2
まだ完全には状況が把握できていないケリュンのため、一から順に説明してもらう。
まず、レンディーという危険な薬を、テオドアとテギン夫婦に頼んだ貴族がいた。唐突な危険な薬の依頼を不審に思い、夫婦がその貴族を調査したところ、その背後にはフレイヤがいることが判明した。
結果、テオドアとテギン夫婦は気は乗らないながらもレンディーを調達、無事仕事をこなした。
フレイヤの死後、まずそのレンディーの動きを探った。まともな人間ならまず扱わない代物なので、すぐに噂が立つ。それは、マルテ王国の機密、「ガラス工房」の辺りに流れていた。国はもちろん、工房を管理する貴族、密偵を殺すための雇われ者など、大勢の人間が関わる場所だ。
更に調査したところ、所持していたのは暗殺者集団の一員――ケリー・レネ、という人物だということが判明。裏付けとして、レナートがラズールから聞いたところ、ケリー・レネはガラス工房の警護もしていたという。
ここからケリュンとラズールが目撃したものが関わってくる(この時レナートは気絶中だったため詳細は知らない)。
ケリー・レネが所持していたのはレンディーと、そして緑のリボンが通された青銅の手形『商談の符』――王族院や貴族院や騎士院など、地位のある人物のみが扱えるものだ。つまり、ケリー・レネはその地位のある人物と繋がっていた。
「で、その手形はどうしたんだ?」
「ルダ様――騎士院の上司に渡した。あの人はそれを、反王族派の貴族の持ち物かもしれないって言ってたな……」
ケリュンはそこまで言ってふと、以前レイウォードから、騎士院――特に騎士院の長の動きが怪しい、と言われたのを思い出した。
そういえば、ルダに預けた手形はどうなったのだろう。後で確認しなければ……。
「……あ、そうだ。そもそも、レンディーの調達を依頼してきた貴族って誰だ?」
「カーサ家の三男坊。今や有名人だぜ――って、お前のほうがよく知ってるか」
「え? ケリュンくん、貴族と知り合い?」
「知り合い、というか……女王暗殺事件の犯人だな。えーっと、名前は……」
「クロム。忘れたのか、薄情な奴だな」
テオドアにからかわれ、ケリュンは頬を掻いた。まさかこんなところで関係してくるとは。
「……あの貴族か。確かに言動がおかしくなってたって聞いたし、それに以前は、ガラス工房の職人の管理を任されてたって……」
「じゃー完璧じゃん。そいつは反王族派で、商談の符の持ち主で、レンディーを買って、ケリー・レネと関係してたんだよ」
「でもカーサ家は、反王族派ではなかったはずだ……。ガラス工房の職人の管理を任されたくらいだし」
それにクロム・カーサは、ロッカの恋人でもあった男だと、ケリュンは内心付け足した。うまくいけば王族に婿入りもできただろう男が、そんなことをするだろうか?
ピーナが首を傾げた。
「個人の思想なんて分からんからな。それにその、『反王族派の貴族の持ち物』という、ルダの前提が間違ってたかのかもしれない――もしくは、我々が間違っているのかもしれないが、それを今言ってたらキリがないな……」
「まあとにかく、そのクロム・カーサの使者が、俺の店にレンディーを頼んだのは事実だ。俺とテギンは確かにそれを、手形を持った使者に渡した」
「ふーん。その使者って、すごーく背が高くて、性別不明な声で、顔を隠してなかった?」
「顔は晒してたぞ。短い金髪で、男っぽい女みたいな顔をしていた。いや、女っぽい男か? 確かに性別は、よく分からなかったが」
「すっごくケリー・レネっぽいね。うんうん、これで繋がったじゃん!」
四人の視線を浴びながら、レナートは自信ありげにふふんと笑う。
「反王族派のクロムって貴族が元凶だね。お城を攻撃するために、フレイヤにドラゴンを召喚させたんだよ。貴族同士だもん、二人が知り合いでもおかしくないよね。フレイヤがなんでクロムの言うこと聞いたのは分かんないけど、彼女も反王族派だったのか、レンディーって薬を飲まされておかしくなってたのか、それ以外の理由があったのか……そのへんかな? でもそれが失敗して、自棄になったクロムは現実逃避にレンディーを飲んでおかしくなって、女王暗殺にも失敗。で、おしまい!」
誰もが想像する、一番分かりやすい結論である。
だが、
