十三話 魔法実技①
「ごきげんよう」
「お、おう。……おはよう」
一日の休みを挟んだ次の日。
朝早く一人で教室に入れたユリエルは、自分の席で大人しくホームルームが始まるのを待っていた。すると、少し遅れて教室に顔を出したカティーナが席につく間際、初めて彼女の方から挨拶をしてきた。
「昨日はどうしていらっしゃらなかったのですか?」
「そのことか。編入したばかりだったから試験は免除ということらしい。筆記試験はちょっとした手違いってやつだ」
「そういうことでしたの。てっきり怖気づいてしまったのかと……」
「何に怖気づくんだよ」
思わず突っ込みながら、ユリエルはカティーナの態度に違和感を抱いた。
二日前までならば、彼女が尊敬する剣聖ユリエル=ランバートを貶したユリエルのことを毛嫌いしていたのに、今は積極的に関わろうとしているようにも見える。
いつの間にか打ち解けることに成功していたのか、という風にも見えない。
考えていても埒が明かないと、ユリエルは直接聞いてみることにした。
「なあ、なんか俺と仲良くなろうとしてくれていないか? いやそれは俺にとっては嬉しい限りだが、なんというか、嫌々そうしてるっていうか」
ユリエルの指摘にカティーナは肩をビクリと震わす。
「――ッ、ええ、確かにわたくしはあなたと仲良くなろうとしていますわ」
「へぇ、そりゃまたどうして」
聞くと、カティーナはローブの内側に手を入れ、一通の手紙を取り出した。
「……昨日、お父様から手紙が届きましたの。魔法学園にユリエルという生徒が編入しているはずだから、仲良くしておけと」
「――――」
カティーナの告白に、ユリエルは表情を固くしてからすぐに和らげる。
そして、愉快気に笑いながら、
「それって、俺に言ったら意味がなくないか?」
「! わ、忘れてくださいっ」
カティーナはハッと目を見開くと、慌てて今の発言を忘れるように詰め寄る。
それを一層大きい笑い声で応じながら、ユリエルは彼女の父親の思惑についても考えていた。
朝の教室に、ユリエルの笑い声とそれをかき消そうとするカティーナの焦燥に満ちた声が響き渡った。
◆ ◆
「ユリエル、少し来たまえ」
「……?」
朝のホームルームを終えると、教壇に立つイライザが手をちょいちょいと動かしてユリエルを呼び寄せた。
クラスメートたちの視線が集中する中、ユリエルはゆっくりと席を立つ。
「何か用か?」
「一応私は君の教師なんだぞ? その口調は感心しないなあ。……まあいい、この間言ったとおり試験の代わりとして君には課題が出る。そのことだ、今日の放課後空いているな?」
口調に関してはどの口が……と思いながら、ユリエルは頷いた。
「そうかそうか、それは何よりだ。ならば放課後少しここに残っていたまえ。やってもらうことがある」
「お手柔らかに頼むよ」
肩を竦めて、ユリエルはイライザに向けて切に願った。
魔法学園は一時限九十分の四時限制となっている。
科目は歴史、精神学、魔法学、魔法実技の四つ。
例外を除いて、ユリエルの所属するクラスは基本三時限と四時限は魔法実技の時間となっており、一時限と二時限はその他の科目で構成されている。
一般教養に関しては、普通の学び舎にて習得しておくべきものだ。
そんな理由から、魔法学園に通う生徒の平均年齢は二十二歳。
一番最年少で十五歳だ。
ところで、今日初めて座学を受けたユリエルは一時限目の授業、魔法学が終わると、
「…………」
先日の筆記試験の時と同様、机に突っ伏して瀕死状態にあった。
元来、人の集中力というものは理解できるものがあって初めて持続される。
つまるところユリエルにはその理解というものが一切なく、意味のわからない言葉の羅列を聞かされ続けては、とても集中を保てなかった。
「もしかしてあなた、全く理解できなかった……なんてことはありませんわよね?」
父親にユリエルとの親睦を深めるように指示されているカティーナは、彼の状態と真っ白なノートを交互に見て、恐る恐る問うてきた。
ユリエルは顔を机に当てたまま、僅かに顎を引く。
「……それでよく、あなたは第二階級の、それも第一等級に編入できましたわね。そもそも、魔法学をろくに理解できていないあなたが、なぜあれほどの魔法を……」
理解できないといった様子でカティーナが怪訝な視線を送るが、当人は机に顔を突っ伏しているので気付けない。
