地獄の芋横丁
――後日早朝。
まだ朝の水色の輪郭がぼやける時間から、行人は島津の命令で行也のランニングに同行している。
彼は書けなくなる直前の油性マジックのような、掠れた声と姿であった。
「あ、と、何……キロ……。」
島津も一緒に走りながら激を飛ばす。
「これくらいでへばる様では! 人生という長く厳しい戦場で! 生き残ることは出来ないでござる!」
一方行也は。余裕綽々でバク転までしている。
「行人! 死なない程度に頑張れ!」
「おう! 俺はやるぜ! ……あと六百m。」
その後彼らは近くの公園で休憩。因みに黒田は調べものがあると言って家にいる。
早朝の公園は、静かで清涼な空気に包まれていた。水色の澄んだ空を見上げ、鳥のさえずりを聞きながら行人は深呼吸する。だんだんと息が整い、体に粘土のように張り付いていた疲れが少しずつポロポロ落ちていく。
そんな頃、島津の兜が光った。
「竜宮海岸七Km先に敵が来た!」
まだちょっと疲れ気味の行人はスポーツドリンクを吹く。
「……スーパーで待ってるようにいっといてくれ……。」
島津は普通に無視すると、行人の脈をとり、顔色などをチェックした。
「拙者は多少医学の心得はあるでござる。行人殿はもう走っても大丈夫でござるよ! さぁ初陣だ! 行也殿は家に帰って黒田殿を連れて来て欲しいでござる!」
「かしこまりました! 行人。時間が掛かるからタクシーで行けよ。ここに一万円あるから。
……島津師匠よろしくお願いします!」
――しばらくして。島津と行人は行也より先に現場に着いた。
準備運動が終わると、島津は被っていた兜を行人に渡した。
「兜の緒を締めて、変身でござる!」
兜の緒を締めた行人は、眩い光に包まれた。
「過激に輝け! 薩摩魂! 島津義弘、気合いで参上!」
甲冑は行也と同じものだが、中の着物と陣羽織が黄色で、兜は緩いU字の前立て(兜の前面に付いた飾り)が付いたもの。五月人形のような兜だ。
……不思議なことに変身後には、疲れは完全に取れていた。
おまけにカツカレーを食べたときの何倍も力がみなぎる。しかし。
「さぁ! 七Km走るぞ!」
手を突き上げて叫ぶ島津に、行人は小さい声で遠慮がちに尋ねた。
「師匠、歩きじゃだめ?」「足が疲れたでござるか。なら、匍匐前進か逆立ち歩きでもよいでござるよ!」 行人は無言で走り出した。
――敵前に着いた彼らの視界に映った物は百体くらいの巨大タコ。
その上で富士山のようなモチーフが掘られた甲冑を纏う若い男。彼は爽やかな笑みを浮かべて蹴鞠をしつつ、こちらを見ていた。
島津は懐かしげに言う。
「息子も蹴鞠が好きで……拙者の前で披露してくれたでござる。とても優秀だったが、自身の妹や妻に酷いことを……。」
島津は目を伏せた。目から光の雫がポロリと落ちて、海に模様を作る。行人もつられ、二人はすっかりセンチメンタル。イライラした敵は叫んだ。
「蹴鞠神今川氏真が! お前の脳ミソを蹴鞠の球にするでおじゃるよ!」
「不覚! 戦場で油断するとは! 行人殿、行くでござるよ!」
「おう!」
巨大タコの集団へ走っていく行人。
「フジサーン!」
蹴鞠男の足から放たれた赤い弾丸は唸りをあげて行人へ向かう。
「行人殿! 島津十文字斬だ!」
「どーやんの?」
「空を十字に切り裂くでござる!」
「わかった! ……島津十文字斬!」
行人の刀から、大きな十字形の衝撃波が高速で飛んでいく。
蹴飛ばされてきたタコも後ろの九十九匹体くらいのタコも、ウズィマスァーと言いながら、砂のように消えていった。
蹴鞠男は刀を構え、唯一残ったタコに跨り水飛沫を巻き上げながら突進してくる。
そして、刀を行人目掛けて振り下ろした。
行人の手には重力がのし掛かり、音叉のような波動が走る。
「地球が敵になった気分だぜ……。」
