十五話 イライザの課題①
魔法実技の授業を終えて、生徒たちは教室に戻り帰りのホームルームを行う。
それも終わると、イライザが教室を立ち去り、それに続くように続々と生徒たちも帰路に就こうと席を立つ。
そんな中、ユリエルは椅子に座ったまま背もたれに体重を預け、伸びをしていた。
「だー、つっかれた」
衆目の面前、特にイライザの目の前でなんとか魔法が使えないことがバレずにすみ、ユリエルは心の底から安堵していた。
一瞬、草の塊が無傷の状態であったときは内心冷や汗ものだったが、なにはともあれ全て杞憂に終わった。
素行はどうあれ、教師を勤めるイライザを欺けたのだ。
今後の学園生活でも気を抜きさえしなければバレることはないだろう。
その影で密かに魔法を学べばいい。
ともかく今日の授業は終わった。ユリエルとしてはさっさと教室を出ていきたいのだが、今朝、イライザに教室に残っておくよう言われたことを忘れてはいない。
(課題、か。この間エレナに釘を刺されたばかりだからさすがにまた筆記試験をやるようなことはないだろう。そうなると実技試験だが……それはさっきの授業でやったばかりだしな)
イライザが出す課題の内容を考えていると、隣から声がかけられる。
「帰りませんの?」
「カティーナか。……ま、この場で俺に話しかけてくれる物好きなんてお前ぐらいだよな」
「なんだか、わたくしのことをバカにしていません?」
「いやいや、むしろ感謝してるぐらいだよ。お陰で折角の学園生活を孤独に過ごさずにすんでるんだからな」
ユリエルがそう言うと、カティーナは「わたくしはお父様に言われて仕方なく――」と、あくまでも自分は嫌々関わっているのだということを主張してくる。
それだけにしてはいやに付き合いのいいカティーナに、ユリエルは苦笑した。
「ちなみに質問に対する答えは帰れない、だ。イライザに残るよう言われてるんだよ」
「そういえば、今朝何事か言われていましたわね。……ところで、先生のことを呼び捨てにするのもいかがなものかと思いますわよ? あなた、他人を呼び捨てにする癖がありますわね。直したほうがいいですよ」
「――――」
ユリエルが《剣聖》と呼ばれていた時代。
彼を呼び捨てで呼ぶ者は親しい人間しかおらず、逆に彼が初対面の人間に対して敬称付きで呼ぶと恐縮されたものだ。
結果として、ユリエルは他人を呼び捨てで呼ぶようになったわけだが。
(……ま、このあたりにも気をつけないとな)
今は立場が違う。英雄だった頃とは違い、今はただの一生徒だ。
「ご忠告痛みいるよ。それよりいいのか? いくら父親の言いつけだからって俺は話し込んでいると浮くぞ?」
ヒソヒソと、ユリエルとカティーナが話している光景を見て何やら囁きながら教室を出て行く生徒たちに視線をやりながら、ユリエルは意地悪気に問う。
すると、カティーナは自慢げに胸を張る。
「大丈夫ですわ。わたくし、元々浮いていますもの」
「あー……、仲良くやろうな」
事も無げに言い放った少女の悲しい返しに、ユリエルは思わず言葉を詰まらせる。
会話を切り上げるタイミングが掴めずに、二人の間に奇妙な空気が流れた。
と、それを救うかのように教室の入り口から声がかけられる。
「感心感心、きちんと残っていたか」
イライザが廊下に出ていく生徒たちを避けて教室内に入ってくる。
彼女が戻ってきたことで、いまだに教室に残っていた生徒たちも一斉に出ていく。
そして、それに追従するように、
「では、わたくしも帰りますわ」
「あ、ああ。じゃあまた」
ユリエルの傍を通り抜ける際、ふんわりと漂った甘い香りに一瞬意識が持っていかれる。
直後、視界を覆った金色の髪を目で追いながら、入り口付近でカティーナとイライザがすれ違ったところで再び現実に引き戻される。
「さて……」
ユリエル以外誰もいなくなった教室。
イライザの呟きが、無駄に大きく響いた。
「朝言ったとおり、君には中期試験を免除した代わりとして一つの課題をこなしてもらう」
「なるべく楽な課題で頼むよ。編入したばかりだからな、まだここでの環境に慣れてないんだ」
「そうだな。なーに、そう身構えることはない。君にとっては筆記試験などよりも遥かに簡単なものだ」
目を細め、黒い瞳にユリエルを映す。
彼女の纏う空気が僅かにぴりついたものに変化したのを感じ取って、ユリエルは軽く睨み返した。
「魔法実技の授業が終わり、この教室に戻ってきたばかりで悪いが、今からもう一度実技施設に行くとしよう」
