黒田八騎四分の一と謎の赤壁
伊達達との戦いの翌日。太陽が元気に出勤中の午前。青空の下を曇り空のような顔で歩き、行也は帰宅した。彼は珍しく俯いて肩を落とし、一人だけ夜から切り取られたような暗い雰囲気を漂わせ、小さな声で呟いた。
「只今戻りました。」
「お疲れ様でござる!」
島津はキッチンに走る。彼はやかんに水を入れ、コンロに乗せると火を灯した。「俺がやります! 危ないです!」
慌ててキッチンへ入ってきた行也に島津は微笑む。
「大丈夫。拙者はお茶を入れるのが得意でござる!」その言葉通り、無事にお茶を注ぐ彼。行也の手元に新緑の香りが広がる。
「ありがとうございます。……おいしい……。いつもとおなじお茶っぱのはずなのに。島津師匠はすごいですね。」
島津は、はにかみながらレクチャーを始めた。
「ちょっとしたコツがあるのでござるよ。」
島津は一つ一つの動作を丁寧に説明する。行也はメモを取りながら頷いた。そして、島津のやり方を踏襲して茶を入れる。
「うまい! 行也殿は筋がよいでござる!」
島津に誉められ、一瞬嬉しそうにする彼だったが、直ぐに影のある表情になる。島津はそんな行也をじっと見つめて、柔らかい声で言った。
「何があったでござるか?」
「実は……。」
行也が何か言いかけた瞬間。チャイムが鳴り、黒田がモモンガ二匹を連れて帰ってきた。一匹は、落ち着いた印象の栗毛モモンガ。黒田より一回り小さい、両脇に牛の角のついた兜を被っている。もう一匹は、同じような兜をつけた、山の模様の荒々しく逞しそうなモモンガだ。
「とりあえず何か飲ませてやってくれ。」
黒田の言葉を受け、行也はしゃがんで会釈すると二匹に尋ねた。
「ようこそいらっしゃいました。お茶とお水とトマトジュースとモモンガミルクどれになさいますか?」
荒々しい山模様のモモンガはぶっきらぼうに答える。
「酒。」
栗毛モモンガは山模様モモンガを扇で軽く叩く。
「私達は水をお願いします。」
「遠慮なさらないで下さい。日本酒や梅酒ならありますよ。」
行也の申し出を栗毛モモンガはやんわり断った。
「お気遣いありがとうございます。ですが仕事中ですので。」
もうすぐお昼時。二匹のお腹が鳴ったのを聞き、行也はみっちゃんのモモンガ缶、冷凍していたスープ、マッシュさつまいも、常備菜などを出す。栗毛モモンガは会釈すると、にこやかにきれいな所作食べる。一方、山模様モモンガは一心不乱に吸い込むように食べた。彼は勢いよく空の皿を行也につき出す。
「おかわり!」
「はい!」
「おかわり!」
「はい!」
「おか……っ! 義兄上痛いっつうの!」
わんこならぬ、モモンガそば状態。山模様のモモンガはまた栗毛モモンガに扇で叩かれる。しばらくして、落ち着いた彼らは自己紹介を始めた。
「私は栗山利安と申します。主に諜報活動、要人の救出を担っております。島津殿、行也殿。どうぞよろしくお願い致します。」
島津、行也に両方きっちり視線を合わせてから丁寧に頭を下げる彼。島津と行也もお辞儀すると、今度は山模様モモンガが挨拶。
「母里友信です。どうも。」
顎を突きだし、無愛想に挨拶をする母里。栗山は彼をまた扇で叩いた。母里は挨拶をやり直す。それを見た栗山は満足気に頷き、本題を切り出した。
「幽斎氏の件はまだ調査中です。本日は自己紹介も兼ね、別件でご報告に参りました。謎の赤壁の件です。」
黒田は苦い顔をした。栗山は続ける。
「最近、市役所の壁に浮かび上がった大きな赤い矢の染みが、夜中に呻き声を上げる現象が続いています。」
軽くホラーである。行也は目と口を思いっきり開いて言った。
