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マルテ王国史  作者: ばち公
三章:傭兵時代後編
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女王暗殺未遂事件

 マルテ王国では魔の討伐に、多大な意味が含まれている。


 マルテ王国のあるこの大地は、海と『魔女の森』(他国からは『魔の森』と呼称される)に囲まれた陸の孤島である。

 遙か昔、この地は人間が足を踏み入れることのできる土地ではなかった。大地は燃え、川や竜巻は生き物のごとく暴れ狂い、岩山は留まることを知らず、吹き上げる猛毒はあらゆる命を刈った。

 ありとあらゆる魔の生きる、呪われた土地であった。

 そこに天から降り立ったのが、神の子たる『聖マルテ』である。彼の御力と供たる四匹の『神獣』──駿たる白馬、魔力の牡鹿、力の青蜥蜴、智の小鳥──によってこの地は浄化され清められた。

 その後多くの人が魔女の森を超え、そこに移り住むこととなった。彼らとその土地を治めるのは、神の子聖マルテの子孫たる王族である。現在は第四代目君主アレヤ女王のもと、国民はその輝かしい栄光を享受している。

 つまり『マルテ王国史』は、聖マルテが魔と呪いを打ち払ったところかから始まった。

 ケリュンがドラゴンを倒したこと、それは単にそれだけの意味では留まらない。


――と、その程度のことくらい、ケリュン本人も一応は理解している。

 今日、アレヤ女王から非公式に呼び出されたのも、もしかしたら賛辞の言葉をちょっとでもいただけるのでは……なんて期待よりも、正直不安の方が大きい。自分は一体何を言われるのだろう。


 辿ってきた『霧の道』を振り返る。どこから湧いているのか、白霧でもやがかって何も見通せない。自分がどこまで来てしまったのか、それすらも分からない。

 ケリュンはほんの少し足を止め。この道を初めて使った時のことを考えた。それからまた、前を向いて歩き出した。



 珍しくまっすぐ女王のいるだろう部屋へと辿り着いたケリュンだが、ふとその部屋の静かなことに驚いた。灯りは消え、人気はない。暖炉から出て、レイウォード・レーンの迎えを暫し待ったがその様子もない。

 ケリュンは火掻き棒を手に取って、特に意味も無く弄んだ。思いの外しっかりして、よく手に馴染む。何故こんな物があるのだろう、と考える。

 この暖炉、使用されていないだけかと思いきや、どうやら形だけの偽物らしい。実際に水がたゆたっていた井戸とは違い、『霧の道』のためだけの存在のようだ。

 火掻き棒もその偽装のための、ただの小細工だろうか。

 それとも。

 やかましく廊下を駆けてくる足音に、ケリュンは半歩引いて身構える。


「女王!!」


 蹴破られるようにして開かれたドアから飛び込んでくるのは悲鳴じみた声と、一人の痩身の男だ。身なりの良さに反して物騒にも、片手剣が握られている。眼球は血走り、口角からはくすんだ泡。とてもまともな精神状態にあるとは思えない。

 が、どこかで見かけたことのある、ような。


「とめろ!!」


 彼を追うようにして聞こえてきたレイウォードの声に、はっと我に返り、火掻き棒を握り直す。

――こういう時のための物だろうか。


「誰だよ、お前!? 女王は、女王は……!」


 ケリュンは瞠目する貴族の男に、火掻き棒を振りかぶった。



「ケリュン、素晴らしい働きです。ドラゴンに続き、私達の命まで守ってもらって。感謝の言葉もございません」


 深々と頭を下げるアレヤ女王。焦ったケリュンに、彼女は淡々と説明を続ける。

 ケリュンが――というより、主に追いついてきたレイウォードが叩きのめしたあの男は、とある貴族の三男であった。

 ガラス工房の細工職人の管理に携わっており、信頼の厚い人間であったこと。城の奥にまで忍び込んで女王を暗殺しようとしたこと。近ごろ言動がおかしかったとの噂はあったが、体調不良に伴ったものであると思われていたこと――。


「命懸けで止めてくださったのですから、あなたには知る権利があります」


 アレヤ女王はきっぱり言い切った。ケリュンは無言で頭を垂れた。

……頼みもしないものを一方的に聞かせておいてそれはないだろう、と内心思わなくもなかった。昔だったら有り得ない発想だ。ケリュンは自分自身に少し呆れる。


「他になにか聞きたいことなどあるかしら?」

「では、その……言動がおかしかった原因というのは?」

「分からないわ。洗脳でもされたのか、よほどの薬でも打たれたのか。体調不良でないことは確かですが。現在調査をさせているところです」


 それからケリュンはいくらかアレヤ女王と言葉を交わしたが、それ以上得られる情報は無かった。


「ケリュン、貴方には本当に感謝しているのです。いずれ、いえ、すぐにでも貴方の献身に報いたいと、私は考えています。形がどうなるかはともかく、貴方にとっても悪い話ではない筈です。さて、どうかしら?」


 悪戯っぽく笑うアレヤ女王のかんばせは、相変わらず少女のように若々しい。

 ケリュンはそれに応えようとして、そして自分でも理由は分からないが、なぜか咄嗟に口籠ってしまった。自分はただ陛下の言葉に頷けばよい、寧ろそれ以外の選択肢が存在するだろうか?


