ロッカと女王の真似事
「けーりゅーんっ! 聞いたわよ? 勲章を二つも授与されるんですってね」
明るい水色の髪を揺らしながら、ぴょこっと顔を出したのはロッカだった。その表情は明るく、おどけた仕草も相まって非常に健やかに見えた。
以前のあの雰囲気を払拭するほどに。
ケリュンは幾らか、彼女に対し思うところもあったが、それでも努めて明るく接することにした。
「そうなんですよ、今からもう緊張して手が震えて……。失礼でもあってはいけないと思うと、体も動かないというか」
「大袈裟ねー。でもしかたないか。あんたが主役みたいなものだもんね」
「いや、それこそ大袈裟な気が……」
「何言ってんの! あんただけよ? 謁見の間に移動するのは」
「言わないで下さい……」
途端に顔を青褪めさせるケリュンに、ロッカは悪戯っぽくにまっとした。獲物を前にした猫のように。
「ふふ。伝達式のあと、ケリュンだ・け・が! 謁見の間に移動するんでしょ? そこで女王から直・接! 勲章が手渡されるのよねー」
「あああああ」
ケリュンは頭を抱えた。
貴族の青年による、アレヤ女王に対する暗殺を未然に防いだケリュン。先日ドラゴンにトドメを刺した功績と併せて、勲章が授与されることとなった。当のケリュンがひっくり返りそうになるほど、あまりにも突然の決定であった。
曰く、「近々開かれる予定であった、勲章の伝達式に間に合わせるため」とのことらしい。別にそこまで急く必要はないとケリュンは思ったし、議会では反対にも近い戸惑いの声や、それ以外にも今まで式典の準備を進めていた官吏からの意見もあったそうだが、それも女王の一声で黙ったらしい。
「国と私の命の価値について意見があると?」
ロッカは「今更緊張することもないじゃない」とからから笑う。
違う。違うのだ。公の場で(普段が私的な場というわけではないが)、女王と対面する勇気がケリュンには無い。ある意味ドラゴンよりも畏怖するような存在である。一介の庶民、しかも細々と生きてきた孤児に過ぎないケリュンには、その事実はあまりにも重い。重たすぎる。
重圧に押し潰されるように項垂れるケリュンの情けない姿を、ロッカはじっと見つめていたが、やがて思いついたように声を上げた。
「ねえ、じゃあ練習しない?」
「練習……?」
うぅ、と呻き声を上げるケリュンに、ロッカは「そう!」と胸を張る。
「予行練習よ。散々やったでしょうけど、まだ王族相手にはやってないでしょ? あたしがやってあげるわ。マルテ王国の女王を。女王ロッカを」
ケリュンは目を見張った。ありがたい申し出かもしれないが、さすがに気軽にお願いしますと頼めるようなことでもなかった。
これはまるで人間に神の真似をさせるようなものだ。いや、複雑なところである。ロッカも王族なのだから気にしなくても良いのかもしれない。が、しかし――。
「ダメ? あたしが王女じゃないから?」
ケリュンの心を読むかのように、ロッカはあどけない仕草で彼の瞳を覗きこんだ。アレヤ女王と同じ、明るく美しいエメラルドグリーンの瞳にケリュンはつい息を飲む。
「いえ、まさか!」
「あは。じゃあいいわね、決まり! ――貴方が今後命を張って護るべき、王族様の命令よ。ね?」
相手を惹き込むように目を細めてロッカが笑う。
やがて肩から力を抜いたケリュンが、やたら格式張って「仰せに従います」と礼をしてみせると、ロッカは楽しげに声を上げて笑った。
「オホン。それではただ今より、マルテ王国伝達式を――」
「え、そこもロッカ様が喋るんですか」
「なによ、悪い? 人がいないんだからしょうがないじゃない。なんなら今からレイウォードでも呼ぶ? あいつならこの辺の教養も抑えてるはずだから」
「いやそれは大丈夫です」
「当たり前でしょ。私も嫌よ」
ロッカはさらっとそんなことを言って、しかし手にしていたやたら長い木の枝――女王が使用する、儀礼用の剣の代わりである――を、そのまま地面に突き刺した。そして暫く考え込むと肩を竦めた。