「それはお祓いをしないと! 俺が立ち会って、本職の方に…」
「もうとっくにやったが無理だった! 意志が強すぎるんだと! 殿だって好きであんなことしたんじゃねーよ! 本当に緊急事態じゃなきゃめったにあんなことしねーし、したくねー性格だっつうに! 全く城井の奴は逆恨みしやがって!」
「正当な怨みだ。」
テーブルを叩き、大きな声でまくし立てる母里を、黒田は一言で黙らせた。深い、井戸の底から響くような調べのような声で。
「何があったんですか?」
黒田は一瞬、行也から目を反らし、眉をハの字にして下を向いた。しかし顔をあげると、凜とした表情で淡々と答える。
「秀吉公より九州の統治を任された儂は、城井氏という地元の勢力と対立し、戦になったのじゃ。しかし勝つことは出来なかった。ヤツらは激戦の九州で、勢力を保ってきた猛者だったからだ。だから……」
黒田は深呼吸すると、ハッキリした声で言った。
「和睦すると騙して誘きだし、一族郎等皆殺しにした。」行也は口を半開きにし、瞬き一つせずに放心した。皆は口を閉ざす。部屋は無人の古寺のように静寂に包まれた。
――そしてすこし時間が経ち。行也はやっと言葉を紡ぎ出す。
「……黒田先生がそんなことするわけない! ラザニアさんから俺をかばってくれたり、田山さんの為に徹夜で法律を調べてくれたり、行人に勉強を教えてくれる、黒田先生はそんなこと絶対にしない! 無神経だけど先生は優しい人だ! だからそんな騙して人を殺すなんて……するはずない!!」
行也は強く激しく思いを叫ぶ。そして目を見開き黒田の両肩を強く強く掴んだ。母里はそれをみて飛び掛かろうとするが、栗山が止める。行也は黒田の目を真っ直ぐに見つめた。「……先生は誰をかばっているんですか? こないだ俺が子供の頃の話をした時、人の罪を被ってはいけないって言ってたじゃないですか! 誤解を解かないと、その呪いの壁に命を狙われるかもしれません! だからもう庇うのはやめてください!」
黒田も真っ直ぐに目をみて答える
「誰も庇っていない。儂が計画して儂が実行した。」行也は神経の糸が切れたように黒田からだらりと手を下ろす。そして思わず島津を見た。島津は頷く。……それは黒田の話を肯定するものだった。行也は言葉を失い、天井を見つめた。彼は目を潤ませ、よろけながら、なんとか立ち上がる。
「……ちょっと散歩に行きます……。」
「拙者も!」裾を掴んで彼を心配そうに見上げる島津を、行也はそっと剥がした。そして有無を言わせない目付きで言う。
「すみません……一人になりたいんです。」
行也は、家より少し離れた空き地へ向かった。草木が生い茂るそこは、彼の秘密の場所だ。どうしようもなく悲しい時、ここで泣くのだ。青い空の使いの風が、サラサラと夏草を撫でる中、彼は膝を抱えて座った。そして目から次々あふれでる熱いものを拭いながら色々なことを思いだし、噛み締めていた。そうしてしばらくした頃。黒田がやって来た。
「……行也。」
行也は何も言わず、黒田を見据えた。静かだが、ふつふつと焼き殺すような眼差し。並大抵の人なら逃げ出してしまうであろう。しかし、黒田は怯まない。「城井と話をしてくる。」
「……謝罪に行くのですか。」
「謝罪はしない。しても自己満足なだけじゃから。」
「では何のために?」
「あいつに夜中に喚くのをやめてもらいたい。それから、儂ら…。儂にはあいつの力が必要だ。」
「謝りもしないで、力だけ貸せなんて…虫が良すぎます! それに……。」
行也の眼差しの中に、先程とは違うものが混ざる。
「危ないです。俺も行きます。」
黒田はいつもの軽い調子で微笑んだ。
