にはなっている部下からの報告ですと、カティーナ=ミルフォードという少女が適任かと。聞けば最年少で《魔導師》の称号を得ているとのこと。くひひっ、成長の余地を残した上でそれほどの力を持つ者の心臓と魔力回路……ああ、いいですねえ。是非ともこの手で切り刻んでみたいものです。くひひ、あは、くふっ、ひひひ! しかもしかもしかも! それだけではありません。彼女の血筋を考えると、邪竜の魂と結びつけるのに最も適した核といえるのです!」
マクドールは興奮気味にそう訴える。
その言葉を聞いた男はしばし無言でマクドールを見つめた。
「おやおやおや? もしかして躊躇っておられるのですか? しかし現状、彼女以上に邪竜の核に相応しい魔法使いはいないと思いますがねえ」
「……いや、そうではない。ただ皮肉なものだと思っただけだ。何十年もの時を超えて、私の行いが一族にもたらす宿命を」
「それは結構。ではでは、吾輩は準備に移るとしましょう。くふふっ、くくっ、くひへははっ!」
涎を垂らしながらマクドールは嗤う。
不気味な笑い声が地下室に響き渡る中、男は僅かに顔を顰めて宣言した。
「――一週間後、我らが神、邪竜復活のための核となりうる魔法使いの強奪に向かう」




