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マルテ王国史  作者: ばち公
四章:近衛時代前編
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 テオドアとテギンの夫婦は未だフレドラには戻らず、アルクレシャの影で活動を続けていた。

 彼らが求めるのは唯一つ。かつての教え子である少女、美しいフレイヤの仇――つまり、彼女をあの召喚陣まで導いた人でなしを、暗闇から探し出すことである。


 もちろん簡単に分かるはずもない。敵は抜け目のない奴らしい。儚いフレイヤの死体は、二人が昼夜問わず見張っていたにも関わらず、いつの間にか回収されてしまっていた。

 呆然とするテオドアとテギンをよそに、その後すぐ、何者かの通報があったらしい。召喚陣の書かれた空間には、ひっきりなしに調査の手が入るようになった。

 テオドアもテギンもその場には近寄れなくなってしまったし、変に目を付けられる前にそこから離れるしかなくなった。


 落ち着いた彼らが使ったのは、商人らしい手段である。人が動けば、物も動く。フレイヤの動きに近しい物の動きがあれば、その流れを辿ればよい。

 以前、テオドアから『とある簡単には仕入れられない商品』を買った貴族がいた。その裏にいたのが、フレイヤである。一介の商人に面識もない貴族が依頼するなんておかしいと思い、テオドアが調査したところ、どうやらフレイヤが関わっていることが分かったのだ。

 恐らく、フレイヤがテオドアとテギンを推薦したのだろう。――彼女の行いは正しい。裏にフレイヤがいると分かれば、テオドアとテギンは貴族が何かおかしなことをしでかすと分かっても、通報することなんて出来ないためだ。

 まず、明らかにタイミングが良く怪しいそれを探ることにした。


 しかしその追跡は、途中で躓いてしまった。

 マルテ王国の名産品であり、国家機密の塊のような場所でもある、ガラス工房の辺りで引っかかった。この辺りには、管理に関わる貴族もいれば、護衛とは名ばかりのゴロツキまで混ざっている。普通であれば、あまり手を伸ばしたくない場所である。

 国が相手なのかと、テオドアとテギンのは暗澹たる気持ちでいた。


 しかし判明したのは、関与していたのは国ではなく、この周辺で雇われていたならず者だということだ。なるほど、足が付き辛いうえに、誰も関わりたがらないような奴を選んだのだろう。

 さらに金とコネを費やしたところ、具体的なところも分かっていた。暗殺者集団の一員が、直接的に関与したと分かった。


「で、そいつの名前は?」

「ケリー・レネ。だが、どうやら死んでいるらしい」

「くそっ!!」


 テオドアは吐き捨てた。




 さてここまできて完全に情報が止まってしまった。ケリー・レネはその生業に相応しく、周りに事情を知る者もいない。

 テオドアとテギンは揃ってぼんやりと自室の壁や床なんかを眺めていた。完全に何をすることもなく、だらだらと時間を潰すのは久し振りであった。ぬるい空気のなか、どちらともなく溜息が零れた。


「……神頼みでもするか?」

「なんだか、よその国の人みたいね」


 くすくすと笑い合う夫婦は、ふと互いに目を合わせて、動きを止めた。彼らの脳裏に同時に浮かんだのは、小さく幼く可愛らしく、そして偉大な友人だった。


「「ピーナ?」」


 マルテ王国屈指の占い師、『神の耳目』とまで称された少女、アグリッピッピーナである。少し調べたところ、まだアルクレシャに滞在しているらしい。フレドラに帰らないなんて何かあったのか、と疑問は残るが、渡りに船である。

 二人は息抜きも兼ねて、ピーナの家へと向かった。




「ふむふむ。それでそれで?」

「それでその面識もない貴族から、『レンディー』ってヤバい薬を注文されたんだ。……いいか、お前もアレには気を付けろよ! あれは精神を壊す毒みたいなもんだからな。……で、知らない貴族からのヤバい注文だろ? おかしいなと調べてみれば、裏にアイツが――フレイヤがいることが分かった。だから俺達はそのおかしな貴族の通報もせずに、せっせとそのレンディーを調達したってわけだ」

