そんなはず、ないのにね
ロッカの話
父が即位したときのことなんて欠片も覚えていないのに、アレヤが四代目として即位した瞬間は、今でも鮮明に思い出せる。
逆なら良かったのに。
まだ齢五つの私は愚かで、親の死んだ悲しみに暮れていた。そんな場合じゃなかったのに、それを教えてくれる者はいなかった。
周りは私を慰めるよりも、他の事でばたばたと慌ただしくしていた。今なら分かる。私を擁護していると思われたら、酷い目にあわされると思っていたのだ。恐らく前代の王――つまり自身の兄とその妻を暗殺しただろう、アレヤに。
私はそんなことも知らず、めそめそ泣いていた。誰かが私の背中を撫でて、あやしてくれるのを待っていた。温かな手と優しい言葉は、当然のように与えられると思っていた。自ら動くべきときだったのに、甘ったれな馬鹿はそこでじっとしていたのだ。
誰も来なかった。優しい誰かは、現れなかった。
しかし手は差し伸べられた。白い手袋、たおやかな花の香り、優雅な仕草。私は顔を上げた。
新しい女王になるために、動いていた女がそこにいた。アレヤ。私の母よりも幾分低い背丈、優しげな眼差し。その憐れむような目と声だけで、幼い私には十分過ぎるほどだった。甘ったれで愚かな私は、何の疑いもなく、その手を取った。――わけの分からぬまま、ただ安心感が欲しくて手を取った。
分からない馬鹿なら何もしなければ良かったのに。あの時彼女の手を取った瞬間、幼い私の口からはほっと安堵の息が溢れた。
覚えているよあのときの喜び。思い出す度に死にたくなる。
あの日、あの瞬間の、馬鹿な私を私は殺したい。
女王が即位した日、私は彼女に跪いた。その意味も知らないで。その瞬間、私は対外的に王座を捨てていた。アレヤ女王に平服していた。私は彼女を善意の保護者だと思っていた。馬鹿な子どもだ。奪われ、都合よく使われただけなのに。
本当なら私が、そこに座っていたかもしれないのに。彼女が、私の側にいたかもしれないのに。
そうして何も分からず過ごしていた私の前に、ルダが現れた。彼はその頃まだ十四歳で、子どものような顔をしているのに、喋り方などの立ち居振る舞いは大人みたいだった。
彼は私に、そして亡くなった父に、母に謝ったが、五歳の私にその真意が伝わるはずもない。私はわけも分からず許したが、そんなものに意味があるはずもない。それはただの、ルダの幼い自己満足だった。彼にもそんな頃があったのだ。
ルダは私に優しかった。彼の罪悪感のため、計画のため、その全てで私に優しかった。
唯一騎士院を引き上げようとした王、マルテ三世を救えなかった罪悪感。アレヤ女王に使われた私を助けなかった罪悪感。そして私を、計画のため利用する罪悪感。
彼は嬉々として己の計画を突き進む一方、性根は歪んでいなかったので、私への罪悪感を積み重ねていった。
だから私を利用する一方、私に優しくしてくれた、私と仲良くしてくれた。
私は、それだけでよかった。裏があろうが構わなかった。王座につくことはないだろう姫、宙ぶらりんの、中途半端な存在だから、自分の足で立てる舞台があればそれでよかった。
――本当は私が女王、それが現実。私は皆に傅かれる名君となる。初めて騎士院と融和した、マルテの名君として『マルテ王国史』に書かれ、そしてアレヤも、王女二人も、私の前に跪かせる。いや、殺してしまってもいい。アレヤが私の、惨めなほど可愛そうな父と母にしたように。
……ルダにも誰にも言えたことはないけれど、私は本当は、父も母も恨んでいる。いっそ憎んでいるといっても過言ではないかもしれない。
どうして殺されたの? どうして暗殺に気を付けてくれなかった? どうして、私をこんな城に一人残して逝ってしまったのか。どうして。……。
私はルダと共犯者になった。友人ではない。
私の友達は、可哀想なイオアンナと、それから――……。
『ま、いいわ。ねぇケリュン、それでも私たち、ずっと友達よ。ね?』
私に頷いてくれなかった、あの子だけ。
――『友人くらいにならなれます』? ああ、何を今更。
……本当にだれか一人、だれか一人でいいから私を、心から哀れんでくれたらよかったのに。
私は真実を話せない。真実を知るものはだれ一人として私を一番に想ってはくれない。女王もクレアもイレーヤもルダも、その他のレイウォードやアレンなんかもそう。
私に愛を手ずから渡してくれるのは、私の真実なんて永久に知ることのない可哀想な人達ばかりだ。大好きなイオアンナ。私のかりそめの恋人たち。
ルダ。私を見つけてくれたのは彼だけだった。私に、私だけに用意された舞台。それはなんであれ、はじめて人にもらった、私にしかできないことだった。
私は一対一の舞台の上に、ルダの対等な相手として引きずり出された。そこに立つ私は、前王の娘の、価値ある私。利用しあい後ろ手になにか隠しつつ、それを分かって私たちは笑う。
私は彼を嫌っていたわけではなかった。何もかもが違えば、きっといい友人になれただろう。
しかしこうして一度利用しあう仲になってしまえば、私たちは大元が国への反逆者という外道だから、結果は惨いものとなる。後には勝者か敗者かしか残らない。どちらもそのことが分かっていて、私たちは最後まで睨みあっていた。
そして残ったのは私だ。
(ルダの私への、申し訳なさのおかげかな)
非道でもなんでも彼は傑物と称された男で、誉れ高き騎士院の長で、やっぱり単なる非情漢ではなかったということを、私は一応だが知っている。そのちょっぴりの差をつくってくれた、恐らく義理堅いのだろう、ルダの周りの世話役には感謝しなければならない。――皮肉にしかならないだろうが。
でも、ケリュンが追いついてきた。最後の罪悪感として、私を庇ったルダも踏み込えて、私の前に立ち塞がった。
私、最後に私を追い詰めるのは――私の前に現れるのはあなただと、なんとなく知っていた気がするの。
「ロッカ」
笑って私を呼ぶイオアンナの顔を、何度も何度も思い出す。国と王族に忠義を誓った私の友、美しい英雄。貴女は芯から美しくて、私はほんの少しもそれを歪めることができなかった。貴女は決して私の仲間になってくれないと分かっていたから、貴女が仲間になってくれたらいいのにと、心の底から思っていた。
仲間にならない貴女は私達の計画の障害にしかならない。私は私の友を殺す。私という王族に忠義を誓い、私を慕った英雄を。
――こんなこと、許されるはずがない。
それでも私達はやり遂げた。我が身を呪いながらも、信念とともに、私はそれをやり遂げた。
「……貴女も彼も、罪を裁かれないといけませんから」
イオ。私の友達。
あなたの弟子、私の友が、私を殺しにきたよ。
王族を守るための男が。
――私は、王族に伝わる秘密の話一つ知らなかった。聖マルテの真実。あの愚鈍で繊細なだけのイレーヤですら知っていた真実。イレーヤが、母であるアレヤ女王から伝え聞いたであろう、王族の秘密。私が盗み聞きしてやっと知れた、物語。
馬鹿みたいでしょ、私。
「なあんだ――ケリュンなら、いっしょにしんでくれるとおもったのに……」
そんなはず、ないのにね。