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一話 剣聖の目覚め

 焦土と化した大地、そこで憎悪の声を叫びながら死んでいく者たち。

 地獄。――この光景こそが、人類の災厄たる邪竜が引き起こしたものだ。


 地に這う人など虫けらだとでも嘲笑うかのように、邪竜は悠然と空で両翼をはばたかせている。

 だが、そんな邪竜も無傷ではなかった。


 空に浮くために動かす両翼や黒い巨躯には、決して無視できない傷が刻まれている。


 災厄を具現化したもの、そう例えても決して誇張ではない邪竜にそれほどの手傷を負わせたのは、しかし今死んでいった者たちではない。

 はたまた、ボロボロになりながらも辛うじてその細い生にしがみついている者たちでもない。


「グギョァァアアアッッ!!」


 突然轟いた邪竜の咆哮に大気が轟く。言葉がわからずとも、そこに怒りの感情が乗せられていることだけはこの場にいる誰もが感じられた。

 そして、その怒りの矛先は絶対強者たる自分に傷をつけた一人の青年に向けられる。


「散々悪逆非道の限りを尽くした癖に、自分が傷つけられたらそれか」


 邪竜の視線の先、そこには銀色の髪を揺らした一人の青年が立っている。


 長きに渡り武に携わり、武芸を極めた猛者ばかりが集うこの場で、青年の歳はまだ二十を少し超えたところか。

 しかし、そんな彼こそが邪竜に唯一傷をつけた存在だ。


 青年は右手に握る一振りの剣――青い宝玉が黄金の柄に埋め込まれた幅広の直剣を手に、邪竜を睨みつける。

 そこには、先ほどの邪竜の咆哮に勝る怒りが込められている。


 満身創痍の周囲の人間に比べ、青年だけは無傷のままその場に立つ。


「――いい加減、沈めよ」


 青年は小さくそう呟くと、身を低くして体に力を籠める。

 そして、蓄積した膂力を一気に解放して宙へと跳んだ。


 数メートル上空をはばたく邪竜を容易く超え、その背に回る。


「ッ、――はぁッ!」


 邪竜の背から無数の黒い茨が青年に襲い掛かる。

 それを青年は手に握る直剣で払い落としていく。


 そして、重力の力を得て加速した青年は直剣を両手で握りなおすと、守りを失った邪竜の背に向けて振り下ろした。


「グガァァ――ッ!」


 衝撃で邪竜は地上へと落ちていく。邪竜の巨躯を受け止めた大地は悲鳴を上げ、荒野に巨大なクレーターが出来上がる。

 その中心で力の限りを尽くして体勢を立て直し、再び空へ羽ばたこうと翼を広げる邪竜を、青年は上空から落下しながら見下ろした。


「逃がすかよ。お前はここで消えろ――ッ」


 直剣の剣先を邪竜の心臓に向け、青年が空から落ちてくる。

 見ると、直剣に埋め込まれた青い宝玉から光が漏れだし、それが刀身を包んでいた。


 遠くから見れば流れ星と見紛うほどの輝きと共に、青年は邪竜の巨躯へ直剣を突き刺した――。


 ◆ ◆


 意識が芽生えたのを感じた。


 永い間眠っていたような感覚を抱きながら、青年は全身に指示を送る。

 直後、目が開かれて彼の紅い瞳が外気に晒された。


「…………」


 無言のまま、彼は辺りを見渡す。

 周囲は暗く、何も見えない。

 それでも、自分がうつ伏せの状態で何かを逃がさないように押さえつけていることだけはわかった。


 自分の体よりも数倍も大きいこの巨大な塊はなんだろうと視線を移したところで、それは唐突に朽ち果て、砂塵となって宙へと消えていった。


「これは……あぁ、そういえばそうだったな」


 硬い石の床に積もった砂塵を掬い上げて見つめる。

 そうして何かを思い出したように呟いた。


「きちんと倒しきれたみたいでよかった」


 消え去りそうなほどに小さな声で呟く。

 思い出したのだ。自分が《剣聖》として人類の災厄たる邪竜と戦い、そして倒したことを。


 つまり、今朽ち果てた何かは彼が倒した邪竜の亡骸だ。


「あれからどれぐらい経ったんだ……?」


 床に寝転がったまま上下を反転し、上体を起こす。


 体に纏わりつくいやに気怠いこの感覚は、寝起きのそれと同じだ。

 首を回すとポキポキと小気味のいい音をたてる。


 青年は鉛のように重たい腕を動かして、少し長い自分の銀髪をかき上げた。


 随分と永い間眠っていたはずだが、体に衰えは全く感じられない。

 手を握っては開き、握っては開きを繰り返し、動くことに支障がないことを確認する。

 そうしてから、ようやく彼は立ち上がり、再度辺りを見渡した。


