表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マルテ王国史  作者: ばち公
三章:傭兵時代後編
80/102

君主アレヤとアグリッピッピーナ

 アレヤは部屋で侍女に足を洗わせていた。背もたれに身を預けて目を閉じ、まるで眠っているかのようだ。しかし寝顔に安らかさはなく、差し込む朝日に照らされる顔は、どこか修行僧を思わせる静けさに満たされていた。

 ふとアレヤは億劫そうに瞼を開ける。国民からどれほど神の如く慕われようと、結局はただの老いつつある人間だ。所作の節々からそれがにじみ出る。

 侍女を下がらせ、独りになった空間で息を吐く。それに答える声がある。


「私が来たぞ、アレヤ。ああ、珍しく独りきりか」

「いつも独りよ。いらっしゃい、小さなアグリッピッピーナ」


 当然のように『霧の道』を利用して現れるのは、呼ばれてもいない小さな客だ。アレヤは元々それを察していたので、特に驚くことなくそれを受け入れる。


「ケリュンがドラゴンを殺したよ」

「知っているわ。ふふ、どうしたの、いきなり」

「そして女王の暗殺も防いでみせた」

「……」

「勲章を二つも授けて、これからあいつをどうするつもりだ?」


 珍しいことを聞くのね。分かっているくせに。そんなに彼が気に入ってるの?

 昔、まだ無邪気な若さのあった頃であったら、そんなことを笑いながら尋ねていたことだろう。しかし今はもうその光景が遠い。


「ねえ、アグリ。ケリュンは優秀ね。私の予想を遥かに超えた働きをする。――私は当たりを選んだのかしら」

「いい駒を、見つけたと思うよ」

「あら。この前は、たいした奴じゃない、なんて言ってたくせに」

「撤回する。私が間違っていたよ」

「まあ。珍しく私の勝ちね?」


 ピーナの項垂れるような声に、アレヤは綺麗に微笑んでみせた。目じりの皺が柔らかく寄って、花でも愛でているかのように優しげであった。

 ピーナは、まるでそれが微笑ましいものであるかのように金色の目を細める。


「――アレヤ、君が昔、私に申し出たことを覚えているかい?」

「『私が悪辣無比の女王になったら止めてくれ』って?」

「ああ。そして私はそれを断った」


 ピーナの言葉に、アレヤは、普段は決して表に出さない、くたびれた笑みを浮かべた。


「私は悲しかった。しかし今はそれを感謝している。――あのときの私は空想ばかりしていた。理想は叶うと、若さ故に無根拠に信じていた。実際の私は取るに足らない人間で、世の名望たる王になんて、とてもではないが肩を並べられない。大したことのない、できない、ただのアレヤに過ぎない」


 かつて数多の歴史を振り返りながら、若いアレヤは夢を見ていた。誉れ高き君主になる夢を見ていた。全ての問題を解決できると思っていた。

 はたしてそれが現実になったとき、全ての夢が朽ちていった。アレヤの手元には君主という現実だけが残った。鏡に映るのは、冠を被った、平凡な人間――だとしても、それをそうだと人々に思わせないのが、アレヤの成すべきことであった。


「……ただのアレヤであっても、出来ることは行わなければならない。大したことが出来なくとも、小さなものを積み上げて見せねばならない。私はただの王族もなければ、ただのアレヤでもない。私はこの国の君主、女王アレヤ。例え人の道を外れようとも、私には、行わなければならないものがあるのよ」


 その揺るぎない声音に、口を挟める者はいない。

 そして女王アレヤは、慈しむように目を細めた。


「アグリッピッピーナ。誰でもない貴女には分からないわ。私の強さ、私の弱さ。貴女には決して、決して分からないわ」

「……可愛いアレヤ。私のことなんて何も知らないくせに、知った口をきくね」

「知らないものでも、『分からないから言及しない』なんて私に許されるものではないわ。底知れなくとも、私は私の目で見極めるのよ」


 彼女の言葉は断言的で、その張り詰めた横顔は、まるで自分を奮い立たせているかのようであった。


「ええ。誰になんと言われようと、ケリュンは近衛にするわ。これが私の見つけたもの、私の判断。これなら決して誰も辱めないわ。名誉なことですもの」


 アレヤが見つけた、増長してきた騎士院の力を、できるだけ誰も傷付けぬよう削ぐ方法がこれだった。

 何も問題はない。ケリュンの腕について、もはや文句をつける者はいない。身分が気になるとの言葉はあるかもしれないが、彼が得た二つの勲章と、吟遊詩人の広めた名声の前には無意味だろう。――まさか騎士院まで彼に勲章を授けるとは予想外であったが、結果としていい追い風になってくれた。


