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マルテ王国史  作者: ばち公
三章:傭兵時代後編
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外伝:赤い糸と 一人

 フレイヤは未だただ独り、その石造りの塔に座り込んでいた。そんな場所で、彼女に手を伸ばす者は現れない。

 普段の喧騒が嘘のように静まり返った首都アルクレシャで、彼女は死人のようにぐったりとしている。床の魔方陣は薄ぼんやりと光り、それだけが彼女の生を告げている。


 ふと。ドラゴンの吼え声が聞こえた気がしてフレイヤは重たげにその瞼を押し開ける。

 苦しんでいる。前にもあったが、今の方がよほど酷い。彼、あるいは彼女は、よほどの傷を負ったに違いない。


 それでも今のフレイヤにできることがあるはずもない。

 ドラゴンがこの土地に留まり続けられるようにと、魔法陣に魔力を送りつづける。それだけだ。


 それにしても、自分にこれほどの魔力があるとは思いもしなかった。フレイヤは今さらながらどこか愉快な気持ちになっていた。

 以前己の家庭教師を勤めていた、あの優しくも厳しい女性――テギンのことを思い出す。このことを知ったら驚くだろう。いや、もう察しているのかもしれない。彼女とその夫は、なかなかの曲者だから。


(私も、あんな夫婦に憧れていたのにな)


 フレイヤは目を閉じる。きっと見つかったら、怒られていたに違いない。

 フレイヤだって、こんな大それたことをするつもりではなかった。


――ドラゴンを召喚して国難を引き起こすなど、気狂い沙汰以外の何物でもない。


 しかしフレイヤは見てしまった。幼馴染の彼の最期を。あまりにも無残な、肉塊、その変わり果てた姿を。


 体のところどころを這う青痣さえ覆い隠すくらい血に塗れていた。どれほどの血が流れたのか、肉は腫れきっているくせに萎びて見えた。爪は無く、目は潰れ、髪も無く、歯は一、二本、まるで御情けのように残されていた。

 彼の相方、フレイヤの友人でもあったオーロラウルフは、その姿すら無かった。


 それでも彼と分かったのは――歪に修復した形跡のある、不似合な桃色のミサンガと、それから、何故だろう。フレイヤの身に宿る魔力が、そう告げたからだった。

 馴染みの、同郷の者である感覚があった。


「私は彼を愛していたのだろうか」


 誰か教えてほしい。誰かに教えてほしい。

 思い浮かぶ者の顔はいくつもあった。

 しかし、どれももう彼女の傍にはいない者だった。


 困り顔のパパとママ。外に出たいと言う度叱られ、夜になる度二人はごめんね、とフレイヤの頬を撫で泣いていた。

 新しいパパとママ。サプライズを隠すのが下手で、いつもくすくす笑うのだ。フレイヤを自慢の娘と褒め称え、いつも頬擦りをして祈ってくれた。

 魔法の家庭教師。目を伏せ、教本の文字をすっと指でなぞるのが癖。キレイな人。優しい人。夫と睦まじく愛し合う人。貴女のようになりたかったのだ。

 寝惚け眼のオーロラウルフ。誰よりも聡いのはもしかしたら、あの子だったのかもしれない。だからきっと、何か示してくれたはず。


 それからあのバカ。バカ。バカ。大馬鹿者だ。

 幸せにするって言った。約束した。再会の約束。ミサンガを巻いた。ピンクで、ちっとも似合ってない。なのに受け取った。ずっとつけていた。

 幸せにするって、言ったくせに――。


 フレイヤは泣いていた。耳に涙が流れ、すこしくすぐったかった。


「――?」


 気付けば体が葉のように力無く揺れ、体勢を立て直すこともできないままフレイヤは倒れてしまっていた。床に体を打ちつけ、きっと痛いのだろうが何も感じることがない。ただ目頭だけが熱い。それ以外は、もう何一つ残されていない。


「あ――」


 滲む視界のなか、張っていた糸がぷつりと音をたてた。

 途切れた二本が、はらりと地面についた。


「赤い糸、きれちゃった」


 フレイヤは困ったように微笑んで、そっと呟いた。

 返ってくるのは静寂だけで、なんの答えもない。


 そしてそれきり、その空間に、再び音がうまれることはなかった。

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