 邪竜と相対し、荒野で眠りについたはずの自分が真っ暗な空間にいる。

 暗闇に慣れてきた視界は、ここが石造りの一室であることを伝えてきた。


「――あぁ、くそッ。考えが纏まらない」


 これからどうするか。それを整理しようとしても頭が回らない。

 苛立たし気に吐き捨てながら霞む思考を稼働する。


 そうしていると、目の前の壁から一筋の光が僅かに差し込んでいることに気付いた。

 考えが纏まらないうちに青年はふらふらとその光へと向かう。


「……お、扉か。しかも開く」


 そっと手を触れると、壁だと思っていたそれが僅かに動き、差し込む光の量が増す。

 少し躊躇ってから青年はその扉を押し開けた。


「――っと、まぶしっ!」


 扉の外には廊下が続いていて、天井から吊るされた光源の明かりに思わず目を細めた。

 廊下の向こうには上へと続く螺旋階段があり、青年は左手で光を遮りながら真っ暗な部屋を出て螺旋階段へと向かった。


 これが、邪竜を倒した英雄、《剣聖》ユリエル=ランバートが三百年の眠りから目覚めた瞬間だった。


 ◆ ◆


 真っ暗な部屋を出て、螺旋階段を上りながらユリエルは何か寂しさのようなものを覚えていた。

 いつもこの手にあったものがなくなったかのような、言葉にできない喪失感。


 憮然としながら、しかし彼は何かに誘われるように迷いなく螺旋階段を上る。

 随分上った気がするが、変わらず周りは壁に覆われている。

 まるで先ほどまで自分がいた部屋が隠蔽されているのではと疑うほどだ。


 そうしてもう暫く螺旋階段を上り続けると、ようやく開けた場所に出た。

 目の前には赤い絨毯が敷かれた立派な廊下。

 壁には先ほどまでとは違い窓が備わっていて、そこから自然の光が入ってきている。


 先ほどまでいたのは地下なのか?


 ユリエルは疑問を抱きながら螺旋階段を出て廊下へ足を踏み出す。


 足裏を柔らかい絨毯が跳ね返す。

 これほど上質な絨毯を、ユリエルはそう見たことがない。

 果たしてここはどこなのか、その疑問がますます膨らんでいくがユリエルの足は迷いなく廊下を突き進む。


 突き当たりを左に曲がると、そこにはようやく出口と思しき扉があった。

 地下室の扉も、そして廊下に敷かれた絨毯もそうだが、この扉もまた高級そうな造りをしている。


 確かな重みを感じるそれを片手で押し開けると、ユリエルの全身を陽の光が照らした。


「これはすごいな」


 小さく、感嘆の声を漏らす。

 建物を出て、眼前に広がる光景に思わず息を呑んだ。


 自分が眠る前にはなかったようなしっかりとした建造物が立ち並び、地面はレンガで舗装されている。

 にもかかわらず、自然は失われず、至る所に木々や草花が植え付けられていた。


 と、そこまで見てからユリエルは一つの違和感に気付いた。

 周りにある建物がそれぞれ密集している中で、自分が今出てきた建物だけが明らかに隔離されているのだ。


「塔……?」


 振り返り、今しがた自分が出てきた建物を見やる。

 周囲の建物と比べる必要がないほどに高い塔のその先端付近には、大きく立派な時計が埋め込まれている。


 何十階建てか。そんなことをボーッと考えていたユリエルだが、不意に自分に向けられる無数の視線に意識を向けた。


(なんだ……?)


 見ると、自分の周囲を忙しなく行き交う黒いローブを身に纏った集団が、ちらちらとどこか警戒するような視線をぶつけてきている。

 思わず眉間に皺を寄せる。その視線に居心地が悪くなったユリエルは即座にその場から離れようとして――気付いた。


 塔の入口、これまた重厚な造りの台座に丁重に、そして厳重に飾られている一振りの剣。

 見るからに重たそうな幅広のその剣の黄金の柄には、青い宝玉が埋め込まれている。

 刀身には中心に真っ直ぐ、金色の線が入っている。


 その剣に気付いたユリエルは、思わず懐かしむように口角を上げた。


「――バルムンク。そうか、何か足りないと思っていたのはお前だったか」


 相棒の名を口にしながらユリエルは台座に歩み寄る。


 かつて幾度もの死線を共に乗り越えた友。

 剣聖、ユリエル=ランバートが愛用した竜殺しの聖剣――バルムンク。


 無意識のうちにその柄に手を伸ばし、そして手に取ろうとしたところで――


「――ちょっとあなた、何をしているのかしら!」


 それは、少女の叫び声で阻まれた。

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