「それにほら、王族は命を狙われてしまったもの。だから強い方に守ってもらわないといけないでしょう」

「ケリュンに?」

「ええ」

「イレーヤを?」


 確信めいた問いかけに、アレヤは優雅に微笑む。いつもと同じ朗らかな声。


「それのなにがいけなくて? 誰も不満になんて思うはずがないわ。ケリュンは飛び上がって喜ぶでしょうし、イレーヤがまさか文句を言うはずもない」

うまく(・・・)引き合わせた(・・・・・・)結果(・・)だな」

「あら、私は別に、恋までさせるつもりはなかったのよ。結果としてそうなったけれど、それは、ケリュン自身の意思に基づいてのことです。私たちが口を出すことではない。そうでしょう?」


 ケリュンをクレアに会わせた。ロッカに、そしてイレーヤに、歳の近い順に会わせた。

 下心を持たせる意図があった。否定はしない。

――田舎の健康な若者を、富も権力も持つ美しい姫君達に引き合わせる。

 寧ろそれ以外に、どのような意図があるだろう。

 野心でも恋でもなんでよい、少しでも王族に好意的になり、積極的な働きを煽れたら、と思った。結果としてケリュンは、最高に近い結果を出してくれた。恐らく彼はイレーヤに懸想をしている。

――しかし相手がイレーヤというのは、予想外であった。どんな運命の悪戯だろう。イレーヤ自身のことを考えると、母親としては喜ばしくも、複雑でもあった。

 娘に幸せになってほしいと願う思いはさすがに嘘ではない、アレヤはそこまで器用な人間ではない――そこまでの人間であったならば、そもそも自身の器について考えを巡らせることもなかっただろう。

 しかし不器用な人間でもなかったため、気付けば心を二つ抱えていた。女王としてのアレヤと、母親としてのアレヤだ。どちらも等しく、同じ肉体に存在している。

 だから、娘たちを使うような手段だって取れる。


「だってこれが一番手早い手段だったのよ、誰だってこうするし私だってそうしたわ。……確かにケリュンには悪いことをしてしまったと思っているわ。だけど結果として、私は『牡鹿』を――ケリュンという人材を確保できた。彼は近衛になり、地位も名誉も手に入れたうえにイレーヤの傍にもいられる。誰にとっても悪いところがない、素晴らしい手じゃない」

「……ああ。いい手段だと思うよ」


 ピーナは結局、そう言っただけだった。平坦な声で、こくりと一つ頷いただけだった。

 彼女からの説教に身構えていたアレヤは呆気に取られてから、少し悲しくなって笑った。


「ええ、そうでしょう」

「私はアレヤのそういう、賢くて、いつも一生懸命に頑張っているところを評価しているんだ」

「ありがとうございます、アグリ。分かってもらえて嬉しいわ」


 アレヤが少し明るい顔をしてみせれば、ピーナはまるで全てが済んだかのような雰囲気を醸し出す。

 彼女にとっては、この程度なのだ。アレヤの、女王の存在なんてものは、この程度のもの。人の心をどれほど荒らそうとも、自分が飽きれば距離を取って終わらせてしまう。


 時たま、そういう人間がいる。女王であれ王族であれ関係なく、己の価値観の中にいれてくれないような人。

 そしてそういう人間にこそアレヤは好かれたいというのに、結局彼らは女王のことなんて置いて何処かへと行ってしまう。


 (……いつだってそうだった)


 昔、若いころはそれが耐え難い悲しみに思われた。

 しかし今は違う。アレヤは納得している。まず君主という冠を除けば、自分にはそのような人間に好かれるほどの価値がない。また、策を弄し手を回し、このような所業を繰り返す自分にはきっと、相応しい結末というものがある。それらの離別は、その途上に過ぎないのだ。

 気付けばアグリッピッピーナは、部屋からいなくなっていた。

 アレヤは静かに目を閉じた。独り息を吐いても、今度は答えてくれる者はどこにもいなかった。

わりと諸悪の根源的なところある

次章の準備をするので少々お待ちください

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