十四話 魔法実技②
イライザは生徒にまだ来ていない者がいないか視線を巡らせ、確認を終えると手に持っていた一冊のノートをめくり、口を開いた。
「あー、今日の授業は……補習のようなものだ。昨日の実技試験、あれは流石にひどすぎる。このままだと来月にある魔法祭で恥をかくぞ?」
ユリエルを除く、この場にいる大多数の生徒たちが羞恥からか俯く。
昨日の実技試験がイライザの言う通り望まぬ結果だった者が多いらしい。
(ま、俺には関係ないか……)
周囲の反応を見ながらユリエルは他人事のように思っているが、そんな彼の浅い考えを読んだかのようにイライザは鋭い視線を向けた。
「ユリエル、君もだ。いくら編入したてとはいえ魔法学園に入った以上君も魔法祭に出ることになる。当然、試験に出てくる程度の魔法を使えなくては話にならん。――まあ君に関して言えばカティーナに決闘で勝ったんだ。杞憂だろうがな」
「え、いや、魔法祭って……?」
聞いたことのない単語にユリエルは困惑し、同時に、自分がやはり魔法を使えると勘違いされていることに動揺する。
そんな彼の心情を知ってか知らずか、イライザは不敵な笑みを浮かべて今日の授業内容を明確に伝える。
「今日は各自、《システィナブ》と《コーポンタンス》を使えるようになってもらう。すでにできている者はできていない者のサポートを。できない者は死ぬ気でやれ。さもないと……本当に等級を落とすことになるぞ?」
イライザの笑みが挑戦的な、そして嗜虐的なものに変わり、生徒たちはごくりと唾を飲み込む。
恐らく、《システィナブ》や《コーポンタンス》は魔法の名称なのだろうとユリエルは辛うじて理解する。
ただし、それを使うことができるかといえば……
(さて、どうしたもんか……)
内心焦りながら、ユリエルはひとまず周囲の生徒たちの動向に目を向けた。
生徒たちは互いに距離を取り合いながら、目を瞑る。
「《シ・コーポンタンス》」
そう呟くと同時に、その生徒の全身から淡い燐光が煌めき、全身を覆う。
「これはすごい……」
ユリエルは感嘆しながらたった今魔法を行使した者を視界におさめるべく、空を見上げた。
地上三メートル。
地面を蹴り、漆黒のローブを翻して魔法の恩恵を受けし者はたったの一跳びでそこにいた。
「よく言いますわ。あなたは魔法を行使する予兆すら感じさせずに同等以上のことをわたくしの目の前でやってのけましたのに」
嫌味なのかと、カティーナは噛み付いた。
確かに、あの程度のことはユリエルならば魔法なしでもやってのけることができる。
だが、あの程度のことを可能にするためにどれほどの修行を積んだのかを考えれば、身体的な努力を置き去りにして魔法一つで同等のことをしてみせたという事実には戦慄せざるを得ない。
(この変化は喜ばしいことなのか、それとも……)
魔法によって多くの人間が力を手にした。
その変化は、かつてユリエルが望んでいたものではある。
彼自身もまた、魔法という力に魅了されていたから。
その思考の間に跳躍から重力に引かれて地面へ降りてきた生徒が次なる魔法を行使する。
「《アン・システィナブ》っ」
腕を横に一閃。
その一瞬の間に振り抜かれた右腕は激しい光を宿す。
直後、不可視の刃が生徒の前方を駆け抜けた。
衝撃で砂塵が宙を舞い、それが風の刃であることを視覚的に理解する。
身体強化魔法、《コーポンタンス》。
風魔法、《システィナブ》。
どちらも戦いに便利だなと、ユリエルは漠然と感じた。
イライザの指示通りに、すでにその二つの魔法を十全に扱える生徒は使えない者の傍につき、指導を始めた。
必然的に二人一組、ないしは三人一組のグループが形成されていく。
「…………」
だが、編入したばかりでろくに知り合いがおらず、その上魔法が使えると勘違いされているユリエルは一人取り残されていた。
特にすることもできることもないユリエルは、ひたすら周囲で行使される魔法を眺める。
そうしている間にも、次々とイライザの前で魔法を講師し、合格する生徒が増えていく。
しばらくして、試験を受けに来る生徒の波がおさまり、少しばかり時間の空いたイライザが一人ぽつりと立つユリエルに気付き、近づいてきた。
「げっ」
「なんだその反応は。……ふむ、そういえば私は君の魔法を見たことがなかったな。折角だ、見てやろう」
「いや、別に俺は……」
しどろもどろになりながら、ユリエルは周囲に助けを求める。
しかし、当然のことながら救いの手はない。どころか、噂の編入生が魔法を使うということで、その誰もが練習の手をとめて注目していた。カティーナもその例に漏れない。
「ほら、早くしたまえ。後がつかえるだろう?」
「……わかったよ」
渋々といった様子でユリエルは頷いた。
すると、それが予想外だったのかイライザは目を丸くした。
「どうかしたか?」
「いや何、気にしないでくれたまえ。君は、魔法の行使に集中するんだ」
「そうか」
ともあれ、ユリエルはこの場を決闘の時と同様に誤魔化しながら乗り切らなくてはならない。
体調不良とでも訴えてこの場を逃げるのも手ではあったが、しかしユリエルはそれをしなかった。
する必要がなかった、というのが正しい。
なぜなら――
「えーっと、《コーポンタンス》は行使した状態で三メートル以上の跳躍、《システィナブ》はあれを破壊ってのが合格条件でいいんだよな?」
「そのとおり」
ユリエルは壁際に設置された草の塊を見つめる。
(できるよな……)
軽く腕を振りながらユリエルは内心で自問する。
「じゃあまずは……《シ・コーポンタンス》」
軽く呟いて、ユリエルは力の限りを込めて地面を蹴る。
ボコリと地が沈む感覚を足の裏に感じながらユリエルは跳んだ。
地上三メートル。
常人が魔法なしでは到底届き得ない領域に悠々と至る。
体を一瞬の浮遊感が包み、そしてすぐさま重力に引き戻された。
直後、足の先から順に全身に衝撃が走る。
地に降り立つと同時に乱れた銀髪を掻き分けて、ユリエルはイライザの反応を窺った。
少なくとも、あの決闘の時はこうしただけで自分が身体強化魔法を使ったと勘違いされた。
加えて、今回は詠唱の真似事もして見せた。
果たして――
「――――」
イライザは言葉を失ったようにぽかんとした様子でこちらを見ていた。
反応自体は、周囲の生徒たちの方が早い。
「おい、今の見たか? 発動の予兆、全然なかったよな」
「すごい、魔力の放出を微塵も感じさせないだなんて……」
周囲の反応は、ユリエルの狙い通りのものだった。
内心口角を上げながら、彼らが口にした言葉を脳内で反芻する。
(予兆? あの燐光みたいなやつのことか?)