――以前、ロッカの部屋を訪問したあと。出会ったメイドはこんなことを言っていたか。


『いい? 大変な時はただこう考えればいいの』


「全ては女王陛下の御心のままに」


 そうして礼をしたケリュンだが、アレヤ女王の反応が無いのにふと視線を上げた。

 彼女は目を見張って、ぽかんとケリュンを見下ろしていた。本当に無防備な表情だった。あまりにも珍しいものを見た気がしたが、ケリュンはそこまで彼女のことを知らないためなんとも言い難かった。



 女王の暗殺未遂を引き起こし、捕えられた貴族の男は文官だった。剣は碌に使えなかったようで、そのためケリュンでも火掻き棒で応戦できたのだ。

 前方からレイウォード・レーンとともに、ふらふらと現れた水色の髪の持ち主、ロッカの姿にケリュンははたと気づいた。

 イオアンナがドラゴン退治に出立した翌日、ロッカが泣いて縋っていた文官。あの男が、彼だ。

 貴族に知り合いなんていない自分でも見覚えがあると思ったはずだ。


 ケリュンは控えようとして、沈鬱としたロッカに制された。


「ねえケリュン、貴族の男が捕まったって本当なの。自死したって」


 率直な問いだった。恨み節にしては力無く、虚ろだ。

 レイウォード・レーンを窺うと、小さく頷かれる。ケリュンはロッカの奇妙に澄んだ瞳を見返した。


「……自死については存じませんが、それ以外は事実です」

「そう、そうなのね。……わたし、馬鹿みたい」

「ロッカ様?」

「色々訊かれたと思ったけど。だって、こんなことに、使われるなんて。……なーんて。ごめん、変なこと言って」


 あはは、と痛々しいほどに強がった顔で笑う。ケリュンは咄嗟に「あの、」と声をかけたのだが、ロッカは「ごめん、」と首を振った。


「今日はもう、戻るね。次会う時は……大丈夫だと、思うから」


 そうして足早に、顔を伏せて去っていくロッカを、ケリュンは哀れに思った。イオアンナに続いてのことだ、よほど衝撃だったに違いない。親しい人間が亡くなることほど辛く、悲しいことはない。とケリュンは考えている。詳細は分からないが、ロッカの場合はそれに加えて、相手に謀られていたという苦しみもある。ケリュンは彼女の心の平穏を願った。



 後日ケリュンのもとに、『マルテ軍殊勲章(しゅくんしょう)』と、『アレヤ女王第二等勲章』(別名、緑光勲章)が授与されるとの連絡がはいった。前者は軍属としての働きを評価された者、後者は王族への貢献が認められた者への栄誉だ。

 片方ずつならともかく、両者にいっぺんに選ばれることは珍しい。片方は騎士院の、片方は王族院の意向が強く働く勲章であるためだ。

 ケリュンはそれほどのことをした、と単純に評する人もいれば、時の人であるケリュンという存在に、両院が均等に力をかけるためだろう、という見解もあった。

 残る一つ、貴族院が彼に手をつけられないのは、暗殺未遂事件を引き起こした愚かな貴族の所為である。ドラゴン退治で大きくその名誉を上げた騎士院とは対照的に、貴族院は一歩遅れを取っていた。


「あのドラゴンを呼び出したのは貴族なのでは、」


 という、どこからともなく真しやかに囁かれ出した噂も、それに拍車をかけていた。実際の原因ははっきりとは分かってはいない。

 首都の片隅で、大規模な魔方陣が発見されたが、その周囲に人気は無かったという。


 一方で、女王暗殺事件については、手っ取り早くケリュンを手勢に加えたかったアレヤ女王が黒幕であった、という説も生まれた。つまり、ドラゴン事件後の騎士院の増長を恐れた女王の、自作自演であったというのである。

 女王は、騎士院からケリュンという存在を取り上げるため、そこまでしてみせた。実際に勲章の授与決定後、ケリュンの功績を讃え、王族近衛隊に編入させようとの動きもある。というより、ケリュンに表だって断る様子もない以上、そのように成っていくのだろう。

 孤児の村人から一転、まさかの成り上がりである。

 街角の吟遊詩人は嬉々として歌う。しかしながら『ケリュン』なんて今まで何一つ聞こえてこなかった名だ、その過去について知る者は少ない。

 とある一人を除いて。


「時の人、栄転の象徴、『竜殺し』ケリュンの歌を聞きたいなら、さあこちらへ!」


 竪琴片手に朗々声を張り上げるのは、ジョアヒムという異国の吟遊詩人。すらりとした背丈に羽根つき帽。聴衆は多かれど、彼らの覇気はいまいち欠ける。

 それにどうしたと問うジョアヒムは涼しい顔。「百回は聞いた」「どうせまた似たような話なんだろう」との野次にも余裕で返す。


「いやいやこちらは違うよ。なんたって本人のお墨付きさ!」

「言うだけならタダさ」

「どうせ昔の話一つできないんだろう?」

「まあまあ皆さん任せなさい、聞けば分かるさ。――ではご要望に応えて、『竜殺し』ケリュンが、かつて『巧みなる射手』であった頃の話から」


 ジョアヒムは歌う。事実と違わぬよう、しかし盛り上げる部分は大胆に、哀愁を誘う調べは繊細に。ときに称え、ときに滑稽に、そうして彼の知る、人が好くどこか単純な、ケリュンという人物を語り続ける。

 こうしてジョアヒムの語る歌が、予想以上に大衆の、彼とケリュンへの評判を上げていくわけだが。

 その時はまだ誰もそんなことは考えてはいなかった。

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