「……でもまあ、ケリュンの言う通りね。わざわざ最初からする必要もないわ。長ったらしいアホらしい。じゃ、跪いて。女王を待つところからね」
言われるがまま、軽装に緑のマントを羽織っただけの格好で、ケリュンは中庭に跪いた。本番は儀礼用の銀鎧を着込むとのことなので、こうも簡単に同じ体勢に付けるとは思えないけれど。ケリュンは俯きながらそんなことを考える。
しかしこんな仕草一つで恭順の意を示すのだから不思議だ。実際、たったのこれだけで、忠誠心なるものが増すような気にさせられる。
「――そして我ら王族の下に眠る闇を打ち払うのです。聖マルテの威光を示し、永久に続く富と繁栄を――って、聞いてる?」
「聞いてますよ……」
「そ。ねえこれって変な言葉よね。下に眠る闇って、地面しかないってのに。それともあれかしら? 身内に潜む闇ってことかしら。陰謀とか。ね、どう思う?」
「ウーン」
とケリュンが曖昧に微笑むのが気に入らないみたいで、ロッカは「えいえいっ」と手にしていた枝の先でケリュンを小突いた。
「いててっ」
「今のは不敬ね。ちゃんと女王の望む言葉を返さないと」
「練習、というか真似事にしてはちょっと本格的過ぎません?」
「……そうね。そうだったわね」
と言いながら、ロッカはつるつるとした靴の爪先を地面に遊ばせていた。つまらなさそうに、タイルの溝を縫うように。
ケリュンは再度、彼女の足元に跪く。そして彼女の望む言葉を返してみせる。
「もう一度お願いします。女王陛下」
「――言うのが遅いわ。でも許してあげる。私は寛大な女王だからね」
ロッカはまた初めから女王の役目をこなす。
火と水と土と風、闇と光、我らが聖マルテ、そして王族への祈りの文句。正しさを体現したかのような、整然とした言葉の羅列。
ロッカはその全てを一言たりとも違うことなく暗唱してみせ、ケリュンは頭を垂れたまま黙してそれを受け容れる。
人気の無い、しんとした明るい日向で行われる仰々しい儀式だ。どこかままごと染みた雰囲気は拭えないが、それでも伝統ある儀式の独特の厳かさが、ロッカの所作の端々からにじみ出ていた。
最後はケリュンが女王から剣を受け取ることとなっている。ケリュンはそこでようやっと顔を上げ、両手に女王からの栄誉を頂くのである――。
と、ケリュンが剣代わりの枝を手にしかけた直前、ふと女王役であるロッカの動きが止まった。戸惑ったケリュンが視線を上げると同時に、彼女の口が開かれた。
「ねえケリュン、ケリュンはどんな王族に仕えたいと思ってるの?」
どんな王族とは、一体どのような意図で発された言葉だったのか。そう思うより以前に、ケリュンの脳裏には一人の女性の姿が浮かび上がっていた。
第一王女イレーヤ。憧れの人、王族の女性。美しい人。
――なんて、さすがにそれをポンと口に出せるような立場にはない。ケリュンは咄嗟に取り繕おうとした。しかし、
「……なんでもない」
ロッカの行動の方が早かった。彼女は静かな調子でそれだけを口にすると、ケリュンに剣代わりの枝を手渡した。
ケリュンは順序通り、枝を掲げながら深く頭を下げた。ロッカの靴の先、鮮やかな空色が見えた。
するとその爪先がくるりと翻り、続いて軽い足音が去っていく。
ケリュンは慌てて顔を上げた。するとロッカは振り返り様ににこっとした。爽やかな水色の髪がさらりと流れた。
「じゃあね、ケリュン」
あまりにも唐突だった。気を損ねたかと思ったが、ロッカの声は平時どおり明るい。その調子のまま彼女は続ける。
「――ねぇ。私達、友達よね?」
「えっ? あ、あの、」
予想外の発言だった。肯定するには混乱していたし、否定するには気が退けた。ただ戸惑ったまま何も返せなかった。
しかしロッカは、そんなケリュンが落ち着くのを待とうとはしなかった。
「あとは任せたわ」
「なにを、」
そして何も聞かないまま、ロッカは颯爽と駆けていった。
彼女のすらりとした背中が見えなくなって、
「――ロッカ様を見なかったか?」
家庭教師から逃げ出していたらしい彼女を捜しにきた、レイウォード・レーンが現れたのは、そのすぐ後のことだった。




