女王の褒美
「あなたの献身に報いたいと申し出たのを、覚えていますか?」
女王の予想外の発言に、ケリュンは「は、」と言葉を詰まらせた。
ケリュンはアレヤ女王から呼び出された――ここまでくるといい加減に慣れたものだ。彼が考えた理由は二つ。近衛としての仕事の件か、あるいはまた何か不穏な頼まれ事があるのか。後者か両方だろうなあと見当を付けておいたのだが。
「……褒美、ですか」
「ええ。私から贈れるものであれば、なんでも。富、名誉――もしくは休暇などの時間でもいいですし、あるいは人間、なんてものもあるかしら?」
「お戯れを」
ほほほと女王が笑う。その明るい笑みが収まってから、女王はふと目を細めた。窓から射す光で顔に陰影ができるせいだろうか、ケリュンにはそれが、なんとも形容しがたく映った。優しげなのに、不思議と暗く見えたのだ。
「――ケリュン。貴方には、大変感謝をしています。貴方は私の予想を遥かに上回る働きをしましたね」
「もったいないお言葉です」
ケリュンはレイウォード・レーンから習ったとおり、へりくだって頭を下げた。
今日は何故か、そのレイウォード・レーンも、誰もこの部屋にはいない。気配すらない。女王とケリュンの二人だけだ。彼はそれに緊張感を覚えていたが、女王はさすがに悠として普段通りであった。
「それから、申し訳ないとも思っているのよ」
「は、い……?」
「色んなことに、巻きこむことなってしまって。ええ、貴方には本当に、申し訳ないと思っているのですよ」
「いえ、俺は……。……全てはきっと、俺が望んだことです」
お気になさらずと言えば、女王は「そう」と囁くように零しただけであった。
なんの話だろう、とケリュンは何故かゾッとしたが、それも日の差す部屋にいれば徐々に収まっていった。
「……年を取ると、話が逸れてしまっていけませんね。さあケリュン、望みのものを言いなさい。なんだって構いません。貴方の献身全てに代わるかは分かりませんが――私に用意できるものであれば、なんだって整えましょう」
「その、俺は……」
人払いをされたかのような二人の空間で、さて余程重大な話かと構えていれば、まさかの褒美である。
確かに以前そのようなことを言われてはいたが、世辞の類かと考えていた。すでに勲章も授り、望みの近衛にもついた今、ケリュンにすぐさま思い浮かぶものはない。目的を達成した今、正直、金も名誉もあまり魅力には感じない。
しかし最後の、『人間』、というのは――。
「褒美と言われても、すぐには……その、申し訳ございません……」
口はそんなことをペラペラ話すが、頭は違う。
もちろんそういうことではない、と頭の冷えた部分では理解しているのだが、頭の馬鹿な部分が、ケリュンの心臓を跳ねさせている。その馬鹿な部分が暴走して、ぐるぐるとくだらない考えを巡らせている。
(お嬢さんを俺の嫁にしたいと――! いや、花嫁姿を是非……いやいや、お嬢さんに愛を伝える許可を……! ……違う違う)
どれも言えるはずがなかった。さすがに身の程は分かっている。そもそもケリュンはイレーヤに何とも想われていない。想われたとしても、彼女とケリュンが結ばれるはずがないのだ。
段々鬱々としてきたケリュンに、女王は何を思ったのか。慈愛の滲んだ、柔和な微笑を浮かべた。
「……そうね、大体分からなくもないわ。特別なものを考えておきますね」
母であり女王である人に、まさか「モノじゃないんです、女王陛下」なんて言えるはずもなかった。ケリュンは内申気まずく思いながら、懇切丁寧に礼を述べた。
「――ああところでケリュン、また頼みたいことがあるのだけれど」
「分かりました、なんでしょう」
「……私が言うのもなんですが、ずいぶんすんなりと受け容れますね。近衛らしい振る舞いを身に付けたということかしら?」
「いえ、恐れながら少し違いますね」