「……ドラゴンが出てきたタイミングや、国の動きなどを考えると、よりややこしい話ではありそうだが?」
「でも今のところ、これ以外に可能性の高い結論ってなくない? だって他は証拠もない、というか、ケリュンくんのせいでボクが何も探れなかった、というか……」
「それはお前が悪いだろ」
そもそも王女に見つかった時点で失敗だろうに。
ケリュンに睨まれ、レナートは咳払いした。
「ともかく、証拠がない以上、仮定の話になるでしょ。そんなのぜんぶ考えてったらキリがないじゃん」
「……別に、私はそれでも構わないわ」
静かに、だが力強い声でそう呟いたのは、フレイヤの復讐に燃えるテギンであった。テオドアも同意するように小さく頷く。
ケリュンは、ピーナとレナートと目を合わせたが、誰も何も言わなかった。かける言葉が、見つからなかった。
結局、その日はそこで解散となった。ケリュンはレナートを送る帰り道、なんとなく背後を気にしながら声を顰めた。
「なあ、あの夫婦には、あのことは話したのか? 俺達が、ドラゴンを倒すために――」
「話すわけないじゃん、そんなことー……って、言いたいとこだけど。実はこの前エミネルが来てさ。ボク達が並んでるの見て、なんとなーくバレちゃったっぽくて……。エミネルも誤魔化すの下手だし、その、全部話しちゃったんだよねー」
あの日、ケリュンとピーナはドラゴンと対峙し、レナートとエミネルはテオドアとテギンと対峙した――彼らが、フレイヤの元に辿り着かないように撹乱した。ドラゴンを倒すための行動だった。つまり、フレイヤに死んでもらうための行動だった。
直接フレイヤに手をかけたわけではないが、障害として立ちはだかったことに変わりはない。
「……で、なんて言ってた?」
「『別にいい』って」
「へ?」
「フレイヤをあんな目に遭わせた奴らに復讐するのが目的だから、ボク達のことは別にいいんだってさ」
「……それ、信じていいのか?」
言外に信じられないと伝えるケリュンに、レナートはあっけらかんと肩を竦める。
「信じといていいんじゃない? ボク達が有用ってことでしょ」
「簡単に言うなあ……。そんなんだと俺、ラズールさんに合わせる顔がないんですけど」
「ぱ、パパは関係ないでしょ!? ――ま、まあ、あの夫婦もボク達のこと、友達とか仲間、なんてお花畑に思ってるわけじゃないと思うけどね。ボクが城に侵入してくるって言ったときも、あの二人は全然止めなかったし」
まあ止められても困るけどね、とレナートは肩を竦めた。
つまりテギンとテオドアは、可哀想なフレイヤの為なら、多少のことは犠牲にしたっていい、と考えているらしい。……信頼し合うのは難しいが、その一点については、あの夫婦は確実に信用できるだろう。
なんとなくラズールと似ている、とケリュンは内心思った。
「あの二人のそういうとこ、パパっぽいよねー」
「おま、俺があえて言わなかったことを……」
「ふふーん」
「ピーナは、……止めるわけないか」
ピーナは面倒見が悪いわけではないが、いざ本気になるまでは放任主義なところがある。溜息を吐いたケリュンに、レナートはけらけら笑っていた。
翌日、ケリュンは手形について確認するため、休憩時間にルダを訪ねていた。
「あの手形か。まだ調査の途中だよ」
端的な回答だった。そうですか、と呟くケリュンに、ルダは苦笑を浮かべた。
「うちが預かった以上うちの物だ。今更欲しいと言われてもあげられないな」
「別に、欲しいなんて言っていませんよ。俺はただ、あれきり話を聞かないので、今どうしてるのかと思っただけです」
「……まあ心配するな。あんなことがあっただろ? 兵も大勢死んだし、イオアンナもいなくなった。騎士院はまだごたついてるんだ」
「人手なら、入隊希望者も多かったと思いますけど」
「そいつらの世話もまた手間でねえ。そもそも希望者を捌くだけでどれだけ時間がかかるか……まあ、出てった君は知らないと思うけどさ」
そう言って、ルダは笑顔のまま肩を竦めた。前と変わらぬ笑顔のはずなのに、それをまるで壁のように感じる。
――以前は、素っ気なかったのは単純に、所属先が変わったせいだと考えていたが、もし、他の理由があるのだとしたら……。
ケリュンはなんとなく頬を掻いた。クロム・カーサの名前を出すか、と一瞬思ったが、すぐに却下した。大した情報も得られてないのに、こちらがそれを知っているという情報を与えたくはない。
