一二月の闇
十二月に入り。敵は相変わらず攻めてこないものの、行也達の元には悪いニュースが増えていった。
明智、さらに光紀の父が思い出した話を聞いた黒田が、栗山、母里、
そして後山先生の先輩に情報を集めさせた結果。恐ろしい事態が明らかになったのである。
ある土曜日。昼。黒田、行也、行人、栗山、母里、細川、明智、光紀、そして小早川の九人は。
山田家でお握りをかじりながら会議を始めていた。
「今回、一九九九年の大災害……いや、人災の関係者の生き残り数人とコンタクトを取れた。情報元は確かだ。本当に胸糞わりぃ奴らの話を聞いたぜ!」
顔に血管を浮かべながらちゃぶ台を叩く母里に代わり、栗山は淡々と語る。
「要するに敵の皆様が怒っているのは、
日本が未だに世界で使用禁止とされている鉱物を使用して海洋汚染を引き起こしていること、
賠償金を払っていないこと、
大災害の際の責任者を突き出していないこと、の三点です。
詰問状が去年の冬、さらに今年の春にも着たそうですが……。それを政府が無視してしまったので裏日本が攻めてくるようになったようです。」
「その鉱物ってなんだよ?」
行人の問いに栗山はスラスラ答える。
「ピッカリンという鉱物で、昔、車の生産や装飾品に使われた鉱物です。菊池殿の方がお詳しいと思いますので解説をお願いします。」
光紀は頷くと、解説を始めた。
「かしこまりました。この鉱物・ピッカリンと鉄を溶かして組み合わせるとすごく軽くて丈夫、かつこの世の者とは思えない美しい光沢を持つ合金『キラン』が生まれるのです。
ですが、問題がありまして。鉄と化合させる前はすごく不安定な鉱物なんです。
ある程度酸素のある場所だと、ちょっとした衝撃で大爆発したり、酸素と反応して有害なレンジー線を放つ物質『ドックン』に変化してしまうのです。」
「やべえ物質だな……。」
唾をごくり、と飲み込む行也と行人。栗山は光紀から話を引き取って続ける。
「菊池殿。ありがとうございました。一九九九年に落ちた隕石自体は規模が小さかったのに、ピッカリンを使っている大工場に数か所落ちてしまったため東北~関西があのような大参事になってしまったのでしょう……。
しかも、あの前年から世界的に禁止されていたピッカリンの工場に落ちたのが人災の原因だと発覚したら困るということで、当時の政府は交通を封鎖して住民の皆さんを封じ込め、口封じを図ろうとした。もし住民の方が幽斎博士のおっしゃっていたある場所に逃げなかったら何千万人の方がお亡くなりになられたか……。」
皆、目を閉じる。少しして、栗山は最近のピッカリンの状況について続けて述べた。
「そのドックンですが。始末には空気を遮蔽する容器やらなんやらでお金が掛かるので、ドックンが出来てしまった場合、わが国はこっそり海に流しています。海流に乗ってどこかへ行ってくれないかな、と考えているらしいです。
ちなみに海に流すと海のミネラルとゆっくり反応して、何十年か経つと『スーパードックン』というさらに有害な物質に変化し、魚に奇形や異変を引き起こすことが最近明らかになりました。
ひっそりと暮らしていた裏日本人の皆様が今、私達に敵愾心をあらわにしたのはそれが最後の引き金だったんでしょうね……。」
行人もちゃぶ台をバン! と叩いて怒鳴った。
「ひでえな! それじゃあこっちが悪いんじゃねえか! それにしても何でそんなやべえ物を作り続けていたんだよ! 頭がおかしいんじゃねえのか!」
小早川は眉を顰めて言った。
「キランの値段が釣り上っても収集したがるコレクターがいるからでしょうね。
政府はキランを、資源に乏しく、科学技術も他の国に追い越され、大気汚染で観光客も来ない、経済活動も不活発、そんな我が国の経済を支える主力輸出……密輸出品と位置付けたのでしょう。
美しいだけではなく丈夫で、車にはもってこいの素材でもありますからね。だからこっそり生産しているのだと思います。私も、彼らの考えは理解出来ませんが。」
「だからって……酷いです。魚を食べている海外のみなさんに賠償金を払わないといけないのでは……。
海外の皆さんはなぜ日本を訴えないのでしょうか……。」
行也の悲しげな問いに母里は吐き捨てるように答え。またちゃぶ台を叩いた。
「だからそれを抑え込んでもらうためにAREの手下になっているんだ。毎年何億円も払ってな!