魔法学園の階級、等級制度や、魔法という術そのものをよく理解していないユリエルに彼女が抱いた疑問を理解できるべくもなかった。
二時限目の精神学の授業は打って変わって、ユリエルは終始教壇で教鞭をとるイライザの言葉に耳を傾けていた。
精神学。哲学的なことや、小難しい理論を並べているとはいえ、それらはすでにユリエルが感覚でもって理解しているものだった。
それを改めて客観的な見解を聞くことで、より昇華していく感覚を覚える。
そんなユリエルに対して、精神学は魔法学と比べてそれほど人気がないのか。一時限目のユリエルのように机に突っ伏している生徒が幾人か散見された。
そして、三時限目に移る。
二時限目が終わると、イライザは教室を出ていった。次いで、周りの生徒たちがガタガタと席を立ち、移動を始める。
困惑の渦中にあるユリエルに、またしてもカティーナが手を差し伸べた。
「実技施設に移動するのです。教室で魔法を放つわけにもいきませんから」
「そりゃあ確かに道理だ。しっかし、魔法……ね」
魔法実技の授業内容によっては、ユリエルにとっては少し困ったことになる。
魔法を使えませんとまではいかないも、それほど得意でないと説明すれば少なくともイライザは教師の立場からして魔法を教えてくれるかもしれない。
そうすれば、実技の授業中でも最低限の配慮はしてくれるだろう。
だが、イライザはユリエルがカティーナに決闘で勝利したことを知っていた。
それでは、魔法を使えないと告白するのもまずい。
(俺が魔法を使えないことがバレても退学にはならないと思うが、どちらにしろ誤魔化しきるしかないな。……あー、くそ。決闘なんてするんじゃなかった)
悔やんでも仕方がないと、ユリエルはカティーナの後ろを追いながら切り替える。
教室を出て廊下を歩き、階段を降りて校舎から出る。
そのまま暫く歩くと、何やらドーム状の建造物が見えてきた。
その中に入ると、道をレンガで舗装されている魔法学園では見慣れない、土の地面が視界にとびこんできた。
直径百メートルほどの広い空間を取り囲むように、周りには人一人分ほどの壁の上に席が用意されている。
それも、数千席。
この施設に似たものを、ユリエルは知っている。
邪竜の脅威に晒される中で少しの娯楽を求めていたあの時代。
所謂、決闘場というものがあった。
観客は施設の中心で戦う二者のどちらが勝つかを賭け、その決闘の結末を楽しむという趣味の悪い娯楽だ。
その決闘場とこの建造物は酷似している。それをもとに造られているのだとしたら、一体どういう風にして使うのか。
辺りを覆う数千に迫る席から視線を逸らすべく、ユリエルは上を見上げた。
天井はなく、澄んだ青空が広がっている。
だが、ユリエルはその青空に妙な違和感を覚えて「ん?」と眉根を寄せた。
「なあ、カティーナ、あれはなんだ?」
ユリエルは青空を指差して、隣に立つカティーナに聞く。
何の変哲もないように見えるが、目を凝らしてよく見ると僅かに黄色い何かがこの施設を覆っているように見えるのだ。
「あれはただの結界魔法ですわ」
「結界、魔法……?」
カティーナの返答にユリエルは疑問を交えて返すと、彼女は今度こそ深いため息を吐いた。
「あなた、本当に何も知らないんですのね。それでよく魔法学園に入学できたものですわ……」
彼女のもっともな呟きにユリエルは苦笑するしかない。
そうしていると、やがて諦めたようにカティーナが説明を始めた。
「結界魔法は大規模魔法の一種ですわ。あの魔法は、この中で行使された魔法を外に漏れ出さないようにするためのものですわね。学園長であるエレナ様とその他教職員の方々によって設置されたあの結界魔法は、学園創設以来一度も破壊されたことがありませんわね」
「へえ、結界魔法ね。そんな便利な魔法も開発されていたんだな……」
感嘆の声と共に、ふと観覧席に視線を向けるとそこにも結界が張られているのが見えた。
「結界魔法の性質を利用して、有事のために魔法学園全域を覆う巨大な結界も張られていますわ。その結界のお陰で、わたくしたちは何にも怯えることなく安心して学園生活を過ごせますの。商業区に出店する商人が多いのも、それが関係していますわね。――と、いらっしゃいましたわね」
カティーナが結界魔法に関して補足していると、施設の入り口からイライザが入ってきて、話を打ち切った。