「なんだ、また魔法を使うのか? それならさっきの授業で十分だと思うが」
「また、ね。……いや、心配しなくてもいい。先程の授業と同じことを繰り返すつもりは毛頭ない。いいから、とりあえず移動するぞ」
「はいはい、仰せのままに……」
おどけた調子で応じながらユリエルは立ち上がる。
そうして、先程辿ったばかりの道を進み、実技施設にたどり着いた。
「なあ、ユリエル。ここは普段実技施設という名称がついているんだが、時々その名前が変わるのを知っているか?」
「……? 編入したばかりの俺が知るわけがないだろ」
「確かに、そのとおりだ」
くっくっくっと笑いながら、イライザは空を見上げた。
「だが少しの違和感は感じただろう? ただの実技施設であるならば、これほどの数の観覧席など必要ない」
「……まあ確かに、ここに来た時一瞬決闘場みたいだなとは思ったが」
「その感覚は正しい。そう、正しくここは時々決闘場として用いられることがあるんだよ」
言いながら、イライザは元々緩いネクタイを更に緩める。
そして、楽しげに言い放った。
「私と戦う。――それが、君に課す課題だ」
「……お手柔らかにと、言ったはずだが?」
「それならば私も言ったはずだ。私との決闘を課題としても、問題はあるまいと」
エレナに呼び出された際、去り際に口にした言葉をイライザは復唱する。
「心配するな、この戦いの間私は魔法を使いはしない。――魔法を使えない者に使うのは、フェアじゃないだろう?」
「――!」
その呟きに聞き捨てならない言葉が含まれていて、ユリエルは思わず目を見開く。
すると、イライザは愉快そうに笑った。
「まさか、気付かれていないとでも思っていたのか? 未熟な生徒たちからすれば魔力の流れをうまく消すことができたのかと勘違いもするだろうが、私を含むこの学園の教員は彼らのような半人前とは違う。君の体から魔力自体が流れていないことぐらい容易にわかる。――もっとも、私の場合はそれに付け加えて事前に学園長から聞いていたんだがな」
「エレナから?」
「そうだ、君が魔法を使えないことをな。そして私にそのサポートをするようにと。……ただ、少し興味が湧いたのだよ。カティーナに決闘で勝利した君だ。一体どのようにして魔法を使わずに勝ったのだろうとね。そして今日、実技の授業で君の行動を見て理解したよ」
次第に彼女の口角が吊り上がり、好戦的な笑みが露わになる。
これが、イライザ=キャラトルの本性だ。
「君はただその身一つで魔法の領域に到れるのだと。それこそが、私の求めたものだよ」
「……それだけのために、俺にわざわざあんなことをさせたのか。エレナに言っていてやる」
「また減俸されてしまうのは痛いが、なに、折角これほどの強者に巡り会えたのだ。それもまたしかたあるまい。暫くはここでの体験を酒の肴にするとしよう」
ユリエルはローブを脱ぎながら、なぜエレナはイライザに自分が魔法を使えないことをバラしたのかを考える。
そして、その理由はすぐにわかった。
「心配せずとも、君が魔法を使えないことは誰にも言わないさ。君が魔法を使えないその理由も、にも関わらず魔法学園に編入できたその経緯も、聞くつもりはない。――ただ、私と戦ってくれさえすればいいんだよ」
「はっ、なるほどな」
イライザは、本当に強者と拳をぶつけることしか興味がないのだ。
逆に言えば、それ以外のことはどうでもいい。
しがらみも、謀略も、あるいはそれ以外の何もかも。
そういう意味においては、誰よりも信用に値するだろう。
(まあどのみち、イライザに言ったことを黙っていたエレナには後で色々と文句を言ってやるとして……ひとまず)
拳に軽く力を入れる。意識したよりも強く力を込めてしまった。
「なんだ、君も同類じゃないか」
ローブをその辺の地面に置き、顔を上げたユリエルを見てイライザは可笑しそうに嗤う。
ユリエルもまた、イライザと同じように笑っていたからだ。
「ここ数日、満足に体を動かせていなかったからな。あんたにその鬱憤をぶつけさせてもらう」
「ああ、願ってもない。思う存分ぶつけてくるといい」
剣聖として戦い続けてきたユリエルは、来る日も来る日も命を懸けて体を動かし続けた。
それが目覚めてからはあまり動けていない。
平和はユリエルが求めたものだったが、剣聖として鍛えられた肉体はそれを望んでいないらしい。
「じゃあ、いくぞ」
「うむ、きたまえ」
互いに短い言葉を交わし、それを合図に――互いが立つ地面が凹み、両者の姿が消えた。