信じらんねえ!」
AREとは。一九四四年から徐々浮かび上がった大陸・ARE大陸に住む人々の国だ。
巨大な領土、豊富な資源、膨大な人口を抱え、東歴2005年にアメシア合衆国がマーマンショックで経済にダメージを負った後は、世界一の大国となった。
なお、住んでる人々のほとんどが白人の派生人種・銀白人という珍しい人種の人々の国家である。
「だが……それも長くは続かないてあろうな。AREは華国や民国や北国よりも日本を嫌っている裏日本と最近は交易も外交も活発なのだ。こっちの日本は切り捨てられるかもしれない。」
明智の発言に驚きの声を上げる一同。明智は淡々と続けた。
「明智もモモンガの姿で外務省内独自調査をしていた。その結果。AREは日本のように未来のない国よりも、裏日本と組んだほうが有益だと考えているらしいことが分かった。だから裏日本の存在を知っている極々一部の政治家も官僚も焦っている。国民の知らない所でな。」
暗くなる皆。一方、行人は頭がこんがらがって話の整理を求めた。
「なんか外交の話が出てきてよくわからないんだけどよ!
要するに裏日本にはAREって大きな国が援助してるから、日本は不利ってことか?
でも安東さんの話だと裏日本は日本を少しコンパクトにしたような国だっていうじゃねえか!
だったら日本も他の国に助けをもとめりゃ大丈夫だろ!」
明智は苦い顔で言った。
「……日本にそういう付き合いの国はない。外交下手、バラマキ下手が災いしてな。」
「だったらその一九九九年の災害の対応を誤った政治家や賠償金を裏日本に突き出して、講和を結ぶしか……。」
行人の発言に、小早川は首を振る。
「海外に逃げた政治家もいますし、そもそも三十三年も前の出来事ですから中心人物の生き残りは数人。
しかもその数人も今の日本を牛耳っていますから追及は難しいでしょう。」
暗い顔の皆。そんな中。新聞を読むようになった行人は疑問を腕組みをして唸った。
「今の与党・果林党のやつらは、どうやって解決する気なんだ。
どうして裏日本の手紙を無視したんだ? どうして過去の歴史を調べて謝ることも、守りを固めることもないんだよ。いたずらって思ったのか?
……それに、AREも裏日本も、なんで世界法廷だっけ? で日本の罪状を訴えないんだ?
日本はもう外国に信頼されてねえし。証拠集めなんか適当でも、AREや裏日本の主張があっという間に通るだろ。逆に日本が仮にAREもグルだと訴えても信じる国はないと思うぜ。悲しいけど……。」
歯を食いしばってまたちゃぶ台を叩く行人。静かになる皆。そんな中、小早川は自分の仮説を述べた。
「私もそれを疑問に思っていました。ですが。来年からAREが日本に基地を作リ始めると黒田殿から聞いて、合点が行きました。ARE軍は単独で日本を占拠したがっているのです。
国際法廷絡みだと、日本を監視下に置く場合、法律上では世界連合軍が日本に駐屯することになってしまいますからね。AREはまず日本に基地を作って監視の実績を作り、そのままなし崩し的に占拠するか、
その後に国際法廷で訴えて実績のあるARE軍がそのまま残ればよいという流れを作りたい。ということでしょうか?
今は不景気ですから、他の国も世連軍として自国の兵隊を派遣するのは避けたいはず。ましてや汚染された日本に行きたい人間も居ない。AREの主張はきっとすんなり通るでしょう。そして、裏日本はおそらく今の日本と同じでAREにおんぶにだっこ状態だから言われるがままなのでは?
ただ、それだと詰問状を突きつけたというのが矛盾するのですよね……。裏日本は本当は穏便にすませたいのかもしれません。AREとしては日本があっさり罪を認めると国際法廷行きだから占領の口実が無くなってこまるんでしょうが……日本が罪を認めないという公算があったから、反対派のガス抜きのために認めた? ……ん?」
額に白くて細い人差し指を当てて考え込む小早川。黒田も腕を組んで唸った。
「なんでAREは日本占領にこだわるのかのぅ。あの国は資源も人口も科学も何でもあるじゃろ!