「お陰でおかしな人達に追われたんだけどね」


 テギンが疲れた顔で笑うと、ピーナは無言のままクッキーを頬張った。安物の、恐らくその辺りで買える、甘さの無いクッキーである。名声を欲しいままにする彼女にしては、自分で買ったにしても、客から貰ったにしても、珍しい品だった。


「で、そのレンディーの動きを追って、それからどうした?」


 妙に積極的な質問だ。これもまた、ピーナにしては珍しい。テオドアは眉の辺りを掻いた。

 正確にはレンディーの動きというより、それが動くに伴う物の流れなのだが面倒なので訂正はしない。


「途中から追えなくなった。ヤバい奴にぶち当たってね」

「それで、これからどうしたらいいかを、貴女に尋ねようと思ってきたの。……ごめんなさい。あなたを、変なことに巻き込むつもりはないんだけど」

「気にすることはない。で、そいつの名前は? ――心配するな。それくらい知ったところで私は巻き込まれないし、巻き込まれても動じない」


 夫婦は顔を合わせた。


「…………ケリー・レネって奴だ」


「ケリー・レネ!?」


 跳ねるような少女の声だった。テオドアとテギンがぎょっとした目を向けた先、ピーナの家の奥から現れたのは、ショートヘアーの少女である。瑠璃色の大きな目を物怖じせず輝かせ、どこか険しい顔で腕組みをしている。


「……今オジサン達、ケリー・レネって言ったよね?」

「ピーナ、その子は……」


 テオドアの言葉に、ピーナは口元を歪めて吐き捨てた。


「このクソマズクッキーを買ってきた奴だ」

「はー? リクエスト聞いたら、腹にたまるものって言ったじゃん」

「安くて腹にたまるとは言ってない」

「そりゃ安いものって決めたのはボクだからね!」


 気の置けないやり取り。つまり友達だろうかとテオドアとテギンは首を傾げたが、そんなことを言ったらピーナに怒られる気がしたので、どちらも口にはしなかった。

 しかしいつも独り、悠々と構えていた彼女にこのような存在ができたことが、嬉しくないはずもなく。


「……二人とも、なにを笑ってるんだ?」

「い、いえなにも……」

「気にすんなって」

「?」

「そんなことよりさ。ボク達色々と、話すべきことがあると思うんだよね。よかったら奥でお茶でも飲んでゆっくりしない? クッキーでも食べてさ」


 にこっと笑って、少女は部屋の奥のドアを開ける。「珍しくいい案だ」と椅子をぴょんと下り、すたすたとそちらに歩いていくピーナの背を見て、テオドアとテギンは顔を見合わせた。なんとも奇妙な心地だった。




 夜会(実際の名目は『晩餐会』らしいが、席に着いて熱心に食事を摂る雰囲気でもなく、ケリュンは大変困惑した)当日、ケリュンは参加者全員からの注目を浴びた。誇張ではなく、等しく全員の、である。王族から下仕えまで、全ての視線がケリュンの挙動に集まる。

 ケリュンはあくまでも、護衛に徹することにした。口を利かず佇むだけの存在となって、淡々とやり過ごすことに決めた。

 アレヤ女王に何か言われるかなと思ったが、彼女は人々から物言いたげな視線を向けられても、ケリュンについてなにも口を挟まなかった。

 つまりケリュンの行動は彼女に許されている、ということだ。お陰で皆、ちらちらと好奇の目こそ向けてくるが、堂々と話しかけてはこなかった。


 唯一声をかけてきたのはアレンだけだった。

 普段の彼とは全てが異なっていた。直前まで面倒くさい、行きたくない、ここで働きたくないとぼやいていたのが嘘のように、落ち着いた笑顔で人々に接している。なんと形容したらよいのか、とにかく輝くように鮮やかで、なのに上品で落ち着いている。ケリュンには到底真似できないような笑顔と所作である。

 彼は人波の合間に、ケリュンの視線に気づき一言。


「これ俺の仕事!!」


 そしてまた、誰かの声に微笑みとともに応え始めた。

(さすが城持ち)