「ありがとう。……でも今回はこられたら逆に邪魔じゃ。大事な交渉じゃから、物事をややこしくするお前は連れていけない。大丈夫。天才軍師のワシはぬかりがない! 屈強な島津殿と栗山と母里で取り囲んで話す! お前は果報を寝て待ってればよい!」
行也は思わず立ち上がった
「取り囲むなんて!」
「人道的に解決する道を探して……見つからないなら、強行手段しかあるまい。じゃ! 行ってくる!」
黒田は明るく言うと立ち去った。その後もしばらくぼうっとしていた行也だったが。なんとなく黒田の後ろ姿がわずかに揺れていたことに気が付いた。
「まさか……。」
行也は無意識のうちに走り出していた。
黒田は一匹で市役所の例の壁の前に来た。昼間でも人通りの少ない、日が陰る場所である。
「城井殿。おられるか? ……儂一人で来た。話がしたい。」
壁の赤いしみの矢が、地底を這いずるような声で言う
「本当にお前だけか? お前は騙し討ちをする奴だからな!」
「お主程の武人なら、気配でわかるじゃろう。」
「………。」
城井は戦国時代の雄々しい武人の姿になり、壁から出てきた
「今更、謝罪にでも来たのか?」
「違う。」
「では、何のために来た!」
「城井殿の力を貸して欲しい。卓越したその弓術を儂、黒田官兵衛の兜の所有者に伝授して欲しい。」
「……虫が良すぎだ!」
「弟子にも言われた。だが、この土地を守るために、どうか頼む!」
黒田は土下座に近い体制で頭を下げて頼み込んだ。城井は黙って腕を組み彼を見つめている。そんな様子でしばらく経った頃。城井は黒田の首筋に刀を当てた。
「黒田先生!」
物影に隠れていた行也は飛び出す。黒田が気が付かない間に、行也は付近に来ていたのだ。黒田は一瞬ぽかんとしていたが、行也を追い払う。
「何でお前が! 邪魔だから帰りなさい!」
城井は顔を紅に染め、荒れ狂う炎のような眼差しで黒田を睨んだ。
「やっぱりお前は信用出来ない!」
城井は目にも止まらぬ動きで黒田を床に叩きつけた。黒田は顔を歪める。踵を返した城井は行也に襲い掛かった。
「貴様など素手で十分! 刀をどこぞの馬の骨で汚したくはないからな!」
城井は甲冑を着ているのを感じさせない素早い動きで行也を殴った。その拳は。今まで行也が受けたことのない、重く、深く、悲しみと怒りが凝縮された拳であった。その後も城井は数発空気を破裂させるような拳を繰り出す。行也は避けない。受け身すら取らない。「……もういい!」
城井は忌々しげに行也を振り払い、黒田に向かう。
行也は這いつくばって、城井の足にしがみついた
「離せ。」
行也は彼は鼻、口の端から血を流しながらも城井を離さない。それを見た黒田は力を振り絞り、何とか城井の足に噛みついた。城井は黒田を叩き落とす。黒田は小さく呻いて目を閉じた。尚も黒田を憎悪の眼差しで見つめる城井。行也は赤い目でそんな城井を見上げ、這いつくばって追い縋り、荒い息を吐きながら頭を下げた。城井は振り返る。そして行也に拳を振りかぶったが、行也の深く下げられた頭を見ると、拳を震わせつつもゆっくり引っ込めた。
「気持ち悪い奴だ! もうアイツを引き摺って帰れ!」
城井は行也からすり抜けるように矢に戻り、壁に張り付いた。
「……ありがとうございます。」
行也はふらつきながら立つと、黒田をそっと抱えた。そしてゆらゆら歩き出す。ちょうど市役所を出た時。島津、栗山、母里が息を切らせてやって来た。
「行也殿……酷い怪我でござる!」
「俺は……大丈夫です……それより黒田先生が……。」
栗山と母里は涙目で黒田に呼び掛けた。
「殿! 殿! 殿!」
道の端に寄ると、島津は診察を始めた。
