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マルテ王国史  作者: ばち公
五章:近衛時代後編
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それだけのこと

 戦場に舞い戻ったケリュンだが、どれが敵でどれが味方だかよく分からない状況であった。

 それは相対する者同士も同じのようで、戦場は半ば膠着状態にあった。泥沼は避けられているということだ。しかし、それもいつまで保つか分からない。

 そんな中ケリュンは、少し離れたところで場を傍観するゼファーを見つけた。


「どういう状況?」

「見ての通り。さっき完全に動きが止まった。ちょうどいい時に来たね」

「日頃の行いってやつだな。で、なんで?」

「うーん。逆賊をやっつけに来たら同じ騎士院の兵。途中からぐっちゃぐちゃになって、自然とこんな状況になった。数の利はこっちにあったけど、状況は五分五分かな。強いんだよね、向こう」

「あっちは後が無いからなあ……」

「で、膠着したはいいけど、相手逆賊だからね、こっちも退けないし――というか、あっちが勝っても悪くないなーって奴もいて……逆賊が増えたりもしてる」

「ザックみたいな傭兵もいるしな……あいつら、利益第一だし、しょうがないか」

「ま、肝心の話し合いが出来る代表も互いに不在だからさ、すぐにまた始まると思うよ」


 上が原因で始まっただろうに、その上がいないというのはなんとも始末が悪い。


「もしかして、王族の方々もいない?」

「ん。もう此処にはいないね。避難、出来てたらいいけど」

「……ルダ様は?」

「さあ。でも、ルダ様が仕掛けたって噂がある。相手、騎士院の偉いのも混ざってるし。さっきので何人か死んだけど。……ま、それはこっちもか」


 ふうん、とケリュンはぼやいた。

 それから余っていた鎧――はさすがになかったので、鉄の胸当てだけ借りて、ついでにゼファーに死なないよう気を付けろと伝えて、その場を後にした。

 さて、また『霧の道』で城内に侵入してみるか、などと思案するケリュンの前に現れたのは、予想だにしない人物だった。


「ええっと、ピーナの知り合いの……」

「テオドアとテギンだ――なんて、今はそんなことどうでもいいだろう?」

「まあ、そうだけど。で、なんでここに?」

「そんなことも、今は重要ではないでしょう?」


 二人は場にそぐわぬ、静かで穏やかな微笑を浮かべている。それはやけに柔和で、奇妙で。


「隠し通路を見つけたの。きっと、そこを逃げたのね」

「誰が?」

「首謀者さ。教えるから、付いてきてくれないか。頼むよ」

「いや、頼みたいのはこっちだけど。でも、……どうして?」


 テオドアとテギンは互いに目を合わせて、それから笑った。


「悪い人を、追い詰めたいだけよ」

「どこまでも。必ず。――永遠に」




 ケリュンは王族のための『霧の道』しか知らなかったが、どうやら他にも、隠し通路はあったらしい。王族以外が避難するための道だろうか? それは城の地下深くに続いていた。

 明かり一つない地下の通路は、壁に灯された蝋燭によって、炎の影に揺れていた。恐らく事前に準備していた蝋燭に、誰かが火を灯して進んだのだ。蝋燭は短いもので、今にも火が消えそうだった。

 テオドアとテギンに見送られ、ケリュンはその道に足を踏み入れた。あの二人に騙されたとは思わない。彼らはピーナの友人で、ケリュンも以前話したときに悪い印象は受けなかった。それになにより、二人のあの表情。……あれは、何かに歓喜する狂人の顔だ。人を困惑させるものではあるが、陥れるものではない――以前会った、ケリー・レネのそれとは少し異なるだろう。

 通路は一本道で、迷う要素はない。罠も無さそうだと、ケリュンは無心で走った。今の装備は鉄の胸当てに、片手剣一本、落ちていたので失敬した小さな盾。村人だったときのような格好だが、今は矢もなく弓もない。しかし、迷いは欠片もない。