そもそもからして魔法を使っていないのだから、予兆も何もないに決まっている。
「……まるで魔法を使っていないかのような見事な魔力操作だな。合格だ、次」
周囲の生徒たちから視線を戻すと、ようやくイライザが口を開いた。
一瞬核心をつかれた言い回しにドキリとするが、気付いてはいないらしい。
ホッと胸を撫で下ろし、次の関門へ向かう。
すなわち、風の刃を放つ魔法、《システィナブ》。
課題はこの魔法で草の塊を破壊するというものだが、先程のように高く跳躍すればいいだけの今の魔法の再現とはわけが違う。
手を触れることなく草の塊を破壊しろという無理難題。
だが、この場を乗り切るにはそれを成し遂げるしかない。
(そういえば、エレナは俺がこういう事態におかれることを予想していなかったのか……?)
ふと、そんなことを思った。
魔法学園の学園長であるエレナならば、魔法実技という科目において行われることを誰よりも理解しているはずだ。
そして、ユリエルが編入した後に行われる授業で彼がこういう状況におかれることもまた、想像に難くない。
(……ま、今考えても仕方がないな)
現実逃避気味になっていた思考を戻し、標的である草の塊に目を向ける。
この魔法実技の時間が始まってから、何も考えずにボーッとしていたわけではない。
魔法を次々と繰り出す生徒たちのその仕草をつぶさに観察していた。
そうしていると、三つの共通点に気付いた。
一つ目は、風の魔法を放つ際、誰もが《アン・システィナブ》と魔法の名を口にしていること。
二つ目は、腕が激しい光を発する点。
一つ目に関しては、先程同様にただ魔法名を口にするだけで誤魔化せたので問題にはならない。
そして二つ目は、どうやら魔法を行使する際の予兆を感じさせない見事な魔力操作、と勘違いしてくれるらしい。
共通点のラスト、三つ目は、誰もが左右の違いはあれど、体の前で腕を真横に振り抜いていたことだ。
これは、都合がいい。
腕を振り抜くというモーション。その動きに何の違和感も不信感も抱かれないのであれば、やりようはある。
――つまり、《掌底波》の応用だ。
あの体技は相手に触れることなく、突き出した掌底が発する衝撃波で相手を吹き飛ばすものだ。
それを応用すれば、あるいは――
軽く右手をふり、動きの確認をする。
空間を斬るように振り抜いて、その余波で草の塊を両断する。
そんなイメージを脳内で思い描きながら、ユリエルは大きく息を吐き出した。
「――《アン・システィナブ》ッ!」
気合の乗った叫び声を上げ、一瞬にも満たない速度で右腕を振り抜いた。
腕は大気を裂き、衝撃を生む。
土煙が舞い上がり、それを目で追おうとした時にはそれはすでに目標に達していた。
「…………」
一連の動きが集結し、沈黙が訪れる。
ユリエルの前方には彼が行動を起こす前とは全く変わらず、何の変哲もない無傷の状態の草の塊がそこにあった。
まさか、失敗か?
そんな声が生徒たちの間であちらこちらから発せられる。
だが、ユリエルは内心で首を傾げていた。確かな手応えがあったからだ。
イライザに確認をとることなく、ユリエルは草の塊に近づく。
そして、つん……と、草の塊を軽く押した。
「お……」
小さく漏れた声。ユリエルが軽く触れたその瞬間に、草の塊が上下二つに分かれ、崩れ落ちたのだ。
振り返り、イライザに視線を送る。
両断された草の塊に意識が釘付けになっていた彼女も、ユリエルの視線に気付いて慌てた様子で頷いた。
「うむ、流石、文句なしの合格だ」
それを聞いて、ユリエルははーっと息を吐きながら脱力した。
なんとかこの場にいる全員の目を欺き、乗り切ったことに安堵していた。
だから、ユリエルは気付けなかった。
イライザが密かに、獰猛でどこか喜々とした笑みを浮かべていることを。