「黒田殿は…息がある…脈も普通…よかった…。だが一応病院に行くでござる。」
一方、母里は行也を島津の救急道具で消毒する。そして栗山は、背負っていた風呂敷から地図を出すと、最寄りの病院を調べ、電話した。
――行也と黒田は念のため病院に行ったが、異常はなかった。もう夜。暗闇のカバーが空にかけられている。
「行人殿が夕飯を作ってくれたでござる。今日はご飯を食べたら、早く休むでござる。」
「はい。…そう言えば何で皆さんはここだってわかったんですか?」
栗山は苦笑する。
「殿は、
『行也と二人で話をしてくる。時間が掛かるだろうが心配するな』
とおっしゃって出掛けられたのですが、あまりにも遅いので何となく心配になりまして……。」
母里も頷く。
「殿は前科があるからな!」
黒田は昔、信長に謀反の嫌疑をかけられた荒木村重という武将の所へ、事情聴取と説得に単独で赴いた。その時にそのまま一年ほど監禁されてしまった過去があるのだ。
母里は拳を握って続ける。
「それにしても城井の野郎め!」
行也は慌てて口を開いた。
「黒田先生だけだったら、話は収まったんだと思います。俺が近くに隠れていたから、また騙しうちかと思ってしまったんでしょう…。無理もないです。俺がうかつでした。申し訳ありません。」
黒田は頭を掻いた。
「まぁ、お前がくる前も、正直説得できそうな雰囲気でもなかった。最悪のタイミングだったのは確かじゃが今回はお前云々よりも、ワシが前科持ちだったのが大きかったんじゃろ。疑わない方がおかしい。」
行也は、ポロリと言った。「でも、あれだけ神経を逆撫でしたのに、城井さんは手加減してくださったんですね……。それに俺がくる前、土下座する黒田先生には手を出さなかった。土下座はとても無防備な体勢なのに……。」
医師が言うには出血も体重から考えると許容範囲内、攻撃を受けた箇所もすべて急所から外れ、骨折もないという。
「確かにそうじゃ。ヤツが本気をだしたら、ワシは一瞬で天国じゃ。」
行也は遠慮がちに言った。
「地獄では……。」
帰宅後、シャワーをあびると、栗山と母里の歓迎会をする行也達。しかし栗山と母里は、疲れていたのか、すぐに眠りこんだ。行人は洗濯物を干し、行也は洗い物をしている。栗山と母里にそっとバスタオルを掛ける黒田に、島津は厳しい声で言った。
「行也殿は自分も怪我をしていたのに、黒田殿の心配をしていたでござる。それに栗山殿も母里殿も、凄く心配してたでござるよ。必死で探していたし、気を失っている黒田殿に涙声で話しかけていたでござる。どうして一人で行こうと思ったでござるか?」
黒田は島津に頭を下げた。
「島津殿にも……行也にも利安にも友信にも……迷惑をかけて申し訳ない。じゃが皆で行くと警戒されるし、かといって島津殿達に頼むのも筋違いかと思った。一番憎い当事者が前に出てこない、というのは向こうも納得できんじゃろ。……これからどうしたもんかのう…。」
「拙者が明日、行也殿と城井殿の所へお伺いするでござる。」
「へ?」
「黒田殿では神経を逆撫ですることが確実でござるからな。」
「確かにそうじゃな……。」
二匹が結論を出した頃。
行也は二人に話しかけた。「島津師匠、今日もありがとうございました。……黒田先生。」
正座して、姿勢を正す行也の真剣な眼差しを、黒田も真っ直ぐ受け止める。
「俺は……城井さんの件に関しての黒田先生の行動はやっぱり酷いと思います。」
「……行也殿。しか」
フォローしようとする島津を、珍しく行也は遮った。