 やがて、ケリュンは辿り着いた。


「……お久しぶりです、ルダ様」

「久しぶり。英雄殿。……こんなところで、どうした?」


 彼は開けた空間で待ち構えていた。ケリュンの挨拶に、変わらぬからりとした笑顔で応える。


「そちらこそ。まだ勝敗も決まっていないなか、こんなところで何をしてるんです?」

「現場の指揮は、任せてあるからいいんだよ。そちらこそ、英雄として剣を振るいに行かなくてもいいのかい?」

「振るうべき場所は、どうやら、あそこじゃなかったみたいなので」


 ケリュンは言いながらさっさと剣を抜いた。他に誰がいるかも分からないし、どうせ結局のところ切り合いになるのは分かっていたためだ。

 しかし、ルダは剣の柄に手をかけるだけで、それを握る素振りすらみせなかった。彼はまるで雑談でもするかのような、あくまでも朗らかな態度を崩さない。え、と思わず呟くケリュンに構わず、彼は愛想よく微笑んでみせた。


「ケリュン。マルテ三世を、君は知らないだろうね」

「まあ……名前は、知っていますが。その程度です」


 だからなんだ、とばかりに曖昧な返事をするケリュンを無視し、ルダは続けた。


「マルテ三世は、この国の歴史上唯一、騎士院の立場を上げようとした王だった。……騎士院以外からの人気は、なかったがな」

「聞いたことがあります。珍しい方が、いたんですね」

「ああ。いたんだ。確かにいたんだよ。……君には、分からないだろうな」


 マルテ三世は騎士院に(おもね)る、弱腰で頼りない、王族らしからぬ王だった。騎士院以外には、そう見られていた。

 そこで名が挙げられ始めたのが、その妹アレヤだった。聡明で、不思議と人目を惹く女だった。王族主義者で、それはマルテ王国の王族では珍しくなかった。それが普通だった。

 だからこそ、マルテ三世は本当に貴重な存在だったのだ。

 そしてアレヤが舞台に上げられてしばらく。マルテ三世は亡くなった。

 体調は悪いようだったが、死ぬほどのものではなかった。騎士院は色んなところに目を光らせていたのに、彼は死んでしまった。死に物狂いで調査したが、原因は分からない。ただ、病死となった。

 続いて、マルテ三世の妻も、アレヤの夫も死んだ。

「おかしい」と、騎士院は主張した。相次いで三人も亡くなるものか。捜査させるよう、依頼した。

 アレヤはあっさり言ってのけた。


「早死の王族なんて、珍しくもないでしょう」


 ルダは本当に疲れてしまった。父の、祖父の、その仲間たち全員の悲願。やっと現れたマルテ三世はあっさり死んだ。

 ルダの頑張りは意味をなさない。名ばかりの長。口ばかりうまくなって、それだけだ。

 騎士院の地位は変わらない。

 頼りになる仲間は皆、ルダを残し、悔しがりながら死んでった。

 疲れてしまった。


「君には、分からないだろうなあ……」


 無念を語り終えなお微笑むルダを、ケリュンは曖昧な心地で見つめた。睨もうにも罵ろうにも、そうし辛い雰囲気だった。


「国民は何も分かっちゃいない。考える力を持たない、思考を捨てた……王族を賛美するだけの馬鹿どもだ。その治世のためにどれほど騎士院が尽くしているかも知らず、ただ王族しか見えてない。こちらの言葉は、誰にも届かない。こうするしかなかったのだ」

「あなたは、……ええと。騎士院の地位を、上げたかったんですか? それだけ?」

「それだけではないっ!! ……それだけのことだが、私にとっては、それ以上のことだった」


 それが全てだったのだと、ルダは言った。


「…………騎士院の、それは確かに、ひどい話です。哀れだと思いますよ。でも、俺はあの……」

「え?」


 俯いたケリュンの声がくぐもったのに、ルダは首を傾げた。


「俺はあの、あのとき森で泣いていた魔物使いの男のことだとか、あの死ねなかったドラゴンのことだとか、ドラゴンに力を注いで死んだであろう貴族の女性のことだとか、そういったこと、ぜんぶ、全部……」