こんな小さくてきったない島国なんて処分場くらいにしか使い道がないというのに! ……あ。」
「……そういえばAREは産業廃棄物処分場に困っていましたね。領土は広いですけど、住民の反対運動とか建設が流れたりとか……。それに日本で何かあったとしても、海流の流れや風向きを考えると、南半球にあるAREには汚染物質が辿り着きにくいですね。彼らの目の上のたんこぶのアメシア大陸に流れていきますから。」
「え?」
小早川の言葉に首を傾げる行人。黒田はそんな彼に世界地図帳を出させた。
そして世界の全体地図のページを開いて日本近くを流れる海流の動きをなぞって見せる。
行人はそれを見てしみじみと言った。
「なんか日本も、裏日本もでっけぇ国に振り回されてるな。」
それから少しして。ヨッシーと友樹がやってきた。
「これ、砂金堂のカステラー! 底にザラメが入ってて、シャリシャリして美味しいの!
個包装だから切らないで食べれるよー。」
「ありがとうございます。今お茶入れますね。」
「山田家の安いお茶はヤダー。茶葉持ってきたから皆でこれを飲もうよー。」
「わざわざありがとうございます。確かに立派なお茶ですね。桐箱入りなんて初めて見ました。……。」
行也はヨッシーがすこしだけ痩せたことに気が付いた。思わずじっと見てしまったが、彼女は体が弱いことを気にしているのを思い出して黙っていた。
「ヤダー! ヨッシーがかわいいからってそんなに見ないでよー!」
「あ、すみません。……もし眠くなったら、押し入れに布団が入っていますので、言ってくだされば出しますよ。では、ゆっくりしていってください。」
部屋に通された友樹とヨッシーは皆にあいさつをする。そして友樹は線香をあげた。
「ほら、ヨッシーも。……どうしたの?」
ヨッシーは仏壇に供えてあった銀の弓矢を見て、顔をこわばらせ、少し手が震えていた。
はっとした友樹は。行也に一言言うと、下に敷いてあったマフラーで矢をくるんだ。
黒田は今までの話をざっくりまとめてヨッシーと友樹に話した。
ヨッシーはカステラを頬張りながらふんふん聞いていたが、あっ、と小さな声を出した。
「ヨッシーはー! 政府の人はやる気がないと思うー! AREに日本をあげちゃい隊とかいるんじゃないのー!」
黙り込む皆。行也は弱弱し気に口を開いた。
「ま、まさかいくらなんでも……。そんなことをする人が政治家になるわけない…と思いたいです……。被災地訪問をなさる方も、真面目に政務に取り組む方もいますし、真剣にやっている人が多いと思います……。」
「そりゃあ真摯に日本の未来を考える人々もいるけど。皆がそうだと限らないでしょ!
アニーの会社だって不真面目な人はいたんじゃないのー。」
「そ、それは確かに……。」
黒田と小早川は目を合わせた。
「大友殿、どうしてやる気がないとか、日本を譲渡する考えの人々がいるとお考えなのですか?」
「だってー今まで何にもしてないじゃん。そんな手紙が来たらすぐに調査して、落ち度があったら平謝りして、無いなりにいろいろ掻き集めてお金を差し出すか、必死こいてパトロールするでしょ!
逆にやましいことがないなら、国家脅迫罪で訴えるはずだよー。何にもしないでAREが日本を占領するのを待ってるんじゃないのー?」
小早川の問いにシンプルに答えるヨッシー。黒田も彼女に尋ねた。
「もしAREに占領されたとして、政府の皆さんにはどういうメリットがあるんじゃ?」
「うーん……一部の偉い人だけAREの永住権とお金をもらえるとかー。
だって今、影で力を持っているのは、あの大参事で酷いことをした人たちやその子だよー。
それに汚い日本よりも空気がきれいな南半球のAREで余生を過ごしたいと思うでしょー。
おじいちゃんおばあちゃんなら特に。AREは温泉もあるしねー。」
「でも、酷い人の子だから酷い人とは限らねえだろ! 田山さんの親父はクソだったけど、田山さんは優しいぜ! 仕事クビになった兄貴を雇おうとしてくれたし! 俺が大食いだからって最近はカレーとか持ってきてくれたぞ!」
「ユッキーそんなに怒らないでよー。まあそういう考えもあるけどねー。
所で、裏日本の人たちのことだけどー。本当は穏やかに済ませたかったんじゃないのー?