「わかっています。母里さんや栗山さんのおっしゃる通り、本当に追い詰められた末なんだろうなと思います……。上手く統治出来なかった前任者の方が切腹させられたことも考えると……。確かに先生は一族も部下も守らなきゃいけなかったし、手段を選んでる場合じゃなかった。俺だって追い詰められたら、正々堂々を貫く自信はないです。」行也は俯いて続ける。
「でもなんかもやもやするんです。俺が黒田先生を尊敬しているのも、大好きなのも変わりませんが、今までみたいに完全に信じきる自信がありません……。」黒田は父親が子供を見守るような、優しい眼差しで言った。
「……それでいいんじゃよ。」
「え?」
「盲目に信じ込まれるのも、めんどくさいからのぅ! ……ワシはあの時はああするしかなかったと思っている。……じゃが。真っ正面からの戦以外のことで大勢の人間を騙し、命を奪ったのは事実じゃ。本当の天才だったら、もっと違う方法がわかったのかもしれない。もっと犠牲者は減らせたのかもしれない。それは悔しい。」
そう言うと黒田は俯き、唇を噛み締め、拳をぎゅっと握る。
「先生……。」
少しして、黒田は顔を上げた。
「ワシも、わからないこと、最善の道が見付けられないことはある。じゃから、ワシと意見が違うなら、どんどん反論しろ。」
「はい!」
「よし。もう寝なさい。」
行也は立ち上がると、二匹に頭を下げた。
「黒田先生、島津師匠、これからも宜しくお願いします。」
「任せろ!」
二匹は力強く微笑んだ。
……その数分後。行人がベランダから入ってきた。行也は行人の部屋で寝ている。彼は普段は居間で寝ているが、島津がゆっくり眠らせるために、行人の部屋で寝ることを進めたのだ。行人は口を尖らせた。
「師匠が入るなって言うから! で、今日は何があったんだよ。」
黒田を制して島津は、今日あったことを説明する。
行人は黒田を睨み、涙目で洗濯籠を投げつけた。
「人間じゃねぇ! クソヤロウ! そんなやつなんて思わなかったぜ!」
「確かにひどいことだが、当時の黒田殿はそうするしかなかったでござるよ……。拙者も同じ立場なら、どうしたかわからないでござる…。」
行人は庇う島津ごと睨んだ。
「事情なんか知らねぇよクソヤロウ! 何が騙し討ちはやる方も辛い…だよ! 辛いのは被害者に決まってるだろ! 供養のために神社を建てたからってなんだ! 死んだやつは生き帰らないんだぜ! 意味ねえよ! 卑怯者と口なんか聞かねぇ! もう寝る!」
黒田は行人が布団に入って寝息をたてるのを聞くと、ポロリと言った。
「ボロクソに言われているのに腹が立たない。それに行也の時と違ってグサッとこない。言葉は行人の方がきついのに不思議じゃ。まぁ……正論じゃしな……。」
「拙者はどっちの考え方もよいと思うでござる。」
「なーんかズルイのぅ。それ。」
「えっ。」「行人、おはよう!」
「行人殿、おはよう」
行人は、黒田と島津の挨拶にそっぽを向いて答えた。「おはよう、クソ達!」
黒田は行人をにらみ、じたんだを踏む。
「いくら嫌いな相手でも、クソ呼ばわりは失礼じゃ!」
「クソはクソだ! 人でなし!」
それを見ていた行也は野菜ジュースを行人につき出しつつ、厳しい目付きで言った。
「お前は黒田先生には勉強、島津先生には剣術を教わってるだろ! 特に島津先生には何度も命を助けられている! 恩人をクソ呼ばわりするなんて!」
行人は新聞をテーブルに強く叩きつけた。
「すっげー尊敬してるから余計むかつくんだ! 兄貴はむかつかねぇのかよ!」
「……確かに俺も昨日は失礼な態度をとってしまった。腹がたったし、裏切られた気もした。……だけど、俺も先生の立場なら、同じようにしてしまうかもしれない。俺の想像よりも、ずっと過酷だったかもしれないし……。もやもやするのは確かだし、先生の全てを信じきることはできないけど、やっぱり…俺は…先生も師匠も凄く尊敬してるし、大好きだ。」