首をかしげる女王に、ケリュンは軽い笑みを浮かべる。
女王陛下と――王族と会話をしていて、もう肩が無駄に強ばることもない。目を合わせることにも躊躇がなくなった。
「さすがに慣れました」
女王は目を丸くして、ふと吹き出して声を上げて笑った。はじめて見る表情だった。クレアの、花のような笑顔とよく似ていた。
ケリュンが謹んで受けたのは、久方ぶりの配達の依頼である。宛先は首都アルクレシャ内で、住所に覚えもある。そう時間はかからないだろう。
白い便箋に、優美な緑の装飾――たった一通の手紙であるが、手にすると奇妙な感慨深さがあった。初めて城に来た時のことを思い出していた。モスル村から出て、陰鬱とした心地でこの城に辿り着いたときのことを。
あのときは小包だった。次は白い便箋で届いた手紙だった。
それから思えば、よくよくこんなところまで来たものだ。
去り際、思い出したようにケリュンは女王に尋ねた。
「そういえば、これからクレア様の元に伺うんですけど、何かお伝えすることなどございませんか?」
「なるほど、近衛の次は伝令と」
「あまりからかわないで下さい……」
参った顔をすれば、女王は上品に笑った。
「そうね、…………。ああ、それなら……、愛している、と二人に伝えてちょうだい」
「あの、それは――二人、といいますと?」
「隠さなくてもいいのよ。どうせイレーヤにも会うのでしょう」
「それはその。そうですが、もしお呼びがかかればの話で。しかし、あの、」
「あら、伝えてくれるのではなかったのかしら?」
「そ、そういった大切なことは、御自身でおっしゃるほうがよろしいかと!!」
動揺のあまり声を荒げたが、その後に続いたのは静寂だった。はっとして女王の顔を伺えば、唇に微笑を湛えた、いつもの王座にある顔だったが、その視線は儚げに遠かった。
「自分で、ね……」
「……あの、」
「伝えることって、難しいのよ。私には、とても難しいこと。……いえ、ただの弱音です」
弱々しい声音に、ケリュンは焦った。しかし一方で、その言葉にひどく納得もしていた。
ケリュンは女王のこの仕草に、何か裏の意図を隠してのことだろうか、とも思ってしまうのだ。昔なら純粋に焦り、慌て、それだけだったのだろうけど。
ああ確かに彼女の想いがまっすぐ伝わることはないに違いない。
「……陛下。出過ぎた真似かもしれませんが……私でよければ、お手伝いしますよ。その、王女様方と、お話しをするときにでも、呼んでいただけたら……貴方の意に沿うよう、お手伝いします。お役に立てるかは、分かりませんが……」
「…………ありがたいわ。いえ、本当に。貴方の言葉であれば、二人とも耳を貸すでしょうから。だけど、なぜ?」
「それは、俺はただ近衛として」
「ケリュン。私は、なぜ、貴方が、私にと、問うているのです。正直に答えなさい」
彼女の言葉は頬をひりっとさせる。
ケリュンは口ごもっていたが、やがて「折角の親子なのに、言葉が交わせるというのに、距離があるなんて悲しいじゃないですか」ということを小声で言った。
女王は「そう、」と静かな声でうなずいた。
「そうかもしれないわね」
ケリュンは己を恥じていた。あれはただの感傷だった。過去の自分を慰めるに近いようなことを、悩む主君の前でしてしまった。
自分は少し、親子関係に夢を見ているところがある、とケリュンは思う。両親が亡くなってから随分経つというのに――いや、だからこそか。
ラズールとレナートのときもそうだった。恐れ多くも、女王と王女についても同じであるらしい。生きているのだから、まだ言葉を交わせるのだから、仲良くやっていってほしいと、そんなことを考えてしまう。よその家のことなのに、鬱陶しいことだ。
人気のない城の影で反省していると、ロッカが現れた。レイウォードから逃げているとのことだった。
「やってらんないわよ。私なんかどうせ女王にはなれないのだから」