詰問状だっていたってフツーの請求内容だったじゃん。請求したお金だって、そんなにべらぼうなお金じゃないしー。」
「そうじゃのう。いざとなったら日本にはちょっとなら資金を作る方法はあるしな。」
「え、そんな方法あるのか!」
思わず身を乗り出す皆。黒田はニヤリと笑って口を開いた。
「国宝を国際オークションに出して、売り捌けばいいんじゃよ!
海外のコレクターや博物館が高値で買ってくれるはず!
換金しないとしても、裏日本の奴らも、歴史が浅くて伝統に憧れるAREの一部のヤツも喉から手が出るほど欲しいに違いない!」
「黒田殿ぉオオオオオ! あんたは何言ってんだあああああああーッ!」
頭から赤ペンキを被ったような顔でちゃぶ台をガンガン叩く細川。ちゃぶ台はついにメキっと音を立てて割れた。
黒田は荒れ狂う細川の目を見つめて口を開く。
「ちゃぶ台は弁償してくれ。……確かに国宝を売るのは最終手段じゃ。でも国宝は宝ではあるが物は物。
また同じものを作って、何百年もまた大事にしとけばまた国宝になる。山上憶良も子供こそ宝だと言っていた。国宝を売ったお金で何とか日本人の命を守れるのなら、そうすべきじゃ。
同じものより、同じ人間を作るほうが難しい!
もし和睦出来ないで攻め込まれたら、美術品の技法とか昔の人の生きた証とか伝説とかみーんなみーんな伝わらないで消えて行っちゃうかもしれないんじゃ。それに比べたらマシじゃろ!」
ヨッシーはため息を吐いた。
「ヨッシーたちの立場って何だろうね……。博士が言ってたんでしょ。
俺もお前たちが死んでもいいと思ってるって。もって何ー。敵と、あと誰?」
「普通に博士ではないのですか?」
光紀の問いに、行也、行人、友樹は首を振った。
「友樹さんがジェットコースターから落ちそうになった時、高木さんと博士は助けたんだよ。」
「うん。行也君もありがとうね。……大っぴらに味方にはなれない事情があるけど、殺意はないんじゃないかな?」
「俺達がアスレチックを回るときにも、絶対変身しとけって教えてくれたぜ。」
カタカタ手を動かしながら情報整理をしていた彼は、軽く仰け反ってあっ、と小さな声を出した
「大変な事に気が付いてしまった。もし大友さんの説が正しいなら、私達は両方から追われる身になるぞ。」
皆の視線が光紀に集まる。
「え、みっちゃんなんでだよ!」
「裏日本とAREからは敵軍扱い、政府からは余計なことをする鬱陶しい存在と思われるからだ。」
腕組みをして話を聞いていた黒田は結論を出した。
「今まで皆が集めてくれた証拠を政府、テレビ局、週刊誌、無料動画サイト、新聞社、世界連合政府、あちこちに送る。もちろん海外にもな。それで日本が裏日本に頭を下げるという方向に世論を持っていくんじゃ。
そうすれば良くて経済制裁、悪くても世界連合軍の駐屯ですむじゃろ! 今、一番内側に入れてはいけないのはARE軍じゃ。情報関係は利安と太兵衛、大友殿が買い取った探偵事務所に任せるとして……
細川殿。島津殿。高橋殿。御三方には是非頼みたいことがある。」
――黒田達が会議をしていた日。いばら組組長は月が美しい夜に自宅へ霧沢を呼び出した。
「この前は不届き者を処罰出来たし、本当にありがとな!」
上機嫌のいばら組組長はきつく知性的な顔を崩し、くしゃっと人懐っこく笑った。
艶やかな茶色の屋久杉の一枚板机には、老舗料亭の職人が作った懐石料理がずらっと並び。
部屋には霧沢、いばら組組長と、組長の右腕と言える眼鏡の男、そしてノンアルコール飲料をお酌する、品の良い若い美女のみ。
着物姿のその女性は、霧沢のコップに真っ青汁を注ぐ。霧沢が大好きなドス緑の健康飲料だ。
「父がいつもお世話になっております。」
「…とんでもございません、組長にはいつもよくしていただいて。…量はこれくらいで。ありがとうございます。」
一礼して出ていく彼女に目もくれず、色とりどりの料理を凝視する霧沢。彼はタッパーを持ってこなかったことを後悔した。こういう料理の有難みがよくわからない自分よりも組員に食べさせてやりたいと思ったのである。