 魔物使いのために死んだ彼の相棒たる狼。嫉妬に狂い、薬に溺れて森で死んだケリー・レネ。そしてドラゴンを倒す為、国の為に死んだ女傑イオアンナ。

 ルダの目的の礎――彼らの死、一つ一つに、ルダの知らない悲しみのあったことを、ケリュンは知っている。


「俺は、本当に、哀れだと思っています。騎士院より、貴方より。ずっと」

「……君は、何にでも首を突っ込んでくれたよなあ。突然の女王の暗殺ですら食い止めた……さすが英雄殿だ……」

「やはりあの事件も、貴方の仕業だったんですか? あの犯人にも、貴方が関わって――」

「犯人だなんて……かのガラス工房の管理者ですらあった、由緒正しき貴族だぞ? 酷い言い草だ。せめてクロム・カーサと呼んでやってくれ」


 そのクロム・カーサの突然の凶行のせいで、カーサ家は最早名誉は無いに等しい。領地を取り上げられるのではないか、という噂が立つ程度には危機的状況にある。一家断絶とまではいかないだろうが、当主は無事では済まされないだろう、とも。


「俺だって別に、あんな時期に彼を暴れさせるつもりはなかったんだよ」

「……いつかはそうするつもりだったと?」

「人を悪者みたいに言うね。俺はただ彼に、レンディーを飲ませていただけだ。知っているだろう? あれは都合の良い毒だった。人の感情を、意志を、無駄に膨らませることができる」


 あのときの彼は、大きな使命感に駆られていたことだろう。妄想の大敵に立ち向かう正義の英雄――幸福ですらあったのではないか。

 ルダは囁く。

 しかしケリュンはあの顛末を知っている。彼は女王に会うことすらできなかった。戸惑う間に、火かき棒でケリュンに殴られた。そして彼の全てが終わった。どれほど惨めなことだろう。


「彼もまさか、自分が仲介して買った毒が自分に使われるとは、思いもしなかっただろうよ」

「仲介……彼が、ケリー・レネにもレンディーを分けたのですか?」

「ケリー・レネ……レンディーを仲介してくれた奴だったか。俺はそいつに直接会ったことはないが……俺はクロム・カーサに命じて、そいつにもレンディーを少しだけ、褒美としてくれてやったんだ。さて、どうなったか……」


 酷い目に遭いましたよ。ケリュンは内心そう呟いた。

 テオドアとテギンの調達したレンディーはケリー・レネが預かり、それをルダの配下たるクロム・カーサが買い、そこからやっと、ルダの手に渡ったのだろう。

 テオドアとテギンの元にはクロム・カーサが購入したという記録だけが残る。そして本人は既に故人だ。ルダに繋がる証拠は、どこにもないのだ。


「なあ、ケリュン。俺は最初、君が、アルフレドだと思ったのだ。あの、薄汚い、女王の犬だと――。まあ、すぐに違うと分かったが。……しかし恐らくだが女王は最初、君を、アルフレドにしようとしていたのだと思うよ。あの女が、君を調査させていたのも知っている。ただ、君をどうやって引き込んだのかまでは分からなかったが……」


 その言葉にケリュンは最初――本当に最初のことを思い出した。故郷で、幼馴染のスゥが何者かにぶつかられて、行商人の壺を割ってしまったときのことを。都合の良い金儲けの話が転がってきたときのことを。

 ウグルト・ノベル――かつてアルフレドであった男の、憐れむようなような視線が脳裏をよぎった。古代語で、馬の名を持つ男――。さて、彼女は女王と、どういう関係であったのか。


「それでも君は、女王に贔屓にされていたね」

「俺の名前、古代語で牡鹿って意味なんです」

「……それがどうした?」


 ルダはそこで初めて人間らしい、困惑した表情を浮かべた。ケリュンは微笑んだ。


「それだけです。……それだけのことが、誰かにとっては、それ以上のことだったんでしょう」

「何が言いたい? もったいぶらず、説明を――」

「いえ、もう終わりですよ」

「……つまり?」

「時間稼ぎをいつまでも認めるほど、俺もお人好しじゃないってことです。はは、ずいぶんと雄弁じゃないですか。あれほど俺によそよそしかったくせに」

「どうやっても、君を懐柔出来ないだろうと悟ったからね」


 最初の頃の、人当たりのよいルダの顔を思い出す。焔の陰影ちらつく、眼前の男のそれとは似ても似つかぬ表情を。

 彼は剣を抜く。暗闇のなか、白刃は浮き上がるように美しい。剛健な鎧。そびえるように立つ、騎士院の長。


「しかし、つまらないな。もう少しくらい、付き合ってくれてもいいだろうに」

「……もう、手遅れですよ」


 ケリュンも構える。全ての終わりは、目前に迫っていた。

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