 ケリュンは訳知り顔で思う。なるほど、これが貴族の仕事。

 そしてなんとなく、女王の側にいるレイウォード・レーンを見た。表情筋が死滅したかのような真顔に、なんだか安心した。


「……ケリュン」


 ざわめく室内では儚いほどか細い声であったが、まさかケリュンが彼女の言葉を聞き逃すはずがない。


「はい、イレーヤ様」

「私は、上へ」


 ケリュンは「仰せのままに」とへりくだって応える。この些細なやり取りでも、まるで天に昇るような心地である。自分がこの場に、というより彼女に仕えていることが信じられない。途切れぬ波のような人々の声のなか、夢の中にいるのではと浮かれるように思うほどだ。


 さすがのイレーヤも、この災害後の復興を願うこの夜会には顔を出した。彼女はケリュンをまるで壁にするみたいに人目を避け、数人の恐らく近しいのだろう貴族といくらか会話をしたが。クレアのように人々の輪に入ることはなく、この会場で唯一静寂を保っていた。

 イレーヤが懸命に飲物で時間を潰しているのはケリュンにも分かったが、まさかそれだけで数時間に及ぶ夜会をやり過ごせるわけもなく。結局場の空気に耐えかねたのか、そそくさと二階へ上がってしまった。


 二階は暗く、静かだった。会場ではないため、客も此処には上がってこられない。

 イレーヤは小さなグラスを手にしていた。彼女に頼まれるがままケリュンが受け取り、手渡したものだ。彼女はそれをくいと呷って、息を吐いた。


「イレーヤ様、もうよろしいのですか?」


 ケリュンが問いかけた瞬間、下からどっと笑い声が響く。見れば小さな輪があり、中心にはクレアがいる。皆彼女の言葉に耳を傾け、その一挙一動に滑稽なほどの反応をみせている。まるで吟遊詩人ジョアヒムとその客人のようだ。

 その光景をイレーヤも見ていた。彼女はケリュンの視線に気付くと、曖昧に微笑んだ。


「クレアは大丈夫かしら。あの子は純粋で、世間知らずなところがあるから……」

「あの方は酷く聡明でいらっしゃいますから、大丈夫でしょう。味方も多いようですし」

「私と違って」

「そんな、」

「いいの。……私、嫌なことを言われたくなくて。私が会話をした後、そこから離れてしまえば、残された人たちはきっと私の悪口を言うわ。だけど、彼らにずっと引っ付いていろと言うのも、不可能でしょう?」


 私自身も耐えられないわ。耐えられない。

 酔っているらしいイレーヤはふるふると首を振っている。

 悪口、というより、陰口だろうか。目立つクレアとイレーヤを比較するような言葉を、ケリュンは幾度も耳にしている。傭兵の頃は周囲の市民から、そして今は貴族から。今のほうが、その言葉は具体的で嫌味だ。


「何も求めないから、何も起こってほしくないの」

「何も?」

「ええ。……できるだけ、穏やかに生きていたいのよ。だって、」


 イレーヤは熱っぽい溜息を吐く。それが空ろなものに思えたのは、ケリュン自身に原因があるのだろうか。それとも、


「だって、人の生なんて儚いものでしょう……?」


 振り返り様イレーヤの体が傾いたので、ケリュンは咄嗟に彼女を抱き留めた。といっても肩を支えただけである。その華奢な肩は、まるで氷のように冷たかった。

 そう、突然のことであったため、ケリュンは素手で彼女の剥き出しにされた肩に触れてしまったのである。飲み物をイレーヤに渡す際、手袋を取ってしまっていたのだ。

 ケリュンは自分の不躾さに思わず突っ伏してしまいたい気持ちに駆られたが、さすがにこの状態のイレーヤを前にそんなことができるはずもない。

 ケリュンは勤めて冷静を装って微笑んで、イレーヤから距離を取った。そして彼女のあまりに冷え切った体に、浮かび上がってきた、まるで死人のようだという感想も、笑顔の下に押し込めた。


「イレーヤ様、お体に障ります。一度、お部屋へ戻りましょう。誰ぞ呼びますね」

「はい」


 子どもみたいにこくんと頷く、その仕草すら不安定に思える。

 イレーヤの倒れそうなほどの細さに、ケリュンはなんとなく、以前彼女から聞いた、王族にのみ伝わる昔話のことを思い出した。

――アルクレシャのしたには、闇の神さまがねむっておられます。

――今も神さまがねむっておられます。

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