そしてそれと同時に、組長がノンアルコールビールを飲んでいること、自分が大好きな焼肉を出さないということに少し緊張していた。それは。大事な話をするという合図なのである。
いばら組組長は箸をそっと置くと、柔らかい微笑みを湛えて霧沢を見つめた。
「うちの娘はどうかね?」
「…とてもお美しいですね。」
「巧君。君はまだ独身だよな? うちの娘はどうかね?」
「遠慮いたします。」
きっぱりと断る霧沢に、組長はカラカラと笑った。
「一応聞いてみたが、やっぱりか。娘より料理が気になっていたしな。娘も巧君より鍋島君が気になっていたようだ。モモンガだというのに。」
霧沢は鍋島が人間になれることを口が堅く信頼できる幹部数人にしか話していない。
本当はヤクザの仕事が嫌いな鍋島が、新しい門出をする時に人間の姿を知られていないほうがよいと考えたからである。
彼はそれをおくびにも出さず、にこやかに頷く。
「…確かにモモンガですが、私よりもはるかに勇ましくて誠実な性格です。お嬢様は見る目がございますね。」
「そうだな。……さて。本題に入ろうか。」
組長の顔が、父親の顔から九州ヤクザの長の顔になる。細いフレームの奥の知的な目が、さらに研ぎ澄まされていく。彼は細い体に威圧感と風格という羽織を纏い、霧沢にはっきりとした声で告げた。
「そろそろ正義の戦士の真似事は辞めて、神崎組の経営に専念したらどうだ。辞めたと思ったのに、こないだまた出陣するとは。あの兜は私に寄越しなさい。然るべき場所へ渡す。」
霧沢はわずかに目が揺れた。自分が戦士として活動していることも、幹部数人にしか話していないからである。なぜ組長は知っていたのかと少し動揺しつつも、頭をフル回転させて考えた霧沢は。幹部に怪しい点が見つからなかっため、いばら組の組員に目撃されたのでは? という結論に達した。そしてそれは正解であった。
「うちの組員が、甲冑を着て男と斬りあう君を見かけたんだよ。」
少しだけほっとした霧沢は、その後すぐに浮かんだ疑問をいばら組組長に尋ねた。
「…どうして斬りあっていただけで正義の味方の真似事だとお考えなのですか? それにこの間また、ということは……私をずっと監視していたということでしょうか。それに、然るべき場所とはどちらですか。」
組長は腕組みをして天井を仰いだ。
「私は政府の高官とも誼を通じていてね。その政府が密かに君たちを監視していて、そこから情報を得た。
君たちは気を付けているつもりだったと思うけど、動画サイトに投稿されたことがあったんだよ。
政府はそれを削除したから大事にはならなかったが。……新しく戦士となる人々の訓練が来年の二月中に終わるから、来年は君にも、君の仲間にも兜を返却するように命令が行く筈だ。」
「…どうして今更。」
組長は霧沢を真っ直ぐに見る。
「君たちによって兜の安全性が証明されたからな。そして代わりに戦士になる人々が訓練を終えるからだよ。言われて返すのと、自主的に返すのでは心象が違う。
……私は巧君が心配だ。君は合理的で冷静なようでいて、以外と情に縛られやすい時があるからな。」
組長の目に霧沢ははっとした。彼の目をよく見るとヤクザの長というよりも、息子を心配するような眼差しであったからだ。
神崎組を継いでゴタゴタしていた時に、霧沢はいばら組組長には助けられた。いばら組組長が言うには、神崎組の先代……神崎の母とは親友だったからだとのことだが。それ以上の情けを彼は組長から与えられたと思っている。
俯く霧沢。組長はそんな彼に険しいまなざしで言葉をかけた。
「どんなに遅くても正月には結論を出しなさい。但し。結論によっては、神崎組をいばら組傘下から外す。」
立ち上がる組長。霧沢は一瞬、目を閉じて唇を噛みしめた。しかしすぐにいつもの無表情な顔に戻り、淡々と言った。
「畏まりました。今月一杯で辞めます。」
――そんな話が裏で行われていたとはつゆ知らず。会議の三日後。ヨッシーは友樹と駅前のクリスマスのイルミネーションを見に行っていた。黒の中に少しだけ紫を入れたような暗い背景に、白、黄色、赤、青、紫、様々な光の粒で形作られたトナカイや馬車やツリーなどが浮かぶ。