「頑張れ! 行人殿なら出来る!」
刀を交える二人。太陽の光を反射する刀と刀は。時に離れ、時にぶつかり、時に重なる光線となる。
行人は押され気味で十文字斬をする機会がない。
おまけにタコは墨を吐いてきた。行人の視界に不透明の幕が降りた。
「師匠! けまり男がよく見えない!」
「視力だけに頼るな! 聴力、根性、運、鼻水、その他を総動員しろ! 身体すべてで! 戦場の空気を感じるでござる!」
「わかった!」
行人は体の神経を研ぎ澄ませる。右からの音。上からの風圧。飛んでくる水飛沫。彼はそれらの情報を総合し、何となく気配を感じられるようになっていく。
しかし、氏真の速い太刀筋に彼の感覚と情報処理が追い付かない。
奇跡的に致命的ダメージを防いではいるものの、手足に温度の低い炎を感じる。そしてそのたびに集中力が鰹節のように削られていった。
「師匠! 感覚を総動員したけど帰っちまった!」
「仕方ないでござるな! 拙者が言う方向に動け! ……右、左、ジャンプ、右斜め下、後ろ!」
「わかった! 必殺技の入力コマンドだな!」
コマンド? 島津は意味がわからなかったが、戦場の空気を感じると言った。
「そ、そうだ! これは戦国一〇八計の一つ! 敵の攻撃を避けるための計略でござる。」
島津は、後で謝ろう……と心に決めた。
その後も、蹴鞠男と行人の奏でる激しい金属音と水飛沫は海を荒らす。
戦国一〇八計(というか島津の指示)で攻撃を避けているものの、防戦一方で反撃が出来ない。
そんな時、行也が小舟に乗ってきた。変身はしておらず、黒田もいない。波にゆられながら行也は叫ぶ。
「行人! 地獄の芋横丁を歌うんだ!」
「わかった!」
行人は敵の刀を受け止めつつ、己の身体からマグマを吹きだすかのごとく歌った。
「地、地、地獄の芋横丁〜緑の芋は〜メルヘン味〜」 行人は歌っているうちに不思議と元気がでた。氏真は口と耳から湯気を出す。
「文化人としてその歌はセンスが悪くて許せないでおじゃる!」
島津も深く頷いた。
意味のわからない歌だと思った島津だが。歌い出してからしばらくすると、元気が出てきた行人が優勢になる。兜の性能の差が現れてきたのだ。
氏真の兜も剣術に優れるが、島津義弘の兜相手は分が悪い。
視界がだんだん戻ってきた行人は氏真の隙を見て、飛び上がる。
「ちぇすと―ぉあ!」
思いっきり行人にぶっ叩かれた氏真の兜は、光を放ちながらひしゃげ、氷のように透明な小さい兜になった。蹴鞠男の変身も解ける。
しかし透明になった兜を掴むと、男は凄い速さで逃げていった。
――行也は小舟、行人は徒歩で、白く輝き揺れる水面をゆく。
「行人、よくやった! 島津師匠もお疲れさまです。」
「いや。行人殿の力でござるよ! よくやったでござる!」
「……勝てたのは師匠と兄貴のおかげだ。俺、ケンカには自信があったんだけど。まだまだだぜ。」
「そうでござるな。これからを考えると、二人とも家に帰ったら日誌を書いて特訓でござる! 所であの歌は?」
「幼なじみのみっちゃんに聞いた歌だ。」
「何故、このような意味不明な歌を……あ、すまぬ!」
「さぁ。みっちゃんってイケメンなんだけど何か変わってるんだよな。面白いからいいけど。……所で、あのけまり男と、氏なんとかの兜はどうなんの?」
「男は無事でござるよ。兜は……百年の眠りにつく。」
「一回、叩かれただけなのに?」
「兜により、強度は違う。強度は様々なものに作用されるから、一概には言えないでござる。」
「……ま、人が死ななくてよかった。でもどうみても俺たちと同じ日本人じゃねえか。あいつらは何で攻めてくるんだ?」
「拙者には分からぬ。」
「師匠も黒田先生も分かんねぇの? まぁいいか。……あ! もう七時かよ!」
兄弟は絶叫した。
「遅刻する!」