行也は行人を諭すように続ける。
「黒田先生は、違う意見なら反論すればいいとおっしゃっていたし、価値観の違いは話し合えばいいと思う。俺達は平和な時代、先生達は、殺るか殺られるかの時代を生きてきたんだ。考え方が違うのは当然だ。」行人は黙って下を向いた。
「……何で兄貴はヘンに物わかりが良いんだよ! あっさり納得しちゃうんだよ! もういい! 俺、ランニングしたら、朝御飯食べな……いや、食べたらさっさと学校行くぜ!」
もうすぐ期末テスト。青空に浮かぶ太陽の光線が窓を貫く、暑苦しい教室で。日本史の後山先生は、期末テストについて説明中である。
「以上が範囲だ。質問がある人!」
「はいっ!」
「はい、山田。」
「テストにはどこが出るんだでありますか!」
「さっき言ったろ! だから…」
「ページ数じゃねぇ! 具体的にどこが出るのか……例えば楽市楽座が出るとか、そういう大切なポイントだよ! 黒田先生も、物事で大切なのは要点を押さえることだって言ってた。テストにはどこが出るんだでありますか!」
周りの生徒も、具体的に! 具体的に! と訴えかけるような表情。後山先生はそんな教室の空気を読んだ。そして空気をおもいっきり吸い込んでから、吐き出すように言った。
「教科書に書いてあること、俺が黒板に書いたこと、授業で話したことは全部大切だ! 全部テストにでる! 全部覚えろ! 以上!」
――昼休み
「お前んち、家庭教師いるの?」
「どっちかというと……人生の先生かな…クソ野郎だけどな! 今ケンカ中だ! ……というわけでわりぃ。勉強会だけど……英語と数学と化学は何とかなるけど、日本史と古典は教えてくれる人が呼べねぇ。ごめん。」
友人の悠太は口を尖らせる。
「仲直りしろよ! 俺のために!」
「何だよそれ!」
一方、もう一人の友人・洋平はおにぎりを食べる手を止めて、行人を見た。
「なんでケンカしたんだ? 愚痴だったら聞いてやるよ。」
行人は顔を曇らせる。
「ちょっとな……すげぇ悪いやつだってわかって……。これ以上はいえねぇ! 掴まっちゃうからな!」
行人達の日本では時効がないのだ。しかし、さすがに戦国時代の事で掴まることはない。洋平は目を丸くした。
「そんな人と関わって大丈夫なのか?」
行人は肉巻きお握りを握りしめ、下を向いた。
「……偉そうで自信過剰で無神経だけど、何だかんだ言って俺と兄貴には優しいんだ。兄貴なんか、殴られそうになったところを庇ってもらったって言うし。」
悠太は、あっさり断言。
「じゃあいいじゃん。極悪だろうが変態だろうが、俺は俺に優しい人ならいい!」
世の中は広い。行人よりシンプルな人間がここに居た「お前それでいいのかよ! それにしても時高がいればな……。あいつどうしてんのかな。電話も出ないし。」
「こないだ、洋平と時高の家に行ったら、時高もおばさんもちょっと元気なかったな。」
悠太の言葉に行人は思わず身を乗り出した。
「マジで! どうしたんだろ。よほどのことがねぇと顔色変えないやつなのに……。」
悠太は頷いて続ける。
「なんか難しそうな本を読んでたな。あと、英語だけは絶対勉強しろって言ってた。……それから、もう俺達にはあまり会えないって。」
洋平が話を引き取る。
「……単に俺達とつるみたくない、ってだけならいいけど、何か事情がある気がする……。」
洋平は特別賢いわけではないが、人の心に対してカンが鋭い。母子家庭に育ち、苦労が多かったからかもしれない。