「ねぇ友ちゃん。 あのツリー綺麗だね。」
白い息を吐きながら微笑むヨッシーの横顔を、友樹は心配そうに見つめた。
「ヨッシー。もう帰ろうよ。」
「ヤダー! まだあっちを見てないよー! ……あ。」
ふらついたヨッシーを支えると、友樹は携帯端末で病院に電話した。
「今から病院に行こうよ。母さんも芳樹も、ヨッシーは仕事の手伝いをしすぎて無理をしているとか、食欲がないって心配してた。」
「ヤダー!」
「僕も心配なんだ。お願いだから一緒に病院に行こう。」
「ヤダー! ヤダー!」
「本当にお願い!」
「ヤダ。」
そんなやり取りをしばらく続ける二人。友樹はヨッシーの両肩をつかむと、真剣な顔で、静かに言った。
「もし病院に行ってくれないなら、もう二度とヨッシーと口を利かない。」
「……わかった……。」
ヨッシーは友樹一家かかりつけの病院に行き、検査を受けた。
――三日後。
「かなり疲労が溜まっていますね。今はまだ命に別状はありませんが、このままの食生活や生活態度ですと、半年も生きられないでしょう。……お嬢さんは免疫力や体力が同じ年代の人と比べて著しく低いようなので、絶対に規則正しい生活をしてください。あと、重金属が体に溜まっています。キノコ、魚類は栄養豊富ですが、食べ過ぎないで下さいね。」
友樹と玲美は重金属という言葉に目を見開いて茫然とした。少しして冷静になった彼らは医師にこれからどうしたらよいのかを矢継ぎ早に質問し、メモを取る。そして最後に頭を下げて。診察室を出た。
友樹は灰色の昼空の下で車を運転しながら、後ろに座っている玲美に尋ねた。
「母さん。ヨッシーは重金属排出剤を取ってたって言ってたよね?」
「ええ。ヨッシーちゃん、重金属を排出するっていうキャンディーを食べていたはずなのに……。」
「キャンディー? ……どんな形の?」
「丸い形の。」
友樹はバックミラー越しにヨッシーを見つめた。彼女は目線を合わせない。
「……幽斎さんからもらっていたのは星型のタブレットじゃなかったっけ!?
ヨッシー。どういうこと? 僕の分を半分上げたよね? こないだあった時も渡したし! 十月以降は飲んでないの? 戦いが無くても飲んどけって言ったのに!」
珍しく声を荒げる友樹の話を、玲美は遮った。
「待って。……一樹さんが体調を崩した時にも分けてくれたのは、星型のタブレットだったわ。もしかしてそれで無くなっちゃったの? ごめんね。」
とても申し訳なさそうな眼差しで見つめる玲美に、ヨッシーは首を振った。
「まだあるよ。気にしないで。」
「じゃあなんで!」
「……。」
俯いて何も言わないヨッシー。玲美ははっとした。
「友樹の分が無くなっちゃうって思ったのよね。一樹さんにそっくりな友樹が体調を崩した時のために取っときたかったのよね。」
「あ……。」
信号が赤になる。友樹はこないだヨッシーが排出剤を受け取るのに躊躇していた事を思い出し、後部座席に振り向いた。
「責めてごめん。こないだも言ったけど、博士から重金属排出剤もらったから大丈夫だよ。」
「……でも、貴族のより効果が薄いって三つ編みが言ってた……。」
俯いたままのヨッシーを、友樹は明るく、優しく諭した。
「僕は最近体力が出来てきたし、大丈夫だよ! それよりヨッシーは体が弱いんだから……」
「どうせヨッシーは体が弱くて長生きできないから……。だからいい……。」
「……良いわけないだろ! 僕はヨッシーが死んじゃったら嫌だよ!」
気力が無く、投げやり気味なヨッシーに、友樹は顔を真っ赤にして怒鳴った。
玲美はぽろぽろ涙をこぼすヨッシーをぎゅっと抱きしめると、口を開いた。
「私が悪かったわ。これからは私が責任を持ってヨッシーちゃんに排出剤を飲ませます。
友樹。信号が青になったから。運転に集中して。」
「……はい。」
――その一週間後。朝。大沢家。一樹は出社し、玲美はヨッシーと朝御飯を食べていた。
「そんなに見ないでよー! 今飲むから!」
玲美は毎日、ヨッシーが重金属排出剤を飲んでいるか目を皿にして監視している。