とにかく手形について、彼から聞き出すのは難しそうだと思った。
「……えーっと。そんなに忙しいなら、上同士で相談して人手を借りるとか、どうですか? 俺なら喜んで手伝いに来ますし――」
「いや、それは結構。そもそも、犯罪等の捜査は騎士院の管轄。そこまで、他所から口を出される謂れはない」
予想外に力強く言い切られ、ケリュンははあ、と曖昧に相槌を打った。どうやら他所からの口出しに、嫌な思い出があるらしい。
ルダは取り繕ったように表情を緩めた。
「……気持ちはありがたいが、うちには専門の知識も必要だし、貴族院や王族院がいると下も萎縮してしまう。断らさせてもらうよ」
確かに一理あるが、普通に考えると、女王暗殺事件が起こり、その犯人の手形があるにも関わらず、調査が進んでいないというのは――それほど重要な仕事さえ回っていないというのは、大問題に思えるのだが。
ただ、ここに来てから随分大人になったケリュンは、それについては突っ込まず、当たり障りのない挨拶をしてルダと別れた。
ルダに拘らずとも、ケリュンには他にも知り合いがいる。
「ゼファー、ひま?」
「暇に見える……?」
書類に埋もれた机から、ゼファーが暗い顔を上げた。ケリュンが傭兵だった頃、同じ班だった温和な男だ。
騎士院の事務担当者――イオアンナに率いられていた選抜隊の兵達の多くは、戦いだけでなく事務仕事も行っていた――が減ってしまったので、こうして学のあったゼファーがその席に(強制的に)着かされた。
元が傭兵なので、大変こき使われているらしい。今もこの部署に残っているのはゼファー一人だ。ひどい職場だと思うが、お陰で部外者のケリュンも顔を出しやすい。
「昼休みじゃないのか?」
「ないね。もうちょっとしたら休もうかな……はー、給料も大して上がってないし騎士院はクソ……」
「落ち着けって。今夜飲むか? 給料出たし」
「いいね、じゃあ仕事終わったら大通りのあの店で――って、違う違う。それより何の用?」
ケリュンはあまり詳しい事情は話さず、ルダに事件の証拠品として預けた、例の手形について尋ねた。
ゼファーの主な担当業務は、各地区から定期的に送られてくる事件・事故の報告書類や証拠品を受け取り、整理することである。その後は別の担当者に引き継ぐらしい。
どれだけ忙しくとも、緑の手形なんて、よっぽど目立つだろうと思ったのだが、ゼファーの反応は悪かった。
「うーん、僕がここに来る前のやつだろ? さすがに分からないな。一応、目録も確認するけど……」
「なあ、その目録って、そんな棚の上に放置しといていいヤツ?」
「いいんじゃない? えーっと、この日より前だから……ないね。ウチを通さず、直接の事件担当者に渡されたのかも」
「そういうことも多いのか?」
「案外適当だからね。事務仕事なんて知らねーって奴も多いし……事務職も雇われているけど少数で、おまけに上とか周りが適当だからねえ。真面目にやってられないよねえ……」
はは、とゼファーは空笑いをする。彼の死んだような目に、ケリュンは一瞬、晩飯くらい奢ろうかと思った。
それから、『魔物使い』が捕まっていた記録がないかゼファーに確認し、「知らない」という端的な回答を得たケリュンは帰ることにした。しかしちょうどドアのところで、昼休みから戻ってきたゼファーの同僚らと鉢合わせた。ケリュンは口早にぶつかりそうになったことを謝り、気まずさから足早にその場を去った。
残された同僚は、うろんな目で小柄なケリュンの背を見送った。
「……なんだ、英雄サマがこんな所に何の用だ?」
「昔の同僚です。帰りに大通りで飲む約束をして。ほら、南にある」
「へー。しかし近くで見ると、思ったより小さかったな。近衛だってのに」
「つーか、こんな所で暇つぶしかよ」
「仕事なんてねぇんだろ。どうせ英雄がお飾りの職を得ただけなんだから。訓練なんてしてんのかねぇ」
くだらない、嘲笑混じりの雑談だった。騎士院に属している自分達こそが戦いの専門家であるという自負があるため、他を見下すような態度を取る者もいる。分かってはいたが、あまり耳にしたいものではない。
とにかくゼファーはどれも聞かぬふりで、目の前の書類を黙々と処理するのだった。