「洋平が言うなら、何かあるんだろうな。俺も様子を見に行くぜ!」
悠太も頷くと時計を見た。
「確か五限は社会科見学だったな。市役所だっけ。そろそろ行こうぜ」
「市役所……。」
行人は嫌な予感がした。
行人の不安は現実のものとなる。クラスメートの証言。
「そこをなんとかお願いします! って壁にペコペコお辞儀してたよ。」
「壁に向かってお弁当を食べませんか、って言ってた。」
「何かグレーのモモンガに話しかけてたぜ。」
慌てて現場に行った行人の視界に入ったのは。壁に向かって弓をひく行也、見守る島津。そして……武者姿の立派な男。
「兄貴! 何してんだよ!」
弓矢を下ろし、行也は振り向く。
「おお、行人。俺は、弓術を教えていただいている。そう言えばお前のクラスの皆さんにあったから、挨拶したぞ。みんな礼儀正しいな。」
「何かすげぇ変な目で見られたんだぜ! そっちの人は?」
「弓術の指導をして下さっている城井鎮房師範だ。師範、弟の行人です。」
「山田行人だ! 兄貴が世話になってるぜ!」
城井はちょっと険しい目付きになった。
「無礼な若者だ! 今は訓練中だから、部外者は向こうへ行け!」
「いや、ここじゃ駄目だぜ。これ以上誰かに見られたら困るだろ! 他の所でやれよ!」
行也は困った顔で言った。「それが……城井師範はここにしか出られないらしい。」
「マジで!」
「だから城井師範が壁から出てきて下さったあとは、島津師匠に気配を確認していただいてるんだ。」
島津のひげがピクッと動く。
「……誰か来る。」
「えっ! 城井師範、壁に隠れてくだ…」
しかし武勇に秀で、誇り高い城井は隠れることを拒んだ。彼は雄叫びを上げて刀を構える。
「俺は逃げも隠れもしない。さぁ! 掛かってこい!」
兄弟と島津は無言で城井を壁に押し付けた。
「な、何をする!」
「お願いですから隠れてください!」
「空気読めよ!」
「誰も掛かってこないでござる! 逃亡とは違うでござる! だから早く隠れてくだされ!」
彼らが揉めている間に、忍び寄る人影。結局、城井は見つかってしまった。
「行人! そろそろ…」
人影は友人の悠太と洋平であった。彼らは島津捕獲隊のメンバーである。二人は行也だけでなく、島津にも挨拶する。
行也と島津は、二人が事情を少し知っているからまぁいいか、と思って挨拶を返した。
「いつも行人と仲良くしてくれてありがとう。今見たことは……。」
「はい。誰にも言いません。」
察しのよい洋平。一方、悠太は城井を目をキラキラさせて見つめた。
「すげー! 高そうな甲冑! ネオ大河ドラマの俳優さんすか? それとも、おもてなし隊っすか? ちょっとイケメンだし、強そうだ! サイン下さい!」
城井は顔をしかめた。
「ねおたいが? はいゆう? いけめん? なんだそれは。私は武将だ! 城井鎮房と申す。」
「そっか! 売り出し中の新人さんですか!」
物珍しげな眼差しでじろじろ城井を見つめる悠太。城井は一層険しい眼差しになる。だが相手がどうみても武芸の心得のない一般人なので、顔に血管を浮き出させつつ、彼は拳をしまった。行也達は見かねて注意する。しかし、悠太は軽く謝ったものの低い声で呟いた。
「せっかくかっけーのに売れないなんてもったいない。自分、武将ですから。っていう名乗りはどうですか?」
「ふふふざけるなぁぁぁ!」
城井はまるで盗掘者を襲う石像の如くゴゴゴゴ動き出す。兄弟達は間一髪で何とか彼を取り押さえる。さすがに悠太も行也達と一緒に頭を下げた。城井が落ち着くと、行人達三人は集合場所へダッシュする。城井はその背中を見てポツリと言った。
「……これからは隠れることにする。」