彼女はそれほど暇ではない。少し人から反感を買いやすい夫・一樹を支えるため、部下へのフォローだの挨拶周りだの様々な贈答品の手配だの取引先の接待の手配だのご近所付き合いや奥様会で忙しい。
それでも、一樹の手伝いの量をヨッシーにセーブさせることに気を配っていた。友樹にヨッシーを頼まれた時からずっとそうしていたのだが、ここ最近は前にも増してである。
そのおかげで、最近ヨッシーは体調がだいぶ回復した。
「ほらっ。飲んだよー。それにしてもモモンガ姿は不便だなー。はぁ。」
ヨッシーは家を出る直前までモモンガ姿である。叔父と喧嘩してやけくそになった輝元が、一日中モモンガとして過ごした結果、モモンガの姿の方が体力を消耗しにくいということを発見したからである。
その後鮑腸(すごく細長い麺)を一本食べて人間になったヨッシーは、玲美と一緒の車で学校へ向かった。運転手が安全運転をする社内。後部座席のヨッシーは隣の玲美に話しかけた。
「玲美ちゃん! 今夜は錦江湾に豪華客船が寄るから見に行きたい!」
「そうね……でも……今日は寒いから……。」
「モモンガの姿になって、玲美ちゃんが作ってくれたモモンガコートと、友ちゃんが作ってくれたマフラーと帽子と靴下や手袋を身につければ大丈夫ー! お願い!」
玲美は手を合わせてペコっと頭を下げるヨッシーを見て、断れなくなった。
「ゲージの中からならいいわ。それなら暖かいし。」
「でも、ゲージだと重いよー?」
「こう見えても、体力がないわけじゃないの。」
「わかった。ありがとう!」
玲美は元気に返事するヨッシーの髪を優しく撫でると、駅で車を降りた。
「じゃあ私はここで。ヨッシーちゃん。具合が悪くなったら無理をしないで電話してね。」
「……玲美ちゃんもね。」
「ありがとう。」
玲美は微笑んで、ヨッシーに手を振った。
――その夜、錦江湾。紺色の空にライトアップされた豪華客船が光り輝く中。
フワフワした白い毛皮を纏った玲美は、ヨッシーの入ったゲージを持って、豪華客船の近くまでやってきた。
「写真撮ってー! ……!」
ヨッシーはゲージの中から、人気のない場所に走って行くタキシード姿のラーシャを見た。
ああ、敵が来たんだ…何となくヨッシーは気が付いた。いきなり敵を見て逃げ出した時よりは多少はマシになったとはいえ、まだ友樹は頼りない。追いかけるしかない。彼女は玲美に申し訳なく思ったが、すぐに決断した。
玲美はそれに気が付かず、ゲージを下に置き、鞄の中を開けてカメラを探している。
「おかしいわね。きちんと一眼カメラを入れたハズなんだけど。」
「……ごめんね!」
ヨッシーは小さな小さな声で呟きながら、内側から音を立てないようにそっとゲージを開ける。
そして目にも止まらない速さで友樹達のもとへ駆け出した。
「ここら辺は家電店もないし……携帯端末でもいい? ……ヨッシーちゃん?」
返事がない。彼女は血相を変えてゲージの中を見た。中は空。
「ま、まさか誘拐!!」
辺りをキョロキョロと見回した彼女は、夜闇に消えていくヨッシーを発見した。
「ヨッシーちゃん!!」
彼女はハイヒールで足をくじきながらも必死で走って追いかけたが、ついに見失ってしまった。
聞き込みをしても運転手を呼んで一緒に探しても有力情報が得られなかった彼女は、震える手で友樹に電話した。
――八人が人気のない場所に集まり島津が入念に高橋作成の持ち物リストをチェックしていた時。友樹の携帯端末が鳴った。
「と、友樹! よ、ヨッシーちゃんを見失ったの! 今日は寒いのにどうしよう……錦江湾に落ちたらどうしよう……。誘拐されちゃったらどうしよう……警察にも電話したんだけど動物だから相手にしてもらえなくて……。今、運転手さんに来てもらって探しているのに見た人がいないの!」
「えっ! どどどどこで! ……うん、わかった。大丈夫。大丈夫。きっとすぐに見つかるから! お母さんは悪くないから! だから母さんは気を付けて帰って! もしかしたらひょっこり帰ってくるかもしれないし!」
