十七話 エレナの真意
「――ということになったわけだ」
学園長室にノックなしで入ると、机の前で忙しなく紙の束に目を通していたエレナにユリエルは今し方起きたことを伝えた。
それを聞いて、エレナは顔を上げる。
「……そうですか、よかったですね。……これで、あなたの目的も達成できるかもしれません」
「あ、ああ……」
エレナは微笑み返す。
だが、なぜかユリエルはその微笑みが笑っていないように感じた。
「なあ、イライザと俺がこういう関係になるのはお前の予想通り、計画通りだったのか? ……いや、例えそうだったとして、どうしてこんな回りくどいことを」
どうにも、エレナはユリエルに対して非協力的に思える。
仮にイライザがユリエルに魔法を教えるように画策していたのならば、エレナが彼女に、ユリエルが魔法を使えないことを明かしていたことを伝えなかったことが解せない。
そして何よりも大きな違和感。その時は気付きはしなかったが、冷静になって振り返ってみると抱く気持ち悪さ。
目覚めて、エレナと再会したときのことだ。
三百年ぶりの再会――そのはずなのに、彼女はいやに冷静だった。
大きく泣き叫ぶでもなく、突然の出来事に大きな戸惑いを見せるでもなく。
ユリエルが目覚めたことを一瞬のうちに受け入れて、そして冷静にその後とるべき行動をとった。
三百年。ユリエルからすれば途方もない時間だが、それだけの年月が経って、そうして再会した相手に対してあれほどまでに冷静でいられるのだろうか。
考えたところで答えはでない。
ユリエルも逆の立場になれば、驚きを通り越して彼女のように冷静になってしまうかもしれない。
だから、この違和感はそっと胸の奥底にしまいこむ。
「ユリエルのことを思ってですよ」
「俺のことを? ……いや、俺としては事前に言って欲しかったんだがな。前もって知っていれば、実技の時間に無駄な気を回す必要もなかったわけだし。というか、今日はそのことについて文句を言いに来たんだが」
ユリエルの鋭い視線を受けて、エレナは書類にサインをするために握っていたペンを机の上にそっと置き、姿勢を正してその視線を真っ直ぐ受け止める。
「では、一つユリエルに聞きたいことがあります。……あなたはこの魔法学園に居場所を求める、そして魔法を修めたい。――本当にそれだけですか?」
「何が言いたい。それだけに決まっているだろう。人は生きるためには居場所が必要だ。三百年間眠り続け、死んだことにされている俺にはこの時代での居場所はない。それを欲するのは当然のことだろう? 魔法を修めたいというのも同じことだ。俺とずっと一緒にいたエレナなら知っているだろう。俺がこの身で魔法を扱いたいと思っていたことも」
剣を握る傍ら、ユリエルは更なる力を求めていた。そうして習得しようとした魔法だったが、結局三百年前は習得するに至らなかった。
彼のその努力の一端を、エレナは知っているはずだ。
ユリエルの言葉に、エレナは困った風な表情を浮かべて目を伏せた。
「……そうね、今のは忘れて。ユリエル、誤解がないように言っておくけど、私はあなたの味方よ?」
「ああ、よく知ってるよ」
エレナの言いたいことがわからない会話に、ユリエルは苛立たし気に頭をガシガシと掻く。
けれど、唯一揺らぎようのない事実を告げられた間を置くことなく頷き返した。
その反応にエレナは満足げに微笑むと、紙の束へ視線を戻す。
忙しそうにしている彼女を見て、あるいはそう振る舞うことで会話を打ち切ろうとしているのか、ともかくユリエルは踵を返す。
扉に手をかけ、ふとユリエルは振り返り、
「……エレナは、なんのために生きているんだ?」
そんな、脈絡もない問いかけを口から零していた。
直後、ユリエルはハッとして今の発言を撤回する。
「悪い、変なことを聞いた」
なぜ自分が今こんな疑問を抱いたのか、あるいはその疑問を口にしたのか。
自分自身の口から漏れ出たというのに、当のユリエルにはそれがわからなかった。
ただわかるのは、今の質問がエレナに対してひどく失礼なものであるということ。
死ねと言っているのと同義だからだ。
しかしエレナは別段気にする様子もなく、くすりと微笑むと、
「それが、答えよ」
と、それこそ全く意味の分からない言葉を返してきた。
塔の長い螺旋階段を下りながら、ユリエルは脳裏にエレナの姿を思い浮かべてため息を吐いていた。
どうにも、彼女のことが理解できない。
彼女が何を考えて行動しているのか、行動したのか。
自分のことをどう思っているのか、自分のことをどう理解してくれているのか。
掴めず、見通せず、ゆえに接しづらい。
(……いや、三百年も経ったんだ。理解しようとするほうが傲慢か)
例え旧友といえど、今ではエレナよりもカティーナの方が接しやすい。
この数日接した限り、カティーナは根は素直で、実直で、真面目な女の子だからだ。そこに裏表はない。
この時代で一番の拠り所であるはずのエレナを遠くに感じながら、ようやく塔を出た時、ユリエルは再度大きなため息を吐いた。
「……お前もまあ、大変だよな」
入り口に飾られているユリエルの愛剣、バルムンク。
かつてと寸分も変わらず汚れのない美しい刀身。
それを見て、ユリエルはそんな感想を呟いた。
見るだけで美しいその剣は、台座の上に飾られているだけで確かに見る者を魅了する。
現にこの魔法学園に通う生徒たちのその誰もが、バルムンクが戦場で実際に振るわれていたことなど微塵も想像できないだろう。
こうして争いとは無縁の場所にあることこそが、その役目を終えた聖剣の最も相応しい居場所だと、そう思っている。
――が、ユリエルは思う。
こんなところは、お前には相応しくないと。
ただそれは無意識で、決して思考に入り込んだりはしない。
彼は、彼自身が何をしたいのかを考える暇も与えられずに、平穏な時代に放り出されてしまった。
戦い続けてきた彼にとってそれは単に環境の変化と表現するには優しすぎる。
ひとまず、この時代での居場所を求め始めたが、それは仮初で偽りの目的であり、その場しのぎのものでしかない。そしてそのことを、彼はやはり理解していない。
戦いに身を投じ続けたがゆえに、彼は己と向き合わずに生き続けた。
だから、彼は今も嘘を張り続ける。
「――あ、そういえば魔法祭について聞き忘れていたな。まあ明日イライザにでも聞くか」
バルムンクから視線をそらし、伸びをしながら明日の学園生活のことを考える。
そうすることで、彼は向き合いたくない真実に辿り着くための思考をやめた。