あっけらかんとした言葉。
慌てて「いやそんなことは、」と言い募るケリュンを無視して、ロッカは空色の髪をつまんでくるくると弄んでいる。
「……女王になるとしたら、クレアかな。クレアね。うん、イレーヤはありえないし? うん。……なーんて言っても、私には関係ないんだけど」
「ロッカ様も、王女様方と同じように大切にされてると伺いましたけど。教育も食事も、同じものだとか聞いたような……」
「それはそれ。だとしても私は部外者なの」
確かに、先程アレヤ女王が気にかけていたのはあくまでも、イレーヤとクレア、二人だけだ。ロッカの名前は当然のように出てこなかった。
変な顔をするケリュンに何を察したのか、ロッカは息を吐いた。
「まあそんなものよ。だって私は、前王の娘。あの人の娘ではないんだもの。どれだけ家族だと言われても、現実にそれは届かないの。向こうにも、私自身にもね。家族なんて言葉、あっさり受け容れられるわけないじゃない」
吐き捨てるような言葉が清々とするように響いたのは、ケリュンの心持ちのせいか。
ぽかんと突っ立つ彼に、ロッカはきつく腕組みをした。
「なに、その顔」
「…………俺も、なんとなく分かるんです。その、ロッカ様の仰ったことが。……すみません。その、立場も全然違うのに」
「いいのよ。言ったでしょ、友達だって」
確かに言われたことはあったが、と声もなく驚くケリュンに、ロッカは笑う。
「どう思ったかは知らないけど、あの言葉、別に冗談のつもりじゃないからね。親のいない者同士じゃない」
「だから説明しなさいよ」とせっつかれ、ケリュンはできるだけ冷静に、己の内心を吐露することとなった。
「――両親が病で亡くなったあと、俺は故郷の村で、皆に助けられて暮らすようになりました。彼らは、いい人でしたから。だから俺は、幼馴染の家や、村の人達に、家族同然にかわいがってもらいましたよ。それこそ家族、同然に……。でも、違うんだよなぁ」
――こんなに親切なのに、そう思う俺は無礼だろうか。彼らは本当の家族のように思ってほしいと言うのに、その願いを叶えられない俺は狭量なのだろうか。血という形でしか家族とみなせない俺は、碌でもないのではないだろうか。
飲み込めない複雑な思いであった。
しかしそれでも、彼らは確かに、家族ではなかった。彼らはケリュンを助けた……助けただけだ。ケリュンは結局のところ、一人で己の生活を紡いできた。『家族同然にかわいがってもらった』が、それだけだ。養われはしなかった。
当然だ、人手不足の田舎の生活には、ケリュン一人抱え込めるほどの余裕もなかった。そもそも、村から骨の芯まで浸かるほどの援助を受けていたら、ケリュンはきっと、あそこから出ることは出来なかっただろう。
心から感謝はしている。優しい、親切な村だ。手元に何もなくなった今でも、ケリュンの大切な故郷だ。しかし、決して、家族そのものではないのである。
「――なんて、長くてつまらない話でしたね」
「そんなことないわ」
ロッカは静かに頭を振った。
「そんなこと、ない」
ロッカと別れたあと、ケリュンはぼんやり彼女のことを考える。
「……こんな話は、さすがにイオにも出来なかったからね。ありがと、少し気が晴れたわ」
別れ際のロッカの言葉である。
彼女が自分を友達と呼び、言葉を交わそうとするのは、もしかしてこの過去のことについて話し合う相手が欲しいからではないか、と。なんとなく物寂しい心地で考えた。彼女の立場では、このような話題について心許せる相手を見つけるのも、難しいに違いない。
明るく愛想の良い彼女が、時たまイメージと異なる一面を覗かせるのも、もしかしたらこの過去の闇が関係しているのではないか。
(そこまでは考え過ぎかな)
ケリュンは息を吐いて、城を後にした。そういえば、この麗しき白亜の建造物にも、無駄に圧倒されることもなくなったな、なんて思いながら。