泣き声の玲美を宥めて電話を切ると。友樹は皆に深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。ヨッシーが行方不明になったので、探させてくださ……。」
「友ちゃん! 携帯端末かして!!」
ぴょん、と友樹の肩にピンク色のモモンガが飛び乗る。モモンガの迫力に思わず携帯端末を手渡した友樹は茫然と肩に居るヨッシーを見つめた。
「玲美ちゃん? 本当にごめんなさい!! 今、友ちゃんと合流したから!」
そう言って電話をぶっち切るヨッシー。彼女は友樹に頭を下げた。
「迷惑をかけてごめんなさい! でも今日はイヤな予感がするの! 戦いが終わったらきちんと話を聞くから!」
行也の肩の黒田はため息を吐いた。
「そうじゃな。ワシも何となく今日の戦いは厳しい気がする。場所が今までより近い三・五キロ先というのも気になるし、日にちがだいぶ開いているから、大軍が押し寄せてくるかもしれない。
一応春彦達にも連絡した。ご友人のクルーザーで高知県の南の海を走ってるらしいが……最低でも二時間はかかるじゃろうな……。
立花殿と田中は今日は鹿児島に商品販売で来ているから、一時間以内に来れると思う。
海上安全庁には相手にされなかったからこっちは期待できない。
まあモモンガの手でも借りたい状況じゃし、おそらく大友殿の力も必要じゃろ。
だが、その玲美さんとやらや友樹にも滅茶苦茶心配を掛けたんじゃから、
後でキッチリ反省するんじゃよ!」
黒田はさらに行也へ言葉を掛ける。
「お前は霧沢と兜を交換しろ。今回の作戦は頭の回転が速い者に任せたい。霧沢の了解も得ている。」
「……霧沢さんに任せるのは、本当にそれだけの理由ですか。」
黒田の目が一瞬揺れる。行也は彼の姿を見なくても、何となくそれがわかった。
彼は畳みかけるように続ける。
「本当は師範の時のように残酷な作戦を使わないといけないからじゃないですか?
頭の回転が速い人なら俺以外の誰でもよいはずです。
わざわざ霧沢さんに頼むということは……そういうことですよね。」
黒田は悔しそうに顔をゆがめると、行人の肩に飛び乗った。そして真っ直ぐに行也を見上げる。
「そうじゃ。謝罪と講和を申し出て、それでも駄目なら……どんな手を使っても勝たねばならない。」
「わかりました。でも俺はずっとこの兜と一緒に戦ってきたんです! だから今回も俺がやります!」
拳を強く握りしめ、強いまなざしで黒田を見つめる行也。黒田は金色の目を冷たく光らせた。
「お前は弟を犯罪者の弟にするつもりか? 敵を殺めるかもしれない技を一瞬も迷わずに使えるのか? 今回はその一瞬すら命とりじゃ。」
俯く行也。黒田は暗く濁った声で言葉を続ける。
「今回は絶対に失敗が出来ない。頭の回転が速い者に任せたいというのは本当じゃ。
一〇八計とレジェンド一〇八計は軍師だけが同時に使えるんじゃが、その効果は知能指数とかに比例するということを自分探しの旅で思い出したんじゃ。
とにかく前も同じことを言ったが、他人の手を汚させたくないとかそんな感情論は捨てろ。
ただひたすらに勝つ方法だけを考えろ。そうでなければ……何も守ることはできん!」
「……わかりました。…申し訳ありません…霧沢さんも……」
白い顔で力なく兜を霧沢へ渡す行也。黒田はそれを見届けると、作戦を早口で述べた。
「……という作戦だ。さあ、変身じゃ!」
七人は頷くと、兜の緒を締めて変身した。
「戦で煌めく千里眼 黒田官兵衛 愉快に暗躍。」
「過激に輝け! 薩摩魂! 島津義弘 気合で参上!」
「気狂いなまでに美しく! 細川忠興 知的に活躍!」
「南蛮文化の風を受け 大友義鎮 夢見て出航!」
「この空に 爪痕残せ 肥前の熊手! 腕が鳴るなり! 龍造寺!」
「時は今 知将が光る 五月晴れ 明智光秀 闇を撃つ!」
「武士道は 死に物狂いといへるなり 鍋島直茂 覚悟を決める!」
「KY戦士! 出陣!」
声を揃えて叫ぶ七人。彼らは闇夜に染まった海上を全速力で駆けていく。
――黒田の予想は的中した。
空の色と同じく真っ暗な海上では。巨大な戦艦が手薬煉引いて行也達を待っていた。




